関連記事になりますので,未読の方は以下を閲覧ください.
⇒
信仰の本質~宗教というラベリングの影響以前に,宗教というラベリングのみで否定的に捉えるべきではないという話をしましたが,今日は逆に人から宗教を知るということについて考えてみたいと思います.
世の中には様々な宗教があります.世界三大宗教であるキリスト教,仏教,イスラム教,その他にヒンドゥー教などなど・・・未開文化であれば自然崇拝(アニミズム)もあるでしょう.日本をとってみても様々です.仏教には幾つもの宗派があり,神道では八百万の神が存在し,江戸末期の日本三大新宗教と呼ばれる天理教,黒住教,金光教,そして以後の新興宗教とたくさんの宗教があります.(近年の新興宗教は社会的に問題を起こす教団が多く,宗教全般が一般に敬遠される傾向にあることは否めません.)
さて,このように様々な信仰対象が存在するわけですが信仰のレベルは様々です.一言で「信仰」と片付けてしまうにはあまりにも幅があります.つまり,信仰対象あるいは信仰をどのようにパーソナリティの中に取り込んでいるかということで信仰のレベルは変わるわけです.
単に「家族や親戚が信仰しているので付き合いで」という人もいるでしょうし,「ご利益ありそうだし」「保険みたいなもんだよ」「助かりたいから」という現世利益的な人もいるでしょう.このあたりの人は心理学者のAllportによれば「外発的に動機づけられた宗教」と呼ぶようです.つまり自己の外にある利益のための信仰です.反対に「人だすけのため」「感謝のため」「心づくりのため」と「内発的に動機づけられた宗教」をもつ人もいます.つまり,自己の内に根付きその人の行動を導く信仰です.そしてAllportは「外発的宗教をもつ人は宗教を利用するが,内発的宗教をもつ人は宗教を実践する」と述べています.
単に宗教信仰といっても,その人がその宗教に対してどのような姿勢で向き合っているか,つまり意味づけによってその水準は全く違うわけです.そして内発的に動機づけられた宗教とはパーソナリティにおいて一貫した傾向を示す,すなわち個人の人格形成に大きく影響を与えるということです.自分の行為の基準が信仰対象の思惑,あるいは教義に基づいているのだとすれば,それは内発的と言えるかもしれません(教えの実践ということです).
信仰をもっている方は自分がなぜ信仰しているのか?という意味を是非考えてみてください.それが外発的なものであるならば,信仰をスペクトラムとして考えると低次に位置すると考えられ,都合が悪かったり,願いが叶わなかったり,ご利益がなかったりすると離れていくでしょうし,内発的なものであるのならば,スペクトラムの高次に位置し,たとえ困難な状況に置かれてもあなたの行動に一貫した指針を与えうるでしょう.
あなたの信仰は何がための信仰ですか?
続きは以下を閲覧ください.
⇒
人をして宗教を知るということ(2)⇒
人をして宗教を知るということ(3)
- 関連記事
-
スポンサーサイト
なるほど、よく分かりました。自分の中の内発性を改めて吟味してみたいと思います。
いつも楽しみに読ませて頂いています。