父と雅楽についてのエピソードを書きたいので,関連記事として「私と雅楽」について旧ブログより転載しておきます.
私は高校3年間天理高校の雅楽班に在籍していました.1年生のときは嫌だと思うこともありましたが,2年生から引退まではけっこう一生懸命にやったと思います.そもそも入部したのは父の勧めでした.続けているうちに楽しくなり,引退演奏会のときには号泣したのを覚えています.そしてこの先も雅楽を続けていきたいと思い,進学先を天理大学にしたいと父に言いました.父は地元の国公立大に進学して教会の手伝いもしてほしかったようでした.しかし当時の私は雅楽を続けたいという思いが強く,天理に残ることを決めたのでした.今思うと,勉強したくなかったのを都合よく理由付けして11月の推薦で早々と受験の終わる天理大に行きたいという気持ちも多くあったなぁと思います.
大学入学後,大義名分を掲げてしまっていた私は雅楽部に入部しました.しかし,そこでは自分が描いていたような姿はなく,生活のためにアルバイトもしなければならなかったので,徐々に足は遠のき,数ヶ月でほとんど顔を出さなくなり,半年足らずで辞めました.私が好きだったのは,勉強に追われる生活の中で,西山校舎で行われる班員のメンバーとの時間だったのです.すでに大学生活に入り,自由を獲得していた私には,雅楽は楽しいものではなく,私の足かせにさえなっていたのです.当時の私には,雅楽漬けの生活よりもバイトと友人との交際三昧の生活の方が魅力的なものだったのでした...
辞めるのには当然理由が必要になります.ここで私は周囲だけでなく自分自身をも納得させる理由も探さないといけなかったのでした.なぜならば,自分自身でも辞めてしまって本当にいいのかという思いがあったからです.続ければ一生役立つことはわかっていましたし,遊びたいがために辞めるという回避的選択であることもわかっていました.そこで,納得させる理由として選ばれたのが,生活のためのアルバイトおよび大学院進学です.元々臨床心理士を目指して大学には入ったのですが,漠然としか考えていませんでした.この時点で私は臨床心理士にならないと雅楽を辞めたことを後悔するに違いないということを悟りました.しかし,結局4年間ほとんど勉強せずにのほほんと生活していたのです.まぁ結果的に有資格者になれたので辞めたことに対して激しい後悔をすることはなかったのですが,やっておけばよかったなぁとも思います.しかし,部活を続けていたら続けていたらで今と違う人生になっていたのかもしれませんし,これはこれで成るべくして成ったのかなぁと思っています.
辞めた後の私と雅楽のつながりは,主にアルバイトでした.当時,天理に住んでいた私は,友人の紹介で神前結婚式の楽人をやりました.月に何件かですが,堺のリーガロイヤルホテルや平安閣で鳳笙を吹いていました.他にも雅楽をするチャンスはありました.皆で楽しく雅楽をしようという
博雅会という雅楽の会を先輩や友人らが作ったのです.そこに再三誘われていたのですが,結局私はやりたいという思いと面倒くさいという思いの葛藤の末,いつも後者が勝ってしまい,結局行きませんでした.今思えば,せめてこれだけでも参加しておくんだったと思います.
大学院~現在にかけては,神社や結婚式のアルバイトを知人に紹介してもらい,川崎市内や町田市内の神社で吹くことがあります.また,年祭などで吹くこともあります.3年半前には母方祖父母の20年祭に父(龍笛)と吹きました.父と合奏したのはそれが最初で最後だった気がします.
以上,なんか思い起こしたくなったので私と雅楽のつながりを書いてみました.雅楽はお道とつながっている限り,縁のあるものです.皆さんも機会があれば教わるといいと思います.それから,最近は若い女性に人気があるというのを友人Kより聞きました.お道と関係ない方も興味があれば曲を聞くことからでもはじめてみてはいかがでしょうか.聞いたことのない人も多いと思いますし.レンタル屋さんなどにも置いていますよ.
>>最後までありがとうございます.
>>読み終えたら1クリックお願いします⇒
人気blogランキング>>PCでご覧の方はこちらもクリックお願いします⇒
日記@BlogRanking,
FC2 Blog Ranking