3月11,12日と大教会の布教部主催の被災地ひのきしんで宮城県山元町に行かせていただきました.
朝5時前に起き,次弟と大教会へ向かい,朝づとめ終了後にバスに乗り込み出発.80人程度の参加者があったそうです.現地に着いたのが午後1時頃だったでしょうか.ボランティア団体ひのきしんで借りている公民館で,何もしてないのに申し訳ないと思いつつ,高宮分教会と本保大教会の炊き出しのうどんやおでんをいただき,ひのきしん現場に移動し,とある民家のヘドロの掻き出しや塩害を受けた木の伐採,浸水した一階家屋の掃除などを数十人でさせていただきました.この方はこれからまたここに住みたいと考え,ボランティアセンターに片付けの依頼をしたようです.家族だけでとてもできることではないですし,業者に依頼すればかなりのお金がかかってしまいます.数は以前より減っていると聞きますが,全国各地から足を運んでくれるボランティアの力がどれほど役に立つか分かりません.
山元町は海岸2キロほどは津波の被害が甚大で死者も600人以上出ています.周囲を見るとほとんど家がなく,周りは田畑だったのかと思うほどですが,1年前までは家が立ち並び,家族の生活がそこにあったのです.それが見る影もなく,これだけのものが崩れるのかと思うほどの決壊した堤防跡に高く積まれた瓦礫の山など爪痕をたくさん残しています.
住民の多くは仮設住宅での生活を余儀なくされているとのことです.ところどころ改修した自宅に住んでいる人がいて,作業現場の隣に住む元自衛官の方とお話する機会があったのですが,彼は「鉄道が流されてなくなり,若い人たちが外に流れていて,このままでは人は戻ってこなくなる」と言っていました.家族を失うのみならず,住み慣れた生活圏を離れることを余儀なくされる,この地に限ったことではありませんが,被災地ではたくさんの方がそのような目に遭っています.つらい思いをしながらそれでも立ち上がろうとする力に人間の強さを感じました.同じように近くに住んでいる人は現職の自衛官だったり,元自衛官が何人もいるとその方は言っていました.「私らは屋根さえあれば寝れるからね」と.さすがと変に感動したことを覚えています.
2時46分には街中にサイレンが鳴り響き,皆で黙祷を捧げ,再び作業へと入りました.4時頃には終了し,宿舎へ移動し,翌日も2時間ほど同じ現場で作業をして帰りました.帰りは渋滞していて家に着いたのは夜10時頃でした.
昨年夏に石巻市に行って以来,時間がとれずにいたので今回行ってこれてよかったです.広い被災地のわずか1軒の片付けをしたに過ぎませんが,こうした活動を多くの人が積み重ねていけば大きな成果になると思います.
作業時間は2日で4時間ほど,移動時間は往復12時間以上,効率の悪さは否めません.正直に言えば,大団体ということが余計に効率の悪さを助長している気がしました.マンパワーとしては頼もしいですが,それをまとめるとなるとどうしてもメインの作業の時間を十分に確保できないという面があります.しかし,たとえ数時間であっても,支援を心待ちしておられる方はたくさんおられると思います.また時間がとれれば何かの形で足を運ばせていただきたいと思います.
震災から一年経てど,まだまだ爪痕多く感じる被災地,一日二日で彼らの心の傷に何かをしてあげることはできないけれども,目に見える傷に対しては運んだ数だけそれを埋める手助けをすることができます.また,遠く離れていても心寄せてできることがきっとあると思います.私たちは自分の立場からできることをどんな小さなことでもいいのでさせていただく必要があると改めて思いました.それが人と人の「たすけあい」なのだと思います.