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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

結婚記念日 

昨日は私とあいこの結婚記念日でした.丸3年経ちました.まだ3年!?って感じです.もっと長くいるような気が・・・.

昨年の記念日はあいこは長男をお腹に抱え,病室のベッドの上で奮闘していましたので,それを思えば今こうして普通に動いて生活できていることがとてもありがたいです.仕事の昼休みに病院近くの花屋に花を買いに行ったら運悪く定休日でして,お墓に供える花なら用意できると言われましたが,さすがにそれじゃしょうがないと思い諦までした.仕事が終わってそのまま帰宅しようとしましたが,帰り道のホームセンターなら売ってるかもしれないと思い,なけなしのお小遣いでフラワーアレンジメントを買って帰りました.何かもらえるとは思っていなかったようで大層喜んでくれてよかったです.

これからも夫婦仲良く,子育てに神様の御用に勇んでつとめさせていただきたいです.

ノロウイルス 

どうやらあいこの弟→あいこの母→あいこ,会長→まお とノロウイルスの感染がありました.

あいこの弟は8日頃,あいこの母は11日頃だったでしょうか.あいこと会長は16日の夜から,私は18日の夕方からでした.下痢と嘔吐がありました.翌日,仕事に行きましたが,半日で帰りました.その後よくなりましたが,けっこうきつかったです.修養科前に神様が身体の掃除をしてくださったと思うことにしました.それに伴い,心の掃除もさせていただかないとですね.

20日現在はもう治っています.

父の命日 

今日は父の命日です.早いもので8年の月日が流れました.
今日も残業で遅いことが分かっていたので,出勤前にお墓参りに寄りました.

ふとネットで父の名前を検索してみました.

googleで検索すると「もしかして: ○井○○」とまず父の名と一字違いの人がもしかして検索で表示されます.それはいいとして,その後父の名で実際の父のことを表すページが2件ありました.そのうちの1件が8年前当時の教区の広報でした.読んでみると「お出直し」の欄に父のことが書いてありました.私にとっての周知の事実,わざわざ確認するまでもないことですが,その年齢を見て改めて若いなぁ・・・と思いました.記載されている人は皆70代,80代.父は本当に若かった.今生きてればもう58歳かぁと.そして自分の年齢を思うと,あとたったの18年で父の出直した年齢になります.長男が18歳,やはり短い,そう思いました.

もちろん人の人生はどれだけ生きたかではなく,いかに生きたかに価値があると私は考えていますが,それでもできれば長くこの身体をお借りして生きたいと思います.父は「太く短く」派だったようなので欲のない人だったなぁとも思います.でもせめて長男を抱いてもらいたかった!という思いはあります.

長男が祖母である会長をやたらと好きで声を出して喜んで笑うので,会長は「お父さんの生まれ変わりだ」と言って喜んでいます.神のみぞ知る領域ですが,親が子となり,子が親となりと言われるように,長男を父の魂を持って生まれた子と思って育てさせていただくのがいいのでしょう.時折,長男に「お父さん」と話しかけてみてますが,特に変わった反応はありません(そりゃそうだ).父の遺影を渡すとじーっと見ますが,何か思っているのでしょうか?

これから長男に父の面影を見ることがあるかもしれません.たいていはそれは母より聞かされるのだとは思いますが,それを聞くのはきっと懐かしく楽しいものでしょう.きっとそれは御霊の父にとっても楽しみなことだと思います.


未読の方は以下も閲覧ください.
祖父祖母五年祭/父十年祭
父の命日
父の誕生日
お墓参りより父を思う
命日を前に父を思う
父と雅楽と私

父の誕生日
年祭

一般病棟へ 

14日にあいこの祖父がICUから一般病棟へ移りました.

特に状況は変わっていません.まだ意識は戻りませんが,術後2週間という血管が細くなって切れるリスクの期間が過ぎたので移ったということです.面会時間が増えたのでお見舞いに行くのは便利になりましたが,ICUのように手厚い看護があるわけではありません.ただナースステーションから一番近い部屋にしてもらってます.これも一時的のようで次にICUから送られてくる人がいたら,さらに隣の部屋に移るそうです.

執刀医から説明を受けましたが,意識が戻る人の多くは,術後2週間経つ頃には意識が戻り,起き上がって食事をとったり若干の意思疎通ができるそうですので,祖父の場合はかなり遅いとのことでした.ひょっとしたらずっとこのままかもしれないし,意識が戻るのかもしれない.それは本人の力と脳へのダメージ次第とのことでした.医師の説明の仕方だと戻らない可能性の方が高いような印象を受けました.

経過を見てですが,今後水頭症を防ぐためにシャント手術をしたり,肺炎を防ぐために胃ろうの手術をする可能性もあるそうです.あいこの父が「色々決めなきゃいけないことが出てくるな」と意味深なことを言っていました.

ICUを出るまでは毎日おさづけに通わせていただこうと思って行かせていただきました.今後もどうなるか分からない状況ですので,また通いたいと思いますが,月次祭,年祭,お泊まり会とこれから1週間行事が続きますので行けないかもしれません.私かあいこかどちらかでも時間を作って数日に1篇でも行ければいいなぁと思います.お願いづとめは教会で毎日させていただいてますので,行けない分はそちらでしっかりお願いさせていただこうと思います.

未だ意識戻らず 

11月30日にくも膜下出血を起こしたあいこの祖父ですが,未だに意識が戻りません.ICUに入ったままです.

毎日あいこや私がおさづけに通わせていただいてますが,こういう状態であるということは親神様にご守護いただいた状態が今の状態なのだろうと思っています.顔色はいいですし,しっかり自力呼吸もしています.目からは時折涙も流れますし,腕を曲げることもあります.体内には血液が循環し健康なときと少しも変わらない体温を保っています.痰が詰まって肺炎を起こしたり,再度脳梗塞を起こすなどの二次障害もなくお連れ通りいただいてます.何よりこの命をつないでいただいていることに感謝です.

数日前,このような祖父の姿にも意味があるんだと思うとあいこが言ってました.最近疎遠になっていたあいこの叔父が祖父の身上をきっかけに病院にも足を運ぶようになり,父や祖母とも話すようになりました.仕事を早く切り上げてお見舞いに来てその状況を実家に報告したり目の見えない祖母が心配しないように心を配ってくれています.「おじいちゃんはお役目があってこういう姿を親神様が与えてくださったのだと思うよ」というあいこの言葉になるほどと私は感心しました.出直してしまっては関係をつなぐことも恩を返していくことも難しいですものね.祖父は命をかけて家族をつないでくれているのだと思います.

状態が悪化しないというご守護いただいていることも事実,これから快方に向かい意識が戻るよう,しっかりと神様の御用としておさづけに通わせていただきたいと思います.

お見舞い 

昨日一昨日と仕事帰りに病院に行っておさづけの取り次ぎをさせていただきました.依然意識は戻りませんが,顔色はだいぶよくなり,いつもの祖父の顔になっていました.手足を動かすようにもなり,意識はないけれども刺激には反応する状態です.ただ,医師の説明ではこれ以上よくなるかはわからないということでした.

とにかく続けて神様にお願いさせていただくほかありません.今日は祖母の誕生日なのですが,落ち込んでしまっているとのことで,今日はあいこが長男を連れて泊まりに行くことになったそうです.少しでも元気になってくれるといいです.

くも膜下出血 

あいこの祖父が今朝6時頃,頭が痛いと布団の中で叫びました.後頭部が痛かったようで,ちょうどあいこの父も仕事が休みだったので,救急車を呼び,祖父は刺激にも反応しない状態になっていたので,父が同行していきました.診察でくも膜下出血と診断され,10時5分より緊急手術となったそうです.

私は仕事をしてましたので,あとから知りました.びっくりしてあいこに電話するとあいこもびっくりしたようで,パニックだと言ってました.とりあえず家にいた次弟と一緒にお願いづとめをしたそうです.私も昼休みにカウンセリングルームに座り込んでお願いづとめをさせていただきましたが,手術は6時間ほどかかるとのことだったので,あとは私たちにはどうすることもできません.

医師の説明では手術しても死亡する確率は40%,たすかっても植物状態が30%,一番よくて後遺症で介護状態が30%とのことでした.とにかく手術は成功してほしいと思いました.最近多忙だったもので車で15分の距離ながらあいこの実家にはあまり行ってませんでした.最悪の事態も頭をよぎりましたが,それを打ち消し親神様のご守護にすがるほかありませんでした.夕方,手術が成功したとあいこよりメールがあり,少しほっとしましたが,意識は戻っていませんし,2週間以内に脳梗塞になる可能性があるようでICUに入っています.まだ安心はできません.しかし,最悪の事態は避けられましたので,あとはおさづけとお願いづとめで親神様に働いていただくしかないと思い,仕事帰りに病院へと向かいました.

あいこは長男がいますし,両親が今日は来なくてもよいというので行かないつもりだったようですが,夜勤を控えていた次弟が行った方がいいと言って病院まで送ってくれまして,病院で合流しました.病院ではあいこの家族とあいこの叔父,大叔母なども来ていました.

あいこと次弟と3人でICUに入り,頭にぐるぐる包帯をまかれ,いろんな医療器具をつけられた祖父を前にあいこはいくらかショックを受けたようです.すぐにおさづけを取り次がせていただきまして,ご守護を願いました.その後,家族と少し話をして帰りました.

何の前兆もなかったものですから,人生何が突然起こるかわからないとあいこが言ってました.だからこそ何も起こらないことに感謝することが大切なのでしょう.明日もあいこが日中お見舞いとおさづけの取り次ぎに行かせていただきます.なんとか意識を取り戻してまた生活できるようになるといいです.

母の還暦 

今日で母が還暦を迎えました.大変ありがたいことです.

今世の身体をお借りして60年,無事にお連れ通りいただきました.
父が50歳の誕生日の2日前に出直しているものですから,父より10年生きたことになります.

「お父さんより10年も生きたよ」と母がつぶやいていたのが印象的でした.「お父さんを思うと泣けてきたよ」とも母は言っていました.私は「これで満足しないようにな!」と母に言いました.まだまだ母には長生きしてもらわねばなりません.弟もまだ2人結婚してませんし,これからは母としてのみならず,おばあちゃんとしても生きてもらわねばならないのですから,まだまだ果たすべき役割はたくさんあると思います.70,80と無事に年を重ねていってほしいものです.

夕食に家族で母のお祝いをしまして,母も大層喜んでました.これからも健康に気をつけて長生きさせていただきたいです.親神様のご守護にとにかく感謝の1日でした.

末弟の結婚式 

先週末に末弟の結婚式がありました.

当日は親族紹介→記念写真→人前式→披露宴という流れでした.

長男のぐずり対策として,あいこの母が招待者としてではなく,控え室で面倒を見るため来てくれてたのですが,あいこの母も記念写真や式に参加してました.

式で入場し,父親から新婦の手を受け取ったとき,すでに末弟は泣きそうでした.後日談ですが,兄ちゃん(私)のようにはなりたくないと思い,泣くもんかと頑張ったそうです.私はそこで号泣しましたからね.詳しくは関連記事を見てください.

新婦がこの1日素敵だったのは今更述べるまでもありませんので,その他印象に残った点について綴りたいと思います.

末弟中座まずは末弟の中座です.末弟の希望により兄弟で何か考えてやってくれということだったのですが,2日前に言われたものですから,十分に考えを練る時間もなく4人で末弟を担ぎ,BGMにはアムロ・レイの「行きまーす!」の声の後「翔べ!ガンダム」を流して,末弟は頭にはブレードアンテナ,右手にはビームサーベル,左手にはガンダムシールドを装備し,あたかもガンダムが宇宙を駆けるかのような演出をしました.ちなみに,ビームサーベル,ガンダムシールドは長男のために私が作ったおもちゃです.ブレードアンテナはなかったのですが,この機会に作りました.使用後は長男のおもちゃとなる予定です.また,これについての記事も書きたいと思います.

中座の後のヒストリービデオもよかったです.末弟自作でかなりクオリティの高い作品でした.ただ私は数日前にチェックのためにすでに1度見させられているので,新鮮さや感動はやや減じられましたが,それでもやはりいい作品に仕上がっていると思いました.私が2年半前に作成したものを参考にしたようでところどころ見覚えのある演出がありました.こういうときに兄を参考にするとはさすがです(笑)

また,新婦から末弟へのサプライズの手紙やプレゼントもあり,末弟は結局何度も泣いてました.うちの兄弟は私と末弟が非常に涙もろく他の3人は結構そのあたりは強いです.

余興は末弟の高校のクラスメートが矢島美容室のモノマネをしてくれたのですが,その3人の他に,やたら酔っ払ってはしゃいでいる上半身裸の男性がいて彼が非常に面白かったです.女性側の余興はBGMと映像でのメッセージを上映してくれて,それも素敵でした.こういう演出の仕方もあるんだなぁと感心しました.新婦もそれを見て涙を流しながら感動していたようです.

私が一番やられたのは最後の挨拶です.父の代わりに叔父が挨拶をしたのですが,「兄に代わって」と叔父が言ったとき,そしてその後の末弟の挨拶で「父さんの分まで」と言ったとき,今日この場に父がいたらなぁという思いと,父に末弟の姿を見せたかったなぁという思いなど,父への思いで哀戦士,涙.次弟には見事な泣きっぷりだったと後から言われました.招待者の皆さんが帰るときには私が母の隣に立って皆さんに挨拶しながら見送りました.皆楽しんで帰ってくれたようで,いい式と披露宴になったと思います.父や祖父母も喜んでいたことでしょう.

末弟ら夫婦は同い年のようなものなのでケンカもするでしょうが,親神様が喜ぶような夫婦仲睦まじい家庭を築いていってほしいです.


関連記事になります.
5/10の結婚式
ガンダムシールド(ver.2.0)
機動戦士あいこ(白兵戦仕様)

末弟の結婚式 

数日前の出来事です.18日午後,末弟の結婚式を執り行わせていただきました.

10月に結婚式場で人前式と披露宴をやる予定になっているのですが,入籍前に親神様の御前で式を挙げご報告させていただかなくてはということでやりました.はっぴで祝詞をあげるくらいの簡素なもので済ます予定だったのですが,結局三三九度の盃に誓い詞とそれなりの用意しました.当日になって末弟が「おつとめ着着ようぜ!」と言い出し,末弟も嫁さんもおつとめ着を着ました.嫁さんは別席運び中ですのでまだおつとめ着を着たことがありません.よって初めての着用となりました.会長が赤い帯を持っていましたので,帯だけそれに変えました.

末弟結婚式スタッフは主礼の会長に,楽人(鳳笙)の私,撮影係のあいこ,そして列席者には長男です(遊んでいるだけ).新郎新婦はまお家の末弟とY家の末女です.玉串は用意してませんでしたので,入場→祝詞奏上→三三九度→誓い詞奏上→退場→お礼づとめという流れだったでしょうか.

私とあいこ,私の両親が挙げた場所で末弟もまた式を挙げ,親神様にお誓いすることができて本当にありがたかったです.祖父母と父の御霊もさぞ喜んでいることでしょう.18日現在,法の目から見ればまだ夫婦ではありませんが,神の目から見れば二人は夫婦となったわけです.親神様の教えを心に抱き,互いの役割を理解し,たすけあって暮らしていってほしいと思います.

ちなみに,7年前の今日二人は付き合い始めたそうで,その記念日に因んで今日入籍したそうです.法の上にも本日をもってめでたく夫婦です.おめでとう!


関連記事になります.
5/10の結婚式(まお編)
親神に引き合わせられし縁

長男帰る 

今日は長男とあいこが教会に帰ってきました.

午後2時頃迎えに行きました.荷物がたくさんあったようで,わがやのプレオには載りきらなかったため,あいこの母が後ろから荷物を積んだ車を運転してついてきてくれました.

大量の荷物を降ろしてちょっと片付けをすると,もうお風呂の時間です.今日は私が入れました.2回目です.その後は片付けをしながら,長男を抱いたり話しかけたりしてました.ちょうど長弟と末弟も帰ってきていたので久しぶりに会うことができました.

つい今,長男が眠ったようです.私もおむつ交換やあやしたりなどしましたが,すべて自分たちのことよりも優先されるので素晴らしい修養になります.恩を返すつもりでしっかりと育てさせていただきたいと思います.色々書きたいことはあるのですが,眠くてもうだめです.多分12時と3時くらいにミルクの時間となりますのでもう寝ます.また今度.

とにかく今日より基本的にはずっと長男はここでくらすことになりますので,心地よく過ごせるように,また心地よい家となるよう親として頑張りたいと思います,

あいこ無事退院 

未読の方は以下をお読みください.
あいこの1ヶ月~身上より育てられる(1)
あいこの1ヶ月~身上より育てられる(2)
子どもの姿より気付かされる
いつ生まれてもOK

本日,あいこが無事退院しました!

午前中に点滴を外して様子を見て,何回かはお腹が張るものの産まれる気配はなかったため,予定通り退院となりました.3時過ぎと行ってたので次弟と病院に行きましたが,主治医がなかなか来なくて結局1時間以上待ちました.その間にあいこは病院で知り合った人に挨拶回りに行っていたようです.

ちょうど8週間動いてなかったのとお腹が重いのとで,歩くスピードは遅いのなんの.手すりがあるところでは手すりに掴まりながら移動してました.主治医との話も終わって病棟を出るとまずは祖父のお見舞いです.部屋が遠かったため,休み休み移動してました.途中でトイレから戻ってきた祖父と会ったので,部屋まで行かずにそこで少し話して満足したようです.私だけ部屋まで行っておさづけをさせてもらいました.

病院の外に出るときは「シャバだシャバ」と言ってニコニコ顔で本当に嬉しそうでした.帰りの車でまず何をしたいか訊きますと「入院の準備」と言います.思わず笑ってしまいました.退院したばかりで次の入院のことを考えているあいこ・・・しかし,いつ陣痛が来るか分かりませんので,自覚をしっかり持っているということでもあるのでしょう.また,出産準備セットを作りかけで入院しまっているのでやりかけ感があったに違いありません.家に帰ってお礼づとめをしておやつを食べた後,入院の準備をしていました.この頃にはもう足が痛くなっていて一人で立ち上がるのがきつく,私が手を貸していました.2ヶ月間ほぼ足腰を使っていないのですから無理もありません.夕づとめ後,あいこの実家に送っていき,私と次弟も一緒に夕食をいただいて,あいこを預けて帰ってきました.あいこは30日か31日に教会に戻ってくる予定です.

後は普通の妊婦と同じような生活をして赤ちゃんが出てこようとするのを待つばかりです.無事に2ヶ月間お連れ通りいただきまして本当にありがたかったです.神様に感謝です.

いつ産まれてもOK! 

未読の方は以下をお読みください.
あいこの1ヶ月~身上より育てられる(1)
あいこの1ヶ月~身上より育てられる(2)
子どもの姿より気付かされる

あいこは明日退院のため,今日は夕方からエコーをやるとのことでした.
主治医の手術が終わってからということだったのですが,結局かなりずれ込んで7時前くらいになりました.
幸運なことにここまでずれ込むと私はもうお見舞いに行っている時間です.私も一緒にみることができました.
今回は外来の機器を使ったので,3/31以来,実に約2ヶ月ぶりにあいこは病棟から出たのでした.嬉しそうでした.2ヶ月間トイレと冷蔵庫とベッドだけでしたからね.たまのシャワーで病棟入口付近まで行けましたが出たことはありませんでした.

前回のエコーでは,推定2kgだが頭が大きく,そのわりに体が小さいことが指摘されていましたので,どのくらい育ったかドキドキものでした.あいこは毎回見ていますが私は3度目です.エコーでみると心臓や胃腸もすっかりできていて,顔のあたりを見せてもらうと瞬きをしながら口をモゴモゴさせています.ちょうど口元あたりに手がありました.昔はほぼ全身が映ったのに,今は体の一部しかうつりません.大きくなったものです.

先生が「体も十分育ってますね~」と言います.2630gだそうです.2週間で600gも増えました!!
気になる頭の大きさを訊いてみると「9cmだから大丈夫,大丈夫,出てこれる」とのことです.
そして「もういつ産まれても大丈夫です.でも私の予想だと明日は産まれないと思うんだよね」と.
あいこが「子宮頚管が3.4cmだったからですか?」と訊くと「そうそう」と.なんと今日は子宮頚管が3.4cmだったのです.明日の朝9時に点滴を切って,陣痛がくればそのまま産む,来なければ3時以降に退院ということです.また,退院後は「好きなもの食べて好きなだけお風呂に入って動いていいよ」ということでした.

本当によく頑張りました.あいこに感謝です.また,協力してくれた家族,あいこの実家,お見舞いにきてくださった方,陰でお願いしてくださった皆様,そしてここまでご守護くださり育ててくださった親神様に大感謝です.いつ産まれるかは分かりませんが,明日からも夫婦共に勇んで過ごさせていただきたいと思います.きっといいときに産まれさせていただけるでしょう.

ちなみに,祖父の手術は無事成功しました.良性のポリープだったということです.寝ていたのでそっとおさづけを取次がせていただきました...祖父は1週間ほど入院とのことです.

あいこの祖父入院 

今日,あいこの祖父が入院しました.入院先はあいこと同じ病院です.
胃にポリープができたようで明日除去手術を行います.

仕事の後,あいこのお見舞いに行き,祖父の部屋番号を聞いておさづけを取り次ぎに行かせていただきました.
81歳という高齢ということと突発性難聴を患ったこともあって耳が遠いので,会話の声がとてつもなく大きく,部屋人に申し訳ないと思いつつ会話をしました.淡々と書いているようですが,周囲に迷惑をかけているのではないかと気が気じゃなかったです.

信仰者でもなく何も知らない祖父に,おさづけを取次ぐ旨をどう伝えようか考えながら聞いていましたが,祖父に聞こえる声で言おうとするとどうしても大声になってしまいます.大声で「神様」とか言うと,気分を害される人もいるかと思い,メモ用紙に「お願い」と書いて見せると,何か私が祖父に頼みがあると思ったらしく,「何だ,お願いって?」と聞いてきます.

違う違うと思いつつ,その下に「胃に」と書くと,胃のポリープの話を始めまして,先ほど同じ話を聞いていたので繰り返し聞くことになりました.ダメだ,どう伝えたらいいのかわからんと思い,諦めかけましたが,明日手術なのだから何としてもさせてもらわなくてはと思い直し,手を合わせて頭を下げました.すると,過去にあいこが取り付いだことがあるからか(私も一度やったことがあるような…)理解したようで,「お願いします」と言って座り直します.私が柏手を打つと,「すまないねぇ,おきよめしてもらって」と言います.ん?おきよめ?と思いつつ,取次がせていただきました.終わると,「ありがとうございました」と言います.また明晩来ることを伝えて,その場を去りました.なんとか無事取次がせていただけてよかったです.明日明後日とまずは通わせていただきます.明日はもう滞りなく取り次げるでしょう.

明日の手術は午後4時からのようです.無事ポリープがとれるといいです.

あいこの退院決定! 

昨日の診察であいこの退院の目処が立ちました.

というのも26日で36週目に入ります.ほとんどの人が36週目に入ると順次退院の運びになっているようで,あいこもそれに漏れず退院となります.37週目に入ると早産ではなくなるそうですが,26日以降は病院にいても医療行為ができないからということで退院になるわけです.点滴も26日の午前中で打ち切られるそうです.26日午後か27日には退院してくださいと言われました.

26日は私が運よく休みですので,26日の午後に退院してもらうことになりそうです.ただ会長がおぢばに帰ってますので,わがやの受け入れ体制が整いません.出産まではとにかく栄養のバランスのとれた食事を摂ってもらう必要がありますので,とりあえずあいこの実家に数日預かってもらうことになりそうです.(私の料理では論外です.)教会ですと台所や風呂が遠いので,まずはすべてがすぐ近くにある実家で衰えた筋肉を使って慣らしてから教会に帰ってきた方が,体の負担も少ない気がするのでちょうどいいかもしれません.

今日ふと気づいたのですが,先月の心定め以来,点滴はまったく強くなってませんし,お腹の張りもかなり落ち着いています.本当にありがたいことです.退院したらまずは教会に戻り,一緒にお礼づとめをさせていただきたいと思います.ほんと,ほとんどいづむことなく心勇んで笑顔で喜んで入院生活を送ったあいこに拍手です.よく頑張った,あと1週間だ!!お勇みあいこ!!
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