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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

迷い犬 

数日前のことです.

夜10時過ぎに犬がわがやにやってきました.逃げてきたのか首輪もついていますし,鎖も途中までついています.会長がエサをあげるとバクバク食べ,よほどお腹がすいているのかもしれないよと言ってました.私も犬は好きですので,玄関先に見に行くと,なんと数週間前にも見た犬ではありませんか.数週間前に近所の青年がやはり夜に「そこで捕まえたんですけどこの犬チャコじゃないですか?」と言ってうちに連れてきたのでした.チャコは2年半前にすでに出直しているので,もちろん違います.(チャコを含む記事一覧はこちら)

その後どうしたのか知らず仕舞いでしたが,その犬がまたうちにやってきたのです.チャコほどではありませんが,わりとかわいらしい顔をした柴犬でした.毛の質は硬めでした.とにかく人懐っこく,すぐに馴染みました.湿気たせんべいなどをあげていると,次弟が帰ってきました.ちょうど近所を散歩していた人が心当たりがあるというのでその家に一緒に見に行きましたが,その家にはちゃんと犬はいました.結局分からず,とりあえずその日はうちにつないでおいて,翌日に張り紙をしようということになりました.次弟が「飼い主見つからなかったら飼うしかないな!」と言います.縁あって出会ってしまった以上保健所にやるには忍びないので,もし本当に見つからなかったらそうなるのかなと私も思いました.そして,翌日・・・.

かつてチャコがいたらへんで悠々とくつろぐ犬の姿がありました.次弟が犬とじゃれているとそこへ隣家のTさんが通りかかりました.
「あっチャッピーいた!」
次弟も私も会長もびっくりすると同時に大笑い.まさか隣のTさんちの犬だったとは・・・そう言えば昔見たことあった気がしました.最近は全然みかけませんでしたが.昨晩,紐をつけかえるときに一時的に離したら隣の家の方に歩いていこうとしたので連れ戻しましたが,あの行動も自分の家に帰ろうとしていたのかもしれませんね・・・.隣の人は張り紙を見て気づいたようで,とりあえず無事飼い主が見つかってよかったです.しかし,隣の犬を捕まえといて「飼い主見つからなかったら飼うしかないな!」と言ってた私たちは実に滑稽でした.知らなかったとはいえ自宅に帰ろうとする犬を連れ戻したのも実に愚かでした.近所のつながりはそれほど疎遠ではないと思っていましたが意外と知らないものなのですね.

↓チャコです.
2006/06/17(ベストショット)

祖父の命日より思う 

今日,1月27日は当教会の初代であります祖父の祥月命日です.祖父の出直しから一年が経ちました.早いとしか言いようがありません.祖父の介護をしていた日がついこの間のことのように思い出せます.会長がおぢばから今日帰ってきたので,夜にあいこと会長と3人でお墓参りに行きました.

今でも時折在りし日のことを思い出しては懐かしい感じになることがあります.畑仕事が好きで元気な頃はよく私たちやチャコを連れて野菜作りをしていたものです.悪戯好きなところは最後まで残っていたので晩年はかわいらしくもありました.家族の中でもふとしたことから祖父の仕種やエピソードが話題になることが多々あり,人の死は哀しいものではありますが,それだけを残していくわけではないということを切に感じます.感謝もその1つです.

私たちは親や祖父母と過ごした時間から多くのことを学び,成長させていただいていると思います.時には叱られつらい思いをしたこともあるでしょうが,それが見えない糧となり今の生活で実を結んでいるのです.

親々は根っこです.見えないけれどもその根っこがしっかり地中に張り巡らされているから,幹はまっすぐに伸び枝葉や実を結んでいくのです.根っこが枯れずに元気でいれば木はいつまでも元気で倒れることはありません.たとえいなくなっても親々を末代まで大切にしていくことが家族という大木を支えていく秘訣のように私には思えます.

お墓参りや慰霊碑,御仏壇で手を合わせる習慣とその行為自体尊いもので,皆さんそれぞれのご家庭で大切にされていることと思います.親あっての私たち,親がいなければ私たちの存在すらありえません.親がこの地に礎を作り育んでくれたからこそ今の自分たちとその生活があると思えば,自ずと感謝の念も湧き上がってくるものです.その習慣にとどまらず,親と過ごした思い出や親の思いや知恵を子どもたちがまた次の世代に伝えていくことも親への恩返しになるでしょうし,親が育ててくれた家族という大木の根っこに十分な養分を与えることにもなるでしょう.

このことは核家族化して個別性が重視される傾向にあり,世代間のつながりが薄くなっていると言われている今の日本には大切なことだと思います.私も時が来たら,しっかりと親の大切さ,根っこの意味を伝えていきたいと思います.

ゴミ捨て&リーフレット配り 

081023b.jpg今日は休みを利用してゴミ捨てに行きました.

いらない自転車や流し台,机などの金属類と箪笥や棚などの木材家具類,トタンなど色々です.家具類はたくさん積めるように次弟と解体してから積みました.昨日のブログに書いたように,チャコの小屋も解体しました.写真に青い板が見えると思いますが,それがチャコの小屋です.午前中に軽トラック2台分のゴミを捨ててきました.だいぶ片付いた感じがありますが,まだまだ不要なものがたくさんあります.少しずつ片付けていきたいと思います.

やや遅い昼食をとった後,午後はあいことリーフレット配りにいってきました.
はじめの参拝をして家を出るとちょうど雨が降ってきたので傘をさしての活動となりました.今回は雨ということもあり,二手に分かれてやりました.

終了後,さすがに疲れたので1時間ほど昼寝をして,夕方からはSVを受けにいってきました.電車に乗ること小一時間,いつもの先生に指導していただき,また明日からの仕事に大いに活用できそうです.

家に帰ると8時半,先ほど夕食を終えて,今ブログを書いています.今日もとても充実した1日でした.

チャコの命日 

今日10月22日はチャコの1周忌です.
1年前の朝方チャコは13年の天寿を全うしました.
悲しくもあり,感謝もあったあの日からもう1年です.早いものです.

夜,あいこと一緒に家の庭にあるチャコのお墓をお参りしました.1年前はあいこはまだ実家にいたのですが,出直したと聞いて早朝からかけつけてくれました.あいこと車の中で「早いものだね」と話をしていました.

お墓の隣にはチャコの小屋があります.1年間ずっとチャコの小屋もそのままにしていましたが,そろそろ壊して捨てようと思います.思い出は壊れませんし,チャコへの思いは捨てません.チャコが住んだ小屋(晩年はほとんど外で過ごしていました)とさよならをするだけです.


関連記事として,以下も閲覧ください.
愛犬チャコの出直
在りし日のチャコ
チャコの出直しに関して
チャコここに眠る

祖母の命日 

今日は祖母の命日です.

2年前の2月26日祖母は84歳で出直しました.
同い年の祖父は先月26日に2月2日の86歳の誕生日を前に85歳で出直しております.

平成18年の年末より山口の伯母の家に祖父と療養にいっていたのですが,祖母は癌が再発していたので12月に送り出したとき,もう教会の土を踏むことはないのだろうと覚悟していました.

2月下旬になって伯母が「そろそろかもね」という話をしていたので,2月の本部月次祭に参拝させていただき,夜山口の教会へ帰る車に便乗させてもらう予定で天理に発ったのですが,容態の変化の連絡があり一足先に叔父と山口に向かったおかげで,叔父が祖母の手を握り,祖父,伯母,私と家族に囲まれながら,静かに出直しのときを迎えることができたのでした.長男である私を3年前に出直した父の代わりとするならば,祖母は3人の子と夫に囲まれて布団の上で息を引き取ったというとてもありがたい出直しをお与えいただいたことを思い出します.

今気づいたのですが,祖母も長年生活した教会から思いのある娘の元へ行って2ヶ月と数日,祖父は娘の元から長年生活し思いのある教会へ帰ってきて2ヶ月と数日,どちらも家族の懸命な介護と世話のもと出直しのときを迎えさせていただいております.どちらも2ヶ月余りというのが不思議なもので,祖父母は誕生日も1日違いというおしどり夫婦でしたから,最後まで似たような道を辿らせていただいたようです.祖母にとっては年中娘のことを心配していたので,祖母の思いがかなう形で最後のときを迎えられたのだと思いますし,祖父にとっては初代会長として信仰初代で築き上げた教会で自身の思いがかなう形で最後のときを迎えられたのだと思います.よくよく本当にありがたいご守護をお与えいただいたなぁと思います.

父が出直し,祖母が出直し,(チャコが出直し,)祖父が出直し,家族がこの5年でぐんと減ってしまいましたが,ふしから芽が出るというお言葉があるように,このふしを成人の機会として歩ませていただきたいと思います.

昨年も書きましたが,うちの教会の信仰は祖母より始まっています.祖母の10歳近く離れた兄がお道を信仰をしていて,その後祖母がお引き寄せに合い,続いて祖父ににをいがかかり,現在その環境で育った子どもたちはそれぞれが教会でつとめさせていただいております.

祖母がお道にお引き寄せられることがなければ,私たちはこの素晴らしい教えの下で育つことはなかったのですから,本当に祖母への感謝を忘れてはいけないと思います.この教えの下で育つことがなかったら,きっと今の私とは違った性格の私に育っていたでしょう.今の私があるのは,お道の教えの中で育ってきたからであり,それは私たち兄弟が育った教会の礎をつくった祖父母によるものでもあります.御霊となった現在も,教会のお社にとどまり,私たちと教会を見守り続けていることと思います.これからは祖父も一緒に・・・.

似たような内容ですが未読の方は以下も閲覧ください.
祖母の命日

皆様へ 

はなまるさん,てんちゃんさん,紬さん,haftarさん,IZAMUさん,しきさん,yoshiさん,りなさん,コメントどうもありがとうございました.

祖父が出直したことは本当に悲しいですが,それでも苦しまずに眠ったまま出直しのときを迎えることができて,よかったと思っています.お世話をさせていただくのは大変だと感じることももちろんありましたが,祖父の涙が物語っていたように,祖父はずっと過ごしたかったであろう教会で,家族に介護してもらい,喜んで出直していったと思いたいです.

親神様が迎えとったわけですから,きっとこの節にも喜びの芽があるはず.だとすれば,祖父が望む最期に喜びを提供することが私たちにとっての喜びですから,きっとその思いはかなったのだろうと思います.悔いがないとは言いません.正直,悔いはありますが,その悔いはこれからの道で悔いのないように生かしていきたいです.

父や祖母が(もちろんチャコも)そうであるように,折に触れて,また祖父が生きていたそのときを懐古することがあると思いますが,そのときだけでなく,日頃より初代である祖父の思いを忘れずに日々を過ごしていきたいと思います.

夢をみるということ 

少し前のことになりますがチャコの夢を何回か見たので,夢を見るということについて考えてみたいと思います.

夢の本質は体験を消化・吸収する過程です.ですから,消化・吸収された体験(夢)は記憶に残らないと言われています.消化・吸収に失敗した夢が記憶に残るのです.そう考えると「夢を見た」という表現は適切ではないかもしれません.「夢を覚えていた」と言った方が理論的にはしっくりくるでしょうか.

断片的に覚えている夢もあれば,はっきりと覚えている夢もあり,また見た気はするがまったく覚えていない夢,あるいは夢自体見てもいない,と様々な体験のレベルがありますが,それはどの程度現実に起こった体験を夢の機能によって咀嚼したかということと関係があるようです.ただ,夢は様々な置き換えや逆転や凝縮,象徴化などが起こっているので見た夢をただそのまま捉えればよいというわけではないようです.しかし,夢見手の連想が大事とは言われています.私は専門的な勉強をしているわけではありませんので,正直よくわかりません.このくらいにとどめて,いち信仰者としてのまおの視点から書いてみましょう.

おそらく夢自体は毎晩見ているのだと思います.ただ夢によって現実生活で解消できなかった部分を解消できた場合,まったく記憶に残らないのでしょう.逆に記憶に残っている場合,何らかのメッセージがあるとは思います.それは無意識からのメッセージと心理学では言うかもしれませんが,それだけではなく,私は親神様からのメッセージととれることもあると思っています.

親神様が私たちに伝えたいことがある,それはお手紙として私たちにくださるわけですが,身上や事情だけでなく夢もその手段として用いられることもあるだろうと思うわけです.ですから,同じ夢を何回も見る場合,その夢には何か意味があることもあるのでしょう.また,その時々の旬に合わせた象徴的な意味深い夢を見ることもあると思います.それもやはりお手紙である可能性があります.

ただそこで気をつけねばならないことは,あくまでも可能性であって,やはりそれがすべてではないということです.あくまで受け取る側の解釈の問題なので,自分にとって都合のいいように受け取っている可能性もあります.それが自分自身の心や行動の方向性を決めることにのみ影響するのであればまだ構いませんが,それがより多くの他者にも影響を及ぼしうる場合は,自分本位にならないよく考える必要はあると私は思います.周囲の人に相談してみるとかですね.

なんだか書いてみたはいいもののまったくまとまりません.要するに夢を理解するということは非常に難しいものなので,後で振り返ったときに「あれはそういうことやったんやなぁ.神様は以前から知らせてくださったんやなぁ」と思えるくらいでもいいのかもしれませんね.

一応結論として,「夢にはメッセージ性があり,神様の思いが込められていることもあるが,関係者が自分だけではない場合は,あくまでもその事象にまつわる関係者を交えてその夢に込められたメッセージを検討してみるのがよい」としておきたいと思います.ただこれは自論ですし,今記事を書いている段階でそうおさまったのであって,後に理解の仕方は変わる可能性はあるということをお断りしておきます.

関連記事になります.
チャコの夢(1)
チャコの夢(2)

ひめゆり平和祈念資料館 

沖縄旅行から10日ほど経ってしまいましたが,ひめゆり平和祈念資料館へ行ったときの記事です.

29日の午前10時過ぎだったかと思います.第2展示室の病院壕のジオラマを見ていたら証言者の方がジオラマの奥をのぞいている私を見て話しかけてくださって,しばらくその貴重なお話に耳を傾けて聞かせていただいたのですが,時間の制約上,最後までお聞きすることができず,やむなく会釈だけしてその場を立ち去る形となり,出口にあった感想用紙に記載する時間もなく心残りでした.

時間が許されるのであれば最後までお話をお伺いしたかったです.一生懸命に私たちに話してくださり,止め処なく溢れてくる言葉より,まさにことばでは語り尽くせないほどの壮絶な体験,哀しみを背負ってこられたのだと思いました.そして,本来ならば思い出したくもないような苦しい体験を60年以上経った現在もジオラマの前で語り続ける姿に心の強さと語り続けることにかける思いを感じました.3年間のシベリア抑留にあった私の祖父も85歳になりましたが,戦時中は満州にいましたので,ひめゆりの方のような戦火をくぐってはいません.本当に平和な時代に生まれ育った私などは想像もつかないほどの中を生き抜いてこられた,生かされてきたのだなぁと思いました.弾丸が飛び交う中,生き残ってこられたというのは単なる偶然ではなく,私たちが同じ過ちを繰り返さないために,そして戦争の恐ろしさを後世に伝えていくために,そうしたお役目を果たすべく命を授かってきたのだろうなぁと思わせていただきました.

最近チャコの出直しなどあったゆえから,「命あるものには生かされる意味がある」というのが私個人のテーマとしてありましたので,今回の沖縄では,多くのことを学ばせていただいたように思います.水族館の魚を見ては,この魚は何のために生かされているのだろう?生きていて楽しいのかな?そもそも魚に感情あるのかな?無目的そうに見えるけど何か目的があって泳いでいるのかな?など様々なことを考えましたし,ひめゆりの資料館でも軍国主義の犠牲として尊い命を失っていった人を思っては何のための犠牲だったのか?どんな思いで命を落としていったのだろうか?など色々考えました.

人間,動物含め万物は憎み合うために生かされているのでありません.皆が明るく楽しく生活するために個々の命は存在する,美ら海水族館の魚であれば,自身が水槽の中で自然と生きることで訪れた人々を楽しませ癒しを与えるという存在の意味が,パイナップルであれば自身がすくすくと育ち,おいしく食べてもらうことで食する者に喜びを与えると存在の意味が,それぞれあると思います.人間も同様です.私たち一人一人が争いなく生きていくことで,互いに喜びや楽しみを与えられる社会を作っていけたらいいのにと心から思いました.昨今の情勢から憲法9条の存在が脅かされ平和憲法の維持が危ぶまれているように思いますが,海外,長崎,広島,そして唯一戦場となった沖縄での惨事を忘れずに,今後も絶対に平和保持の道は歩み続けていく必要があると思いました.

まとまりませんが,本当にそのとき証言者の方がお話しくださらなければ,ただ私はそこを通りすがっただけでしたが,こうしてただの通りすがりに終わることがなかったのも,何かそこから私が感じ学ぶ意味・必要があったのだろう,これもご縁があったからと思わせていただき,こうして感想を綴っています.

また,沖縄に行く機会があるかはわかりませんが,もし再度訪れることがあったならば,もっとゆっくり見て回りたいと思います.

皆さんも沖縄に行く機会がありましたら,是非足を運んでください.私たちが忘れてはいけないこと,後世に伝えていかねばならない姿が見られると思います.

チャコここに眠る 

071104.jpg今日は午後からチャコを埋葬しました.

チャコが長年暮らした小屋の横の大きな木の下に穴を掘って木箱ごと埋めました.木の板の表に「チャコ」と裏に「平成十九年十月二十二日 没」と書いて墓標としました.そして玄関に生けてあった花を少しとって供えました.

今後もチャコは御霊として教会と共にあり,番犬として教会を守ってくれていたように私たちを守ってくれるでしょう.

それにしても,家族の墓でさえ500mくらい歩くのに教会の敷地内にお墓があるなんてチャコも果報者ですな.

チャコの出直しに関して 

(本日3本目の記事です.他の2本も是非閲覧ください)
先ほど会長がおぢばから帰って来ました.そして以下の話を聞かされました.

実はチャコが亡くなった22日頃(詳しい日時は不明です)祖父が山口の教会で心臓発作を起こして倒れたようです.おばが祖父のところを行くと祖父がチアノーゼ状態でひっくり返っていて,おばが処方薬を飲ませて祖父をひっぱたいたところ,意識を取り戻し回復したとのことでした.そして,昨日の大祭にはおぢば帰りをして詰所に宿泊するというありがたいご守護をいただいております.

不謹慎な話ですが,齢85の祖父が先か,齢13のチャコが先かと兄弟で話していたこともあったので,チャコは祖父の代わりに迎えとられたのかなぁと思いました.もちろん,チャコの出直しの意味はそれだけではないかと思いますが,そうかもしれないなぁと感じました.

出直しはつらいものですが,それでもなおその節自体には意味があると思います.父のときも祖母のときもそう感じました.それを見つけられるか否かで後の家族の生き方にも大きく影響を及ぼすと思います.

私はどんな節にも意味を見つけていきたいです.

チャコの夢(2) 

チャコが息を引き取りました.すぐに火葬してしまうのではなく,数日安置しておきました.すると,ほんとにわずかではありますが心拍があるとのことで,チャコが生きていることがわかりました.そして,見知らぬ人が「ここまでもてば大丈夫だ,あとは回復していくよ」と言ってくれて,私は大喜びでした.すぐに火葬しなくてよかったと思い,とりあえずチャコを病院に連れていこうと車に乗って病院を探しました.チャコをすぐ火葬しちゃったけど,本当はまだ生きれたのかもしれないなぁと思いながら(矛盾).

昨晩の夢です.チャコにまだしてあげられることがあったのではないかという思いが顕在化して夢の中で実現されようとしたのでしょうね.まだ時折チャコの夢は見るかもしれませんね.

チャコの夢(1) 

チャコが行方不明になり,皆で探しました.どこを探しても見当たりません.近所にチャコにそっくりな犬がいて,もしかしてチャコかも!?と思って見にいってもチャコではありませんでした.

電車に乗っている見知らぬおばさんが,「どこか遠くに行ったんじゃないかしら?たまにいるのよ,電車にちょこんと座って遠くの町に出かけて行く犬が」と言いました.

チャコ遠くに行っちゃったのかなぁと思いました.

チャコが出直した翌日か翌々日くらいに見た夢です.チャコの喪失が夢でも繰り返されています.
電車に乗っていくというのは宮崎駿の「耳をすませば」に出てくるムーン(猫)の影響かと思います.

在りし日のチャコ(1) 

未読の方は以下を閲覧ください.
1日がかりの作業

祖父とチャコ時折チャコの写真などをアップしていきたいと思っています.(犬嫌いの方は適当に流してください.)

8月29日に庭の木を切ったときの写真ですね.祖父は途中で疲れ果てチャコもその様子を見ていたのですがやはり疲れたようで共に寝ていました.ほのぼのした光景です.

この頃はまさかチャコに死が訪れようとは思ってもいませんでした.もう2~3年は生きるものと思っていました.予想以上に早かったです.もっとしてあげられたんじゃないかという思いも時折出てきますが,こうなったのだからそれも意味あるものとして受け取るようにしています.でもやっぱり寂しいですね.

小さい頃の写真とかもアルバムを探せばありますかね.中高生の頃なので携帯カメラなどない時代ですから,スキャナで取り込まないといけませんが.モーニングワークの一環として時間のあるときに振り返ってみたいと思います.

そういえば,他の家族は写真を載せられませんが,ペットは載せられるのでいいですね.ほんとかわいかったんです,チャコちゃんは.

講義(3) 

昨日は大学講義の3回目,つまり最終でした.

内容は様々な心理療法について.90分で一通り説明することはなかなか困難な業ですのでかなり急ぎ足でやったのですが,やはり終わりませんでした.残りは科目責任者の先生がやってくださるとのことです.

途中,実存分析の解説をしていて「どんなときも人生には意味がある」という話になりまして,チャコが昨日亡くなったという話をすると,教室からは「え~~~っ」という声がたくさん聞こえました.ちょうど先週スライドにスペースがあったので,チャコの写真を1枚貼って「これうちの愛犬チャコです」と紹介したばかりでしたので,まさか死ぬとは思っていなかったのでしょう.普段はなかなか反応のない学生がすごく反応しました.

講義は今回で終わりです.大学講義の感想としては・・・そんなにありませんが専門学校の方が1学年1クラスということもあり,受講生の人間関係の密度が濃いので反応がよいということがわかりました.人数はそれほど影響しないこともわかりました.むしろ学生たちが醸し出す空気の方が重要かと思います.

さて,講義が終わってから担当の先生と食事に行ってきたのですが,大学の話から私が天理大学,天理高校だという話をすると,その先生が天理行ったことあるわよと言います.なんでも先生の実家は代々お道を信仰していたそうで,葬儀やお墓はいつも天理教式だと言います.その先生自身は信仰はしていないようですが,先生の父の従兄弟が現在教会長をしているということでした.意外な話に驚きつつ,実は私の家も教会なんですと話をしました.

意外とお道とつながりのある人って近くにもいるのかもしれませんね.

愛犬チャコの出直し 

2007/08/24昨日未明,チャコが13年の生涯に幕を閉じ出直しました.会長が朝4時半頃に私を起こしにきて慌ててチャコのもとへ駆けつけるとすでに息を引き取ったあとでした.

病を抱えていたので心臓に非常に負担がかかっていまして3~4日前から何も食べていませんでした.そろそろかなとは思ってはいたのですが,予想より早かったです.昨晩は少しお菓子を口にしたのですがやはり想像以上に体力は衰えていたようです.

出直したのですが朝の段階ではあまり実感はありませんでした.まだ温かいチャコの身体をなでながら姿勢などを整えてあげました.お疲れ様という気持ちでいっぱいでした.最後の数日はかなりつらそうでしたので苦しみもあったと思います.

よく散歩に連れてってくれた信者さんも朝から駆けつけてくれまして一緒にチャコの出直しを悼みました.次弟は泣いていたようですが,私はまだその実感がありませんでした.しかし,仕事に行く前にようやく悲しみがやってきて涙を流しました.長弟も午前中に家に帰ってきたようです.

とりあえず仕事にいかないといけないので出勤しましたが,午後は有休にして午前中で帰ることにしました.役所に電話したのですが,引き取れるが死体が溜まるまで役所に放置しておいてある程度溜まったらペット葬儀屋に焼却を依頼するとのことでしたので,それではあまりにかわいそうだ,最後くらいは手厚く弔ってあげたいと思い,民間のペット葬儀屋に電話をかけてみました.即日で予約がとれるとのことでしたので,火葬を依頼しました.

家に帰ると悲しみがこみあげてきて,チャコの前でたくさん泣きました.もっと生きたかったのかなぁ?とか楽になれてよかったのかなぁ?とか色々思いましたが,もうチャコに会えないと思うととても悲しかったです.ダンボールにマットを敷いてバスタオルをかけてあげました.花も飾ってあげました.

3時過ぎに家を出て4時に会場へ行き手続きを済ませたのですが,手続きをしながらまた泣いてしまいました.その後火葬場へ移動し最後の別れだったのですが,そこでもまた泣きました.長弟と次弟と3人で行ったのですが,二人が最後席を外してくれたので,チャコにありがとうとお礼を言ってこれからも見守っててくれよとお願いしてその場を去りました.寂しかったです.

約1時間後,遺骨を拾いました.そして木箱に入れてもらい教会へと連れて帰りました.チャコの遺骨は近々チャコが育って長年親しんだ教会敷地内の庭に埋めてあげようと思います.その上には何かの種でも植えてあげるといいでしょうか.

チャコが出直してしまったことは残念ですしとても悲しい出来事ですが,チャコは今後は御霊として教会を守ってくれるでしょう.今朝も家を出るときつい習慣でチャコの方を見てしまいました.チャコの姿は見えませんでした.しかし,その魂はいると信じたいです.

チャコに会えてこれまで過ごせて幸せだったと思います.父,祖母に続く3度目の喪失.何度迎えてもつらいものですがそれだけ大事だったということでもあります.チャコ13年間ありがとう,チャコの記憶を大切に生きていきます.

(またチャコの写真や思い出なども記事にしていきたいと思います.)
2006/06/17(ベストショット)

あくび 

最近,眠くて仕方がありません.寝起きは悪くないのですが,出勤してからが眠いのなんのって.

あくびもおそらく何十回としています.どうしてこんなに眠いのだろうと思うくらい眠いです.家に帰る頃も眠いんですし,家に着いてからも眠いのですが,夕食をとり,筋トレをし,ジョギングをしている間にだんだん眠気は覚めてしまい,お風呂から出るともう眠気は半減です.で,結局早寝しそびれてしまうのです.

ところで,あくびってうつるって言いますよね.人があくびしているのを見ると不思議とあくびが出ます.伝染する刺激ってどうやら人だけではないようです.

以前,読書をしていて,文章に「あくび」という言葉が出てきたのですが,なんとそのときもあくびが出ました.さらに,「あくび」という言葉を会話の中で聞いただけでもあくびが出ました.極めつけは愛犬チャコのあくびを見てあくびが出たのです.もはや何でもありなんですね,あくびって.今,こうしてあくびについての記事を書いていてもあくびが出ます.もちろん単に夜で眠いということもありますが,<akubi>とタイプするときにあくびが出る傾向があるような気がします.

不思議ですね,あくびって.でも,そんなあくびが出るのも,親神様に生かされていて,そのお働きがあるからです.再自覚できたところで明日はあくびの数だけ『ありがとうございます』と申し上げたいと思います.

休日 

朝,出かけついでに家の近くのコンビニに寄ると次弟に会いました.立ち読みしていたようです.教は色々お金を使うのに,お金がないことに気がつき,ちょうどいいやと次弟に1万円借りました.その後,車の窓を直しにSUBARUのお店に行き(無料),帰りに朝のコンビニとは別のコンビニへ立ち寄ると,トイレから次弟が出てきました.
「何やってんだよ」
「2度も遇うとは偶然だな」
と2人で言葉を交わすと次弟はどこかへ姿を消しました.偶然とは言え,まさか2度も会うとは思わなかったです.

家に帰ると今度はバイクに乗り換え,ブレーキを直しにバイク屋へ行きました.待っている間に近くの1000円カットで散髪をし,さっぱりしてバイクを取りに行くとなんと6000円の出費.ショックを受けながら帰り,1000円カットは髪を洗ってくれないので,シャワーを浴びてついでに風呂掃除をしまして,その後昼食にインスタントのカレーうどんを食べました.ちょっと休むと明後日の霊祭のお供え物を買いに八百屋に行きました.

家に帰ると撤饌をし,パソコンの電源を入れ,書きかけの論文を開きました.しばらく作業した後,会長を駅まで迎えに行き,帰るとチャコの散歩へ行きました.そして,夕づとめ後,カレーライスを食べました.おいしかったです.

そして,現在ブログを書いています.
今日はこんな休日でした.

今日は3つ記事書いてますので,他のも読んでください.


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家族員の表記 

当ブログ内での家族の表記についてです.
祖父=初代会長,父方祖父
祖母=父方祖母(うちの信仰は祖母からです)
父=二代会長
母=会長(三代会長)
私=まお,長男
長兄=まおの1つ上,共に育った兄弟,父の親友の甥
長弟=まおの1つ下,次男
次弟=まおの3つ下,三男
末弟=まおの5つ下,四男
チャコ=愛犬(老犬)
混乱したときはここに戻ってきてください.

祖父の行動 

朝10時頃,会長が私のところに来まして「おじいちゃんがいない」と言いました.家中探してもいないとのことで,以前のように(関連記事;祖父の行動)また一人で何処か行ったかなと思い心配しました.

実は昨日,山梨(実家)へ行きたいと言っていまして,25日からおぢば帰りの予定があるから疲れちゃうよと言ってなだめたということがあったので,もしかしてまた一人でバスと電車乗って行ってしまったのではないかと思ったわけです.

すると自転車がないということに会長が気づきました.山梨へ行くのならおそらくバスで駅まで行くので,自転車がないとうことは別の可能性を考える必要があります.朝市の広告を見ていたというので,買い物へ行ったか,それともまたお墓参りへ行ったかというあたりです.でもお墓参りは昨日行っているし朝チャコの散歩へ行っていたので違うだろうと思い,買い物も休日で車が使えるのにわざわざ自分で行くこともないですし,まったくもって不明でした.

しかし,探しようもないのでこちらは待っているしかありません.10時半くらいでしょうか.自転車の音がして帰ってきました.どこへ行っていたのかと訊くと「お墓参り」と言いました.会長が「山梨行ったのかと心配したよ」と告げるとにこにこしながら「山梨行くなら一言いっていくよ」と言います.「大丈夫だ」と言うくせに心配されるのは嬉しいようです.

一言あっても行かせるものかと思いながら私は聞いていました.老体で出かけられると家族は本当に心配なんです.遠出しないってわかっているなら構いませんがしかねない人なので心配なわけです.近くならどんどん歩いてもらって構わないんですけどね.自転車はそろそろ勘弁してほしい歳です.

明日からのおぢばがえりも叔父の車に乗せてもらうのですが,叔父の教会の最寄り駅まで一人で行くので,乗換えなしの一本でいける電車を調べてそれに乗せて駅で叔父さんに拾ってもらい,帰りも同様の電車に乗せてもらい,私が仕事帰りに拾う予定です.

チャコ洗いました 

今日はチャコを洗いました.

5月に洗ったのですが,かなり臭うようになっていたので洗うことにしたのです.日中雨が降ったりやんだりで洗えるかどうか微妙だったのですが,2時半頃に決行しました.

ホースを出したり,桶を出したり,シャンプーを出したりすると自分が洗われるのがわかるようで隠れようとします.捕まえて首輪をとるといよいよ覚悟をするらしく,尻尾は垂れていました.

今日はかなり丁寧に洗いました.洗っていると毛の中に入り込んだダニが何匹か出てきました.チャコの血を吸って丸々と膨れ上がっています.たまに捕っているのですが,まったくいなくなることはないようです.捕った奴はガムテープに貼り付けて最後に閉じて捨てます.

洗われている間は観念しておとなしくしていました.よくよく観察していると気持ちよさそうです.濯いでいる間は嫌そうに見えました.たまに水を切るのに身体をブルブルさせるので水しぶきがとび服が濡れました.終わったあとバスタオルで身体を拭いてあげて,散歩に出かけました.

今日のチャコはいい匂いです.しばらくこの匂いが続くといいと思います.

チャコ12周年 

今日はチャコが我が家の一員になってちょうど12年という日でした.つまり1994年6月18日に我が家に来たことになります.

チャコは私が中学3年生のときに,同級生が捨ててある犬を見つけ,飼ってくれないかと頼まれて祖父母とさんざん議論をした結果,飼うことになったワンちゃんです.祖父母が犬年なので,犬を飼うのはよくないとかでエラく反対されました.以前に狩っていた犬(龍太)が凶暴で末弟に噛み付いたこともあり,なかなか許しを得ることができませんでした.議論の末,許可を得たときの喜びといったらそれはそれはすごい感動であありました.

すごく臆病でしたので走らせたり,高いところから飛び降りさせたりして鍛えたのですが,ある日,女の子であることが発覚!男の子だと聞いていたのでびっくりして動物病院に連れて行き、避妊の手術を受けました.そしてその後,無理に激しい運動をさせることはなくなりました.

私はその後、天理高校に越境入学し家をあけることになり,飼い主はわずか9ヶ月余りで主としての資格を失ったのでした.そしてそのまま,9年間家を空けることになり,私が実家に住むようになったときにはチャコはすでに10歳となり老いていました.

チャコはとても利口な犬で知らない人が来れば吠えて知らせてくれますし,ごはんは「お座り」「おあずけ」「よし!」という3段階をきちんと踏めます.おあずけをしている間は食べ物を近づけても顔を背けて決して食べようとはしません.最近は老化のためかガマンできないこともあるようですが,厳しく言えばきちんと守ります.やはり老化の影響か最近は小屋でごろごろしていることが多いように思います.

食事はドックフードと残飯です.一時期残飯ばかりあげていたらドックフードをまったく食べなくなりました.今はどちらも食べます.散歩はサボりがちなので,行かないことが多いです.祖父がいれば散歩がてら毎日行ってくれるのですが,今はいないので,散歩は行ったり行かなかったりです.基本的に縄をつけなくてもどこへも行きません.放したのに気づかず,ついていると思っていることもわりとあるようです.

チャコの面白いエピソードもいくつかあるので,また時間のあるときに紹介したいと思います.

地鎮祭 

今日は地鎮祭でした.近所の人が家を建てるので頼まれたわけです.
10年ほど前にもその人は家を建てています.そのときは父が地鎮祭をやりました.
今回は,父はもういないですし,母がやりました.私もいずれ覚えないといけないので一緒に準備や祭儀を手伝いました.

その後,愛犬チャコを洗って,車を洗い,屋根のペンキ塗りをするために,はがれかけたところをきれいするなど1日忙しかったです.

明日はゆっくりできます.
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