お道と臨床と〜心づくりのたね〜

天理教と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

まおの誕生日 

今日は私の誕生日です.この歳まで大難を小難,小難を無難にしていただき,無事平穏に過ごさせていただきました.本当にありがたいです.親神様のご守護に感謝です.また,日頃より私を支えてくれているあいこ,会長や兄弟,そしてこれまで私という人間を育ててくれた両親,祖父母に感謝です.

誕生日は自分が生まれたことを祝ってもらう日だと思っている人が多いかもしれませんが,それだけではありません.自分がまたこうして新たに1つ歳を重ねたということは色々な人の支えのおかげでありますし,そもそも生を授かってきたこと自体,親のおかげです.ですから,誕生日という日には祝ってもらうことだけでなく,改めて感謝することも忘れずにしたいものです.

今日の夕日がきれいただったので写真にとってみました.
080728a.jpg

引越し手伝い 

日曜日は兄の引越しの手伝いをしました.今まで社宅に住んでいたのですが,ついにマイホームが完成したので,7/20に明け渡しとなったのでした.やはりローンは35年だそうです.大変ですが,結婚してマイホームを持つまでのご守護をいただけているのですから本当にありがたいです.DCF_0092.jpg


朝7時前には家を出て,現地へ向かいました.日曜だからすいていましたが,2時間半ほどかかりました.近くのコンビニで落ち合い,その後新居へ行きました.めっちゃきれいな家でした(新居だから当たり前).

一通り見た後,荷物を運びました.奥さんの両親も手伝いにきていたので労働力は5人です.男3人が運び屋で女2人は片付け屋でした.社宅と新居とは3往復くらいしましたし,社宅は4階なのでトラックに荷物を積むのに4階までの階段を何十往復としました.万歩計は軽く1万歩を超え,帰る頃には1万5000歩くらいいきました.かなりいい運動となりました.

夜は焼肉をごちそうしてくれまして,栄養補給もばっちりです.
とりあえず運んだだけですので,整理にはひと月くらいかかるでしょう.落ち着いたら,皆で遊びに行きたいと思います.

祖父の実家へ 

今日は祖父の実家へ結婚のご挨拶とお墓参りに行ってきました.会長とあいこと次弟の4人です.

朝6時50分頃家を出て,9時20分頃,山梨の塩山にある本家に到着しました.祖父の兄が庭に出て待っていてくれました.今年89歳になるとのことでしたが,元気そうでした.昨年夏に,私と長弟と祖父とでお墓参りに行ったことが懐かしく感じられました.あのとき,祖父の兄は祖父に「兄貴より先に逝くんじゃねーぞ」と話していました.傍から見て祖父の方が明らかに弱っている感じでしたが,本当にその通りになってしまいました.できれば,今年も祖父を連れてくることができれば最高でしたね.

お墓参りには,祖父の兄も同行してくれました.地図で場所は調べてきたものの,心許なかったので助かりました.家のそばの寺にある祖父の先祖のお墓へ行った後,隣町の祖母の先祖のお墓にも行きました.祖母の先祖の墓はかなり荒れていて,ほとんど手入れされていないようでした.話によると年に2回ほど祖母の兄の長男がお墓参りに来ているらしいのですが,本当だろうかと疑いたくなるほどでした.

お墓参りが終わった後,早々に帰る予定でいたのですが,お昼を用意してくださるとのことでお言葉に甘えてしばし滞在させていただきました.祖父の話をしたり,50日祭に上映した祖父のスライドショーを見たりしました.

祖父の兄はお道の信仰者ではありませんが,母がよく手紙やパンフレットを送っていてそれに目を通してはいるようです.「まだ生かされてるっちゅーことはまだ何か果たす役割があるんだろうな」と言っていました.会長が「そうですよ」と相槌を打ち,「いるだけで子どもたちが親孝行の種をまくことができるんですから」というようなことを言うと「どうもそうらしいな」と言っていました.教会につながることだけがにをいがけではないと改めて思いました.こちらが種としてまいたものは,いつ何が当事者の心に残るかわかりません.ならば,より多くのきっかけをまいた方がいいなと思いました.

祖父の兄との話では,祖父が兄にだけは頭があがらなかったことや,教会の土地を買うときに「この土地どうだ?」と相談があって兄が見に来たことなど,色々話を聞くことができました.本当,兄を慕っていて,「兄貴にだけは頭が上がらないんだ」と祖父も生前よく言っていました.高齢なので,いつまで寿命をお与えいただけるかわかりませんが,長生きしてほしいと思います.

本家を含めて,祖父の両親やその親々,祖母の両親やその親々があってこそ,私たちもこうして存在し,生かされているわけですから,たとえ先人のことをあまり知らなくとも決してないがしろにすることはできません.いくら感謝しても感謝しきれないものがあると思います.

今の若い世代は家から離れていく人が増えているように思いますが,たとえ離れても親々への感謝と,子どものうち誰かしらが家と親々の思いを継いでいく役割を果たしていくべきと思います.昔は長男であれば当たり前だったが,どうも最近はそうでもないようですし,状況的に誰も継げないということもあるとは思いますが・・・.せめてその思いだけは継承していくべきだと思いました.それが親々への最大の孝行であると思います.

今日は祖父の兄に会えて,喜んでもらえて本当によかったです.

お墓参り 

仕事帰りにお墓参りにいってきました.祖父の納骨が来月9日にあるので,墓誌がありませんでした.名前を彫るのに石屋さんが昨日持って行ったようです.

わがやの墓は自宅から500mくらいのところにあります.祖母の兄の墓,わがやの墓,信者さんの墓所,祖母の弟の墓と4区画並んでいます.祖母の弟の墓にはまだ誰も入っていませんので参拝はしませんが,いつも3箇所をお参りします.50日祭前に一度掃除にいかないといけませんね.

ばあちゃん,もうじきじいちゃんが入るからよろしく.

祖母の命日 

今日は祖母の命日です.

2年前の2月26日祖母は84歳で出直しました.
同い年の祖父は先月26日に2月2日の86歳の誕生日を前に85歳で出直しております.

平成18年の年末より山口の伯母の家に祖父と療養にいっていたのですが,祖母は癌が再発していたので12月に送り出したとき,もう教会の土を踏むことはないのだろうと覚悟していました.

2月下旬になって伯母が「そろそろかもね」という話をしていたので,2月の本部月次祭に参拝させていただき,夜山口の教会へ帰る車に便乗させてもらう予定で天理に発ったのですが,容態の変化の連絡があり一足先に叔父と山口に向かったおかげで,叔父が祖母の手を握り,祖父,伯母,私と家族に囲まれながら,静かに出直しのときを迎えることができたのでした.長男である私を3年前に出直した父の代わりとするならば,祖母は3人の子と夫に囲まれて布団の上で息を引き取ったというとてもありがたい出直しをお与えいただいたことを思い出します.

今気づいたのですが,祖母も長年生活した教会から思いのある娘の元へ行って2ヶ月と数日,祖父は娘の元から長年生活し思いのある教会へ帰ってきて2ヶ月と数日,どちらも家族の懸命な介護と世話のもと出直しのときを迎えさせていただいております.どちらも2ヶ月余りというのが不思議なもので,祖父母は誕生日も1日違いというおしどり夫婦でしたから,最後まで似たような道を辿らせていただいたようです.祖母にとっては年中娘のことを心配していたので,祖母の思いがかなう形で最後のときを迎えられたのだと思いますし,祖父にとっては初代会長として信仰初代で築き上げた教会で自身の思いがかなう形で最後のときを迎えられたのだと思います.よくよく本当にありがたいご守護をお与えいただいたなぁと思います.

父が出直し,祖母が出直し,(チャコが出直し,)祖父が出直し,家族がこの5年でぐんと減ってしまいましたが,ふしから芽が出るというお言葉があるように,このふしを成人の機会として歩ませていただきたいと思います.

昨年も書きましたが,うちの教会の信仰は祖母より始まっています.祖母の10歳近く離れた兄がお道を信仰をしていて,その後祖母がお引き寄せに合い,続いて祖父ににをいがかかり,現在その環境で育った子どもたちはそれぞれが教会でつとめさせていただいております.

祖母がお道にお引き寄せられることがなければ,私たちはこの素晴らしい教えの下で育つことはなかったのですから,本当に祖母への感謝を忘れてはいけないと思います.この教えの下で育つことがなかったら,きっと今の私とは違った性格の私に育っていたでしょう.今の私があるのは,お道の教えの中で育ってきたからであり,それは私たち兄弟が育った教会の礎をつくった祖父母によるものでもあります.御霊となった現在も,教会のお社にとどまり,私たちと教会を見守り続けていることと思います.これからは祖父も一緒に・・・.

似たような内容ですが未読の方は以下も閲覧ください.
祖母の命日

スライドショー作成 

昨日からですが,50日祭に向けて祖父のスライドショーを作成中です.祖父を偲んでお清めのときに流そうと考えています.

昔の写真でめぼしいのを見つけてはスキャナーでPCに取り込み,フォトストーリー3で編集という作業です.フリーソフトながらそれなりのものが作れます.私も作るのは初めてですので試行錯誤しながらやっています.ざっとプロトタイプができたのですが,残念ながらここでお見せすることはできません.

初代会長の85年の人生の追憶を6〜7分ほどで送るわけですが,写真だけでなくそこにメッセージも載せられるので,私のコメントが1枚1枚ついています.納得のいく作品ができるといいと思います.

祖父の夢 

一昨晩,祖父の夢を見たのですが見たという感覚だけで何も覚えていませんでした.しかし,昨晩も祖父が出てきまして,それはぼんやりとですが覚えていました.

場面は2つくらいあって,1つは家の部屋からトイレに行くところで,何かブツブツ怒っていました.
もう1つの場面は外でして,祖父が「おなかすいたなぁ」と言って,食事の前にトイレに連れていったのですが,よく見ると背中が曲がっていないのですが入れ歯をしていなくて口がしわしわでなんか祖父っぽくなかったです.

それでも祖父の夢を見てよかったなぁと思いました.また出てきてほしいです.父や祖母とのコラボレーションなんかもいいですね.

初代会長の出直し(3) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
初代会長の出直し(1)
初代会長の出直し(2)

29日は告別式.祖父の身体ともお別れです.
11時より始まりました.玉串の途中で私が親族を代表して弔辞をあげました.読む前からもう涙が溢れて読めないかと思われましたが泣きながらもなんとか最後まで読むことができました.ほんとこういうとき泣いてばっかなんです・・・.親しみを込めて敬体でなく話し言葉で語りかけるように書きました.

じいちゃんへ

85年という長い間お疲れ様.食べれなくなってからわずか数日でのことだったので,本当に驚いたし,残念だった.できる限りのことはしたという思いもあったけど,やっぱり悔いもあった.でも,じいちゃんにとってはロシアの捕虜生活からない命をいただいて生還して60余年,十分に生きたという感じだったのかもしれないね.あるいはもっと長生きしたかったのかな.僕の思いとしては,もっと生きてほしかったというのがあったけど,こうして迎えとりのときが訪れたというのも親神様が決めたことだったんだろうから,十分に生きてお疲れ様というのが僕がじいちゃんに送りたい言葉.

だけど今日,こうしてじいちゃんに別れを告げる時を迎えることは,やっぱり僕たちにとってとても悲しいことだし,まだじいちゃんがいなくなったなんて信じられない.部屋をのぞいては兄弟と「おじ〜いちゃん」と呼ぶ日がしばらく続きそう.

11月23日におばさんのところから教会に帰ってきて2ヶ月,お世話をさせてもらった僕たちにとっては大変なこともあったけれど,じいちゃんは人生の最後を自分の家で過ごすことができて本当に嬉しかったろうね.「ありがたいなぁ.孫たちにこんなにしてもらって俺は幸せ者だなぁ」と泣いている姿を見たときは僕らもよかったなぁと思ったし,それでなくとも,じいちゃんに育ててもらった恩返しとなるお世話を最後にできて,本当によかったと思っているよ.

突然の父さんの出直し,3年後にばあちゃんの出直しと,この数年じいちゃんにとってもつらいことの連続だったかもしれないけど,喜びもその分あったんじゃないかな.娘のおばさんのところで教会の皆に親切にしてもらい,最後はじいちゃんの思いのあった教会に帰ってきて,自身の負荷を顧みない母さんと,じいちゃんばあちゃんのためにと介護福祉士になった次弟に手厚く介護してもらい,出直しのときにも僕は間に合わなかったけど一番じいちゃん子で熱心に面倒を見てくれた次弟に看取ってもらって,本当に幸せな老後だったんじゃないかな.いい顔してたもんね.僕にとってはじいちゃんが喜んでくれたのならそれが何より嬉しいよ.

僕たちが小さい頃は,ありえないほど孫たちに厳しく,怖かったじいちゃんだけど,じいちゃんにしぼられたおかげで多少のことではへこたれない根性が身についたし,怖かった分晩年穏やかになっていくじいちゃんの成長が僕らの楽しみでもあったよ.じいちゃんもずっとそれぞれの孫の成長をいつも楽しみにしてくれていたね.

教会が今こうしてあるのはじいちゃんが初代会長として長い間熱心にお道の教えを周囲に伝えてくれた礎があるおかげ.またじいちゃんなくして子どもや孫の存在はありえないのだから,じいちゃんへの感謝を忘れずにこれからもじいちゃんが残していったこの分教会を会長さんと兄弟で助け合って守っていくよ.

だから,御霊として僕たちを見守っていてください.そして85年間お疲れ様でした.ゆっくり休んでまた新しい身体を借りて帰ってきてください.

親族代表 まお



式次第が終了後,生花を皆で棺に入れてあげて教会での最後のお別れとなりました.もう祖父の姿を見れないと思うと悲しくて涙がとめどなく溢れました.祖父の弟に親族代表挨拶をしてもらいました.「人のために尽くせ」というのが家訓だったと言っていました.祖父の兄弟でお道を信仰しているのは祖父だけですが,それぞれの立場で家訓を胸に生きてきたのだと思います.

祖父の遺影は私が持ち,霊柩車に乗っていきました.火葬場につき,本当に最後のお別れがやってきました.何度も泣いたはずなのにまだ流れ落ちる涙,家族を失う悲しみは何度味わってもつらいものです.

遺骨を拾ったあとは,私が骨壷を持ち会長が遺影を持って教会に帰りました.すぐ十日祭をしておしのぎとなりました.組合や斉官,親戚などにお礼のお酌に回るのに忙しかったです.すべて終わると,どっと疲れましたが,祖父の葬儀を滞りなく立派にやり終えることができて本当にありがたかったです.

葬儀を一通り終えた現在でも祖父に対しての色々な思いがありますが,それはおいおい綴っていきたいと思います.ただ,私が感じたことはおおまかには弔辞に集約されているように思いますし,今しばらくは私にも休息が必要です.ゆっくり心身を休めながら祖父を回想していきたいと思います.それが私のモーニングワークです.

祖父の誕生日 

080202.jpg今日は祖父の誕生日です.もし生きていれば今日で86歳を迎えます.(ちなみに昨日は祖母の誕生日でした)

1月後半より祖父の誕生日には,好きな食べ物をたくさん食べさせてあげるのが一番喜ぶかなぁと思って何にしようかと考えていたのですが,それは実らぬこととなってしまいました.もう少し生きてほしかったとやはり事ある度に思います.そして,そう思うことはとても自然なことです.十分尽くしたからあれでよかったと思えるのも満足のいく看取りができたということでいいのかもしれませんが,私にはどこか寂しく思えます.どれだけやっても思いが残る,残るから忘れずにいられる,残るから次のステージへの成人につながるということもあるように思います.

さて,今日という日は祖父が86年前の大正11年2月2日に生を受けた教会と私たち家族にとってはとてもありがたい日でありますので,今日は祖父の好きな食べ物を買って帰って御霊様にお供えさせていただきました.できれば生きて今日という日を迎えてほしかったですね.うなぎはめったに買えませんが,食欲のないときなどは買って食べさせたこともありました.そして,せっかくなので私たちも同様のものをおいしくいただきました.

初代会長の出直し(2) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
初代会長の出直し(1)

遷霊祭は翌28日,告別式は29日に決まりました.

祖父には孫が14人います.長女であるおばの教会に5人,長男である父の教会に5人,次男であるおじの教会に4人と全部で14人です.父の葬儀のときも祖母の葬儀のときも14人揃ったことはありませんでしたが,今回はじめて孫14人が全員そろいました.それに加えて長兄が結婚しているのでその嫁さんと,おじの長女が結婚しているので旦那さんと息子が2人,総勢18人の若者が集まりました.

27日〜28日は祖父の部屋をのぞく度に「おじ〜いちゃん」と声をかけていました.今回教会にいる間,祖父が「おば〜あちゃん」とか「おか〜あさん」と呼ぶことがあったので,私たちもそれを真似て祖父を「おじ〜いちゃん」と呼んでいたのでした.ついちょっと前のことですが,それらが妙に懐かしく感じられました.2度と取り戻せない時間・・・しかし,それは同時に2度と失われない時間でもあります.

28日午後4時,納棺のときがやってきました.皆で顔や手を拭いてあげて孫たちで祖父を棺に入れてあげました.自然と頬を流れる涙が余計に悲しみを誘いました.

6時より遷霊祭,祖父のことを考えるだけで泣きそうでした.祖父の兄弟も何人か来てくれました.昨年8月にお墓参りに行った際に会った祖父の長兄も来ていました.あのとき「兄貴より先に逝くんじゃねーぞ」と言われていましたが,祖父は先に出直してしまいました.昨年のお墓参りの出来事が懐かしいです.

玉串をあげ終わったあとは,私は会長と教会の玄関口で玉串をあげてくださる人にひたすら挨拶をしていました.あらかた片付いた後,残った人たち(ほとんど親戚,信者さん数人)でまた祖父の棺の前で食事をしました.孫が14人いるとさすがに賑やかですね.上は30歳,下は19歳です.男が11人,女が3人.結婚しているのはまだ2人.先が楽しみです.祖父が生きている間にこうして集まれるとよかったのでしょうが,その機会はありませんでした.皮肉なもので弔事でもないとなかなか全員は揃いません.

私もずっと神殿で皆と談じ合っていたかったのですが,告別式の親族代表の弔辞を考えねばならず途中で退席し,文面を考えていました.終えたらまた参加しようと思っていたのですが,そのままパソコンの前で寝てしまったらしく,起きると3時前でした.よし,飲むぞ!と思って神殿に行くともう皆寝るところで私も断念して寝ました・・・.かなり残念でした.

(つづく)
初代会長の出直し(3)

初代会長の出直し(1) 

祖父(初代会長)が27日4時50分出直しました.享年85歳でした.

26日に勤務後に病院に寄っておさづけを取り次いだときは口や首をずっと動かしていたのですが,意識はない状態でした.話しかけると微妙に反応があるときもあったのでもしかしたら聞こえてるのかもしれないという感じもしました.祖母が2月26日の祭典日の晩に出直しているので祖父も26日に迎えとり・・・ということも考えましたが,その兆しはなさそうに見え(素人目です),この感じならそのうち持ち直すだろうという期待をもって病院を後にしました.

27日朝4時半頃,病院より呼吸が止まっていると電話があり,会長と末弟と3人で病院に駆けつけました.祖父が入院している病院は次弟が介護士として働いている施設を併設しているので,ちょうど夜勤だった次弟と連絡をとり,次弟には先に病院に行ってもらいました.病院に到着し,祖父の部屋に入ると次弟が涙目で「出直したよ」と言いました.私たちは15分ほど遅く到着したのです.間に合わなかったのは悔やまれましたが,幸いにして次弟が看取りの場に立ち会うことができたのでよかったです.

入院した直後はそろそろやばいかもなと思いましたが,昨日の感触からは回復するだろうと思っていたのでショックでした.しかし,85歳なので十分に生きたのかもしれないという思いもあり,85年間お疲れ様と声をかけました.

最初に涙を流したのはいつだったでしょうか.祖父が家に帰ってきて,祖母の弟夫婦が会いにきたときだったでしょうか.「でもよく看たね,頑張ったね」と声をかけられたときにどっと悲しみがあふれてきました.それから今までに何度涙を流したかわかりません.予想外だっただけに悲しみも強く,悔いもありました.

おやさまが現身をお隠しになられた日でもある春季大祭の翌日の出直し,祭典日ではありませんでしたが,どちらも祭典が終わってからの出直しですし,祖母とはわずか5時間半ほどしか変わりません.仲がよかった夫婦だっただけに,何かつながりを感じるところがありました.祖母はいつも心配して溺愛していた山口の娘の教会で出直し,祖父は初代会長として長年つとめた教会に帰ってきての出直しと,それぞれ思いにかなった出直しのご守護をいただけたのではないかと思わせていただき,とてもありがたく思いました.

(つづく)
初代会長の出直し(2)
初代会長の出直し(3)

祖父の容体 

先ほど病院に祖父の様子を見に行った次弟の話によると,口や手を動かしたり,昼間よりはちょっとよくなっているような兆しがあるようです.回復に向かってくれるといいです.

祖父の入院 

昨日,勤務中に会長から,祖父が昼過ぎなのにまだ起きないと電話がありました.前日の診察でリスパダールとセルシンという薬が出ていたので,その影響ということも考えられましたが,高齢ということもあり心配なので,救急車を呼んで病院を受診するように促しました.

その後の母の連絡によると手足の麻痺があるが脳障害は心配ない,肝臓と胆嚢が悪いということでした.脱水症状を起こすといけないので入院となりました.とりあえず大事にいたらなくてほっとしました.昨晩は2ヶ月ぶりに祖父が不在でしたので家の中は少し寂しい感じがしました.

今朝,いつものように出勤したのですが9時過ぎに会長から電話があり,病院から容態悪化との知らせがあったというので,私も予約がなかったので有休届けを出して帰り,会長と病院へ行きました.祖父は寝ているのか意識がないのかよくわからない状態でして,眼球が上転していました.

おじや弟たちにも連絡がいったので,6人ほど集まりました.医師の病状説明によると,今のところ原因不明ということでした.高齢ということもあり,命の危険性は五分五分と説明がありました.もしものとき,延命措置をどうするかも訊かれましたが,おじとおばの希望により寿命いっぱいということで延命措置はしないことになりました.

この歳まで命をお与えいただいていると後は神様のお働き次第でしょう.心肺機能が停止するときは神様が祖父の魂をお迎えとりにくるときでしょうから,悲しいですが寿命として受け入れたいと思います.祖父もこのう85年間精一杯生きたのでしょうから,最後は周囲の都合ではなくゆっくり休ませてあげたいですね.ただ,そのときがくるまではできる限りのことをしたいです.もしかしたら,復活してまた自宅に帰ってこれる可能性もありますし,お年寄りの容態は本当にどう転ぶかわかりません.ただ,自宅に帰ってたとしてももう寝たきりだとは思いますが・・・.

急なことだったのでびっくりしましたが,祖父が入院したことで,祖父の介護は大変だけれどもその中にも笑いがあり,喜びがあったことを改めて実感することができました.やはり身の回りに起こる事象に無駄はありません.どんなことにでも意味があります.そして,そう思わせていただけるお道の信仰は,親神様,おやさまの教えは本当にすばらしいです.

祖父の通院日 

今日は月に1度の祖父の通院日でした.

午後から私と次弟とで行ってきたのですが,なかなか大変でした.
ここ数日祖父がぐでんぐでんでほとんど自力で歩くことができず,車に乗せるのも二人がかりでようやくできたという感じです.介護保険で車椅子を借りていますので,駐車場からもう車椅子です.心電図とレントゲンをとったのですが,立つことができず,やむなく座ったままでとってもらいました.

診察ではデイサービスを受けるための診断書を書いてもらったのですが,介護の仕事をしている次弟に言わせると多分状態が重すぎて通らないだろうということです.担当のケアマネージャーがどこまでがんばってくれるかにかかっていると言えるでしょう.

介護は本当に大変です.経験してみて身に染みてわかりました.何でもそうですが,通った道しか真に理解することはできません.また,語ることもできません.こうして苦労した経験は話の台となりますし,将来へのよい種まきとなることと思います.何より初代である祖父への恩返しになっていると思います.

父の出直し(続き) 

昨日に続いて、通夜、告別式の日記です。これも限定公開となります。
明日で父は55歳になる日であります。歳はもうとらないけれど、父が命を授かって生かされ始めた大切な日であります。
ちなみに日記の最後の方は「北斗の拳」の流れをやや汲んでいます。当時大好きだったもので。

(公開は終了しました)
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 1日 消防団訓練
 3日 おぢば帰り
 8日 屋根塗装ひのきしん
 9日 消防団警備
17日 月次祭
24日 神社鳳笙吹き
30日 研修
31日 研修 

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