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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

長弟の結婚式 

昨日は教会で長弟の結婚式を執り行わせていただきました.
身内だけで行い,教会で小さな祝宴をあげました.
これで兄弟5人が全員所帯持ちとなりまして,母も1つ肩の荷がおりたことでしょう.
これからも兄弟一同なかよくたすけあっていきたいと思います.

父や祖父母も私達の成長した姿を見て喜んでいることと思います.
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次弟の結婚式 

11日に次弟の結婚の儀を教会の神殿でつとめさせていただきました.
会長が斉主を,私は楽人をやりました.参列者は特にありませんでしたが,親神様の御前で,また,父や祖父母が祀られている御霊様の御前で結婚の誓いができとてもよかったです.
末永く夫婦仲良く歩んでいってもらいたいです.

父の命日(出直しから10年) 

1月13日で父の出直しからちょうど10年が経ちました.早いものだとも思いますが,当時は高校生だった末弟が父親になるほどの年月が過ぎたのですから,それなりの刻が流れたのでしょう.

祥月命日は母の実家の大祭になりますので,お墓参りをした後,家族で大祭に参拝させていただきました.10年ともなると,多くの人の記憶からは忘れられていくものと思いますが,家族である私たちにとっては毎年忘れることのできない日であります.

長男がよく「おじいちゃんあそこにいるよ」と客間の天井らへんを指して言います.どうやら父は皆が客間に集まっているときにそれを見ているらしいのです.真偽は関係ありません.その話題が出るだけで私たち家族は父を思い出し,今もなお父が家族を見てくれることを想像し,父に感謝する機会を得るのですから,それだけでとても意味あることだと思います.

これから,私は子どもたちに父や祖父母の通ってきた道やその大切さを伝えていかねばなりません.姿はなくとも残した道や思いは次の世代,また次の世代へと末代まで受け継いでいけるものと思いますので,しっかり伝えていきたいと思います.同時に,それを語るにふさわしい人間に自分も成人させていただかないととも思います.


未読の方は以下も閲覧ください.
祖父祖母五年祭/父十年祭
父の命日
父の誕生日
お墓参りより父を思う
命日を前に父を思う
父と雅楽と私

父の誕生日
年祭

甥っ子,姪っ子誕生 

ずっと書いてませんでしたが,11月7日に甥っ子が,1月16日に姪っ子が誕生しました.どちらも無事生まれましてありがたかったです.

母は息子5人という子育てでむさ苦しい中を通ってきたでしょうが,ようやく初の女の子が産まれたわけです.ただでさえ嬉しい孫に,初の女の子という条件も加わり,さぞかし喜んでいることでしょう.

1月20日には長兄が群馬より帰ってきまして,私も初めて甥っ子を見ましたが,やはり親に似るものだなぁとつくづく思います.どちらにも似ているんですよね.姪っ子もベースは末弟でしたが,やはり奥さんの要素も入っていてほんと親子って不思議です.産後入院しているクリニックで皆で行って,長男と甥っ子,姪っ子と写真も撮りました.長男も2歳8ヶ月になり,かなり会話もできるようになっています.刻が経つのは早いです.

毎日が足早に過ぎていくようですが,家族が毎日無事過ごせるのも神様のお陰,感謝してしっかり御恩報じの道を歩ませていただきたいと思います.

誕生日 

また1つ歳を重ねました.

健康に1年お連れ通りいただきまして,本当にありがたいです.

先日,中古車を購入しまして明日は納車になります.楽しみです.
できれば大切に使って10年くらい乗りたいです.

また,明後日からはこどもおぢばがえりです.当教会からは私とあいこと長男,信者さんのお孫さん2人の計5人が参加します.楽しみです.

あいこの誕生日 

今日あいこの誕生日なのですが,毎年あいこの誕生日は大祭のお供え餅作りというひのきしんが夜に控えており,出かけることはできません.今日は先に記したようにあいこは休みだったので1日教会のひのきしんです.さすがに疲れたとは言っていましたが,どこか行きたいなとか不平を漏らすこともなくこなすあいこ,素晴らしい伏せ込みになっていることと思います.

ささやかながら夕食には小僧寿しとケーキを皆で食べました.おいしかったです.その小僧寿しとケーキも私は長男を連れていて買いに行くのが大変だからとあいこが自分で注文して買いに行ったという・・・さすがお母さん,脱帽です.おまけにお吸い物はあいこが作っていますから,誰が主役なんだか分かりません.

ケーキを着ると,長男が生クリームはほしがらないのですが,いちごを欲しがり,家族皆のいちごをたいらげてしまいました.また,お母さんに「おめれと」と真似をして言っており,あいこがそれが大層うれしかったようです.やはり子どもの成長は親にとって最高の喜びですね.

1年間守ってくださった親神様に感謝するとともに,また1年あいこが元気に過ごさせていただけるといいなぁと思っています.

祖父母の夢 

昨晩は祖父母の夢を見ました.祖父母はすでに出直していますが,夢では矛盾が許されますので設定はめちゃくちゃです.

たしか夢でも出直してはいたのですが,葬儀待ちだったような気がします.葬儀の前までは家族で神殿でガンダムのゲームをしていて,次弟が宇宙をジオングで縦横無尽に駆け巡っていましたが,玄関に車が停まり,祖父と祖母が出てきました.おつとめ着を来ていたように思います.その顔を見ただけで私は涙がこみあげてきて,涙を必死にこらえながら祖父母を迎えたのでした.目が覚めると,隣には長男が寝ており,夢であったことを悟ったのですが,祖父母の在りし日の姿にふれることのできた貴重な時間でした.

先月の27日に祖父の命日を迎え,今月26日は祖母の命日,今月1,2日は祖母,祖父の誕生日とこのひと月は祖父母のためにあるようなひと月です.夢に出てきたのにもきっと何か思いがあるのでしょう.来週はおぢばにも帰らせていただきますし,祖父母をこの世に送り出してくださったことに対するお礼をおぢばでしてこなくてはと思っているところです.

兄弟姉妹会といとこ会 

11~12日はまお家の本家(祖父の実家)で「第1回兄弟姉妹会・いとこ会」がありました.

叔父や伯母も参加しましたが,私も父の代わりに参加させていただきました.ここ2年ほど本家のお墓参りに行ってなくて気になってたということもあり,ちょうどよかったのです.叔父でさえ,初めて合ういとこが何人もいるということですので,私はもっと知らない人だらけです.

曽祖父には11人の子どもがいて,33人の孫がいます.その親戚が一同集まる会でした.祖父は出直しましたが,兄弟はまだ5人生きていて,本家の長男は今92歳です.一番下は確か71歳くらいです.ちなみに祖父は次男で3番目,生きていれば今90歳です.33人の孫のうち,32人が健在であり,唯一亡くなっているのが私の父です.残念です.

夕方集合だったので,早めに出かけ,祖母の実家のお墓参りに行きました.お墓のあるお寺は皆同じ名前の墓ばかりでだいたいの場所は覚えていたのですが,どうしても残った2つのうちのどちらか分からず,結構時間を費やしました.結局,建立した人の名前から祖母の父であることを推測し,そちらを参拝したのですが,念のためにもう片方も手を叩いてきました.祖母の兄の次男が墓を守っているようですが,私も折に触れて今後もお墓参りは続けていきたいと思っています.

さて,夕方に市営の施設に集合し,会食しながら色々な話をしました.兄弟といとこの関係者も含めて56人ほど集まったようです.皆本家の家訓を心に刻んで日々を送っているようで本当に親が何を教えるか,そして次の世代がそれをさらに次の世代へどう伝えるかということは大切だと思いました.本家はお道の信仰はありませんが,代々「人のために尽くす」ということを家訓としてやってきたそうです.祖父がお道の教えに出逢い,抵抗なくその道を歩んだのも曽祖父の教えがあったからなのかもしれません.

余談ですが,祖父の兄にもお墓のことを聞きましたが,私たちの判断は間違っていなかったということが分かりましてよかったです.また,色々な親戚の人にご挨拶ができ,私と同姓同名の父のいとことも話すことができ,昔の写真についても色々知ることができ,充実した時間だったと思います.祖父や父がいればどんなに喜んだろうかと思うと時折目頭が熱くなりました.

翌日は本家へ皆で行ってお墓参りをして帰りました.本家には祖父を生み育ててくれた曾祖父母が眠っています.生前祖父はお墓参りをこよなく大事にしていました.私もその思いを引き継ぎ,忘れずにこれからもお参りしていきたいと思います.まずはそのうちに長男を連れて行きたいですね.

祖父母の誕生日 

1日,2日はそれぞれ祖母・祖父の誕生日です.生きていれば90歳になりますが,祖母は平成18年に,祖父は平成20年に出直しています.父は1月15日が誕生日なので皆近いです.さらに,父の命日が1月13日,祖父が1月27日,祖母が2月26日と,わずか二月の間に出生と出直しをしていることになります.

なので,毎年この時期は祖父母や父を思い出すことが多いです.もちろん毎日御霊様に参拝しているので常々思い出しはするのですが,何か意味合いの違うところがあるような気がします.

死んでしまえば誕生日はもう関係ないと思う人もあるでしょう.しかし,ある人が親神様のご守護により母親の胎内に宿し込まれ,奇跡的に育ち,胎縁を切って引き出してもらって自発呼吸を始めたこの日は本当に喜ばしい日であり,たとえその人が故人となろうとも,私は大切な日であると思います.ただ,祝うべき日というよりは感謝する日という意味の方が強いです.その感謝を何年経っても忘れないでいたいです.

祖父の命日 

昨日は祖父の命日でした.丸4年が経ちました.
仕事でしたので,帰りに教会近くのお墓に寄ってお参りだけして帰って来ました.
(末弟だったら真っ暗で怖くて行けなかったところですが,私は特に問題ありませんのでちゃんとお参りしてきました.)

ところで,ちょうど昨日祖父の兄弟の子どもたちで集まろうという「いとこ会」の話がありまして,叔父や伯母はそれに参加するらしいのですが,父はいないけど案内が来まして,祖父がいたらきっと行ってほしいと思うだろうなぁと思い,私が行くことにしました.祖父は11人兄弟なので従兄弟はきっとたくさんいるでしょう.叔父に聞いても会ったことのない従兄弟がほとんどだそうです.本家の長兄も90を超えてまだ健在ですし,祖父の兄弟も彼を含めてまだ5人生きています.わがやのルーツや祖父の青少年時代など貴重な話が聞けるかもしれませんので,参加させていただこうと思います.ちょうど祖父の命日にその連絡があったということも,祖父の思いに応えなさいという神様の思召なのかなと勝手に思っています.

生きていれば2/2に齢90を迎える祖父,出直してもやはり私にとっては「会長さん」であり,「じいちゃん」であり,抱いていたその思いにできることなら応えたいと思っている私がいます.

父の命日 

今日は父の命日です.

平成15年に出直し,今日で9年が経ちました.早いものです.
当時は私もまだ学生で長兄のみ社会人でしたが,今は息子5人皆社会人となり,3人は結婚し,孫も1人生まれました.一方,息子である私の父に先に逝かれた祖父母もその2年後,5年後と順に出直しました.時の流れの早さを感じます.

何年経っても「父がいたら・・・」ということは時折考えます.最近ではやはり長男絡みで考えることが多いです.
子煩悩だった父は孫にはどんな表情を見せ,どんな声かけをするのだろう?孫の仕草や新しい言葉をどれだけ喜ぶのだろう?など,やはり父と長男の成長を共有したかったなぁというのはよく思います.

長男がもう少し理解できるようになったら,父の話もしっかり聞かせていきたいです.今はまだ額縁の遺影を眺めるだけですが・・・.

誕生日 

28日は私の誕生日でした.仕事でしたが,夜に家族にささやかなお祝いをしてもらいました.長男を交えての誕生日会だったので新鮮でした.近所のパン屋で売っているバースデー用のビッグ・メロンパンを皆で食べました.長男の食欲の旺盛なこと,誰が主役かわからないくらいよく食べました.

大過なくまたこうして1つ年を重ねることができて本当にありがたいです.感謝の言葉だけでなく,それを親神様の喜ばれる行いで示していきたいものです.至りませんが.

お墓参り 

朝7時半から地区内のゴミ拾いと神社および集会所の掃除がありました.お墓もありますので,お墓参りもしました.

その後,長男とあいことあいこの両親とあいこの祖父のお墓参りに行きました.先週の日曜が納骨だったのですが,私は研修に行っていて行けませんでしたので,1週間遅れですが今日行けてよかったです.あいこの実家の町営の霊園なのでわりと近いです.今風(?)のやや横長の墓石で特に戒名もありません.家には仏壇もあるのでそちらでも線香をあげました.家と墓と両方にお参りする,お道でもそうですが文化って面白いです.大事なことはご恩を忘れずにいることだと思いますので,お墓参りに行かずとも思いは胸に抱いていたいです.

祖父の四十九日 

一昨日19日にあいこの祖父の四十九日の法要がありました.

あいこの母の実家である高知県からもあいこの祖父母と叔父がはるばる来てくれました.坊さんが来て家でお経をあげてもらい,納骨のためにお墓へ移動し,いよいよ骨壷をお墓におさめようというとき・・・なんと骨壷が納骨室に入らないではありませんか!!何たるハプニング!!石屋さんも慌ててペコペコ謝っていました.私たちもびっくりしましたが,石屋さんは墓の造り主なだけにほんとにびっくりしたに違いありません.あいこ家は形式にこだわらない穏やかな家庭ですので,まぁ仕方ないということで納骨は延期になりました.

四十九日の法要をしましたが,実はまだ出直して35日しか経っていませんし,思えば19日は父の日でした.まだお墓に入りたくないよ~という祖父の思いがあったのかもしれません.あいこ家でもそんな話になっていました.なので近々納骨があると思います.今度はもう高知の親戚は来ませんが.

祖父の出直し 

5/14の午前中,あいこの祖父が出直しました.

11/30にくも膜下出血で倒れましたが,一命をとりとめ,以来入院していました.修養科中には声を発することはできなかったものの意識も戻り,家族や会長の声かけに頷いたり,手を振ったり,ひ孫(私の長男)の写真を持って笑ったりなどしていました.4月に肺炎にかかり,私たちが修養科を終えて帰ってからはあまり具合がよくなかったものの,手を動かしたりはしていました.その後,発熱が続いていて,14日に家族が病状説明を受けているときに突然心拍が下がり,あいこの叔父が祖母を迎えに行っている間にあいこの父の前で息を引き取ったとのことでした.

私は仕事中でしたので,あいこから電話で報告を受けました.腎不全とのことでしたので,十分に生きた後身体をお返ししたと言えるでしょう.家族の希望もあり,親族のみで葬儀を行うこととなり,15日にお通夜,16日に告別式となりました.

14日の夜に会長とあいこ家に行き,祖父に会いました.出直し後,あいこがおさづけを取り次いでくれたので,祖父はただ眠っているかのようにいい顔をしていました.よく頑張って生きた,本当にそう思いました.

翌15日は日中は17日の大祭の準備がありましたので,買い物に行ったり,お餅を作ったり,三方や八足を拭いたり,家の掃除をしたりとひのきしんをして,夕方からあいこと長男とあいこ家へ行きました.特に通夜の儀があったわけでもなく,各自お線香だけあげて,祖父を偲んでの食事会をしました.

翌16日は告別式.近くの斎場を借りて行いました.ちなみに実家は浄土宗と言ってましたが,お経をあげたのは曹洞宗の導師でした.違和感を覚えましたが信心があるわけではないので何でもいいのかもしれません.

最後のお別れのときはやっぱり悲しかったです.何人か身内や親しい人を送ってきましたが,やはり別れは寂しいし悲しいです.親神様より借りていた身体をお返しするだけだというのは分かっていますが,それでも,身体が存在しなくなるというのは寂しいです.次はいつどこで新しい身体を借りて生まれ変わってくるのでしょうか.そのときまでまずはゆっくり休んでください,おじいちゃん.
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