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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

被災地へ 

今日は先日の台風18号の被災地へひのきしんに行かせていただきました.今回で3度目になります.昨日は駅前での募金活動も行い,1時間で2万円近く集まりました.ありがたかったです.

被災地でのひのきしんはいずれも床上浸水のあった地区であり,1度目,2度目は水びたし,泥だらけになった畳やらタンスやらの家財道具を家から運び出し捨てる作業が主でした.今日は床下に潜って床下に溜まった泥を掻き出し,きれいに拭いて,また家の周りに消毒のための石灰をまく作業,また庭の泥の掻き出しなど泥との戦いが主でした.

例外なく被災者からは感謝の言葉をかけられますが,被災者のこれまでの苦労,またこれからの苦労に比べたらほんとなんてことない,感謝の言葉なんてもったいない,そんな心境でした.どんなに作業で疲れたって帰れば何不自由なく家で暮らせ,布団で次の朝を迎えることができるのですから.むしろ手伝わせてもらってありがとうございますという感じです.私は仕事もしているので,いくらもいけませんが,せめて少しでもさせていただきたいと思い,足を運ばせていただきました.

すでに泊まり込みで作業に当っているお道の方もいまして,本当にすごいなあと思います.他にもこの連休中は各地からボランティアの方がたくさん来ていることと思います.ほんと素晴らしいです.これから11月まで私もかなり多忙なので行ける機会があるかは分かりませんが,一刻も早い復興を祈りたいと思います.
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ひのきしんデーと地鎮祭 

昨日は全教一斉ひのきしんデーでした.午前中は毎年恒例の駅で草刈りをさせていただきました.
教会から家族5人の他に,次弟と信者さん7人が参加することができました.天候にも恵まれてよかったです.
長男と次男が目を離せないので誰かしら子どもの見張りにとられましたが,子どもたちも楽しそうでした.

午後は次弟が家を建てるので地鎮祭をさせていただきました.
準備に結構時間がかかったので夕方からでよかったです.
昨年に末弟の地鎮祭をして以来だったのでかなり久々でした.
滞りなくつとめさせていただきほっとしました.

家の完成は秋頃らしいですが楽しみです.

全教一斉ひのきしんデー 

4/29は全教一斉ひのきしんデーでした.毎年恒例ですが,某駅の草刈りをさせていただきました.
当教会からは13名が参加させていただきました.長男もそれなりにやってました.次男はベビーカーで眺めてました.
いい汗を流させていただきました.

ひのきしんスクール 

先日,某教区でのひのきしんスクールの講師をつとめさせていただきました.内容はカウンセリングに関する講座の一部です.数カ月前に担当者より依頼が来た時にはどうしようかなと迷いましたが,自分が心理臨床の道を志した初心,また亡き父や宮崎伸一郎先生の思い,そして自分に話がやってきたという縁などを考えると,自ずと神様にやってごらんと言われているような気がして,引き受けさせていただいたのです.

引き受けたからには役に立つものを提供させていただきたいと思い,準備にもある程度の時間を費やしましたが,構想通りにやれるかは未知数でした.参加者は40人ほどだったでしょうか.当日お話された他の先生がどちらもお話上手な先生だったので,お道の先生方を前にやはり緊張たのか早口になってしまったように思います.また,予定より時間がオーバーして当初の計画通りいかなかった部分もありましたが,脇からちょこちょこアドバイスもいただき,なんとか役割の部分は無事終わりました.その後の質疑応答がもっとマシなこと言えなかったのかと後から悔やみましたが,これが今の自分なのだからしょうがないです.もっと神様のご用材として使っていただけるよう時間をかけて成長していきたいと思います.でも今回,貴重な機会をいただいたことはとてもありがたいことでした.つとめさせていただいてよかったと思います.

母方祖父母の30年祭 

ご無沙汰しています.

先月23日,母の実家の教会で母方祖父母の30年祭がありました.

10年前の20年祭のときには私の父もまだいましたので,一緒に龍笛と鳳笙で奏楽した覚えがあります.まぁこれが最後の父との奏楽だったんですけどね.今回は父もいないので私の鳳笙一管でさせていただきました.父がいたらよかったなぁとは思いました.

私が3歳くらいのときに半年も違わぬ間に祖父母共に出直していますので,私は特に祖父母の記憶がありません.ただ葬儀のときに棺に白い花を入れたことだけは記憶に残っています.祖父だったのか祖母だったのかは覚えていませんが.

まぁ滞りなく無事に終わってよかったです.うちも数年で祖父母の10年祭です.

こどもおぢばがえり申込 

今年は当教会もこどもおぢばがえりに参加することにしました.と言っても団参は組めませんので,所属教会と一緒にという形です.

私とあいこと長男が参加すること前提で,近所の小学生のいる家庭にチラシを作って配ったのですが,1月ほどの猶予がありましたが,近所からの申込者は0でした.習い事があったり,ちょうど別の用が重なってしまったり,それがなければ数人は来てくれたように思うのですが仕方ありません.お泊まり会はたくさん来るので何人かは行くんじゃないかという考えと,お泊まり会も企画1年目は0だったから,こどもおぢばがえりもやっぱり0なんじゃないかという考えと2通りありまして,私は前者の考え,会長やあいこは後者の考えだったように思います.結果,後者となりましたが,信者さんのお孫さん2人は行きますので,当教会からは5人の参加ということになります.

期間は30日から1日までの3日間です.11年ぶりにパレードを見れるので楽しみです.あいこは初です.2才児を連れての引率は簡単ではないかもしれませんが,おぢばでたくさんの感謝と笑いを味わって楽しんでほしいと思います.

来年は近所からも何人か行ってくれるといいなぁ...

ひのきしんデー 

今日は全教一斉ひのきしんデーということで,恒例の某駅での草刈りです.

当教会からは11人の参加です!快挙です.こんなに大勢の参加は初めてです.
午前中いっぱいしっかりと汗をかかせていただきました.一人は常に長男と半分遊びながらなんですけどね.
神様からお借りしているこの身体に毎日感謝しないといけないと改めて思いました.

そういえば,草刈りをしていたら通りすがりの人が「市役所の方ですか?」と話しかけてこられたので,事情を話させていただきました.これもにをいがけでしょうかね.

被災地ひのきしん 

3月11,12日と大教会の布教部主催の被災地ひのきしんで宮城県山元町に行かせていただきました.

朝5時前に起き,次弟と大教会へ向かい,朝づとめ終了後にバスに乗り込み出発.80人程度の参加者があったそうです.現地に着いたのが午後1時頃だったでしょうか.ボランティア団体ひのきしんで借りている公民館で,何もしてないのに申し訳ないと思いつつ,高宮分教会と本保大教会の炊き出しのうどんやおでんをいただき,ひのきしん現場に移動し,とある民家のヘドロの掻き出しや塩害を受けた木の伐採,浸水した一階家屋の掃除などを数十人でさせていただきました.この方はこれからまたここに住みたいと考え,ボランティアセンターに片付けの依頼をしたようです.家族だけでとてもできることではないですし,業者に依頼すればかなりのお金がかかってしまいます.数は以前より減っていると聞きますが,全国各地から足を運んでくれるボランティアの力がどれほど役に立つか分かりません.

山元町は海岸2キロほどは津波の被害が甚大で死者も600人以上出ています.周囲を見るとほとんど家がなく,周りは田畑だったのかと思うほどですが,1年前までは家が立ち並び,家族の生活がそこにあったのです.それが見る影もなく,これだけのものが崩れるのかと思うほどの決壊した堤防跡に高く積まれた瓦礫の山など爪痕をたくさん残しています.

住民の多くは仮設住宅での生活を余儀なくされているとのことです.ところどころ改修した自宅に住んでいる人がいて,作業現場の隣に住む元自衛官の方とお話する機会があったのですが,彼は「鉄道が流されてなくなり,若い人たちが外に流れていて,このままでは人は戻ってこなくなる」と言っていました.家族を失うのみならず,住み慣れた生活圏を離れることを余儀なくされる,この地に限ったことではありませんが,被災地ではたくさんの方がそのような目に遭っています.つらい思いをしながらそれでも立ち上がろうとする力に人間の強さを感じました.同じように近くに住んでいる人は現職の自衛官だったり,元自衛官が何人もいるとその方は言っていました.「私らは屋根さえあれば寝れるからね」と.さすがと変に感動したことを覚えています.

2時46分には街中にサイレンが鳴り響き,皆で黙祷を捧げ,再び作業へと入りました.4時頃には終了し,宿舎へ移動し,翌日も2時間ほど同じ現場で作業をして帰りました.帰りは渋滞していて家に着いたのは夜10時頃でした.

昨年夏に石巻市に行って以来,時間がとれずにいたので今回行ってこれてよかったです.広い被災地のわずか1軒の片付けをしたに過ぎませんが,こうした活動を多くの人が積み重ねていけば大きな成果になると思います.

作業時間は2日で4時間ほど,移動時間は往復12時間以上,効率の悪さは否めません.正直に言えば,大団体ということが余計に効率の悪さを助長している気がしました.マンパワーとしては頼もしいですが,それをまとめるとなるとどうしてもメインの作業の時間を十分に確保できないという面があります.しかし,たとえ数時間であっても,支援を心待ちしておられる方はたくさんおられると思います.また時間がとれれば何かの形で足を運ばせていただきたいと思います.

震災から一年経てど,まだまだ爪痕多く感じる被災地,一日二日で彼らの心の傷に何かをしてあげることはできないけれども,目に見える傷に対しては運んだ数だけそれを埋める手助けをすることができます.また,遠く離れていても心寄せてできることがきっとあると思います.私たちは自分の立場からできることをどんな小さなことでもいいのでさせていただく必要があると改めて思いました.それが人と人の「たすけあい」なのだと思います.

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こどもおぢばがえり開催中 

7/26~8/4は毎年恒例のこどもおぢばがえりが親里で行われています.私は今年も帰っていませんが,29~31日と会長が信者さんとその息子と孫2人を連れて,教区内の団参で帰らせていただきました.18人の団参で子ども4人という大人の比率が高い団体だったようですが,子どもたちはすごく楽しんでいたとのことでした.

私も子どもの頃はこどもおぢばがえりが毎年の楽しみでした.かつて自分がそうしてもらったように,今度は自分が子どもたちを楽しませてあげたいと思うので,来年か再来年あたりには引率したいですね.長男も来年には自力で歩いているでしょうから,参加することも可能でしょう.

こどもおぢばがえりの代わりと言っちゃなんですが,2日にお泊まり会をやるので,そこで参加する子どもたちに楽しんでもらいたいと思います.

石巻ひのきしん 

週末に石巻にひのきしんに行かせていただきました.

持ち物はマスク,カッパ,ゴーグル,長靴,長袖・長ズボン,軍手,ゴム手袋,着替え,ゴミ袋など.次弟と共に8日の夜に教会を出発し,途中のSAで青年会の委員長に拾ってもらって,石巻へと向かいました.市内の石一分教会に泊めていただくことになっていまして,教会に着いたのが朝の3時半でした.神殿を参拝すると,祭文が置いてあり,実は9日が月次祭ということが判明しました.知らなかったとはいえなんと忙しいときに来てしまったのでしょうか.お布団を用意していただいてたのでそっと入ってそっと休みました.朝づとめの時間が分からなかったので,一応5時半過ぎに起きました.晴天の心でと書いて出発しましたが,2時間も寝てないので朝から身体がだるく正直やや曇りで1日が始まりました.

朝づとめを参拝させていただいた後,教会を出発しまして,市内を少し見て回って藤田さんという方に誘導されて,黄金浜会館というところへ行きました.公民館だと思うのですが,そこが1つのボランティアの拠点のようになっていたのでしょうか.

周辺は2m以上水に浸かったらしく,どの家も津波にやられていました.2階が無事で2階に住んでいる人がちらほらいるが,そう多くはないとのことでした.かといって避難所にいる人も今は少ないみたいで親戚・知人の家を頼ったりしているようです.丸々家が流されていて基礎しか残ってない家も多数あり,被害の甚大さを痛感しました.また,ハエも大量に発生していまして,車の窓をあけると10匹くらいはすぐに入ってきてしまいます.においもいくらかありましたが,想像していたほどではありませんでした.

9日の作業場所はそこから少し離れた道路脇の用水路の土砂のかき出しでした.天気予報は雨でしたが,朝から晴天で最初曇っていた私の心もいざ始まると晴れてきました.青年会としては4人しかいなかったのですが,現地の人や国内ボランティアや海外ボランティアの人もいまして総勢40人ほどで作業をしました.用水路には土砂だけでなく,瓦や鉄骨,コンクリート,瓶など色々なものが一に詰まっていてかき出し作業は思ったより大変な作業でした.気温も34度くらいあったので水分補給や休憩を十分にとりながらやりました.夕方4時くらいまでやりまして,一応その日の活動は終了となりましたが,距離的には200m程度でしょうか.それも片側のみ.重機などはなくスコップや手を使っての作業なので人力だけが頼りです.また休みがあったら足を運ばなきゃいけないなと自然と思いました.

終了後は少し車で行ったところの道の駅でお風呂に入り(500円),石一分教会へと戻りました.夜は9時頃には爆睡でした.疲れ切ったのでしょう.10日の朝食を教会でいただいて出発しました.色々お世話していただきましてありがたかったです.

10日はやはり市内の堀巻分教会にご挨拶に行きました.最大15名ほどひのきしんの人が泊まったことがあるらしく,教会の方も復興のために熱心に動かれているようでした.その後,石巻や女川の沿岸を車で見て回りましたが,海沿いは本当にひどかったです.電柱もありませんし,ほとんどの家が陰も形もありません.このへんに人が住むようになるには何年かかかるだろうなと思いました.沿岸を走っているときに地震があったようで,それをメールで知った私たちはラジオをつけて情報を確認すると,津波注意報が出ていて20分後くらいに50cmの津波が来る恐れがあるから沿岸に近づかないようにとのことでした.沿岸から離れたつもりが道に明るくないのでまた海に出る道に行ったりしてちょっと焦りました.この程度でも少し焦るのですから3月11日の震災時の現地の人の心境たるやものすごい恐怖だったと思います.

夕方には無事教会に帰ってきましたが,手と腕が筋肉痛になっていました.なかなか行けませんでしたが,今回足を運ぶことができてよかったです.青年会の活動として石巻を1つの拠点として継続していくつもりとのことですので,微力ながらまた参加したいと思います.1人の力じゃ・・・ということはないです.1人でも多くの力を現地の人たちは求めていると思いました.

とりあえず,しばらくはこっちで仕事です.

東日本大震災募金 

先日,震災の募金をしました.

募金箱を作って某駅で4人で1時間ほど声をあげてやりました.雨のせいか,あるいは震災後2ヶ月経ったせいか,素通りしていく人がほとんどでしたが,1時間で募金箱にお金を入れてくれた方がは5人いました.ありがたいです.その時その場所で募金箱があったからこそ入れた人がいるわけで,街頭に立つことの意味はあったと思います.集まったお金は大教会を通して赤十字社に寄付させていただくことになっています.

なかなか被災地へのひのきしんは行けませんがそのうちには行きたいです.

月次祭参拝 

今日は所属教会の月次祭へ会長とあいこと長男と4人で参拝してきました.

私は9-10下りのおてふりと11-12下りの小鼓をつとめさせていただきました.あいこは9-10のすりがねでした.
台本がなくてもほぼできましたが,1箇所頭に浮かんだおうたが間違えていて手を間違えました.あともう1箇所足を間違えたような気がしました.まだまだ修練が足りません.朝夕のおつとめをしっかりとつとめたいと思います.

ちなみに長男は愛嬌よく皆と親しんでいましてさすがだなぁと思いました.やはり長男の姿は手本とさせていただかなくてはいけませんな.

ひのきしんデー 

昨日はひのきしんデーで駅の草取りをしました.
修養科の疲れがもちろんありますが,修養科へ行ってきてひのきしんの何たるかを学んできたのにさっそく休むわけにはいきません.長男は気管支炎なのであいこの実家へ預けてきました.

夕方からあいこの実家へ私も行き,団欒しました.

大祭参拝 

今日は叔父の教会の大祭に参拝してきました.

春の大祭以来です.今回は会長と二人です.あいこと長男は留守番です.というのも,最近長男は暗いのが苦手でして,加えて所謂たそがれ泣きというのもあって,日が沈んだ後の車が大層嫌いなようなんです.そのため,参拝は断念した次第であります.その他にうちに毎月参拝に来られる信者さん2名も参拝してくれました.

祭典は40人近い参拝がありましたので,私は下半下りのおてふりのみでした.自教会ではフル出場が当たり前ですのでなかなかレアでした.講話の後,片付けをして直会となり,皆さんが真実込めて作ってくださったであろう料理をお腹いっぱいいただきました.

帰りは信者さんが教会まで送ってくださり,本当にありがたかったです.

大祭参拝 

今日は母の実家の教会の大祭に参拝してきました.

長男とあいこも行く予定だったのですが,日が沈んだときに狭い車の中にいると非常に泣きわめき収拾がつかないため,もう少し大きくなってから連れて行くことにして,私と会長と二人で行ってきました.私は実に数年ぶりです.

笛とおてふりとをつとめさせていただきまして,大教会長の講話を聞いてきました.

朝夕のおつとめに少し遅れた場合に,自分でおつとめをやって追いついたら全体に合わせるという人がいるが,追いつこうとやっている間にもおつとめは進んでいってしまうので,その時から参加し,心を合わせつとめることが大切ではないかという話がありました.あまり考えたこともなかったですが,なるほどと思いました.

直会でおいしい料理をいただいて,帰って長男と風呂に入り今に至ります.久しぶりに参拝できてよかったです.
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