「お母さんのおなかのなかに赤ちゃんいるよ」
分かるの?
「うん」
K(末弟の嫁)ちゃんのこと?
「Kちゃんのおなかのなかにも赤ちゃんいるよ」
男の子?女の子?
「おんなのこ」
お母さんのおなかのなかは?
「おとこのこ」
長男くんの弟ってこと?
「うん」
何か聞き覚えがあるなと思ってよくよく考えてみますと,なんと昨年と同じうたなのです.これにはびっくりしました.何十枚もある中で再び同じものをひくとはとても偶然とは思えません.よほど私にとって大切なことなのでしょう.親神様からありがたいメッセージをいただいた気がします.昨年私は「どんな人と出会っても,皆元のいんねんをもって生まれた親神様の子どもなわけですから,陽気ぐらしに結びつくよう私自身の心を遣わせていただくように」と解釈しました.別の意味で捉えると「自分の前に現れる人は皆自分と縁のある人なのだから,その人たちが明るく陽気にくらせるよう自分の力を惜しまず遣わせていただきなさい」ということ気もします.それが自分自身の人生がよいものになっていくことにつながるのでしょう.今年はそのことを心していきたいと思います.どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから(4号 54)
を引きました.ちょうど38度の熱がありながらおつとめに直会にとつとめてくれたあいこです.昨年も長男の妊娠・出産にあたって身上をいただいております.受け取る側の心次第ですが,身上を通して育てられることも事実,身上に対しての心構えを教えてくれているように思います.人それぞれ境遇や特性が違うように,皆親神様から与えられる役目も違います.神の用向きに使いたい人材を神様はあの手この手を使ってお手引きくださいます.その最たるものが身上や事情であり,見せていただいたものに含まれる親神様の思いを思案させていただくことによって,さらに神様が使いやすい人材へと成人していくことができるわけです.神様が使いやすい人材とは人が使いやすい人材―素直な人,頼みやすい人,気を遣わせない人,などなどたくさんあると思いますが,要は低い心で通らせていただくということだと思います.夫婦は二つ一つですから,私もあいこもこのことを胸に抱いて日々過ごさせていただきたいと思います.なにゝてもやまいいたみハさらになし 神のせきこみてびきなるそや(2号 7)
を引きました.「この人間世界を始めた親神の教えに千に一つも間違いはないのだから,親神様を信じきって通るように」という神様の思いがあるのだと思いました.まずは分からずとも信じきることが大事だということを教えてくれているのでしょう.このよふをはじめた神のゆう事に せんに一つもちがう事なし(1号 43)
件名:まおーっ!
本文:大変です!今、呼ばれて診察してもらったのね。そしたら、子宮けいかんは2.7cmだったからまぁまぁなんだけど…
その後エコーやってくれたの。そしたら頭大きいって。すでに8.5cmあってまだまだ大きくなるみたい。体重は2キロ。
頭が大きいから産むの大変そうだわ。赤ちゃんも産まれるのに頑張らないといけないみたい。
体重はいいかんじみたい☆順調だよ
それに100%男の子だと言われた(笑)
それより頭に比べて、体が若干小さいみたいだから体が育つといいんだけど…脳みそつまってるならいいけど、ただただ頭が大きかったらどうしよう(笑)
『在ると言えばある、無いと言えばない。願う心の誠から、見える”りやく”が神の姿やで』
「正文遺韻抄」諸井政一著(道友社発行)138ページより
とありますように,親神様の人間創造の思いを考えると私一人のことではなく,やはり夫婦共に心をそろえての定めが必要なのではないかという話になり,赤ちゃんにとっての家は子宮,私たち夫婦にとっての家は教会,赤ちゃんが十分に成長するまで子宮におさまるよう,私たち夫婦も教会におさまるよう心を定める必要があるのではと思い直しました.私たち夫婦は共に勤めに出ていますので,神様の御用,教会の御用を十分にできているかと言えば決してそうではありません.この先,教会を預からせていただく上での心を定めるようせき込まれているのではないかと思わせていただき,翌21日に面会に行った際にあいこにそのことを話し,夫婦で心を定めました.このよのぢとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし (みかぐらうた第二節)
ふたりのこころををさめいよ なにかのことをもあらはれる (みかぐらうた四下り目)
「金や物でないで.救けてもらい嬉しいと思うなら,その喜びで,救けてほしいと願う人を救けに行く事が,一番の御恩返しやから,しっかりおたすけするように.」(72 救かる身やもの)
「命あっての物種と言うてある.身上がもとや.金銭は二の切りや.今,火事やと言うたら,出せるだけは出しもしようが,身上の焼けるのも構わず出す人は,ありゃせん.大水やと言うても,その通り.盗人が入っても,命が大事やから,惜しいと思う金でも,皆出してやりますやろ.
悩むところも,同じ事や.早く,二の切りを惜しまずに施しして,身上を救からにゃならん.それに,惜しい心が強いというは,ちょうど,焼け死ぬのもいとわず,金を出しているようなものや.惜しいと思う金銭・宝残りて,身を捨てる.これ,心通りやろ.そこで,二の切りを以て身の難救かったら,これが,大難小難という理やで.よう聞き分けよ.」(178 身上がもとや)
「互い/\知らし合い,互い/\の研究諭し合い道という」(明治24.11.25)
やはり,おつくしをしなければ,たすけていただくことはできません.これは理屈ではありません.おつくしを一生懸命することで,神様の御恩も分かってくるのです.
(中略)
「おつくしは,嘘偽りのない真実や」と.身上などのふしに際して,私たちはよく,「これからは絶対不足しません」「これからは主人を立てます」「低い優しい心で通ります」「低い優しい心で通ります」などと心を定めます.しかし,こうした心定めは,神様に約束手形を出したようなもので,往々にして不渡りになります.ところが,おつくしはいくら惜しみの心があっても,形のあるものを出しますから,うそではありません.ふしに際しては,まずおつくしをすることです.おつくしをすることで,理立てとなり,自分が定めた心定めも実行できるようになっていくのです.
(中略)
おつくしをしてもらわなかったら,徳を積んでいただけませんし,信仰も切れてしまいます.
さあ頼もしい/\心供えば受け取る/\。泣く/\するようでは神が受け取れん。百万の物持って来るよりも、一厘の心受け取る。(明治35.7.20)
「そっちで力をゆるめたら,神も力をゆるめる.そっちで力を入れたら,神も力を入れるのやで.この事は,今だけの事やない程に.」(174 そっちで力をゆるめたら)
など,おつとめややまいについて色々な言及があり,おつとめをしっかりつとめ,親神様の思いに沿ってこの道を通るならば,どんな病でもたすかり,病の根は切れると教えてくださっています.そもそもこの病さえ,親神様が皆が陽気に通るための道を教えてくださっているお手紙なのですから,元の親である親神様の示される通り通らせていただけば根が切れるのも了解できます.親神様は人間が憎くて身上・事情をくださるのではありませんからね.子どもかわいい親心からなんとか互いにたすけ合える心になってほしいと思って道教せしてくださるわけです.そういうわけで,適応をはかるなら心理臨床の援助でも可能ですが,元の根を切るにはお道の信仰とおつとめが大事なのだろうと私は思うのです.このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを(02.009)
とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで(10.020)
このみちがたしかみゑたる事ならば やまいのねゑわきれてしまうで(04.094)
しやんせよやまいとゆうてさらになし 神のみちをせいけんなるぞや(03.138)
Author:まお & あいこ
まお:お道を信仰するよふぼくであり,教会子弟です.現在は精神科で働いています.
あいこ:お道を信仰するよふぼくであり,まおと出逢って入信しました.現在は精神科で働いています.