お道と臨床と〜心づくりのたね〜

天理教と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.
お立ち寄りの皆様へ

このblogではお道や心理学の視点を含めて,生活や思想,人生観などについて綴っています.訪れたのも何かの縁ですので覘いていってください.

※旧blogは「お道と臨床と〜心づくりの処方箋〜」です.2006年10月19日以前の記事はそちらをご覧ください.
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追い上げあいこ 

昨日,リーフレット配りを終えてしばらくして気付いたのですが,なぜか右手人差し指が切れていました.おそらく紙で切ったのだと思うのですが,何だろうと不思議に思いました.確かに右手人差し指はよくパクッと切れるんです.ずっとかまいたちかと思っていたのですが,何だか考えていたら,配る度に切っている気さえしてきました.切った瞬間は気付かなくていつの間にか切れているのに気付き,治ったと思ったらまたいつの間にか切れているという感じです.昨日もそうでした.

それで,「切れる・・・切ること一切・・・何だ?」とつぶやくと,あいこが「たいしょくてんのみこと,切ること一切の守護の理.ふぐだよふぐ!」と言いました.私はすぐに出てこなかったのですが,あいこが瞬時に答えたのです.しかも,雛型となった魚まで!さすがにびっくりしまして,「何!?」と反応すると,勉強していると言います.たまに本を読んでいるのは知っていましたが,まさかそんなに覚えていたとは!!

これはうかうかしていると,あいこに抜かれて,色々あいこに教えてもらうことになりかねませんな.私もお道の勉強を少しずつ生活に取り入れていかないとやばいですね.

リーフレット配り(初手渡し) 

今日は,仕事が休みだったので,まおさんと教会の片付けをしました,
暑く,むしむしした日だったので,汗びっしょり!
でもがんばりました!
布団がたくさんあって,いらないタンスもあったので,まおさんが近くの処理場で捨ててきました.

その後,リーフレット配りをしました.
「月1回はしよう!」と決めているリーフレット配りです.
リーフレット配りをはじめた頃は,私の方がどうどうとポストに投函していたのですが
今は,まおさんも,おどおどせず,「いい種まきになる!」とがんばっています.
これまで,私はおどおどせず,ポストに投函できていたので,余裕で配っていました.
ぽいっ(順調)
ぽいっ’(順調)
「いい種まきだ〜♪」
そんな気持ちでした.
そんな中,あるお宅で,ポストに投函しようとした・・・その時!
人影が!!

年配の男性でした.
「何?」と男性.
私は,「あ.近くの天理教の教会の者です.こちらを,是非読んでみてください!!」と
いうことが言えればよかったのかもしれません.(天理教について説明できると,さらにいい)
ですが,私は・・・「はい.よかったらどうぞ.」
これだけしか,言えず,ささっとその場を立ち去ってしまいました.
心の中で,「天理教・・・とか,教会・・・とか口にしていいか・・・」と悩んでいた自分に気がついたのです.ショックでした.恥ずかしいとか,そういうことではなく,「突然,変な人が,よくわからないものを配っていると思われるのでは?」と思ってしまったのです.

おやさまに申し訳ないことをしてしまいました.余裕で配っていた気持ちを,改める良い機会となりました.今後は,胸をはって,天理教のよさをしっかり伝えていけるようになりたいです.

35000GET!! 

たまたまですが,35000HITを自分で踏みました.
おかげさまで,ここまで続けさせていただいております.
今後とも皆さんよろしくお願いします.次は40000HIT目標です.

心はパズル  

「心はパズル」という言葉も印象に残りました.それについて綴りたいと思います.

先の記事で「心は自由」という話をしましたが,自由といっても知らず知らずのうちに心の遣い方は凝り固まっていき,言わば敷き詰められたパズルのようになっていきます.長く生きればそれだけ色々な考え方が身につき,大きなパズルができあがっていきます.

世の中は自分の考えだけで渡れるわけではありませんから,決まった枠がないと空き枠にピースにぴったりはまらないのと同様に,自分の考えの枠にぴったり入らないことが必ず出てきます.

どんなに頭をひねっても,そのピースがどこにも入らない,そんなとき人はどうするでしょうか.
そのピースが不良品だといったメーカーにクレームをつけますか?それともピースを削って強引に押し込みますか?あるいはピースを放り出してやめてしまいますか?これらのやり方をする人は一時はその事態を乗り越えることができるかもしれませんが,度々起こる同様の事態を乗り越えていくことは不可能でしょう.つまり,いつまでたってもパズルは完成しないということです.たいていの人は「今までのパズルにどこか間違いがあったのではないか」と思い,自分がこれまでに作り上げたパズルに疑問を抱き,製作過程を振り返り,場合によってはパズルを崩すという行動に出ると思います.

人間の心も同様と思います.ある事態がどうにも自分のこれまでの考えで心におさまりきらないとき,それは今まで自分が作り上げた心のパズルを崩す必要があります.周囲に文句を言ったり,周囲を強引に変えようとしたり,放り出してやめてしまっては,根本的解決にはなりませんし,心のパズルはいつまでたっても先へ進みません.

今までの自分の考えの枠―心のパズルを崩して振り返り,また新たな考えの枠―心のパズルを組んでいくことで,その事態がぴったりおさまるよう枠作りをしていく必要があります.やがて,今までおさまらなかったものがぴったりと心におさまるときが来るはずです.

どうにも呑み込めない,おさまらない事態に遭遇したとき,それはこれまでの心のパズル―考えの枠をぶっ壊すチャンスです.そこから新たな心の成人が生まれるでしょう.


未読の方は以下を閲覧ください.
「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる
心は自由

心は自由  

宮崎先生のお話の中に「心は自由(じゅうよう)」という話がありました.そのことから考えたことを綴ります.

私たち人間,身体は神様からお借りしていますが,心は自由をお与えいただいております.時として身体は自由がきかずとも心は何時も自由です.どんなことでも自身の受け止め方ひとつで喜びにも悲しみにもいかようにも変わります.

しかし,私たちの心は自由であるといっても,その自由さの中でだいたい決まった考え方,感じ方をしていくもので,知らず知らずのうちにそのパターンが,その人の癖として定着していきます.それは広く見れば性格という言葉に置き換えられるかもしれません.両親から受け継いだ傾向や育った環境,出会った価値観の取り込みにより,それらは形成されていきます.形成された性格の一面に癖もあります.

嫌気がさして癖をとりたいと思っても,これらの癖は一度定式化してしまうと変えていくのには勇気もいりますし,時間も必要ですし,本当に変わっていいのかな?という戸惑いや迷いがあることもしばしばでしょう.それももっともです.その考え方で今までの人生を歩んできたのですから.

しかしながら,その癖は変えないと同じことの繰り返しになることもあります.それもまたもっともなことかもしれません.同じような出来事に対して同じ癖で対処していては同じ結果になることは目に見えています.そんなときは,自分の心を変えていく必要があります.人は環境や他者の中で生きています.環境や他者を変えることができれば,自分の癖が出ることなく生活していくことも可能でしょうが,残念ながら環境や他者を変えることはできません.なぜって,環境や他者がそのようにあるのは,親神様によって私たち個人がその環境や他者をして自分自身を変化させる機会を与えられているからだと思います.

そのことを理解しているかどうかにかかわらず,やはり人は環境や他者を変えることはできないということを経験的に知っているので(あるいは知っていくので),結局は自分自身を変える努力をしなくてはならないということに気がついていきます.他者を変えようと頑張っている人も見かけますが,果たしてうまくいっているでしょうか.表面的にはうまくいっているように見えるかもしれませんが,陰では周囲から不平不満があったり,信頼されていなかったりと内実は円満にはいっていないことが多いのではないでしょうか.ワンマン社長などが典型例です.

一方,周りを変えようとするのではなく,自分自身の心の持ち方を変えると,不思議と環境や他者が変わってくることがあります.これが神様のお働きであり,同時に本人の努力の成果であると思います.ここでいう本人の努力とは,本人が意識しているかどうかにかかわらず,神様の子どもにかける思いに足る本人の心の持ち方や行いを指すでしょうか.

人は,適応のために自由を与えられている心に自らの努力で変化を与えることができるということです.せっかく心の自由を与えていただいているのですから,嫌な癖は取り除き,人を喜ばすことのできる心の遣い方をしたいものですね.


未読の方は以下を閲覧ください.
「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる

「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる  

「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれるということが,宮崎先生のお話で印象に残ったので綴ってみます.

私たちは生活する中で,自分自身を中心にして(自己中ということではありません)人生を体験していると思いますが,自分のストーリーだけではなく,「おかげさま」という言葉をもってストーリーを描くと自然と喜びが生まれるというお話でした.なるほど,確かにそうだと納得しました.

では,ためしに私のある1日を綴ってみましょう.

今朝は6:20に起き,朝食をとり,身支度をして朝づとめに参拝し,7:20に家を出て車で出勤しました.8:30より17:00まで仕事をして,車で家に帰り,夕づとめに参拝して,夕食をとり,食休みをした後,運動をして,入浴を済ませ,ブログを書いて床に就きました.


これが自分のストーリーです.これをおかげさまストーリーで綴るとたとえば以下のように綴れるかもしれません.

今朝は6:20にお蔭様で元気に目覚めさせていただき,朝食もお蔭様でいつもと変わりなく喉を通りましておいしくいただきました.身支度をした後,朝づとめに参拝させていただき,7:20に家を出て車で出勤し,お蔭様で事故に遭うこともなく,無事職場につきました.8:30より17:00までお蔭様で何のトラブルもなく仕事をつとめさせていただき,再びお蔭様で何事もなく家に帰らせていただきました.夕づとめに参拝させていただいた後,お蔭様で夕食をおいしくいただき,食休みをした後,お蔭様で怪我をすることもなくいつもの運動をさせていただき,お蔭様であたたかいお風呂をいただき,お蔭様で書き込みエラーも出ずブログを書かせていただき,床に就かせていただきました.お蔭様で無事平穏な一日でした.ありがとうございました.


分かりやすく1日を綴ったので,後者の文章は少々読みにくくなってしまいましたが,感謝が自然と滲み出ています.要はそのときそのときに自己報告型の体験だけをするのではなく,親神様に報告する形で体験する,言わば「おかげさま」の気持ちを持って過ごすことを心がけると自然とどんなことにも喜びが生まれてくるということです.お道を信仰されている方はすでに習慣になっているかもしれませんが,ともすると当たり前のことと思ってしまい,感謝や喜びを忘れてしまいがちです.毎日,私たちを生かしてくださっている親神様におかげさまのストーリーをお届けできるよう心がけたいものです.

さて,他にもいくつか先生のお話の中で印象に残って是非記事にしようと思った箇所がいくつかありましたが,やはり私の記憶力ではどこまでが先生がお話しされて,どこからが私の理解であり,解釈なのかがもはや区別がつきませんので,以降は先生のお話をヒントとして私が考えたこととして綴りたいと思います.楽しみにされていた方いましたらすいません.

宮崎先生のお話 

今日は東大教会のおつとめ総会でした.記念講演として臨床心理士でもあり梅満分教会長でもあられます宮崎伸一郎先生のお話がありました.

私は先生の話がとても好きでして,これまでも何度か足を運んではお話を聞かせていただいています.声を張り上げ熱く話をされるという感じではなく,ゆっくり柔らかい口調で話をされるので,自然と会場の雰囲気もやわらかくなり,皆宮崎ワールドに引き込まれていくという,そんな印象があります.話も笑いあり,成程ありで聞く者を退屈させません.比べるまでもありませんが,パワーポイントに助けられて90分講義をする私とは大違いです.何の参照もなくとも自分自身の心にある言葉で90分途絶えることなく話し続けられる,本当すごいです.いつか刻を経たら,私もそんな話ができるようになりたい,そう思っていつもお話を聞かせていただいています.今回も友人から,宮崎先生の講演があるという話を聞きまして,こうしてやってきたのでした.あいこももちろん参加です.

さて,話の内容ですが,いくつか印象に残った話がありましたので,後日,私の理解や感想も加えて記事にしたいと思います.宮崎先生の言葉で知りたいと思われる方も多くいるでしょうが,残念ながら私のメモリーはそれほど優秀ではありませんので,純粋に先生の言葉だけを記憶するということはすでに難しい状況になっています.私自身の考えなども入った形での理解になっていると思いますのでご容赦ください.

終了後,久しぶりに少しでもお話できたらと思い,あいこを連れて客室にご挨拶に行かせていただきました.数回しかお会いしたことはありませんが,先生も私の顔と名前を覚えてくださっていたようで嬉しかったです.あいこの紹介もさせていただきました.ブログもずっと読んでくださっているようで,嬉しい限りです.今日の記事にはきっとコメントをいただけるだろうと今から楽しみにしています.

久しぶりに・・・ 

昨日は仕事が終わってから,単身東京は上野に向かいました.
高校友人が天理からおつとめ総会で東京に来るということで私も行ったのです.
上野と言えば東大教会ですね.上野で合流し,私も一緒に東大教会へ向かいました.

東大教会には一度天理大学のとき夏季伝道という行事で行ったことがあります.たいての神殿は三殿が横に並んでいると思うのですが,東は親神様が正面にあり,おやさま,御霊様は廊下を隔てた奥にあったと思います.おぢばみたいです.それから,聖水のさづけ(?)だかなんだかのお水があって,そのお水をそのときにいただいた覚えがあります.

そんなわけで,2度目の参拝だったのですが,上記に書いたようなことはすっかり忘れていまして,神殿を見て思い出したという感じでした.昨日は総会の前夜祭ということで行ったのですが,そこで不思議なご縁をいただきました.

最後にビンゴをやったのですが,ビンゴでなんとフモフモさんが当たったのです.キャラは「ゲット」というカンガルーでした.わがやにはあいこが連れてきたフモフモさんが大勢いるのですが,もう増えることはないだろうと思っていました.しかし,こちらが求めずともフモフモさんの方からやってくるではありませんか.これにはさすがにびっくりしました.フモフモさんとはどうやら深い縁があるようです.

終了後,友人の所属する教会に実に10年ぶりにお邪魔しまして,夜遅くまで会長さんらと談じ合ったのでした.実は18歳頃に友人と青春18切符で私の教会に帰るときに,友人が疲れ果てて一晩泊めていただいたことがあったのでした.10年の前のことでしたので,どんな教会かも覚えていませんでしたが,昨年12月の友人の披露宴や後継者講習会の後などにもお時間をとっていただいて,会長夫妻と色々お話させていただいておりましたので面識はありました.とてもお道に熱心な方で,学ぶものが多くあります.また,機会があれば行きたいと思います.

義弟来る 

今晩はあいこの弟が訪ねてきました.何でも先日東京ドームに行ってきたとのことでお土産を持ってきてくれました.明日はまた朝の4時から仕事だというのにわざわざ寄ってくれて本当にありがたいです.

久しぶりだったので(といってもすでに4回目くらいですかね),皆で談話をしました.後半はTVを観て結局10時前くらいまでいました.その後,実家へ帰ってごはんを食べてから寮に帰るといっていたので,おそらく睡眠は4時間くらいで仕事でしょう.

「これが若さか・・・」

と言いたくなります.私は絶対無理です.それにしても,夜遅くなってでも実家へ寄って息子のためにと料理を作ってくれている母の思いを汲み取ってあげられるなんて,なかなかどうして親孝行な弟ですな.

当たり前 

当たり前って何でしょうか?おそらく「普通のこと」「ありふれていること」「そうすべきこと」「そうあるべきこと」というあたりの意味であると思います.ということは,時代や文化によって変化しうるということです.それはすなわち,皆さんが当たり前と思っていることの大抵は普遍的真理ではないということです.

時代を遡れば,あるいは発展途上の地域,未開の地域からすればPC,TV,電話,コンロ,水道,雨風凌げる家・・・といったものは当たり前ではないのです.さらに有史以前まで遡れば,人が自然界に脅かされることなくある程度毎日を過ごせるということも当たり前ではないわけです.私たちが当たり前だと思っていることは,周囲もそうであるから(つまり普通のこと,ありふれていること)そう思うのであって,限定された視野で判断しています.小学生が親にものをねだるときに「皆持ってるもん!!」というときの”皆”とは大抵クラスの仲のよい数人であると言われています.誰が持っているのか訊ねるとあがる名前は数人という・・・もっとも彼らの視点は更に狭いですが.

同様に私たちが日頃当たり前だと思っていることもかなり限定された視野なので巨視的に見る必要があるのです.巨視的に判断すれば,当たり前だと感じることは当たり前ではないのです.このことが腑に落ちれば,今あることの中に喜べることを見つけることは簡単かもしれません.

心臓が休まず動いていること,呼吸ができること,目が見えること・・・すべて当たり前のことではなく,神様の働きによって生かされている奇跡なのです.他にもたくさんあると思います.当たり前に思っていたことを当たり前ではないと思えたとき,そこに喜びが生まれるのです.

雨よりほこりのそうじについて思う 

先日,月次祭前に車の掃除をしたのですが,掃除をした翌日くらいにフロントガラスに鳥の糞をつけられまして,あいこと共に悔しがっていました.かといって取り除くわけでもなく,そのままにしておいたのですが,今朝仕事に行こうと車に乗って走ると,ふと鳥の糞がなくなっていることに気がつきました.

そうです.昨晩からの雨で洗い流されたのです.フロントガラスはすっかりきれいになっていました.そのとき,ふと頭に思い浮かんだのは「ほこり」についてでした.

車は走っている間に意図せずして汚れていくけれども,知らず知らずのうちに雨が洗い流してくれるんだなぁ.雨ってたいていの人は面倒くさかったり,嫌だと思ったりしがちだけど,降らなくても困るものだし,こうして車の汚れを落としてくれるんだなぁ,ありがたいなぁ,と.

転じて,これは人間にもたとえられると思ったのです.私たちも生活しているうちに,意図せずして心のほこりを積んでいくけれども,たいていの人が面倒だと思ったり,嫌だと思いがちなことを率先してやらせていただくことで,知らず知らずのうちに心のほこりも落としていただけるのです.なんとありがたいことでしょうか.

あいこと車の中でそんなことを話しながら出勤しました.

ちなみに,昨日から今日にかけて降った雨は,私の車の汚れを落としてくれましたが,さすがに雨は私の心のほこりを落としてくれたわけではありません.車にとっての雨に代わることを,私も日々探してつとめさせていただかなくてはと思いました.

リーフレット配り 

今日はあいこと恒例のリーフレット配りにいってきました.

かなり慣れてきまして,ポスティングだけでなく,直接手渡しすることもありました.
まだ,お話聞いてくださいとは言えてませんが,少しずつ成長させていただきたいと思います.

婦人会総会 

あいこです.
今日は仕事を休んで,婦人会総会に参加してきました.
まず,おつとめがあったのですが,胡弓があたっていたので,初めて
上段にあがらせていただきました♪
初です!初♪
緊張しました〜でも,一生懸命やればいい!周りにあわせればだいじょうぶ!と
思ってがんばりました.
その後は,式典.そして,元の理の寸劇をみました!
すばらしかったです!ぜひ,おやさま物語など・・・また新しいテーマで
寸劇をしてほしいです.
楽しそうですね!劇やるのも!!(メンバーが集まればできるのでしょうが・・・)

民営化の皺寄せ? 

今日は郵便局に行きたかったので5時に病院を出て近くの郵便局へ行ってきました.その郵便局には久しく行っていませんでしたが,5時半まで開いていたので,以前はよく利用していました.

久しぶりに行ってみて,窓口に行くと「5時で郵便は終わりなんですよ」と言われました.「切手だけでも買えませんか?」と私.「いや,切手も5時で締めちゃってるんでもうお売りできないんです.コンビニなどでお買い求めください」と局員.

「わかりました.じゃぁせめてAIR MAILの料金だけ教えてください」と私.「はがきはどこでも70円です」と局員.「ありがとうございます」と私.

結局,AIR MAILの料金を知りに行っただけでした.民営化になってから初めて行ったので,民営化になって営業時間が短くなったんだなと思いました.勤務後にも行けて便利だったんですけどねぇ.皆さんのまわりには不便になった郵便局とかありませんでしたか?

ちなみに,帰りにコンビニで切手は買いました.

よい未来イメージはよい未来を生む 

私たちは生活する中で,先の展開や予定を色々イメージしながら日々を送っていることと思いますが,どのように成っていくのかをイメージするときに,よい未来をイメージできるかどうかは重要です.なぜならばイメージしていないことは意図的に引き起こすことが困難だからです.

たとえば,ある日の私ですが,「仕事を終えたら,帰りに日供の神餞物を買って帰ろう,そして帰宅後は夕食をとって,ジョギングと筋トレをしてとりだめしてあるビデオを見て寝よう」という素晴らしい未来をお昼の段階でイメージしていたとします.そういう予定,展開をイメージしているのですから,予想外の偶発的な出来事がない限りはそのように過ごすでしょう.

反対に,「今日も家に帰って特にやることもなくTVをダラダラ見て寝るんだろうな」というイメージしか持てないと,他に何も未来イメージがないわけですから,きっとその通りダラダラ過ごして寝ることでしょう.

帰りに買い物をしていくとか,外食していくとか,帰宅後は読書をするとか,家族と談話するとか,散歩に出るとか,人間の行動レベルで見れば,行動の選択はたくさんあるはずなのに,なぜそのような選択をすることなしに予定通り,展開通りの行動をとるのか.それは単純明快でして,それ以外の選択を頭にイメージしていないからだと思います.もし,イメージしていれば,複数のオプションの中から選択するわけですから,そのような行動に出る可能性もあります.

この頭に抱くイメージが,1つしかないと人はその行動しかとれずに終わってしまうことが多いかと思いますが,イメージの段階で複数の展開をイメージしておくとそれだけ行動の選択肢が広がります.たくさんのイメージを抱くことはたくさんの行動の実行可能性を生むということです.この際にはできればよい展開をたくさん描くようにすると,よい行動を選択できる可能性が高くなってよりいいのではないかと思います.そして,よい行動の選択肢が広がるということは,よい気分や感情を引き出す可能性も高くなるということでもあります.

ですから,タイトルに述べたように,よい未来イメージはよい未来を生むのです.よく考えると,喜べば喜びの理がまわり,案じれば案じの理がまわる,というのと似ていますね.ということは,お道を信仰している方にはごく自然なことですね.
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