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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

月次祭 

今日は1月の月次祭でした.23人ほどの参拝がありました.
子どもは3人でしたが,4歳,2歳,1歳ですので教会も大層賑やかです.祭典中も静かにしていることなどできるはずもないので拝殿にいる人にお世話にしてもらいながらようやくなんとかおさまりがつくという感じです.ちなみに,私のおつとめ役割はいつも通り,地方とおてふりでした.

今月は上級の会長さんが急用用で来られなくなりましたので,会長の話のみで終わりました.
会長からは昨年の大祭でトイレの天井に穴が開いてしまったので,修繕についての話がありました.これについては後日別記事を書こうと思います.

直会では恒例のくじ引きがありました.おふでさきくじもありまして,私は以下の一句を引きました.

しやんして心さためてついてこい すゑハたのもしみちがあるぞや (五 二十四)


三年千日の締めの一年,しっかりと通らせていただこうと思います.今年より少しでもにをいがけをと思っています.動かないとことには声を届けることはできないので,時間を作ってポスティングなりリーフレット配りなり路傍講演なりやりたいと思います.

久しぶりのにをいがけ 

先日,某駅前とその周辺で信者さんともににをいがけをさせていただきました.

リーフレット配りやポスティング,路傍講演に神名流しと色々させていただきました.リーフレット配りはリーフレットだけ持って配ってもほとんど受け取ってくれる人はありませんでしたが,20個ほどポケットティッシュを持っていったので,それをつけてみるとあっという間に配れるという現実を知りました.私が通行人だとしても,多分ティッシュほしさにもらうと思うのでそれもありかなと思いました.とにかく手にとってもらわないことには読んでもらえませんからね.そういう意味では配るよりもポスティングの方が有効なようにも思います.いずれにしても,読んでもらうにはまずは目に触れるというところに辿り着くことが重要です.

しかしながら,たとえ受け取ってもらえなくても,あるいはポストに入れてすぐゴミ箱行きだったとしても,時間をかけてにをいがけしたその心と行いは天の帳面につけてあり,どこかで帳尻が合うようになっていると聞かせていただいているので,結局のところどちらでもいいのかもしれません.それでも,配るのなら少しでも目に触れる可能性の高い方がいいのかなと思ったりもします.

路傍講演はかなり久しぶりでした.今回は原稿なしでやりました.簡潔にお道の紹介をするというだけでしたが,結構難しいですね.頭の中に描いているようには話せないものです.これも慣れなんでしょうね.仕事を言い訳になかなかにをいがけに足が向いていませんが,もう少しさせていただく必要があるのかなと思いました.よい機会をいただきました.

関連記事になります.
リーフレット配りを含む記事

神名流しとリーフレット配り 

先日,某駅でリーフレット配りと神名流しをしてきました.

毎年恒例の青年会行事ですが,こういう機会がないとなかなか布教に出ることもないので,これはこれで大切なことなのかもしれないなと思いました.私が担当した駅では,4人の方がにをいがけに来てくれました.身内が3人,言わずと知れた会長,あいこ,長男です.その他に毎年来てくださる方ですが,知人の教会の信者さんが1名参加してくださいました.

今回はリーフレット配りと,震災からちょうど1年ということもあり,募金活動もさせていただきました.募金は私がどんなに声をかけても一人も募金してくれませんでしたが,あいこと長男がやると何人もの方が入れてくれたようです.子どもパワーさすがと思いました.子ども>女性>男性という順に確率があがるのかなという印象です.通行人へのリーフレット配りは大抵の人が素通りですが,これもやはり1歳9ヶ月の長男が「どうぞ」とやると,とりあえずは受け取ってくれる方が多かったようです.やはり子ども>女性>男性という順に確率があがるのかなという印象です.身内の3人はバスの都合で終了間際に帰ってしまったので,最後のよろづよ八首の神名流しは2人だったのですが,恥ずかしさはないので,大層気持よくできました.リーフレット配りの方がどこか遠慮がちだったかなと振り返って思いました.また,夕方青年会の人と街中を歩きながらの神名流しをやったのですが,今回は拍子木に加えて笛も入れました.笛が入ると陽気さが一層増すような気がしていいですね.今度はちゃんぽんも入れるとさらに言いかもしれません.


しかし,リーフレット配りは効率が悪いといつも思います.ポスティングの方が読んでもらえる確率は高いのではないかといつも思います.しかし,大切なのは確率ではなく,それに向かう心であり,その真実を神様が受け取ってくださるということは言うまでもありません.大人になったり,仕事を持ったり,家庭を盛ったり,時間が貴重になってくるとつい時間帯効果を求めてしまいがちですが,何より大切な心構えというものが濁っていないかを今一度振り返る習慣をつけたいと思います.久しぶりによい経験をさせていただきました.

にをいがけデー 

今月28~30日は全教一斉のにをいがけデーということで,私も今日は休みをとって支部のにをいがけに行ってまいりました.例年同じ場所なのですが,某団地へのリーフレット配りです.今年は長男も参加しました.(何もしてませんが)

さて,4年前にこの場所でリーフレット配りをしたときの私の心境といえば

自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.


と,まったく情けないこと極まりなかったわけですが,2年前にリベンジに成功し,堂々とできるようになり,今回もまったく物怖じすることなく勇んでつとめさせていただきました.自分がよいと思っているものだからこそ人様にも少しでも知っていただきたいというごく自然なことですからね.ってことは,いいかげんにお宅を尋ねてのにをいがけにもチャレンジした方がいいでしょうね・・・.

リーフレットからにおいがかかるというのはなかなかないのではないかとは思いますが,リーフレット配りは言わば種まきであります.地道な活動の中にいつか芽が出るということもありますし,それとは直接関係のないどこか違うところから芽が出るということがあるのだと思います.先日会長が聞いてきた講話で講師の先生が20年以上にをいがけをしても1人もにおいがかからなかったが,今になって違う形で芽が出て教会に人が集まってきているということを言っていたそうです.やはり伏せこんだもの,まいた種は無駄ではなく「皆生える」ということでしょう.ただ植物によって芽が出るまでの時期が異なるように,人によっていつ芽が出るかは異なるわけですから,芽が出ないからといって諦めたり,土を掘り返すようなことはせず,芽が出るのを信じて活動を続けるのが大切なのだと思います.

私も微々たる活動ですが,自分で定めて始めたにをいがけを地道に続けていきたいと思います.


関連記事になります.
リーフレット配りは種まき

路傍講演 

今日は単身,最寄り駅での路傍講演をしてきました.

数日前に拡声器を買いまして,原稿も今朝あいこの検閲をパスしたので準備万端です.あいこが午後から産婦人科の母親学級でしたので,あいこを病院に送ったあと最寄り駅に向かいました.

平日の昼間ですから一通りも多くありません.一応駅員に声をかけますと「駅の構内なら注意しますが,駅外であれば私たちは関係ありませんのでどうぞ好きにしてください」と言われました.何だ,関係ないのか…と思いつつ,駅の外で拡声器を持って挨拶と数分の講演をしました.もちろん誰も聞いている気配はありません.終了後,拡声器を置くと掃除のおばさんが「音入ってなかったみたいだよ」と言いました.電源はONで最大音量にしていたのに,拡声作用はほとんどなかったようです.ちなみに私の購入した拡声器はハンディメガホン(型番XB-11SF)です.amazonのレビューでも音量が小さすぎることは指摘されていましたが,一応商品の説明には有効距離200mと買いてるので1/10の20mくらいでも届けばいいと思って買いました.今度有効距離の検証をしてみる必要がありそうです.

その後,会報を配ったのですが,10枚程度を配るのに30分くらいかかりました.そもそも人通りが少ないということもありますが,半分以上の人はもらってくれません.とりあえず手に持った枚数を配った後,駅の反対口へ行きました.そこは目の前に交番があるので一応話を通しておいた方がいいと思い,声をかけたところ,「やるなら警察署で道路使用許可の申請をしないと道路交通法違反になる」と言われ,分かりましたと引き下がるよりほかありませんでした.聞いてしまった以上,違反をしてまで行うわけにもいかず,「律ありても心定めが第一やで」「律が怖いか神が怖いか」というお言葉もありますが,律を犯してお道のイメージを悪くすることはおやさまもお望みではないだろうと思い,駅前での路傍講演はあきらめ,近隣の家にポスティングして帰りました.

結局,路傍講演は1度やっただけで終わりました.率直な感想としては誰も聞いていなかったせいなのか割と堂々とできたとは思います.音量が小さいのは気になりました.にをいがけの手段としては不特性多数に声を届けられるというメリットはありますが,その後のリーフレット配りなどの効率の悪さを考えるとポスティングの方がいい気がしました.帰宅後,道路使用許可の申請について調べてみましたが,申請に数日,手数料が2000円以上かかるようです.現実問題,路傍講演と公道でのリーフレット配りは今の私の立場ではちょっと厳しいなぁと思いました.今後個人で続けるかどうかは少し考えたいと思います.市内の教友と相談してみようかな….今まで通りポスティングは続けるつもりです.

とにかく三日講習での決意を果たせましたし,また1つ勉強させていただきました.ありがたい1日でした.


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三日講習会Ⅲ 

7月,11月に続いて行ってきました.今回はキャンセル待ちだったのですが,参加することができましてよかったです.
Ⅱで同じ班だった人も2人参加していました.また,もう一人はキャンセル待ちで参加することができなかったのですが,ちょうどおぢば帰りをされたようで朝づとめ後,声をかけられました.さらに,Ⅰで同じ班だった人がⅡ,Ⅲも参加してましてまたお会いしました.

さて,この三日講習もいよいよ今回のⅢが最後です.各テーマはⅠが「気づき」,Ⅱが「深め」,Ⅲが「広め」です.Ⅰでお道の素晴らしさのまだ知らなかった点に気づき,Ⅱで教えを深めました.そして,今回のⅢではこの素晴らしい教えをまだ知らぬ人に広めるということがテーマでした.

今回も素晴らしい班員とのご縁がありとても有意義な時間を過ごすことができました.皆お道に対して熱心で見習うべきものが私にはたくさんありました.また,今回も参考資料は素晴らしかったです.非売品というのが非常に残念です.内容自体もよくできていると思いますが,なんといってもこの参考資料が分かりやすくて私は好きです.スケジュールは相変わらずハードで,5時前後には起床,さすがに朝の5時半からおてふり練習をしたのは初めてでした.

Ⅲの一番の特徴はやはり路傍講演でしょう.多くの人が初めての経験だと思います.私は青年会で一度やったような記憶がありますが,あらかじめ定型文があってそれを読んだだけですので,自分の言葉では語っていません.一昨年よりリーフレット配り,昨年より会報作成と会報配りを始めましたが,にをいがけの手段として路傍講演は選択肢にまったく入っていませんでしたし,あまり興味もありませんでした.

1日目に数分考える時間を与えられただけで,ペアを組んだ相手の人に5分間お道の教えや体験談について話すというのをやり,その後一人ずつ5分間班の皆の前で同じように話しました.で皆から感想や改善点を指摘してもらい,30分間原稿を作る時間を与えられ,講演原稿を作りました.その原稿をもって2日目に奈良の三条通りで路傍講演をしたのでした.(原稿は紙に書いたのが残ってますので駄文ですが後日時間があれば綴ります.)初めに班の世話係の先生が挨拶とお道の概要を話し,それから各自の講演へとうつりました.もちろん通行人のほとんどは聞いておりません.しかし,誰が聞かずとも親神様は聞いてくださっているし,私たちの大事な経験となります.私は班の先鋒でした.原稿を読んだだけですので緊張はせずわりと落ち着いて話せたと思います.続いて班員が皆やりましたが,時間が余ったので誰かもう1回やらないか?と言うので,どうせなら原稿なしの練習もやってみようと思い,まったく違う話をしてみました.やはり原稿がないと言葉がうまくつながらなかったり,「えー」という声が無駄に増えたりしてまとまりに欠けます.原稿を作ることの大切さを痛感しました.

終了後,グループタイムなどでこれから自分はお道を広めるために何をしていくのか?ということについて話しあいました.私は今回の路傍講演を経て,地元でもこれならできるのではないかと考えまして,これまでの会報配りだけでなく,路傍講演もやってみようかなと思いました.(いつからとは敢えて言いません.)私にとってもちょうど器を広げ,伏せ込みをしていかなかればならない時期に来ていますので,その時期にこういう経験をさせてもらったということは親神様が新たなるにをいがけを咳き込まれているように私には思えました.

3日目は修了試験がありました.よろづよ八首は班ごとにおどりまして,試験官らしき人がチェックしていました.上半下りは全員でおどりましたのでどの程度チェックされていたのかは不明です.その後筆記試験があり,最後にお礼づとめをして解散となりました.

この3回の三日講習でのお道の学びを自分でできることから少しずつこれからのにをいがけやおたすけに生かしていきたいと思います.修養科は行ってないので分かりませんが,三日講習は必ず受講してよかったと思うはずです.教会長でなければ受講は可能のようですので,是非参加されることをおすすめいたします.テーマ通り,この三日講習を通してお道の素晴らしさに気づき,全課程を終える頃にはこの素晴らしさを多くの人に伝え広めさせていただかなくては!と心が勇むことでしょう.

さて,まずは拡声器をネットで探してみます...
不要な拡声器,あるいは安く売っているのを見つけた方どうぞ教えてくださいませ.


関連記事になります.
三日講習Ⅰ(まお編)
三日講習を受けて(あいこ編)
三日講習会Ⅱ
「いんねん」について思うこと

友人が布教の家に・・・ 

この4月から高校の友人(T)が布教の家に行くそうです.
たくましすぎです.そして,まぶしすぎです.

私とあいこもリーフレット配りをはじめてちょうど1年経ちました.近所に配るのはもう慣れたので,会えば直接手渡しすることもなんてことありませんが,未開の地ではまだ少し躊躇することもありながら配っている感じです.お道の話をする機会はまだありませんし,うまくできる自信もありません.

しかし,1年前まで何もしてなかったのが,リーフレット配りは継続的にできるようになったのだから,この先も少しずつ何かしらできるようになっていくのではないかと楽観しています.それが教会報だったり,子ども行事だったりするのかもしれませんし,まだ見ぬ道があるのかもしれません.友人は友人にできる形でやっているのだから,私は私にできる形でこのお道の信仰と実践をさせていただきたいです.

教会報発行 

鯉太郎さんのご協力をいただきながら,ついに初会報が発行されました.まずは先日の月次祭に参拝くださった方にお下がりと一緒に渡しました.残りは近隣に配ります.

A4 1枚の会報ですが,においがけのきっかけ作りになればいいと思います.とにかく続けることが大事ですので,ずっと続けていきます.今月からリーフレット配りは会報です.

においがけ 

今日は某駅周辺でにおいがけをしてきました.

青年会行事の一環としてさせていただき,私も1つの駅の責任者として行ってきました.
開始時間になっても誰も来なくて,とりあえず心細さを若干感じながらも1人でリーフレット配りをしていたら,あいこと会長がやってきました.まさに救世主です.それから小一時間ほど3人で手渡しのリーフレット配りをさせていただきました.

もちろん,大半の方は素通りしていきます.それでも3人か4人に1人くらいは受け取ってくださって,さっとでも目を通してもらえたと思います.それがにおいがけにつながっていくかどうかはもはや問題ではないと思っていて,こうして1枚1枚の種をまいていくことが,先の芽につながるのだろうと思ってさせていただきました.

あいこは手渡しのリーフレット配りは初めてだったので,最初は「苦手みたい」と言って少し落ち込み気味でしたが,続けていると受け取ってくれる方もやはりいまして,「渡せたー」と言ってにこにこしながらやっていました.そして,最後に3人でよろづよ八首を駅前で拍子木に合わせて声高らかに奉唱させていただきました.これは気分がよかったです.そんなわけで,また1つの種まきを無事つとめさせていただいたのでした.

リーフレット配り~駅周辺のおうちへ~ 

「いつも配っている地域以外のところへも,リーフレット配りをしよう!」

ということで,

今日は,わたくし,あいことまおは,最寄り駅周辺の家々に
リーフレット配りに出かけました.

ジャージ姿でいつも配っていたのですが,
今日は,たまたまワンピースにブーツをはいていきました.
すると,なぜかジャージよりも,やる気がおきて,堂々と配れるんですね~.

なので次回も勇めるようにワンピースでいきたいと思います!!
今日はいい発見がありました.ありがとうございました.

リーフレット配り 

あいこです.お久しぶりです.

24日のことですが,生憎の雨の中,まおさんとリーフレット配りをしました.
今回のテーマは「カラダはかりもの」についてでした.
身体はかりものと言っても,一般の人にはピンとこないんですよね.
ある人は何だこりゃとポイッと捨ててしまうかもしれないし,ある人は読んでも
理解できないかもしれないし,なるほどと思う人もいるかもしれない.

教会にたずねてきてくれれば一番いいことなんだけど,結果がどうのより,
自分自身への心の種まきと,少しでも互いに立てあう世の中になるといいなと
思いながらやっています.
少しずつしかできていませんが,続けていきたいと思います.

ゴミ捨て&リーフレット配り 

081023b.jpg今日は休みを利用してゴミ捨てに行きました.

いらない自転車や流し台,机などの金属類と箪笥や棚などの木材家具類,トタンなど色々です.家具類はたくさん積めるように次弟と解体してから積みました.昨日のブログに書いたように,チャコの小屋も解体しました.写真に青い板が見えると思いますが,それがチャコの小屋です.午前中に軽トラック2台分のゴミを捨ててきました.だいぶ片付いた感じがありますが,まだまだ不要なものがたくさんあります.少しずつ片付けていきたいと思います.

やや遅い昼食をとった後,午後はあいことリーフレット配りにいってきました.
はじめの参拝をして家を出るとちょうど雨が降ってきたので傘をさしての活動となりました.今回は雨ということもあり,二手に分かれてやりました.

終了後,さすがに疲れたので1時間ほど昼寝をして,夕方からはSVを受けにいってきました.電車に乗ること小一時間,いつもの先生に指導していただき,また明日からの仕事に大いに活用できそうです.

家に帰ると8時半,先ほど夕食を終えて,今ブログを書いています.今日もとても充実した1日でした.

リベンジ・リーフレット配り 

にをいがけデーということで,2年前同様,支部で集まって団地にリーフレット配りに行ってきました.今回はあいこも一緒です.私としては2年前のリベンジ的な意味もありました.

2年前の私の心境といえば

自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.

と,まったく情けないこと極まりなかったわけですが,今回はそんなことはなく堂々とできました.自分がよいと思っているからこそ人様にも少しでも知っていただきたいというごく自然なことですものね.

教会近くを月に1度ですがリーフレット配りをしているおかげかもしれませんし,別の面での私自身のこの2年の何かしらの成長かもしれません.とにかく,2年前の私とは今日を以って決別です.しかし,それ以上にすごいのはやはり最初から堂々としているあいこですな.あっぱれです.

明日,明後日と引き続きあるようなのであとの2日は会長が行きます.私とあいこは仕事です.今週,来週と2週連続6勤です.


以下は関連記事になります.
己の無力さを知る
1ヶ月ブログ皆勤,しかし・・・

9月のリーフレット配り 

今日の午前中は,夫と一緒にリーフレット配りをしました.
リーフレット配りをはじめた頃は,人影があるとどきっとしたり,
直接手渡しすることができませんでした.
けれども,今日は人に声をかけ,手渡しまですることができました!
変なことはしていないのですから.
むしろ,少しでも何かを感じてほしい,喜んでほしいという願いから配っている
のだから,びくびくすることはない!
そう考えるようになってから,勇んでリーフレットを配れるようになったと思います.

今は近所のみ配っていますが,できればもう少し範囲を広げてこれからも
配っていきたいと思います.(マイペースに♪)

追い上げあいこ 

昨日,リーフレット配りを終えてしばらくして気付いたのですが,なぜか右手人差し指が切れていました.おそらく紙で切ったのだと思うのですが,何だろうと不思議に思いました.確かに右手人差し指はよくパクッと切れるんです.ずっとかまいたちかと思っていたのですが,何だか考えていたら,配る度に切っている気さえしてきました.切った瞬間は気付かなくていつの間にか切れているのに気付き,治ったと思ったらまたいつの間にか切れているという感じです.昨日もそうでした.

それで,「切れる・・・切ること一切・・・何だ?」とつぶやくと,あいこが「たいしょくてんのみこと,切ること一切の守護の理.ふぐだよふぐ!」と言いました.私はすぐに出てこなかったのですが,あいこが瞬時に答えたのです.しかも,雛型となった魚まで!さすがにびっくりしまして,「何!?」と反応すると,勉強していると言います.たまに本を読んでいるのは知っていましたが,まさかそんなに覚えていたとは!!

これはうかうかしていると,あいこに抜かれて,色々あいこに教えてもらうことになりかねませんな.私もお道の勉強を少しずつ生活に取り入れていかないとやばいですね.

リーフレット配り(初手渡し) 

今日は,仕事が休みだったので,まおさんと教会の片付けをしました,
暑く,むしむしした日だったので,汗びっしょり!
でもがんばりました!
布団がたくさんあって,いらないタンスもあったので,まおさんが近くの処理場で捨ててきました.

その後,リーフレット配りをしました.
「月1回はしよう!」と決めているリーフレット配りです.
リーフレット配りをはじめた頃は,私の方がどうどうとポストに投函していたのですが
今は,まおさんも,おどおどせず,「いい種まきになる!」とがんばっています.
これまで,私はおどおどせず,ポストに投函できていたので,余裕で配っていました.
ぽいっ(順調)
ぽいっ’(順調)
「いい種まきだ~♪」
そんな気持ちでした.
そんな中,あるお宅で,ポストに投函しようとした・・・その時!
人影が!!

年配の男性でした.
「何?」と男性.
私は,「あ.近くの天理教の教会の者です.こちらを,是非読んでみてください!!」と
いうことが言えればよかったのかもしれません.(天理教について説明できると,さらにいい)
ですが,私は・・・「はい.よかったらどうぞ.」
これだけしか,言えず,ささっとその場を立ち去ってしまいました.
心の中で,「天理教・・・とか,教会・・・とか口にしていいか・・・」と悩んでいた自分に気がついたのです.ショックでした.恥ずかしいとか,そういうことではなく,「突然,変な人が,よくわからないものを配っていると思われるのでは?」と思ってしまったのです.

おやさまに申し訳ないことをしてしまいました.余裕で配っていた気持ちを,改める良い機会となりました.今後は,胸をはって,天理教のよさをしっかり伝えていけるようになりたいです.

リーフレット配り 

今日はあいこと恒例のリーフレット配りにいってきました.

かなり慣れてきまして,ポスティングだけでなく,直接手渡しすることもありました.
まだ,お話聞いてくださいとは言えてませんが,少しずつ成長させていただきたいと思います.

リーフレット配り 

昨日,午後からリーフレット配りをさせていただきました.時間がそれほどなかったので,手でざっとつかんだ分だけを持って,地区内の先月行っていない方面を配ってきました.前回よりは気楽にできた感じがありました.ぐるっと回るとちょうど手持ちがなくなったので家に帰り,終了となりました.夜,配った家から「よい話が書いてあってありがとうございます」と電話があったそうです.小さなことかもしれませんが,継続的にやらせていただくことにはきっと意味があるだろうなぁと改めて思いました.継続していきたいです.

おたすけの位置づけ 

遅くなりましたが,IZAMUさんよりコメントをいただいたので,それについてお答えしたいと思います.

以前よりお聴きしてみたかったのですが、まおさん的には「精神科医」と「臨床心理士」、「精神保健福祉士」、さまざまな「カウンセラー」、さらには「お道のおたすけ」をどのように区別、関連、意義付けされておられるのでしょうか、


「精神科医」と「臨床心理士」,「精神保健福祉士」,さまざまな「カウンセラー」に関しては過去記事「精神科で働く人たち」を読んでいただければと思います.ここではそれらとお道のおたすけについて書きたいと思います.

まず,両者はどちらも対人援助という点では変わりません.したがって,精神科医療で仕事をしながらお道のおたすけをしていくということが今現在の私の理想としてあります.この先どうなっていくかはわかりませんが,「お道と臨床と」というブログを書いているのも両者の知識と経験をいかに交えて互いに生かしていくかを模索していくためでもわるわけです(一応は・・・).もっとも最近は色々な都合から趣旨が変わってきてほとんど日記風になっていますが.それは置いておいて,生計を立てていくための手段が,精神科医療での援助という「他者の人生がその人にとっていいようになっていく手だすけをさせていただくこと」であることはお道を信仰する私にとって合目的的です.

両者の区別ということですが,まず一般的な見解として,精神科医療で働くということはあくまでも生業であり,私生活との区別があります.一方,お道のおたすけはそれを生業としている方もいますが,私生活との明確な境界があるわけではなく,いつ何時でもできるということがあると思います.

前者はその役割を演じる時間的・空間的に限りがあり,同時にそのことが自分自身を守ることにもなっています.限られた時間帯と場所での援助ということです.限りがあることで自分自身のその他の役割(たとえば夫に対しての妻・子どもに対しての母親・母親に対しての娘など)を侵害されることなく果たすことができます.したがって「勤務時間ないしは職場環境によって守ってもらっている」というある程度の安心感があります.家に帰ると安堵する経験は誰にでもあると思います.24時間続けなければいけなかったとしたらさすがに参ってしまうでしょう.

後者は時間的・空間的に特に自分で設定しない限りは限りはないということがあると思います.限りがないということはその他の役割を同時にこなしながら援助を続けていくということです.時間的・空間的限界によって自分自身を守ることができない代わりに,私たちお道の信仰者はどうしているでしょうか?私たちには幸いにも「いつ何時でも親神様が守ってくださっている」という安心感があると思います.たとえ私生活との間に明確な境界がなくともその感覚で援助を続けていける面もあると思います.それでも人間ですから限界点はあると思いますが・・・.

さて,私がこの両者をどのように区別しているかと言いますと,仕事はあくまでも仕事です.それ以上の関わりをすることはありません.職業的役割関係以外に関係持ち込むことは職業倫理として禁じられているくらいです.また,そうすることが治療的だということもあります.ただ,その限られた時間内に関しては今の自分ができる限りの援助はさせていただかないといけないという思いはあります.役割の限界外でできることは日々親神様に自分が関わっている患者さんのために祈ること(会長からもよく言われます)と自分自身の経験値と技術をあげることでしょうか.前者は心がけるようにしていますが,後者は最近さぼっています.本当は研磨していかなければいけないのでしょうが・・・.一方,おたすけに関しては私は素人同然です.仕事の経験は今後生きてくるでしょうが,今のところ他者へのアドバイス程度です.会長の代わりにおさづけに行かせていただくことはたまにありますが,自分自身でたすけを必要としている人を探してにをいがけやおさづけをさせていただくというところまでは全然達していません.最近ようやくリーフレット配りを始めたくらいであります.

なんだか書きながら未熟で未熟でどうしようもなく情けなさを感じてきましたが,それが今の自分なのですから,それをそれと受け止めて今後の成人に期待したいと思います.IZAMUさん,こんなんで回答になっているでしょうか.

関連記事として以下も閲覧ください.
お道と臨床と(旧ブログ)
相談することの重み
精神科で働く人たち

リーフレット配りは種まき 

2006年9月30日の記事ですが,こちらも転載します.

現実生活の中ではお道の話をすることはおろかリーフレット配りさえ躊躇があったということは私に大きな影響を与えています.インターネット上でお道の話をすることには躊躇もありませんが・・・.

信仰とは本質的には神と自己を結ぶものでありますが,神と自己を結ぶ=神の思いに近づくことと思います.それは世界だすけの道であり,より多くの人に救かってもらいたいという思いを実践にうつしていくことです.自分がお道の信仰のおかげて救かっていると思うのであれば,それをより多くの人に伝えていくことはやはり大切なことなのではないかと思います.

たとえば,○○社の××製品を買って使ってみたら,とてもよい商品で買ってよかったと思うのであれば,それを自分だけ味わうのではなくより多くの人に味わってほしいと思うのがたいていの人の感覚であると思います.そして,試しに使ってみなよと近所の人や知人,親戚などに勧めるわけです.

信仰も同様なのかもしれません.よいものだから人にすすめるというごく自然のことです.ですが,簡単にはいかない・・・.観念的なものなので数字で証明しにくいということもあるかもしれません.また,宗教への偏見も多くあることと思います.見知らぬ人へのにをいがけは商品をすすめに家を回る営業マンと構造的には一緒ですから,簡単には成功しないのも当然かもしれません.

それでも,そのために費やした時間と尽くした心は親神様は受け取ってくださり,いつかその芽が出るのだと思います.会長がリーフレット配りは種まきだと言っていました.リーフレットから電話をかけてくる人はほとんどないけれども,まったく関係のないところから電話があってにをいがかかることもある,それも普段の種まきのおかげということだそうです.はっぴーさんも「にをいがけはおやさまへのお供え」とのコメントをくださいました.なるほど,理に適っています.また,さなさんのコメントにありましたように,「1000人に1人くらいは電話くださる方もいる」とのことですので,それ自体にも伝道の意味はあるのだと思います.ですが,基本的には見返りを求めるのではなく,自分自身あるいは教会の種まきとして位置づける方が私は納得がいきます.

今日の話はまとまりませんが,私は生まれながらにして素晴らしい宗教と出逢い信仰をしていると思いながら,それを人に伝える機会を持たず,また持とうともせず,自己愛的な生き方をしていたのかもしれないと思ったのです.そして「そのうち自分も」「いつかやろう」と思っているだけで刻が過ぎていることにも気がつきました.すぐに実践というわけにはいかないでしょうが,今までよりはほんの少しでもお道の勉強やにをいがけにつながることをさせていただこうと思いました.本当に自分を振り返るよい機会を親神様は下さったと思います.


と書いて,早いもので1年半が経とうとしていますが,ようやく一歩を踏み出したという感じです.後戻りしないように過ごしていきたいです.

リーフレット配りを通して己の無力さを知る 

2006年9月29日の記事ですが,久しぶりににをいがけに行ってきたので関連記事として旧ブログより転載します.

今日は午後からリーフレット配りに行ってきました.支部で何人かが集まり,とある団地を回りました.

手にリーフレットを持ち,団地内を歩いてポストにそれを入れて回るわけですが,自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.

これが何かのチラシ配り―たとえば割引券や広告などを配るアルバイトであれば,何の抵抗感もなくこなせたことでしょう.なぜチラシ配りは大丈夫なのに,天理教のリーフレット配りには居心地の悪さを感じるのでしょうか?そこにはおそらく社会的認知度が大きく影響していると思います.宗教の認知度は低く敷居も高いです.このことが自分がマイノリティであるという認識を団地の中で強く実感させ,受け入れられにくいと私に思わせます.そして,天理教は私のアイデンティティ(※)の重要な要素ですので,そのような実感をひしひしと感じることに居心地の悪さを感じたのだと思います.結局は私の未熟さなんですが・・・.(アルバイトであればそのチラシの扱われ方によって自分自身に何の影響もないので居心地の悪さは感じないわけです.)

そんなわけで,私は自分自身がまったくの裸で無力であるように感じました.病院で仕事をしていれば,こちらから足を運ばなくとも患者さんの方からやってきてくれます.白衣を着ていれば,たいていの人が訊ねたことに答えてくれますし,こちらの話も聞いてくれます.信頼を得られれば悩みも打ち明けてくれます.しかし,今日その場にいた私は,人に対してまったくの影響力を持たず,そして自分のやっていることにむしろ心許なさや後ろめたささえ感じていたのです.これまでにもにをいがけをしたことはありますが,今日ほど深く感じたことはありません.

一般的に宗教が敬遠される時世の中で,私は信仰はむしろ必要だと思っていて,その良さを少しでも伝えたいと思い,こうしてブログまで書いていますが,それをいざ現実社会の中で広めるための実践となると自分はあまりにも無力であると思いました.そんな自分をとても小さく感じました.

リーフレット配りの真の意味は伝道にあらず,他者に対しての影響力以上に自分自身に対しての強烈な仕込みになる,と思いました.裸の自分を知り,心を低く通らせていただくのにもってこいかもしれません.その心は神様が受け取ってくださるでしょうし,にをいはあとからついてくるものなのかもしれません.今日のリーフレット配りで自分は多くの有形・無形の存在に支えられてこの社会で生かされているということを改めて実感できました.

今回私は自分自身の未熟さを痛感したわけですが,このようなことを感じることなく,勇んでにをいがけをされている方はすごいなぁと思います.にをいがけをされている方,正直どのようなことを感じながらされていますでしょうか?


※アイデンティティとは自分らしさのことで,「自分とは何か?」「自分はどんな人間なのか?」「自分は何のために生きているのか?」などの問いに対する答えに該当すると思うとわかりやすいかもしれません.

リーフレット配り再び・・・ 

今日は午前中に彼女とリーフレット配りに行ってきました.

情けない話ですが実に1年半ぶりくらいです.今月より月に1回はにをいがけに出ると神様と約束したので行ってきました.彼女は初めての経験ですし,私も数回ほどの経験しかありませんので,まずはリーフレット配りからかなと思い,近所をぐるっと回ってきました.今日はとてもいい天気でしたので気持ちよくできましたし,いい運動にもなりました.

ただ,自分が知っているよいものを他の人にすすめるというごく自然なことが,まだ私には難しく感じられるようであります.むしろ初めての彼女の方が堂々としている感じでした.早く慣れたいと思います.

ところで,リーフレットは出来合いのものを配ったのですが,よく読むと表現が誤解を生む可能性があったり,私がしっくりくる表現と異なるものもありましたので,よく吟味して配る必要があると思いました.また簡単なリーフレットならWordで自分で作ってもいいのかなぁと思いました.今はその時間はありませんがおいおい検討していきたいと思います.


以下は関連記事になります.
リーフレット配りを通して己の無力さを知る(旧ブログより転載)
リーフレット配りは種まき(旧ブログより転載)

小屋の片付け 

小屋今日は小屋の掃除をしました.寸法を測らない祖父の手作り小屋なので今にもくずれそうです・・・.今日は私しか家にいなかったため祖父と二人でやりました.写真をみてわかる通りまだ散らかっていますがこれでもかなりきれいになったのです.数ヶ月前まではここは古材が山のように積んであったのです.それをコツコツ片付けてここまでにしたのでした.

今日は午後から会長とリーフレット配りにいこうと話をしていたのすが,午前中の作業で疲れて午後は昼寝をしてしまい行きませんでした.

夜,祖父が散髪してくれというのでバリカン(3mm)で丸刈りにしてあげました.最近丸坊主が気に入っているようで月に一度くらいは丸刈りにしています.

今日1日自宅生活にて終了しました.明日からまた1週間仕事頑張ります.
今日は2エントリしてますのでもう1つも読んでくださいね.

多忙な1日 

今日は指導を受けてきました.仕事もわりと忙しかったのですが,終わってすぐにタイムカードを切って猛ダッシュで駅までバイクで走り,電車に乗って指導者の在勤する病院へ.経験豊富な先生に2時間ほど指導してもらい,自分の抱えていたもやもやを少しすっきりさせてもらって,自分は未熟だけれども今の自分にできることしかできないのだからそれでいいやと思えるようになって帰りました.いやいや人に自分の話を聞いてもらう時間が保障されていて受け入れられるっていいですね.殊,心理臨床に関してはあまり自信がなく右往左往しながらやっているのでこうした温かい指導は不可欠です.ましてや私は一人職場ですので同職者に仕事の中で指導してもらうことができません.何でもできる自由さもありますが,満足な指導を受けられない不自由さもあります.

指導を受けて家に帰ってくると10時半くらいでした.でもノルマの筋トレとジョギングはおこないました.サボリたかったですが・・・走りながら某大教会で青年をしている友人(当ブログ愛読者です)に久しぶりに電話をかけて近況などを談じ合いました.道一条の彼と仕事をしている私では生活状況がまるで違います.彼はにをいがけにもしょっちゅう出て行くそうで,誰それ構わず声をかけるそうです.話を聞いてくれる人は10日に1人くらいだそうですが,それでも彼の行為は種まきになっていていつか実るのだろうと思います.それが道理であるということが最近やたらと納得がいきます.

先日のリーフレット配りの話を持ち出すと「おまえあれはやばいだろ.もう少しやらな.いいものをポストに入れるだけや」と友人に言われました.いちれつ会勤務の友人(彼も愛読者)が「俺もそんなもんや」と言っていたことを話すと「それが普通の感覚なのかもしれへんけどな」と言っていましたが,どちらが普通であれ改善の余地があることは明らかなので「またそのうち行ってみるわ」と言い,電話を終えました.

今日は疲れました.明日は月次祭です.

1ヶ月ブログ皆勤,しかし・・・ 

初めて1ヶ月休まずに書き続けました.なんだかちょっとした達成感です.

しかし,現実生活の中ではお道の話をすることはおろかリーフレット配りさえ躊躇があったということは私に大きな影響を与えています.インターネット上でお道の話をすることには躊躇もありませんが・・・.

信仰とは本質的には神と自己を結ぶものでありますが,神と自己を結ぶ=神の思いに近づくことと思います.それは世界だすけの道であり,より多くの人に救かってもらいたいという思いを実践にうつしていくことです.自分がお道の信仰のおかげて救かっていると思うのであれば,それをより多くの人に伝えていくことはやはり大切なことなのではないかと思います.

たとえば,○○社の××製品を買って使ってみたら,とてもよい商品で買ってよかったと思うのであれば,それを自分だけ味わうのではなくより多くの人に味わってほしいと思うのがたいていの人の感覚であると思います.そして,試しに使ってみなよと近所の人や知人,親戚などに勧めるわけです.

信仰も同様なのかもしれません.よいものだから人にすすめるというごく自然のことです.ですが,簡単にはいかない・・・.観念的なものなので数字で証明しにくいということもあるかもしれません.また,宗教への偏見も多くあることと思います.見知らぬ人へのにをいがけは商品をすすめに家を回る営業マンと構造的には一緒ですから,簡単には成功しないのも当然かもしれません.

それでも,そのために費やした時間と尽くした心は親神様は受け取ってくださり,いつかその芽が出るのだと思います.会長がリーフレット配りは種まきだと言っていました.リーフレットから電話をかけてくる人はほとんどないけれども,まったく関係のないところから電話があってにをいがかかることもある,それも普段の種まきのおかげということだそうです.はっぴーさんも「にをいがけはおやさまへのお供え」とのコメントをくださいました.なるほど,理に適っています.また,さなさんのコメントにありましたように,「1000人に1人くらいは電話くださる方もいる」とのことですので,それ自体にも伝道の意味はあるのだと思います.ですが,基本的には見返りを求めるのではなく,自分自身あるいは教会の種まきとして位置づける方が私は納得がいきます.

今日の話はまとまりませんが,私は生まれながらにして素晴らしい宗教と出逢い信仰をしていると思いながら,それを人に伝える機会を持たず,また持とうともせず,自己愛的な生き方をしていたのかもしれないと思ったのです.そして「そのうち自分も」「いつかやろう」と思っているだけで刻が過ぎていることにも気がつきました.すぐに実践というわけにはいかないでしょうが,今までよりはほんの少しでもお道の勉強やにをいがけにつながることをさせていただこうと思いました.本当に自分を振り返るよい機会を親神様は下さったと思います.

己の無力さを知る 

今日は午後からリーフレット配りに行ってきました.支部で何人かが集まり,とある団地を回りました.

手にリーフレットを持ち,団地内を歩いてポストにそれを入れて回るわけですが,自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.

これが何かのチラシ配り―たとえば割引券や広告などを配るアルバイトであれば,何の抵抗感もなくこなせたことでしょう.なぜチラシ配りは大丈夫なのに,天理教のリーフレット配りには居心地の悪さを感じるのでしょうか?そこにはおそらく社会的認知度が大きく影響していると思います.宗教の認知度は低く敷居も高いです.このことが自分がマイノリティであるという認識を団地の中で強く実感させ,受け入れられにくいと私に思わせます.そして,天理教は私のアイデンティティ(※)の重要な要素ですので,そのような実感をひしひしと感じることに居心地の悪さを感じたのだと思います.結局は私の未熟さなんですが・・・.(アルバイトであればそのチラシの扱われ方によって自分自身に何の影響もないので居心地の悪さは感じないわけです.)

そんなわけで,私は自分自身がまったくの裸で無力であるように感じました.病院で仕事をしていれば,こちらから足を運ばなくとも患者さんの方からやってきてくれます.白衣を着ていれば,たいていの人が訊ねたことに答えてくれますし,こちらの話も聞いてくれます.信頼を得られれば悩みも打ち明けてくれます.しかし,今日その場にいた私は,人に対してまったくの影響力を持たず,そして自分のやっていることにむしろ心許なさや後ろめたささえ感じていたのです.これまでにもにをいがけをしたことはありますが,今日ほど深く感じたことはありません.

一般的に宗教が敬遠される時世の中で,私は信仰はむしろ必要だと思っていて,その良さを少しでも伝えたいと思い,こうしてブログまで書いていますが,それをいざ現実社会の中で広めるための実践となると自分はあまりにも無力であると思いました.そんな自分をとても小さく感じました.

リーフレット配りの真の意味は伝道にあらず,他者に対しての影響力以上に自分自身に対しての強烈な仕込みになる,と思いました.裸の自分を知り,心を低く通らせていただくのにもってこいかもしれません.その心は神様が受け取ってくださるでしょうし,にをいはあとからついてくるものなのかもしれません.今日のリーフレット配りで自分は多くの有形・無形の存在に支えられてこの社会で生かされているということを改めて実感できました.

今回私は自分自身の未熟さを痛感したわけですが,このようなことを感じることなく,勇んでにをいがけをされている方はすごいなぁと思います.にをいがけをされている方,正直どのようなことを感じながらされていますでしょうか?

※ アイデンティティとは自分らしさのことで,「自分とは何か?」「自分はどんな人間なのか?」「自分は何のために生きているのか?」などの問いに対する答えに該当すると思うとわかりやすいかもしれません.

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