お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

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講義終了 

昨日は最後の講義でした.

昼休みを病院のデイケアでまったりと過ごしていると,学校から電話がかかってきました.
なんだろうと思って電話をとると,「講義今日3限なんですけど・・・」と言われました.4限だと思って時間をすっかり勘違いしていた私は慌てて謝罪し,すぐに準備をして学校に向かいました.結局,13時10分からだったのを14時からにしてもらいました.講義は,バーンアウトについて話をしました.

終わったあと,アンケートを施行し,予定通り講義の評価をしてもらいました.
臆病な私は「直してほしい点もしっかり書いてくださいね.でも私が落ち込み過ぎないように,やんわりと指摘してください.」と言いました.

講義終了の挨拶が終わった後,学級委員さんが「私たちの謝恩会に是非参加してください」と言ってくれて,どの先生も誘われるのでしょうがとても嬉しかったです.不慣れな私の講義を15回出てくれて(出ないと単位取れないので出ざるを得ないのですが)感謝したいのはむしろこちらの方でした.

アンケートを見ていると良い点,直した方がいい点がいくつか書いてありました.
まだ整理していないので整理できたらまた紹介したいと思います.

引き受けてから準備の段階,そして始まるまでは心配でしたし,最初の数回も緊張してばかりでどうなるかと思いましたが,後半はわりと慣れてあまり負担を感じずにできたと思います.人前で話す経験は今後必要なことですので,今年のこの経験は私の人生にとってとても貴重でした.本当にいい経験をさせてもらったと思っています.

来年のオファーがあるかは不明ですが,あったとしても二つ返事で引き受けることができそうです.課題はたくさんありますが・・・.

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失敗に学ぶ 

相手の反応をどう受け止めるかが人によって違うように,自分の反応がどう受け止められるかも相手によって様々です.

自分では意図していないことが相手の眼鏡に映って誤解されるという経験は誰しもあると思います.私もしばらく前にそうした失敗がありました.相手がそう受け止めてしまうスタイルがあるのはそれまでの話やかかわりでわかっていたにもかかわらず,そうした行動をとってしまったということは軽率としか言いようがありません.大いに反省しています.そしてその経験から学習し,次の場に生かしていくのです.この失敗により,多くのことを学びました.

特に対象者のいる失敗は相手に不快な思いをさせたり,相手を傷つけたりしています.そのような思いをさせてしまったことを心から反省して繰り返さないようにしたいと思います.

失敗したことに意味があるのだとすれば,まさにこの点だと思います.その失敗を真摯に受け止め,必要な経験だったとしてポジティブに捉え,この失敗を繰り返さないように尽くすことこそが,その失敗を無駄にしない最善の方法です.失敗はいやなもので落ち込むこともありますが,落ち込んだだけで終わってしまったら,嫌な気分だけが残ってしまうだけですからね.

また,失敗しなければ気付かないことも世の中には多くあります.その失敗によって気付かせてもらったことに感謝する謙虚さも持ち続けていきたいと思います.

犯罪と地域の絆 

最近,子どもが殺される事件が頻発しています.次々に起こるので,どの事件だっけ?殺されたのは誰だっけ?と混同してしまうほどではないかと思います.

通勤路の小学校では,学校の前に警官がいて,ところどころに安全パトロールの黄色いジャケットを着た人が立っていて,集団登校の最後尾にはたいてい保護者が一人ついています.これは異常なことです.10年も前なら考えられなかったことでしょう.

マスコミの過剰な報道がこうした傾向を煽っていることは否めませんが,このような対策を講じないと子どもを守ることができないかもしれないという疑念を生じさせる現代社会に問題があります.住宅化,核家族化が進み,近隣の人間関係が希薄化しやすい状況では,お互いでお互いの家族を,地域住民を守るということをしていかなければならないのは必須といえるでしょう.

このような状況において,我々は社会が病んでいるという悲観論に達するだけでなく,もう1つの可能性を得ることができます.それは,希薄化した地域人間関係の回復です.地域あるいは近隣住民にとって,犯罪は共通の敵であり,絶対に防がなければいけないものです.皮肉なことに,人間関係の希薄化が生み出した社会的な現象が,それを通して今度は地域の協力体制,近隣の信頼関係を作るきっかけとなっているのです.

犯罪は起こってはならないことですし,全力をもって地域で防がなければならないことですが,それに関与していくことによって,我々は失いかけていた地域の和というものを取り戻していくことになるかもしれません.そしてそのことにより,犯罪を未然に防ぎ,地域の絆が深まるのであれば,社会はこれからよい方向に変わっていくのではないでしょうか.もちろん言葉で述べるほど簡単なものではないのでしょうが.

研修2日目 

昨日今日とロールシャッハ・テストの研修に行ってきました.

一昨年の秋より,基礎講座,解釈講座「統合失調症」「うつ病」「人格障害」と定期的に受講してきました.

基礎講座のときはまだ非常勤でしたので自腹で研修費を払っていましたが,解釈講座から業務に必要なこととして病院で研修費を出してもらっています.とてつもなくありがたく,心から感謝しています.

専門領域はとにかく研修費がかかります.特に臨床心理は現場での実地研修だけではとても足りません.各種研修を受講する必要がありますし,スーパーヴィジョンといって上級者に自分のケースへの関わりについて指導してもらうということも定期的にしていかなければなりません.さらに国家資格でないので,資格更新があります.5年に1度の更新のために研修ポイントを溜めねばなりません.これらすべてに対してお金がかかります.なので,病院で多少なりとも研修費をまかなってもらえるのはとてもありがたいのです.

心理職の現状などもそのうち軽く触れたいと思います.

ロールシャッハ・テストについては詳しく触れませんが,被検者の多くの情報をもたらしてくれるテストです.職員にもたまにロールシャッハ・テストやってほしいと頼まれることがあります.時間がないのでやりませんが・・・興味がある人はけっこう多いようですよ.

ちなみに病院で患者として受ける場合,保険診療で450点のテストなので4500×30%=1350円になります.費用対効果を職員という立場で考えるとそんなものかという感じですが,患者としての立場になると安い金額ではないですよね.

研修1日目 

今日はロールシャッハ・テストの研修にいってきました.
「人格障害」の解釈についてです.明日も引き続きあります.

後日まとめて書きます.

地鎮祭の依頼 

昨晩,知人より地鎮祭を頼まれました.

天理教式でなく,神式で装束を着てやってほしいとのことだったので,母ではなく私に依頼がきました.しかし,7月1日(大安)にやってくれというので,仕事の予約が何件か入っている私は休みをとることができず,川崎にいる叔父に頼んでみました.叔父も1日は結婚式が入っているから無理だということでした.大安はめでたい行事をやるのに圧倒的な人気を誇る日なので,今から祭官を探すとなるとなかなか見つからないかもしれません.ひと月前に言ってもらえれば私も休みをとれたのですが,さすがに急すぎて無理でした.

大安に何か行事をやろうとする際は早めに人員や場所を抑えた方がいいというお話です.

ちなみに,私は地鎮祭はやったことがないので,やるとしたら誰かに教えてもらわねばなりません.

講義 

また講義いってきました.
今日はブリーフセラピーや認知行動療法などを中心にいろいろな心理療法についてお話してきました.
一生懸命聞いている人もいれば,疲労で寝ている人もいました.

やはり説明するのがなかなか難しく,わかりにくかったのではないかと思いますが,自分にできることしかできないのでよしとしましょう.来週が最後の講義です.学生にきちんと評価してもらおうと思います.私もきちんと評価します.

余談ですが,今日は色々話をしてくれた学生がいて楽しかったです.こうした関わり合いがあると,また引き受けたいと思えます.私が学生の頃は常に後ろの席に座り,授業は寝ているかボケーッとしているかであまり聞いていませんでした.積極的に話しかけにいくということもなかったので,ある意味感心します.大学4回生の卒論のときには,研究室でガンダムのプラモデルを作って先生に注意されたこともありました.今は消滅した近鉄バファローズの優勝ビデオも研究室で見ていたら先生に見つかりました.それに比べると,この学生のなんと真面目なことでしょうか.

高校・大学と天理生活7年のいろいろなエピソードもまた時間のあるときにお話したいと思います.

右ひざが破れたジーンズの意味 

昨晩,ふと悟ったことがありました.

昨日はジーンズを買いました.ここ半年くらいで3本右ひざが破けてしまったのです.
破れると何かと制約が増えますので,破れていないものを1本と思い,買ったのです.たまたまだったので衝動買いに近いですが,ファッションにあまり関心がないので一番安い4000円代の品にしました.よくはいているジーンズのサイズは31なのですが,今日試着した31はパンパンで苦しすぎたので,33と34を試着して33にしました.

夜,改めて試着してみると,なんだか緩いのでおかしいな?と思いつつサイズを確認すると”34”と書いてありました.遊びに来ていたSに「何やってんの!」と言われましたが「神様が長くはけるようにしてくれたのかもよ」というので「そうだな!」と納得しましたが,それはまだまだ太るということだろうか?と冷や汗ものでもありました.そして「いつも右ひざだけが破れるんだよー」とSに言ったところで,ひらめいたのです.

「そうか,そういうことだったのか!いつも右ひざばかり破れるのは何でなんだろうと思っていたんだけど,実は俺の代わりにズボンが破れていたんだよ!じいちゃんも父さんも交通事故で右ひざを骨折してる.俺ももしかしたらそういう事故に遭ってたかもしれないのを神様が守ってくれてるんじゃないか!?俺のひざが壊れる代わりにズボンが破れてたんだ!そう思うとズボン破れたくらいなんてことないなぁ,ありがたいなぁ.」

すべての謎が解けたようで私は嬉しくなりました.そして,どんなところに神様のご守護があるかわからないものだなぁと思いました.日頃生活していると気付かないことが多いですが,意外と色々なところで神様は働いてくださっています.

そんなの偶然だろう,こじつけだ,という反証もあるかと思います.ですが,それは信仰生活において問題にはならないのです.そういう洞察に至ったことで,私はまた1つ神様に感謝する機会を得て,事象を極めてポジティブに捉えることに成功しているのです.それは,人生においてマイナスになることではありません.

ちなみに,これを「ひざが3本も破けた!次は私の膝が壊れるに違いない!」と捉えてしまうと,将来への否定的態度を構成する破局的認知として精神的健康にあまりよい影響を及ぼしませんが.

気付かずにいる感謝できること,探してみませんか?皆さんの周りにはどんなよかったことが転がっているでしょうか?

チャコ12周年 

今日はチャコが我が家の一員になってちょうど12年という日でした.つまり1994年6月18日に我が家に来たことになります.

チャコは私が中学3年生のときに,同級生が捨ててある犬を見つけ,飼ってくれないかと頼まれて祖父母とさんざん議論をした結果,飼うことになったワンちゃんです.祖父母が犬年なので,犬を飼うのはよくないとかでエラく反対されました.以前に狩っていた犬(龍太)が凶暴で末弟に噛み付いたこともあり,なかなか許しを得ることができませんでした.議論の末,許可を得たときの喜びといったらそれはそれはすごい感動であありました.

すごく臆病でしたので走らせたり,高いところから飛び降りさせたりして鍛えたのですが,ある日,女の子であることが発覚!男の子だと聞いていたのでびっくりして動物病院に連れて行き、避妊の手術を受けました.そしてその後,無理に激しい運動をさせることはなくなりました.

私はその後、天理高校に越境入学し家をあけることになり,飼い主はわずか9ヶ月余りで主としての資格を失ったのでした.そしてそのまま,9年間家を空けることになり,私が実家に住むようになったときにはチャコはすでに10歳となり老いていました.

チャコはとても利口な犬で知らない人が来れば吠えて知らせてくれますし,ごはんは「お座り」「おあずけ」「よし!」という3段階をきちんと踏めます.おあずけをしている間は食べ物を近づけても顔を背けて決して食べようとはしません.最近は老化のためかガマンできないこともあるようですが,厳しく言えばきちんと守ります.やはり老化の影響か最近は小屋でごろごろしていることが多いように思います.

食事はドックフードと残飯です.一時期残飯ばかりあげていたらドックフードをまったく食べなくなりました.今はどちらも食べます.散歩はサボりがちなので,行かないことが多いです.祖父がいれば散歩がてら毎日行ってくれるのですが,今はいないので,散歩は行ったり行かなかったりです.基本的に縄をつけなくてもどこへも行きません.放したのに気づかず,ついていると思っていることもわりとあるようです.

チャコの面白いエピソードもいくつかあるので,また時間のあるときに紹介したいと思います.

月次祭 

今日は月次祭でした.

同時に,祖母の弟(以下おじさんと表記)の喜寿の誕生日でしたので直会は奮発して赤飯を炊いてエビフライ,イカフライなどを作りました(といっても作るのは私ではありませんが・・・).私はケーキをあげました.

おじさんは「ばあちゃんの分まで生きないとな!」と意気込んでいました.祖母が今年84歳で出直しましたので,おじさんとは7つ違いになります.おじさんは末っ子でご存命なのは彼一人だけです.

長生きしてもらいたいですね.
今日はくたくたなのでこれで終わりです.

雨を見ながら思ったこと 

ふと思いました.駆動するワイパーによってはじかれていく雨を見ながら.

「ああ,昨年・一昨年の梅雨はカッパを着て通勤していたなぁ」と.

思えばありがたいことです.社会に出てからの2年間はバイク通勤でした.1年目は訪問の教育相談をしていましたので,雨の日はそれは大変でした.カッパを着て生徒の家まで行き,家の前でカッパを脱ぎ,訪問を済ませるとまたカッパを着て次の家へ移動し,またカッパを脱ぎ・・・と.まぁ訪問といっても何十件もあるわけではなく,数件でしたが.しかし,面倒でしたし,スーツが濡れて家人に迷惑をかけたこともあったのではないかと思います.

2年目は病院だけでしたので,何回も着替えることはなくなりましたが,やはり雨のバイクは視界も道路も不安定で,あまりいいものではありませんでした.

3年目の今,天気の悪い日は,家で車を使う用がなければ(弟も学校へ行っていますので運転手がいないという理由から滅多にありません)車で通勤しています.昨年まではできなかったことができるようになって,とてもありがたいですが,以前慎ましさの記事で書いたように,苦労した日々のことを忘れないように,当たり前に思わないようにしようと思っています.

ブログにわざわざ書くのも自分自身への戒めであると同時に,皆さんにも忘れないで,あるいは思い出してほしいという思いがあるからです.折に触れてこのことは繰り返し書きそうな気がしています.それほど私にとっては忘れてはいけない大事なことなのです.あるところからの反面教師として学んだことでもあります.

ちなみに,よくよく考えると車を買ったから車通勤ができているわけではなく,祖父母のための運転がなくなったことと,運転手が家にいないことから,私が車通勤できているだけなんですけどね.もし,祖母が生きていて教会におり,自宅療養をしていて,昨年末から一人暮らしを始めた次男がまだ教会にいたとしたら,やはり私はバイク通勤をしていたのかもしれません.そう考えると,ありがたさの裏に寂しい出来事もあったのだなぁと思う節もあります.

ですが,すべて「成ってくるのも天の理」です.今あることを喜んで通らせていただこうと思っています.

レポート課題 

昨日の講義ではついにレポートの課題を出しました.
「講義を通してどのようなことを学び,それが今後の臨床看護でどのように活かせるか,1000~1600字で論じなさい」
偉そうな課題にしましたが大したことは教えていません・・・.臨床心理学が専門ではありませんし,実習の記録で日々忙しいようですので,わりと書きやすい課題にしたつもりです.むしろ,よくこんな私の講義を聞いてくださいましたと全員ニコニコ顔で単位をあげたいくらいなのですが,そうもいかないのが現状です.正当な評価をすることも責任の1つです.しかし,40人以上のレポートを読むのはしんどそうです.大学時代は一般教養の倫理とか200人以上履修していたにもかかわらずレポートでしたが,担当者はさぞかし大変だったろうと思います.テストの方がはっきり言って楽なのですが,学生はやはりレポートを好みます.自分もそうでした.どちらも嫌なのですが,どちらかやらねばならないのなら絶対レポートです.テストが好きだという人いますか??

そもそも,学生と5つほどしか歳の変わらない私が彼等を評価しなければいけないというのも畏れ多い話です.0~100点の間で人を評価する・・・あまり気持ちのいいものではありません.絶対評価で出せばよいことが救いですが.以前は評価される立場だったのが,評価する立場になったわけですから,まったく正反対の転回です.同時にもう1つの転回があります.評価する立場から評価される立場です.学生の頃は教員を評価していました.あの先生の授業はつまらない,この先生はおもしろい,あの先生は時間ギリギリまでやるから嫌だ,レポートばかり出すから嫌だ,この先生は出席さえしていれば単位くれるからいい,反対にレポートさえ出せば出席しなくても単位をくれるからいい,早く終わるからいい,などと教員を自分にとって都合のいいものさしで測っていました.今度は学生から測られる立場にあるわけです.これも非常に苦しい立場です.自尊心に大きく影響します.初めての経験で緊張することも多くスムーズに授業が進まなかったというのもありますし,元々話し下手なので,講義の内容もそうわかりやすいものではなかったと思います.ですが,よかったところ,悪かったところをきちんと対象者にフィードバックしてもらうことは今後の参考になるので,勇気を出して最終日は学生に書いてもらおうと思います.

とにかく残り2週です.頑張ってきます.

今朝の出来事 

朝いつものように支度をして,講義なのでスラックスにYシャツを着て,車に乗りました.前進駐車をしているのでバックして家を出たところで,ふと・・・今日は三男が休みだし,17日は月次祭だから多少必要なものを買っておいてもらわないといけないかもなと思い,引き返してバイクで行くことにしました.バイクですと車ほどは時間がかからないので,20分ほど遅く出ても大丈夫なのですが,特にやることもないので,カッパを搭載して出発しました.やはりバイクは渋滞をものともしないので早いです.

今日の天気予報は確かくもりだったと思います.降水確率は10%.革靴ですし,雨が降ると大打撃を受けますがなんとか1日もちました.

信仰への疑問に対して 

某サイトで「58歳という若さで父を亡くして,父を助けてくれなかった神様が以前より信じられなくなって葛藤している」Aさんという方がいました.それを受けて以下のようなコメントをしました.

私も3年前に教会長であった父が出直しました.49歳でした.心筋梗塞による突然死で私は死に目にも会えず,哀しみは大きなものでした.何故出直したのだろうという答えはすぐには見つかりませんでした.ですが,安らかな父の顔,そして度重なる病や怪我の中ここまで生かさせていただいたこと,最期を父の望み通り苦しまずに出直せたこと,探せば探しただけありがたいご守護が出直しの中にあることがわかりました.

死―出直しは誰にとっても究極とも呼べるほど哀しい出来事です.その哀しみの中,人は喜ぶことを忘れてしまいがちですが,きっと神様のご守護,喜べることはあるのではないかと思います.ご利益信仰,病救けの宗教ではなく,お道は心救けの宗教だと思います.お父さんが出直されたことは哀しいことではありますが,哀しみは哀しみとして味わいつつ,それでもなお残された家族が生かされていることに感謝すること,そしてお父さんの生き方に敬意を払い自分の人生をみつめていくこと,お父さんの残したものを支えていくこと,受け継いでいくこと,それらの実行可能性を与えてくれた―すなわち私という人間を授けてくれたお父さんにそして神様に感謝していくことはAさんにはできるのです.どんな中でも喜べる道,感謝して通れる道はあるのです.

親神様は,それぞれの人にとってよい人生を授けてくださっています.私の家族にとっては3年前に父が出直したのは,うちの家族なら父がいなくても家族や信者さんが助け合ってやっていけるであろうと思われて成ったのでしょうし,Aさんのご家族の場合もお父さんの病を通してそれぞれが成長し,人を救けるこころ,人のために祈り救けたいと思う心を学んだことと思います.そしてここまですれば後はそれぞれが信仰をつかんでいけるだろうという思惑あってのことだと思います.合理化と思えるかもしれませんが(心理学的にはそうです.ですが適応的です),陽気ぐらしのための明るい通り方,感謝して喜ぶ通り方を与えてくれるのがお道です.

親神様は「おや」ですから,我々を困らせるためにやっているのではなく,子どもが成長する機会を与えてくれているのだと思います.Aさんのお父さんがAさんをあたたかい心で育ててくれたように,神様もあたたかい心でAさんを育ててくれています.そしてお父さんも今御霊となり,Aさんをこれまでと変わらずあたたかく見守ってくれていると思いますので,十分に悩んだ中で自分なりの答え,生き方を探していかれたらいいかと思います.悩むのが人間の性ですから葛藤の今を大事にして色々な考えや生き方に触れてくださいな.


読み返してみましたが,結局答えにはなっていないですね.信仰とは究極的には自己と神との対話です.自分自身で神様を感じていくしかないんですよね.そして神様がパーソナリティに内在化されてくるとその人の行動を動機付けるものになるわけです.要するに信仰心に基づいた,神様の願い・思惑に沿った行動,大きくは生き方ができるのだと思います.パーソナリティを変容させるのは難しいと心理学では言われています.したがって,神を心から信じるというのも,なかなか難しいのかもしれませんね.だから,前に述べたように強い心が必要なのだと思います.

睡魔 

最近,ありえないくらい眠いです.睡眠はだいたい6~7時間はとっています.睡眠不足というほどではありません.ですが,眠いのです.しかし,眠いこと,眠れることは1つありがたいこともあります.

睡眠はこころの健康のメルクマールです.眠れないことは苦痛が伴います.私もよく眠れない時期というのがかつてありましたが,夜眠れないと考えなくていいことまで考えてしまいますし,それが不安を引き起こし,更に眠りから遠ざけるということがあります.ストレスが溜まると睡眠に影響することがあります.眠れないことがストレスからきていると思い当たる節があるならば,ストレス発散,あるいはストレス因の除去を心がけましょう.

眠れないなぁと感じる人には以下のことが役に立つかもしれません.

睡眠障害には,夜なかなか寝付けない「入眠困難」,朝早く目が覚めてしまう「早朝覚醒」,夜中に目が覚めてなかなか寝付けない「中途覚醒」,まったく眠れない「全不眠」などがあるのですが,寝付けないときには,人肌くらいに温めた牛乳を1杯飲むと睡眠導入になると言われています.なかなか寝付けない人は試してみてください.朝遅刻しないで起きれるかが心配で寝付けない人には暗示が意外と効きます.私は子供の頃は朝起きたい時間の数だけ枕をたたくとその時間きっかりに起きることができました.6時なら6回,6時半なら6回と7回目を軽く叩きます.するとその時間ぴったりに起きることができるのです.自己暗示なので「私はその時間に起きることができる」と思い込まないと効果はないと思いますが.最近は試していないので久しぶりにやってみようと思います.結果はまた報告します.ちなみに「全不眠」が3日続くとまずいので,全く眠れない日が2日続いたら,メンタルクリニックの門を叩き,睡眠薬の処方を受けるといいと思います.早期発見,早期治療にこしたことはありませんから.また,最寄りに教会があれば,悩みを相談したり,神様のお話を聞いたり,おさづけを取り次いでもらってもいいと思います.親神様がお働きくださるでしょう.

ちなみに,身体の病気による睡眠の影響についてはよく知りません.今日の話はあくまでもこころと睡眠とのつながりです.お間違えのないように.

休日 

今日は休日なので,ブログもお休みです.
ですが,せっかくPCを起動したので,挨拶だけでもと思い,書いています.
もうかなり眠いです.

休日は身体をゆっくり休めるに限ります.
また明日から1週間頑張りましょう.

おやすみなさい.

スポーツ交流会→アートセラピー  

今日は県の精神科病院デイケア対抗のスポーツ交流会がありました.
第1回ということでしたので,皆さまざまな思いでいたことと思います.初めてということで,わくわくしていた人,不安に感じていた人,色々な思いがあったことと思います.

私は午後からは看護学校へ講義に行かねばなりませんでしたので,午前中だけの参加でした.10時半過ぎに会場に着き,準備をして,競技が始まったのは11時半過ぎでした.12時には私は会場を後にしたので,実際30分も参加していないことになります.手作りの旗を振りながらバトミントンをやっている人の応援をしただけで終わってしまいました.

その後,学校へ行きました.今日は芸術療法(アートセラピー)についての講義をしました.概説をした後で,実際に学生にも体験してもらいました.

始めに,グループ分けをするために,言葉を一切使わずに誕生日の順に1列に並ぶというのをやってもらいました.1箇所間違っていました.
グループ分けをした後,ウォーミングアップに回し絵をやりました.紙に何か描いたらそれを次の人に回して,次の人がそれに何か描き加えるというものです.1分毎に回すので,連想とスピードが大事です.1周すると自分の紙が戻ってくるのでそれで終了です.
次に,感情を絵で表現するというのをやりました.実習でかなり疲れているようで,ネガティブな感情を表現している人もいましたが,ポジティブな感情を描いている人もいました.
最後に,10分ほどフリートークをしてもらい,話題の中からテーマを探して,グループで1枚の絵を描くということをしてもらいました.

以上で終了です.絵を実際に描く機会は中学・高校を最後にほとんどなくなります.機会がないので意外と知られていないことなのですが,絵を描くことは気分転換あるいはストレス発散になります.皆さんも,たまには絵を描いてみてはいかがでしょうか?

過去の記事→「絵とふれあうこと」,参考までに.

補聴器の日 

今日6月6日は補聴器の日だそうです.
6を向かい合わせにすると耳のように見えるからだそうです.
確かにそう見えなくもないですね.ただ福耳に見える気がします・・・.

私の祖父は齢84ですから,耳が遠く,補聴器をしないと聞こえないことが多すぎるくらいです.
しかし,当然聞こえてないだろうと思って話をしていると口をはさんだりして「聞こえてたのかよ」とびっくりさせられることもあります.

これは心理学ではカクテル・パーティ効果(選択的注意)と呼ばれる現象です.
人は無意識のうちに自分に興味のある話題を聞き分けているのです.
たくさんの人が雑談をしているパーティなどの喧騒の中においても,自分の名前や興味のある話題は聞こえてくる,そんな経験を皆さんもされたことがあると思います.人間の聴覚の特徴の1つです.

また,地獄耳と呼ばれる人がいることも私たちは知っています.彼らは人の秘密などをすばやく聞きつけることで有名ですが,これも選択的注意の一つといえるでしょうか.人一倍,噂などに敏感な彼らですが,それは自己の噂に敏感なことの裏返しなのかもしれません.自分がどこかで噂されているのではないかという猜疑心が彼等を地獄耳にさせるのです.ですから,お年寄りが歳をとるにつれて地獄耳になってきているのだとしたら,周囲が彼らに対して孤独感や疎外感を与え,疑心暗鬼にさせているのかもしれません.

ちなみに,私の祖父は先月の25日より山口の伯母の教会へ行っているので我が家にはいません.祖父は地獄耳ではありませんが,すべて把握していたい大将なので,会話に首をつっこんでは「なに!?」と聞いてきます.大抵はどうでもよい話なので説明するのが面倒なこともあり,「なんでもないよ」と済ましてしまうこともありますが,この積み重ねが疎外感に発展することもあるのだなぁと今書きながら思いました.帰ってきたらできる限り説明を心がけたいと思います.

6月6日と言えば確か新約聖書では不吉な日ですね.「オーメン」の公開も今日です・・・.

表層的欲求に潜む深層的欲求 

感想ってないものですね.このことから派生して思ったことがありますので書いてみます.

そもそも見返りを求めるものではないので,反響がないことに対して不足に思うべきではありません.私の自認しているここでの役割はあくまでも情報―お道や心理学的視点を含めて人生について考える―を発信することであります.したがって,感想を求めた時点で私は私の役割をたんのうしきっていなかったことになります.人間ですから,自分がしていることが他者にどのように映っているかは気になるものです.そしてその評価により,人は自尊心を高めたり,あるいは落ち込んだりするのです.それを求めることはある意味では当然の心理なのですが,これに潜む危険性を自分自身で認識しているかどうかが重要です.

見返りを求めずにただ親神様に生かされていることへの感謝の気持ちでさせていただく行為をお道では「ひのきしん」と呼びます.人救けもそうです.見返りを求めるものではありません.あくまでもこちらの感謝の意を行動で表明すること,あるいはその人が救かることが目的であり,感謝されることを求めるべきではありません.結果として感謝されることもありますが,たとえ感謝されようがされまいが,自らが目指すべきは1つであり,その真理こそ親神様が受け取ってくださるものであります.しかし,本来結果としてついてくるものが目的となったらどうでしょうか?本末転倒であります.二次的に獲得される対象が一次的に希求されたとき,ひのきしんや人救けの行為は見かけ上(表面的に)はその意味を保ちますが,本質的な意味を失います.

したがってスケールは違いますが今回のことでいえば,結果としてついてくるべきものを目的に摩り替えたとまではいかないまでも,私はこのブログが誰かの人生のどこかで役に立つことがあればいいということを望んで発信さえすればいいのであって,反響を自ら求めるべきではなかったと思うわけです.反響は結果として得るものであり,一次的に希求するものではありません.それを自ら求めた私には,おそらくそれを通して自らの自尊心の足しにしたいという無意識の欲求があったのだと思います.表面的には「読んでいる人はどう思っているのか知りたい」という動機を当てはめることができます.深層では書くのも恥ずかしいですが「役立っている,参考になっているという声をききたい」という動機があったのではないかと思うわけです.そしてそれは「高慢」のほこりにつながるものです.むしろ読んでくれてありがとうという謙虚さを持たねばなりません.私は日々謙虚であろうと心がけているつもりですが,インターネット上でその謙虚さを忘れかけていたのです.先日のブログを書かねば気付かなかったことです.気付かせてもらってよかったです.

自分が求めることの背景にそうした無意識的欲求があるということは往々にしてあります.自分が他者に何かを求めるとき,「何故私はそれを求めるのか?」ということを自問自答すると,表面的な欲求に潜む,ほこりに気付けることと思います.そして,それに気付けなかったとき,人はもっていたものを失くしていくことになるかもしれません.気をつけましょう.私も今後気をつけます.

今日の話は日常的に人の援助をおこなう立場にある援助職に就いている人やおたすけをしている人にとってはとても重要なことだと思います.

ブログの感想ください 

先日,次弟に「ブログ読んだよ」と言われ,「どうだ?」と訊くと,「だいぶ宗教色強いな」と言われました.自分としては,「お道と臨床と」というタイトルにあるように,お道の考え方に臨床心理学というエビデンスを取り入れた折衷的なブログがコンセプトで,お道を知らない人にもそれなりに役に立つ情報を,と思って綴っていたのですが,どうやら偏りがあるようです.四男にいたっては「よくわかんねーよ」と言っていました・・・.わかりやすい文章を心がけているのですが,拙い文章力のせいかなかなか伝えたいことが伝えられていないのかもしれません.

4月15日からあまりサボらずにブログを書くようになって1ヶ月半ほど経たちましたが,私の発信する情報はどのように皆さんに届いているのでしょうか.一度覘いただけの方もいるでしょうし,継続的に読んでくださっている方もいると思います.当ブログに関する率直な感想および意見を聞いてみたいと思いました.

お父さんのこと 

お父さんのこと

ぼくのお父さんの名前は○○と言う.昭和63年の8月20日に交通事こにあって,××病院に入院している.
お父さんは,手じゅつを3回やった.1回目の手じゅつは,8月22日であとは忘れた.
ぼくが病院に行くといつもわらってくれる.
ぼくはお父さんが入院してる間,ぼくはいつもお父さんのことをおねがいしている.お父さんも病院で早く治ってたい院できるようにおねがいしていると思う.
お父さんの外泊の初めの日は3月30,31日だった.その時,ぼくは,とてもうれしかった.それからお父さんは1週間に1ぺん外泊をしている.
お父さんはもうだいたい治っていてたい院の日にちは5月31日だ.
お父さんがよくなったのも,神様のおかげ


母が部屋を整理していたら,こんな作文が出てきました.
文章から察するに小学4年生の頃のようです.
続きがあるようですが,原稿用紙が1枚しかなく続きが見つかりません.かなり気になります.当時の私が父の事情に何を感じ,何を考えたのでしょうか・・・.
しかし,とても懐かしいものを見つけたということで嬉しくなりました.今は亡き父ですが,こうしたことに触れるたびに父を思い出します.過去の作文など片づけの際につい捨ててしまいますが,とっておくと見つけたときにとても懐かしい気持ちになれます.思い返したときに懐かしい気持ちになれそうなものは,邪魔くさいと思ってもとっておくことをおすすめします.特に子どもが残した作品などは,将来成長したときに,自分や子どもの歴史として団欒をする材料にもなるのではないかと思います.

父のことについてもまた時間があるときにいろいろ綴りたいですね.
内在化された父親像,それを鏡として人は自己と照らし合わせ,父親になっていきます・・・.もちろん取り入れるところもあれば棄却されることもありますが.そして,それを息子がまた鏡とし,さらにその息子が鏡とし受け継がれていくわけです.

他にも色々出てきました.求道部の「ひとつ」という文集の色々なランキングが面白くて笑えました.私と次男の名前が何回か出てきましたが,くだらないタイトルしかとれていませんでした.

ちなみに今日は休みだったので,次弟と不要になったタンスを処分しました.一人では大変なのでこうして手伝ってくれる弟がいることに感謝しています.

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