お道と臨床と〜心づくりのたね〜

天理教と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

まおのバイト歴(5) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
まおのバイト歴(1)魚市場
まおのバイト歴(2)天下一品
まおのバイト歴(3)警備
まおのバイト歴(4)雅楽

ガソリンスタンドでも2年ほどバイトをしました.
天一と結婚式のバイトだけでは足りないと思い,始めました.給油,販売,オイル交換などが主な仕事ですが,私はオイル交換はほとんどしませんでした.器用な人たちに任せていた感じです.当時ガソリンは100円〜110円くらいだったでしょうか.今と比べると安すぎです.ここはもちろんまかないは出ないので,交代で買いにいって食べていた気がします.カップめんやパン,アルミの鍋焼きうどん,マックなどをよく食べていました.休日は12時間勤務なので昼食に出前をとったこともありました.夜になって社員が帰るとバイトだけになるので,仲間とプロ野球中継を見ながら冷暖房の効いた店内の入口に立って客を待つなど,手抜きな仕事ぶりを発揮していたことを覚えています.

掛け持ちをしていて融通が利かないということと,働きぶりがいまひとつだったのか,大学4年の夏に人件費削減という理由で解雇されました.ちょうどスタンド1本に絞ろうと思った矢先の出来事だったので,何気にショックでした・・・.

まおのバイト歴(4) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
まおのバイト歴(1)魚市場
まおのバイト歴(2)天下一品
まおのバイト歴(3)警備

久々アルバイト経験のお話です.

大学の頃は雅楽のバイトもしていました.リーガロイヤルホテルや平安閣などの結婚式場での神前式の演奏です.堺やミナミの方まで行っていたので往復の時間や交通費もかなりかかりました.バブルの頃と違って,式の件数も減少していたようで5件あると大喜び,たいていは3件くらい,1〜2件の頃は嫌々ながらも行った覚えがあります.1件あたり2000円でかなり安かったです.式と式の間が連続であればいいのですが,下手をすると午前と夕方と離れていることもあり,1日がかりでわずか4000円といったこともありました.しかし,少ない件数を断っていると大口ももらえなくなってしまうと思い,辛抱して行っていた記憶があります.浦安の舞を唄わなくてはならない会場もあり,音痴な私は苦手ながらもこれまた辛抱して唄っていました.

天下一品とのダブルヘッダーもよくありました.昼間に大阪へ行って式場で弁当を食べ,夜に天一でラーメンを食べるといったこともしばしばでした.食費節約にもなりました.天理生活の終焉と共に結婚式のバイトはほとんどなくなりましたね.

続きはまた今度.

10年前の私 

先日,種はどこにある?という記事を書きました.

その後,ふと天理高校を卒業するときに『養徳』という記念誌が発行されたのを思い出しました.10年後の私かなんかを書く欄があって,そこに私は「まいた種が実りまくっている」というようなことを書いた記憶があります.

あれから,ちょうど10年経っています.種は実っているのでしょうか?毎日は感謝すべきことであふれていますが,種が実るにはまだ早すぎる気がしますし,自分はまだまだお道の人間として未熟すぎます.

これまでよい種も悪しき種もまいてきたとは思いますが,これからは極力よい種をまいていきたいものです.

まおのバイト歴(3)警備 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
まおのバイト歴(1)魚市場
まおのバイト歴(2)天下一品

大学1回生の春休みに三宝警備保障という警備のバイトをしました.約2ヶ月やりました.日給7500円でした.夜勤をやると10000円だか12000円でした(忘れました).

天一とのダブルヘッダーもありなかなか大変でした.夜勤はなかなか寂しい仕事でして,奈良の山中とかで警備員と警備員の間が20kmとかあり,街頭もない場所で懐中電灯と警備灯をもってただ夜が明けるのを待っている仕事とかありました.持ち歌を思いつくだけ唄ってもなお時間が余る現実.手持ちのラジオは雑音のみ,無論携帯は圏外.孤独とは自分のためにある言葉だと思いました.

一番ひどかったのは夜勤で夕方4時半に出勤し,朝の8時に事務所に帰ってきたら,部長に「まお,ちょうどよかった,一人足りないから行って来い!」と言われ,夕方5時半まで警備をしました.昼過ぎくらいから,睡魔と疲労でかなり辛く,夕方にはもう倒れそうでした.24時間働いたのは,これが最初で最後でした.

このバイトは短期契約だったため,2回生になると同時に辞めました.この2ヶ月はどバイト漬けの日々でしたが,いい勉強になりました.

次のバイトは・・・また次回.

まおのバイト歴(2)天下一品 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
まおのバイト歴(1)魚市場

大学入学後,まず天下一品というラーメン屋でバイトしました.ここで1つ恥さらしエピソードがありました.

まお「すいません.アルバイトしたいんですけど」
店長「今日は忙しいので火曜日また来てくれ.履歴書もってきてほしいんやけど」
まお「履歴書ですか.免許証じゃだめですか?」
店長「あのな.履歴書って知ってるか?云々・・・」


私は何と無知だったのでしょうか.身分を証明できれば働けると思っていました.市場のときは履歴書なんかいらなかったので.(そりゃ父の息子ということならいらないでしょう.)天下一品に笑い話として言い伝えられる珍事です.話がそれましたね,戻します.

ここは時給800円でした.3年間いたのですが,その間に時給10円あがりました.「なんだよ10円って〜」と当時は思いましたが,実は今の常勤職でさえ,1年働いた昇給額を時給換算するとわずか30円程度しか上がっていません.それを考えるとただのアルバイトの身分で10円上げてもらえたのは喜ぶべきことだったことがわかります.

ここでは店長の代わりにお店をまわすほどまでやりました.つまり麺場を仕切るということです.ラーメンはもちろん,餃子,チャーハン,定食,チャーシューの仕込み・・・とほとんどの仕事をこなしました.ただ深夜のバイトは入っていませんでしたので,掃除はやりませんでした.

店長が不真面目な人で,パートのおばちゃんに急遽呼ばれて店長の代わりにバイトに入ったり,おばちゃんに頼まれて店長を家まで起こしに行ったり,かなり活躍しました.店長が仕事をしないことでよく喧嘩もしました.一方,バイト仲間は高校の同級生や先輩,学科の後輩などかなり親しい人で構成されていたので,なかなか楽しかったです.店長がオーナーに解雇される頃,私もだんだん他のバイトの都合で入れなくなってきていたので,辞めました.

おぢば帰りしても天一は遠いし,まず行きません.パートのおばちゃんはまだ働いているのでしょうか・・・.どちらもお道の方でとてもよくしてもらったので,気になります.

ちなみに店舗は天理市別所町,169号線沿いでオークワの向かいです.ご縁があればどうぞ.もちろん私が働いていた形跡すらありませんが.

他のバイトはまた今度.

小さな対象喪失〜はじめての悲嘆 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
悲嘆(その1)
悲嘆(その2)

まだ私が園児の頃でしょうか.

穴のあいた靴下があったのですが,私はそれを気に入ってたのか捨てることなく履いていました.あんまり穴がひどかったので,あるとき,見かねた母が靴下を捨てるように私に言いました.

私は「いやだ.靴下がかわいそうだ」と泣きわめき,捨てるのを頑として聞きませんでした.母は「これだけ大事に履いてもらえば靴下も喜んでいるだろうから,ありがとうと言って捨てよう」と私に言いました.私は納得して泣きやみ,「靴下さん,どうもありがとう」と言ってその靴下をゴミ箱に捨てました.部屋の片隅に置いてあったゴミ箱に捨てたのを覚えています.

これが,おそらく私の記憶に残る最初の対象喪失であり,悲嘆でした.

まおのバイト歴(1)魚市場 

さなさんのコメントで時給の話が出ましたので,この機会に私の今までのアルバイト歴について回想してみたいと思います.

初めてのアルバイトは父が働いていた魚市場でした.私が高校に入って間もなく,いよいよ教会が食べていけなくなり,父はアルバイトを始めたのです.(それまでは父の交通事故の保険と信者さんの真心のお供えの一部でなんとか生活していました.)

私が働いたのは高2の冬休みと高3の冬休み,春休みでしたかね.時給1000円とよかったのですが,朝3時頃からのバイトでした.眠いのなんのって.年末年始は夜11時頃からだったのでなおつらかったです.でもこれで大学時代一人暮らしをする支度金ができたのでした.

父はよくやっていたなぁと思います.朝バイトに出て,午前中あるいは配達で午後までかかって帰ってきて,その後で教会の御用に出かけたり祖父母を病院に連れて行ったりしていたのですから.市場明けに下道を通って15〜18時間のおぢば帰りもザラでした.いや,自分の手でお金を稼ぐようになってはじめてわかることだと思いますが,本当,父を尊敬します.父はやはり私にとってよき父だったなぁと今更ながら思います.
市場は父の出直し後も,大祭と年末には刺身を買いに行っています.父と共に働いた懐かしい場所です.

さて,話がそれたので戻します.なんだか長くなりそうなので,とりあえず1つずつ紹介していくことにしますね.今日はここまで.

「お前だ!」 

卒業式と聞いて思い出したことがあったので回顧録として綴ります.

あれは小学校6年生のことでした.

卒業式には卒業生による「呼びかけ・合唱」なるものがありまして,私のクラスもその練習をしていました.そんな時期のことです.

当時の担任が今ではありえないほどの暴力教師でして,私たち児童は彼の気分のままに行動させられていました.機嫌のいいときはにこにこ笑い,児童と遊ぶのですが,機嫌を損ねると一切口を利かず,私たちに自分の機嫌を取り戻すことを暗に強いるという今思うと理想化とこき下ろしの不安定な対人関係様式をもつ先生でした.私たちは彼のご機嫌をとるためのおもちゃのような存在でした.まぁそれは置いておいて,とにかくそれはそれは怖い先生だったわけです.

卒業式で合唱する唄をクラスで練習していたときのことです.
ふと先生が怒り出しました.
「誰か一人音程が外れている奴がいる!!」
私は「誰だよそいつー」と思いながら聞いていました.

しかし,指摘後も全然直ってなかったらしく,一列ずつ唄うことになりました.
「なんだよ,めんどくせーなー」と私は思います.

一列ずつ唄っていき,私の列の番がきました.
私は大きな声でいつも通り唄いました.

と,そのときです.
「お前だー!」と叫ぶ声が耳に入ります.
なんと!!先生が指差してお前呼ばわりしているのは私ではありませんか!!ガツーン!!

まさか自分だとは思わなかったので,すごくびっくりしました.
今まで自分が外れているなどとは思ってもみなくて,まるで他人事のように聞いていたのですから,そりゃあびっくり仰天です.しかもクラス全員の前でですからね.まぁ当時の私と言えばむやみに明朗快活で怒られても立たされてもにこにこしていたので,他の生活面に影響が出るということはなかったのですが.

その後,どうしたかは記憶にないのですが,この出来事以来,高校1年生になって初めて友人とカラオケに行くまで,人前で一人で唄を口ずさむことさえしなかったような気がするので,部分的に私の人生に影響を与えました.私の中ではなかなかどうしてショックな体験だったのかもしれません.

今となってはただの笑い話ですが.

そんな私でも大学時代は駅で弾き語りもしましたし,カラオケに行く機会があれば陽気に唄います.なんといっても教会の月次祭には毎月地方を陽気につとめさせていただいております.いやいや,あの頃が懐かしい限りです.


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私と雅楽 

父と雅楽についてのエピソードを書きたいので,関連記事として「私と雅楽」について旧ブログより転載しておきます.

私は高校3年間天理高校の雅楽班に在籍していました.1年生のときは嫌だと思うこともありましたが,2年生から引退まではけっこう一生懸命にやったと思います.そもそも入部したのは父の勧めでした.続けているうちに楽しくなり,引退演奏会のときには号泣したのを覚えています.そしてこの先も雅楽を続けていきたいと思い,進学先を天理大学にしたいと父に言いました.父は地元の国公立大に進学して教会の手伝いもしてほしかったようでした.しかし当時の私は雅楽を続けたいという思いが強く,天理に残ることを決めたのでした.今思うと,勉強したくなかったのを都合よく理由付けして11月の推薦で早々と受験の終わる天理大に行きたいという気持ちも多くあったなぁと思います.

大学入学後,大義名分を掲げてしまっていた私は雅楽部に入部しました.しかし,そこでは自分が描いていたような姿はなく,生活のためにアルバイトもしなければならなかったので,徐々に足は遠のき,数ヶ月でほとんど顔を出さなくなり,半年足らずで辞めました.私が好きだったのは,勉強に追われる生活の中で,西山校舎で行われる班員のメンバーとの時間だったのです.すでに大学生活に入り,自由を獲得していた私には,雅楽は楽しいものではなく,私の足かせにさえなっていたのです.当時の私には,雅楽漬けの生活よりもバイトと友人との交際三昧の生活の方が魅力的なものだったのでした...

辞めるのには当然理由が必要になります.ここで私は周囲だけでなく自分自身をも納得させる理由も探さないといけなかったのでした.なぜならば,自分自身でも辞めてしまって本当にいいのかという思いがあったからです.続ければ一生役立つことはわかっていましたし,遊びたいがために辞めるという回避的選択であることもわかっていました.そこで,納得させる理由として選ばれたのが,生活のためのアルバイトおよび大学院進学です.元々臨床心理士を目指して大学には入ったのですが,漠然としか考えていませんでした.この時点で私は臨床心理士にならないと雅楽を辞めたことを後悔するに違いないということを悟りました.しかし,結局4年間ほとんど勉強せずにのほほんと生活していたのです.まぁ結果的に有資格者になれたので辞めたことに対して激しい後悔をすることはなかったのですが,やっておけばよかったなぁとも思います.しかし,部活を続けていたら続けていたらで今と違う人生になっていたのかもしれませんし,これはこれで成るべくして成ったのかなぁと思っています.

辞めた後の私と雅楽のつながりは,主にアルバイトでした.当時,天理に住んでいた私は,友人の紹介で神前結婚式の楽人をやりました.月に何件かですが,堺のリーガロイヤルホテルや平安閣で鳳笙を吹いていました.他にも雅楽をするチャンスはありました.皆で楽しく雅楽をしようという博雅会という雅楽の会を先輩や友人らが作ったのです.そこに再三誘われていたのですが,結局私はやりたいという思いと面倒くさいという思いの葛藤の末,いつも後者が勝ってしまい,結局行きませんでした.今思えば,せめてこれだけでも参加しておくんだったと思います.

大学院〜現在にかけては,神社や結婚式のアルバイトを知人に紹介してもらい,川崎市内や町田市内の神社で吹くことがあります.また,年祭などで吹くこともあります.3年半前には母方祖父母の20年祭に父(龍笛)と吹きました.父と合奏したのはそれが最初で最後だった気がします.

以上,なんか思い起こしたくなったので私と雅楽のつながりを書いてみました.雅楽はお道とつながっている限り,縁のあるものです.皆さんも機会があれば教わるといいと思います.それから,最近は若い女性に人気があるというのを友人Kより聞きました.お道と関係ない方も興味があれば曲を聞くことからでもはじめてみてはいかがでしょうか.聞いたことのない人も多いと思いますし.レンタル屋さんなどにも置いていますよ.


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いやな思い出の曲 

WOW WAR TONIGHT(H Jungle With t)とロビンソン(スピッツ)です.

これらは当時15歳だった私を嫌な気分にさせる代表的な曲でした.私と天理高校時代同期で北寮生だった人はこの2曲からよいイメージを描くことは困難であるかと思います.この曲が流れる度に憂鬱な一日の始まりを感じたことでしょう.そして夜床に就くとき,この曲が流れる時間が来ないことをどれだけ願ったことでしょう.

「ムーブメントなんて起こさなくていいからそっとしておいて!」
「新しい季節は何故か切ない日々で・・・って春爛漫の時期は切なすぎるんです」

今となっては笑い話ですが...つらい日々でした.

自己紹介および当ブログの趣旨 

移転前からご覧になっている方には不必要とは思いますが,再度自己紹介をしたいと思います.

私は"まお"と名乗っています.お道のよふぼくであり,小さな天理教の教会の後継者であります.現在は母が会長をしていますが,ゆくゆくは教会を継がせていただく身であります.人救けの一助にと臨床心理学を志しました.
現在は精神科で心理臨床をおこなっているほか,某専門学校の非常勤講師として拙いながらも教育にも携わっています.一方,お道の御用は自教会の月々の行事と雑務程度でいわゆるおたすけ・にをいがけは恥ずかしながらあまりしておりません.

このブログは2004年12月18日より書いています.が2006年3月までにわずか58日しか記事を書いていません.

4月16日にブログをきちんと書こうと決心し,継続的に書くようになって半年が経ち,色々考えさせられることもあります.このブログでは,自分自身が歩んだことや感じ考えたこと,あるいは皆さんにも知ってほしいことなどについてありのままに書いていくことを旨としています.

自分は自分自身以上でも以下でもないし,今この瞬間に自分以外の人間になれるわけでもない,今の自分にできることを精一杯させていただき,その中に喜びをみつけ成長を遂げていきたいと思っています.そしてお道の教えをパーソナリティに内在化し,実践していくことが私の人格目標であります.

再びギターを手にとってみる 

長弟が昨日ギターを持って帰ってきました.次弟がギターをやりたいというので持ってきたようです.次弟がやるというので私もまた5年ぶりくらいにギターを練習してみようかなぁと思っています.

昔楽々弾けていた曲などを私も試しに弾いてみるのですが,音が思うように鳴りません.それでも,何度かやってみるとだんだん音が鳴るようになり,なんだかまた始めてみようかなという気にさせてくれます.

ちょっとギター関連の記憶を探ってみます・・・.

私は思春期・青年期前期に尾崎豊が大好きでして彼の曲をギターで弾いていた時期がありました.今思うとバカみたいな妙なこだわりも持っていまして,彼の命日と誕生日だけ路上へ弾き語りに出るという暴挙でそのこだわりぶりを発揮していました.天理駅や近鉄奈良駅あるいは三条通などの路上で何回かやりましたね.ギターははっきり言って下手くそでしたが,熱さが伝わればいいのだと勝手な理由付けをして恥ずかしげもなく弾いていました.友人によれば聞き苦しくない程度には弾けてはいたようですが.

コーヒーを買ってくれた見知らぬ人もいましたし,銭をギターケースに入れていってくれた人も幾何かいました.女性を連れているのを私に発見されてその口止め料にジュースを置いていった友人もいました.彼は私がギターを弾いているときに3度私に発見されています.2人の女性は彼の彼女にはならなかったので,私の弾き語りは彼にとって不吉イベントに終わるに思われましたが,3度目に連れていた女性とは今年結婚しまして私もその式に参加させてもらいました.1年に2回しか弾かないのにわずか2〜3年の間に3回も私に発見され,3度目の正直で交際し結婚にまで至ったのですから彼はなかなかの幸運(?)です.

1曲だけ作詞・作曲もしたことがあるのですが,今となってはうろ覚えですし,仮に覚えていても恥ずかしくてとても口にはできません.途中でやめた2曲目の歌詞を長弟に見られて大爆笑されたこともあります.あれは不覚でした.処分し忘れた私が悪いのですが・・・.(ちなみに長弟は大の長渕好きでギターとハーモニカを使ってかなり上手に弾きます.)

そんなわけで大した思い出も技術もないギターですが,またぼちぼちやってみようと思います.次弟に負けないように.次弟は「ぶっちぎりで抜いてやるぜ」と言っていましたが・・・.

ところでこういう過去の話を打ち明ける場があるのってすごくいいなぁと思いました.自己満足な部分もあるのでしょうが,こうして書くこと自体にカタルシス効果があるようです.よかったら皆さんもやってみてはいかが?

※カタルシス=ギリシャ語で「浄化」.簡単に言えば心の中に溜まっているものを取り除いてすっきりすることです.心理療法には一般にカタルシス効果があると言われています.

今日は2記事書いたので前記事も忘れずにお読みください.

こどもおぢばがえりひのきしん 

こどもおぢばがえりは子どもに楽しんでもらうのも大事ですがやはりひのきしんする方も楽しむことが大事です.陽気ぐらしの本質は共に楽しむことですから,人を救けて我が身救かる同様,人を楽しませ我も楽しむ精神もまた大事なのではないかと思います.そのせいか,ひのきしんの人達(特に学生)はむやみにハイテンションを維持しようとします.移動時には唄を歌ったり,暇があれば芸出しをしたりと,活動中は疲れ知らずに頑張ります.大抵1年生は先輩に命じられ,やりたくないことをノリで強要され,嫌な思いをする反面,いざやってみたら目立てて嬉しいかものような複雑な感情を経験します.これを読んでいる人の中にも管内学校の卒業生であれば,身に覚えがある方はいるかと思います.

私は高校1年,2年は「ミラクルハウス」で,3年生は「天理プール」でひのきしんでした.3年生のときには班長を勤めさせてもらったので,かなり思い出に残っています.プールだから身体を絞らないとと思い,ひのきしんに向けて毎晩激しく運動をして当時62kgで安定していた体重を58kgまで減らしてひのきしんに臨みました.今思えば私の27年の人生で一番痩せていたときでした.(そしておそらく再び見ることはない肉体です.現在70kg前後です.)そのとき頭は上だけ残して五厘カットにしていたので,変な髪型だったのを覚えています.班長としては役不足だったかもしれませんが,私は私なりに盛り上げようと頑張りました.

毎日いろいろな人との出逢いがあり,そのどれもが短期間および短時間であったことから,寂しさを感じることもときにはありましたが,多くの人の笑顔に出逢えることが楽しみでもありました.後半になると疲れが出てきて勇み心が足りなくなってくることもありましたが,今来た子どもたちにとってのおぢばがえりは今なんだと言い聞かせて頑張ったことを覚えています.

高校3年間のひのきしんは本当に楽しく充実していたなぁと今振り返って思います.当時のような体力も若さももうないので今はしんどいですが,今も汗を流して勇んでいる学生を見ると当時の自分を重ね合わせて懐かしくなるのでしょうか・・・.天理を離れて5年目,こどもおぢばがえりにも5年まったく関与していません.

こどもおぢばがえり 

昨日から天理は「こどもおぢばがえり」で賑わっているでしょうね.
毎年7月26日の月次祭終了後から8月4日まで行われ,多くの子どもたちが世界中からおぢばに集います.今年はおやさま120年祭の年なので1日延長されて8月5日まで行われるようです.

私は帰参予定はありませんが,多くの喜びがおぢばで生まれることでしょう.
せめて私も子どもと接することがあれば,喜ばせてあげて,その喜びをおぢばに届けたいものです.
(子どもと接する予定もありませんが)

うちの教会も私たち兄弟が子どもの頃は毎年こどもおぢばがえりに帰参していました.私も学校の友人を誘って連れていったことも何度かありました.とても楽しかったのを覚えています.自教会でバスを出していったこともありました.当時は何とも思いませんでしたが,今思うと父は大変だったなぁと思います.子どもを十数人引き連れて,しかも人様の子どもまで数日間預かるわけですから,気苦労も多かったろうと思います.子どもだった私たちはそんな父や引率者の苦労を考えることもなく無邪気に遊び続けるだけでしたが,それを見守ってくれていた彼らの思いがあってこそ,楽しく過ごせていたのだなぁと思います.引率で帰参される方,応援しています.

今日は子どもの喜びを自分のことのように喜び,共に笑ってくれた父の姿を思い出しました.自分もそんな親になりたいものです.

求道部ひのきしん係 

遅れましたが今年もどうぞ宜しくお願いします.
週3回更新を目指してがんばりたいと思います.
アクセスは毎日10-25程度とかなり少ないですが,数ではないと思っています.
数ではないと書いたところでふと高校時代のエピソードを思い出したので書いてみます.

高校の頃,私は天理高校求道部雅楽班に在籍していまして,ひのきしん係長というのをやらせていただきました.多分今も続いていると思いますが,日曜の朝,5時半から「早朝ひのきしん」という行事が本部周辺で行われています.おもに天理高校の北寮生と東寮生の有志が集まって掃除をさせていただくのですが,私の知っている先輩方の代は芸出しが主流でして毎週おもしろい芸(コントなど)を披露してくれました.我々の代はそうした芸に秀でた人がいなかったものですから,運営に関わっていた友人たちと話し合って「俺たちの代は純粋にひのきしんをさせていただこうという人が集まって少ない人数でも毎週続けさせてもらおう」というコンセプトで1年間やらせていただきました(これは私的理解なのでもし読んで違うと思った同い年の方いたらすいません).それで1年やらせていただいて引継ぎのお墓地ひのきしんのときには,250名近く(記憶は曖昧ですがとにかく大勢)の学生が集まってくれて感動したことを覚えています.数ではなくそれぞれの思いだと思ってやってきた1年でしたが,この日ばかりはさすがに嬉しかったですね.

ひのきしんは神様への感謝を表す好意で誰とやろうと結局は自分と神様との1対1のつながりです.ひのきしんという行為を媒体としますが,そこでそれぞれが神様への感謝の気持ちを表明すればいいのです.
同様に,ブログにおいても読んでくれる人がたとえ大勢でも少人数でも筆者と読者の1対1の関係だということです.インターネットという通信技術を媒体としますが,それぞれに感じることは違うわけで,私を含め多くのブロガーは人々の思考や感情を刺激する情報を発信するわけです.ですからアクセスがある限り書き続けたいと思いますし,たとえアクセスがなくとも言語化することで自己理解にもつながっていますので,更新を続けたいと思います.今年は目標150日です.
皆様今年も宜しくお願いします.

よく考えると上記の例はベクトルが逆かもしれませんね.
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8月の予定

 1日 消防団訓練
 3日 おぢば帰り
 8日 屋根塗装ひのきしん
 9日 消防団警備
17日 月次祭
24日 神社鳳笙吹き
30日 研修
31日 研修 

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