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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

地区のお祭り 

18~19日は地区の神社のお祭りがありました.今年はうちの組合が当番なので忙しかったです.1日目は宵宮,2日目が神輿ですが,今年は多数決で神輿は出さないことになったので,19日の昼で片付けまで終了です.

18日は早朝より1日かけて準備,夕方6時から宵宮でフランクフルトや焼きそば,ヨーヨー釣りなどの出店を参拝者や子どもたちのために出しました.宮司さんと話をして,祭典の玉串のところだけ,鳳笙1管で奏楽させていただきました.雅楽の生演奏を聞く機会はそうないものですから,近所の方からの評判もよかったです.1管なら鳳笙が一番雰囲気でますものね.宮司さんは父と同じ大学出身で父にも何度かあったことがあるということで,お父さんはお元気ですか?と聞かれました.12年前に亡くなっていることをお伝えすると,大層驚いていました.父のことを知っている人と久しぶりに新しいご縁があってよかったと思います.

教会のある地区も若い人が減り,高齢化が進んでいます.いつまで今の体制でお祭りが続けられるのかわかりませんが,次の世代を担う子どもたちのためにもこういう慣習は続けられるといいのだろうと思います.
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操法訓練始まる 

8月に入ってから操法大会の練習が始まり,毎年のことですが2日に1回夜9時半頃まで練習をしています.
今年は選手ではありませんが,選手に負担をかけないために,ホースの片付けや操作の確認などをするので毎回出動となります.疲労がたまる時期ですが,頑張って乗り切ろうと思います.

色々あるのですが・・・ 

書きたいことは色々あるのですが,如何せん時間の確保が困難となっております.

これだけ更新できないなら,潔くブログ終了してもいいんじゃないかとも思うのですが,何年も続けてきたことを終わらせる覚悟はなく,チマチマと続けております.

今日はヒルトン東京で治験のための研修でした.医師の出席も多数です.私の職場からは院長と私が参加しました.製薬会社が主催なのでお弁当くらい出るかなと思ってはいたのですが,どっこい弁当どころかヒルトン東京のフレンチ・レストランでのビュッフェでした.医者が絡むとここまでのランクになるのかと驚きを隠せませんでした.せっかくなのでお腹いっぱいいただきました.もちろん勉強もしっかりしてきましたよ.


与那覇さんにお会いしました 

未読の方はまずこちらをお読みください.
ひめゆり平和祈念資料館
沖縄にていただいた不思議なご縁
ひめゆりたちの沖縄戦―命の尊さを語る
生かされて生きて―元ひめゆり学徒隊“いのちの語り部”

先日,沖縄に行ってきました.と言うのも,以前ご縁があってお知り合いになった元ひめゆり隊の与那覇百子さんより大層よくしていただいておりまして,与那覇さんも是非沖縄に来てくださいとお言葉を頂戴するものですから,これはもう一度お会いしなくてはと思い,意を決して家族3人で沖縄に行くことにしたのです.ありがたいことに航空チケットは旅行好きのあいこの父のマイルで取ってもらいまして,父にも本当に感謝しています.また教会家族が元気でいればこそ教会を不在にすることもできるので家族にも感謝ですね.

与那覇さんにも事前にご連絡を差し上げまして,ひめゆり平和祈念資料館で証言員をしておられるときにその合間にご挨拶がてら少しお話をさせていただこうというお話だったのですが,日程的に与那覇さんのご都合のつきにくい時期に沖縄滞在となってしまい,スケジュール調整が難航しました.結局与那覇さんの方がご自分の元ひめゆりの同窓会を早く切り上げて資料館に来ていただけるとのことになり,恐縮な思いと予想以上にお会いできる時間がありそうで嬉しい思いとを抱えながら沖縄へと向かったのでした.

初日にお会いすることになっていたので,那覇空港到着後,レンタカーを借りてさっそく資料館へ向かいました.午後2時に資料館の受付前でという待ち合わせでしたので,受付に問い合わせると「今日は百子先生は同窓会で来られないはずです」と言われましたが,約束しているのでと待たせてもらいました.しばらく後,与那覇さんが来られました.私はお会いしたのは3年ぶりくらいになりますが相変わらずお元気そうでとても85歳になられる方とは思えませんでした.あいこと長男は初めてでした.一緒に資料館を回って下さるとのことで資料館を小一時間ほど一緒に回ってくださいました.自分たちだけでは展示物を読んだり見たりするだけですが,与那覇さんが当時の状況や亡くなったご友人の様子などについても色々とお話くださり,大変貴重なお話が聞けたと思います.

昔から度胸があったようで,いつ弾丸に当たるか分からないのに水を汲みにいって,先生から怒られても結局また汲みにいってとあまり気にしなかったという一方で,死はいつも隣り合わせでいつ死んでもおかしくない状況にいたということもお話しくださいました.兵士はもちろんのこと,眼の前で級友が死ぬのも目の当たりにしているし,凄惨な中を生かされてきた方なんだなと改めて思いました.そんな方とぬくぬくと平和な中で生きている自分が肩を並べてお話を聞かせてもらったところで,与那覇さんのご苦労や痛みの1%も分からないのだろうとも思いました.それは戦後生まれの今の日本のすべての人に言えることでしょうから,それを伝えようとされている志は本当にすごいです.証言員も次世代の育成ということで与那覇さんらの体験談を語り継ぐ若い語り部を今現在数人育てておられるとのことでした.今でも月に5回は資料館に詰め,月に5回はホテルなどへ夜の講演に出かけ,ご高齢にもかかわらず,意欲的に活動しておられ,また教会に住み込み,日夜教会のひのきしんとおつとめにも勇んでおつとめになり,どんなことでも親神様から授かった御用と思ってやらせてもらっていると話され,お道の人としても学ぶべき姿がありました.実際,教会長をしておられたお父様も戦争で亡くしておられますし,7人兄弟のうち姉妹が4人いらしたそうですが,与那覇さん以外は戦時中と戦後間もなく皆出直してしまい,他の姉妹が背負うべきものも皆与那覇さんが背負うことになったとのことです.しかし,そのことに対しても親神様が私に背負えと仰ったんでしょうねと常に神様の方を向いておられるようでした.神一条という言葉が思い浮かびました.

長男が眠くなってしまったので,あいこと交代で抱っこしていたため,お互い途中途中話を聞けないところがありましたが,途中で寝てくれたのでその後は二人共聞くことができました.資料館が終わると,向かいのおみやげ屋さんで一緒に沖縄そばを食べ,また色々とお話させていただきました.最後は教会までお送りすることになっていましたので,レンタカーに一緒に乗り込み,教会まで向かったわけですが,長男がおばあちゃんと一緒に座るというので与那覇さんには後部座席に座っていただきました.昼寝から目覚めた長男はごきげんですから,与那覇さんともたくさんお話をしまして,すごくなついてくれました.教会にお送りし,参拝だけしたら帰らせてもらおうと思っていたのですが,ご主人や教会の奥様も出て来てくださって,お茶とお菓子をごちそうになり,しばしお話しました.長男はおばあちゃんともうすっかり馴染んでまして,与那覇さんにたくさん褒めてもらっていました.奥様に「晩ご飯も食べていきなさいよ」とのお言葉もいただきましたが,ホテルでの予定もありましたのでご遠慮させていただきました.最後は「また沖縄のおばあちゃんのところに遊びにおいでね」と長男に温かい言葉をかけていただき,沖縄のお土産までたくさんいただきまして,本当に勿体無い限りでした.むしろ私たちの方が貴重なお時間をとっていただいて色々お礼を差し上げたいくらいなのに,本当にありがたかったです.あいこが教会の「あのおもてなしの心はなかなか真似できないわ」と言ってました.初日で私の沖縄の目的は達成してしまったので,かなり満足して残りの2日を過ごしました.

是非もう一度と思い,会いに行かせていただきましたが,なんかまたお会いしたいなぁと思う自分がいます.自教会に着いてから到着の報告とお礼の電話をいたしまして,今度はおぢばでお会いしましょうねとお言葉をいただきました.沖縄にはそう何度も行けませんので,今度はおぢばでお会いできるといいと思います.いいご縁をいただいた親神様には本当に感謝です.



生かされて生きて―元ひめゆり学徒隊“いのちの語り部”生かされて生きて―元ひめゆり学徒隊“いのちの語り部”
(2011/07)
与那覇 百子

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ご無沙汰です 

全然ブログ書いてなかったです.

春眠暁を覚えずとは言いますが,最近眠いのなんのって,長男を寝かしつけながら自分も一緒に寝てしまって,気づくと朝みたいなことがよくあります.私でないときはあいこがそのパターンに陥っていることが多く,何気に夫婦揃って眠りにつくという機会はそう多くありません.

昨日はお便りを近所に配っていたら途中で雨が降ってきたので帰りました.長男も一緒だったので帰りは急ぎめです.
今日は昼休みに小雨だったので郵便局へジョギングしながら行こうと出かけたら出発して間もなく結構雨が降ってきて,やはり急ぎめに走りました.郵便物も持っていたので濡らさないように必死です.長男連れているときより必死だった気がします.

こんな感じでここ2日急がされていますが,あまり急がず日々を勇んで過ごさせていただきたいと思います.

大伯父の出直し 

長いこと時間がとれず,3月半ばに差し掛かりますが今月初記事です.

2月27日の祖父の兄(大伯父)が出直しました.享年92歳でした.2月11日に祖父の実家のいとこ会で会ったときはすごく元気でまだ数年は大丈夫じゃないかと思っていたのでとても残念です.親族大半に顔を見せて挨拶もしてからの出直しであり,神様のお計らいを感じずにはいられませんでした.

祖父も父もいないので私と会長とでお通夜と葬儀に出させてもらうことにしました.あいにくの天気で関東全域は朝から雪,交通情報を見聞きしていましたが,中央道はチェーン規制に渋滞,とても間に合いそうにありませんし,事故の危険もありますので,やむを得ず電車で行きました.

お通夜は開始前には間に合わなかったので親族席に座り損ねて,待合で終わるのを待っていました.その後本家(祖父の実家)の従叔父に哀悼の意を述べて,一度皆で本家へ行って大伯父の顔を見て,宿をとってくれていたのでそちらに行きました.先のいとここ会で会っていたから今回も何人か話せる人がいました.それはお互いにそうだったと思います.神様はうまいこと先回りのお働きをしてくださるなと思いました.

翌日の告別式では出棺の際に不思議なことがありました.家から棺を運び出すとき,ちょうど前日に降って屋根に積もっていたと思われる雪が溶けて棺の上にちょうど落ちたのです.長兄として長く家を守ってきた大伯父ですから代々家を守ってきた親々からのご苦労さんという労いのようなそんな意味性を感じました.火葬,告別式,初七日と終わり,夕方前には急行に乗りました.

祖父の兄弟も残り4人となりました.時の流れを感じると共に,縁のある者がいなくなっていく寂しさをまた感じました.だんだん本家とのつながりも薄くなっていくものだとは思いますが,祖父が大事にしていた本家へのお墓参りは毎年は無理でも数年に1度は足を運びたいと思います.

ところで,塩山は私の地域と通夜や告別式のやり方が違いました.通夜のお清めはなく,参列者はそのまま帰ります.翌日の出棺後先に火葬場へ行き,お骨を拾って骨壷に納めてから告別式となります.初七日の法要は親族だけでなく,組合や縁のある者など大勢呼ぶようで席も決まっていなくて150席以上が設けられていました.地域によってかなりやり方が違うというのを改めて知りました.勉強になりました.

おぢば帰りしてきます 

ここ数日風邪を引いてました.今晩からおぢば帰りなので心配していましたが,ひたすら早く寝るということを繰り返し,また,風邪薬,リレンザなど色々な資源を用いてだいぶ体調がよくなりました.もちろんおさづけは言うに及ばずです.

今晩は夜行バスなので,体調管理には気を付けようと思います.10月に帰って以来なので4ヶ月ぶりになります.ちょうど1年前は寒さの中修養科で親子3人勇んでいたところですね.では行ってきます.

更新停滞 

最近子どもと一緒に寝ていることも多く、それを言い訳にブログをほとんど書いていません。これだけ更新がないのはいただけませんな。 やめるつもりはないのでもう少しモチベーションをあげていかないとですね。鯉太郎さんのように強化月間とか。とりあえずは保留です。

通勤時間5倍以上 

24日,朝起きると雪が軽く積もって道路は凍結・・・チェーンをつけようと思いましたが,時間がなく,諦め,いつもよりだいぶ早く6:50頃家を出たのですが,道路が大渋滞で全然進まず,普段10分かかるかかからないかで国道に出るのですが,それがなんと国道に出るのに2時間もかかったのです.さらに職場に着いたのは10:30で大遅刻!普段40~45分程度で職場に着くのですが,約5倍もの時間がかかったことになります.

大半の職員が大幅な遅刻をし,外来もだいぶ遅れて始まったりしたのですが,患者さんの方もやはり同じ交通状況の中を来るので,遅れていたり,受診をキャンセルしていたりでそれほど大きな影響はなかったようです.

保育園の先生も私たちが着く少し前に着いたようで,早く着いたお母さんたちは子どもを預けられず,車の中で時間をつぶしていたようなので,あいこにとっては大きな影響はありませんでした.私は患者さんの予約を1件キャンセルすることになりました.

ここまでの事態になることは想像していませんでしたが,雪国ではこういうことはよくあるのでしょうかね.それとも皆スタッドレスタイヤを履いているから凍結しても渋滞にはならないのでしょうか.

被災地に励ましの言葉を! 

3.11の震災より間もなく1年を迎えようとしています.未だ何らかの形で支援をされている方もいらっしゃることと思いますが,その一方で,思いはあるけれども家を離れるわけにもいかず,遠く離れた自分に何ができるのだろう?と感じておられる方もいるのではないかと思います.

先日宮城で支援活動をしている「ボランティア団体ひのきしん」の代表である高橋伸実さんの話を聞く機会がありました.報道は下火になってきていますが,まだまだ被災地は瓦礫があふれ,家や家族など大切なものを亡くした方たちがこの寒さの中,仮設住宅や被害を免れた2階などで生活することを余儀なくされています.十分な防寒設備も整わず体暖めることがままならない中,心を温める活動があるそうです.

それは,私たちから彼らへの『言葉』です.伸実さんが付箋に書いたメッセージをホッカイロに貼って被災されたお宅や仮設住宅を回ると,皆さんその付箋に大層喜ばれるということです.たくさんのものを失い,心細い中ですが,きっと「自分たちは忘れられていない」,「応援してくれる人がいる」,「離れていても思いをわかってくれる人がいる」,ということに励まされるのでしょう.ある方はその付箋を枕元に起き,毎朝そのメッセージに勇気づけられながら今を生きていると話してくださったということでした.「絆」という言葉が今年の漢字に選ばれましたが,それだけ今人と人が「つながり」というものを求め,それが多くの人をたすけることになっているのです.

もし,被災された方のために何かできないだろうか?と考えておられる方がありましたら,どうかこの付箋活動にお力添えいただけないでしょうか.私たちの一言が今なお苦境にある人を勇気づけることができるのです.1枚からでも結構です.一人でできることは少ないけれど,集まれば大きな力となります.アメリカのキリスト教宣教師ボブ・ピアスという人の言葉に次のようなものがあります.「すべての人々に何もかもはできなくとも,誰かに何かはできる」,皆さんにとってのこの付箋活動がその何かであることを願って・・・.

付箋はどんなものでも構いません(メモ用紙的なものでもOKです).恐れ入りますが,もしご協力いただいた方がありましたら,ブログ右カラムの「管理者にメール」よりご連絡いただければありがたく思います.送付先をご連絡させていただきます.

また風邪 

22日より風邪を引きました.大祭,奉告祭と連日の仕事に加えて行事が続き,その疲れが出たのでしょうか.翌23日は声もガラガラで一日体を休めました.今もまだ体調は完全には戻っていなくて職場で処方してもらった風邪薬を飲んでいます.ひどくならずに済んでいるのでありがたいです.それ以上に,後日書きますが長男のことが心配です.

夜警 

火災予防週間につき,交代で夜警をしています.
と言っても区内を消防車でカンカン音を鳴らしながらぐるりと一周するだけなんですが.
先日は消防団4年目にして初めて消防車を運転しました.何のことはないただのマニュアル車でした.
今日はただ乗ってただけでした.11月の消防活動はこれで終わりです.

操法大会 

10/1は市の消防団の操法大会がありました.

朝6時に詰所に集合し,大会会場へと移動.テントを張って分団ごとに待機場所を作り,開会式のリハーサル(子どもみたい)を経て8時より開会式.9時より競技開始.私たちの分団は9番目だったので2時間ほど待ちました.本番は練習の成果を発揮し,間違えずにできたと思います.今年は結構練習したから意外と入賞もあったりしてとか思いましたが,甘いのなんの・・・結局6位入賞ならずでした.7位以下は順位が明かされないので逆に言えば皆7位です.今年で私も選手の役を一旦降ります.来年は私の役はおそらく末弟の同級生がやりますのでしっかり教えたいと思います.

練習からようやく解放されるのが何より嬉しいです.

つい数にこだわってしまう 

毎月少なくとも10は記事を書こうと思っているのですが,今月は本当に忙しく,苦し紛れの記事もあり,あまつさえ10個目の記事をこんな内容で書くことに情けなさも感じるわけですが,それでも潔く今月は1桁の記事数ということに甘んじることはできず,こうして今しょうもない記事を書いています.

どうして人は数字ばかりに執着するのでしょうか.ブログの記事に関しては別にどうでもいいことですが,どうも数にこだわるあまり内実がないがしろにされているということって結構ありますよね.来月はもう少し記事を書けるといいなぁ.

お通夜 

今日は兄弟教会の前会長さんが先日出直されたので会長とお通夜に参列させていただきます.

うちの教会の設立時には大層お世話になったと聞いております.私自身,基本的にはほとんどお話することはいくらもありませんでしたが,直接そのお話を聞いたことが今年だか去年だが1度だけありました.もっと聞いておくべきだったと思います.いつもそうです,もう聞けなくなったあとでもっと話をしておくんだったと思います...
道のためにご尽力くださり,お勇み様でした.

ちなみに,昨日最後の操法大会の練習があり,ようやく練習から解放されました.
この一月ほぼ1日おきに練習してほんと疲れました.
いよいよ明後日が本番です.練習の成果を無事発揮できるといいです.

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