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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

1ヶ月ブログ皆勤,しかし・・・ 

初めて1ヶ月休まずに書き続けました.なんだかちょっとした達成感です.

しかし,現実生活の中ではお道の話をすることはおろかリーフレット配りさえ躊躇があったということは私に大きな影響を与えています.インターネット上でお道の話をすることには躊躇もありませんが・・・.

信仰とは本質的には神と自己を結ぶものでありますが,神と自己を結ぶ=神の思いに近づくことと思います.それは世界だすけの道であり,より多くの人に救かってもらいたいという思いを実践にうつしていくことです.自分がお道の信仰のおかげて救かっていると思うのであれば,それをより多くの人に伝えていくことはやはり大切なことなのではないかと思います.

たとえば,○○社の××製品を買って使ってみたら,とてもよい商品で買ってよかったと思うのであれば,それを自分だけ味わうのではなくより多くの人に味わってほしいと思うのがたいていの人の感覚であると思います.そして,試しに使ってみなよと近所の人や知人,親戚などに勧めるわけです.

信仰も同様なのかもしれません.よいものだから人にすすめるというごく自然のことです.ですが,簡単にはいかない・・・.観念的なものなので数字で証明しにくいということもあるかもしれません.また,宗教への偏見も多くあることと思います.見知らぬ人へのにをいがけは商品をすすめに家を回る営業マンと構造的には一緒ですから,簡単には成功しないのも当然かもしれません.

それでも,そのために費やした時間と尽くした心は親神様は受け取ってくださり,いつかその芽が出るのだと思います.会長がリーフレット配りは種まきだと言っていました.リーフレットから電話をかけてくる人はほとんどないけれども,まったく関係のないところから電話があってにをいがかかることもある,それも普段の種まきのおかげということだそうです.はっぴーさんも「にをいがけはおやさまへのお供え」とのコメントをくださいました.なるほど,理に適っています.また,さなさんのコメントにありましたように,「1000人に1人くらいは電話くださる方もいる」とのことですので,それ自体にも伝道の意味はあるのだと思います.ですが,基本的には見返りを求めるのではなく,自分自身あるいは教会の種まきとして位置づける方が私は納得がいきます.

今日の話はまとまりませんが,私は生まれながらにして素晴らしい宗教と出逢い信仰をしていると思いながら,それを人に伝える機会を持たず,また持とうともせず,自己愛的な生き方をしていたのかもしれないと思ったのです.そして「そのうち自分も」「いつかやろう」と思っているだけで刻が過ぎていることにも気がつきました.すぐに実践というわけにはいかないでしょうが,今までよりはほんの少しでもお道の勉強やにをいがけにつながることをさせていただこうと思いました.本当に自分を振り返るよい機会を親神様は下さったと思います.

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己の無力さを知る 

今日は午後からリーフレット配りに行ってきました.支部で何人かが集まり,とある団地を回りました.

手にリーフレットを持ち,団地内を歩いてポストにそれを入れて回るわけですが,自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.

これが何かのチラシ配り―たとえば割引券や広告などを配るアルバイトであれば,何の抵抗感もなくこなせたことでしょう.なぜチラシ配りは大丈夫なのに,天理教のリーフレット配りには居心地の悪さを感じるのでしょうか?そこにはおそらく社会的認知度が大きく影響していると思います.宗教の認知度は低く敷居も高いです.このことが自分がマイノリティであるという認識を団地の中で強く実感させ,受け入れられにくいと私に思わせます.そして,天理教は私のアイデンティティ(※)の重要な要素ですので,そのような実感をひしひしと感じることに居心地の悪さを感じたのだと思います.結局は私の未熟さなんですが・・・.(アルバイトであればそのチラシの扱われ方によって自分自身に何の影響もないので居心地の悪さは感じないわけです.)

そんなわけで,私は自分自身がまったくの裸で無力であるように感じました.病院で仕事をしていれば,こちらから足を運ばなくとも患者さんの方からやってきてくれます.白衣を着ていれば,たいていの人が訊ねたことに答えてくれますし,こちらの話も聞いてくれます.信頼を得られれば悩みも打ち明けてくれます.しかし,今日その場にいた私は,人に対してまったくの影響力を持たず,そして自分のやっていることにむしろ心許なさや後ろめたささえ感じていたのです.これまでにもにをいがけをしたことはありますが,今日ほど深く感じたことはありません.

一般的に宗教が敬遠される時世の中で,私は信仰はむしろ必要だと思っていて,その良さを少しでも伝えたいと思い,こうしてブログまで書いていますが,それをいざ現実社会の中で広めるための実践となると自分はあまりにも無力であると思いました.そんな自分をとても小さく感じました.

リーフレット配りの真の意味は伝道にあらず,他者に対しての影響力以上に自分自身に対しての強烈な仕込みになる,と思いました.裸の自分を知り,心を低く通らせていただくのにもってこいかもしれません.その心は神様が受け取ってくださるでしょうし,にをいはあとからついてくるものなのかもしれません.今日のリーフレット配りで自分は多くの有形・無形の存在に支えられてこの社会で生かされているということを改めて実感できました.

今回私は自分自身の未熟さを痛感したわけですが,このようなことを感じることなく,勇んでにをいがけをされている方はすごいなぁと思います.にをいがけをされている方,正直どのようなことを感じながらされていますでしょうか?

※ アイデンティティとは自分らしさのことで,「自分とは何か?」「自分はどんな人間なのか?」「自分は何のために生きているのか?」などの問いに対する答えに該当すると思うとわかりやすいかもしれません.

手紙を書こう 

携帯電話やインターネットの普及により,距離が離れていても通話やチャット,メールなどでいつでも話せる時代になりました.このことは情報流通の面から言えば好ましいことなのですが,その一方で使用者の忍耐力を大きく下げているというデメリットがあるように思います.要するに,辛抱できないのです.

距離が離れていてもすぐに連絡がとれるということは,話したいことや伝えたいことはすぐに伝えられるということです.あるいはすぐに返事がもらえるということです.ひと昔前は伝達は家庭に電話を入れるか手紙くらいしかありませんでした.家庭には気軽にかけられない立場の人もあったでしょうから,主流は手紙だったと思います.手紙を書いて送って返信が届くまで早くとも1週間くらいはかかったでしょう.

今,メールは数秒で相手に届きます(電波の届くところにいれば).数秒で届くので返事が1分以内に届くこともしばしばです.こうした環境に長くいる最近の若者は,メールを送って少し返信が来ないだけで,「何で返事が来ないんだろう?」などと不安になったり,自分のメールを振り返って「ここの表現がまずかったのかな」などと落ち込んだりするわけです.挙句の果てに「メールなんて送るんじゃなかった」と後悔することさえあるでしょう.私もその経験はあります.最近はあまりありませんが,昔はよくありましたね.

相手は取り込んでて携帯電話を見る時間がないのかもしれませんし,電波の届かないところにいて届いていないのかもしれません.しかし,メールの「沈黙」に耐えられないのです.元々,いつでも都合のよいときに閲覧できるのがメールのメリットなのですから,返信がすぐに来ることのみを期待するのはおかしいのです.すぐに返事がほしいのならば電話をすればよいですし.皆さんはメールの本来の役割を忘れてはいませんか?(今日の趣旨とはずれますが,メールでのコミュニケーションが増えることのもう1つの弊害として,直接人に自分の言いたいことを相手に伝えることが苦手になるということもあると思います.)

そんなわけで,私もメールという便利ツールにすっかり毒されていまして,手紙は年賀状とあとはお世話になる場合,なった場合の依頼状・お礼状くらいしか書かなくなっているのですが,通信手段が他に選択できない場合もあるので,手紙を送ることもごくまれにあります.手紙はメールと違ってなかなか返事がきませんので根気が要ります.手紙のやりとりを通して人は,欲求が満たされない状態を抱え続け,辛抱することを覚えるといってもいいと思います.

メールが主流になり,文通の話などあまり聞かなくなったように私は思いますが,私は文通を今の子どもたちに推奨したいと思います.携帯電話をいつもポケットに入れて触れるようにしていないと不安になる症候群から脱するために,筆を執って手紙を書きましょう.メル友よりペンフレンドを作りましょう.もちろん直接的な対人交流があるのが最善ですが・・・.

(でもキーボードで打った方がペンで描くより3倍のスピードは出るんですよね)
※ 3倍にピンときた方は私と気が合うかもしれません.

祖父の帰還 

祖父が天理から帰ってきました.

18時17分に最寄り駅に着くことになっていたので,その時間には駅のロータリーで待っているという手はずです.しかし,今日は会議がありまして,その会議が5時半まで長引いてしまいました.帰りはすいてて45分,混んでれば1時間かかるのでマズイと思い,会議が終わるとすぐ退室し帰りました.

何故マズイのかと言いますと,一人で待たせると勝手な行動に出るからです.歳も歳なので危険です.帰りの道中弟から「じいちゃん発見したぜ」とメールが来ました.駅で待っていると祖父と一緒に弟もいました.どの電車に乗るかは知っていたので,学校から帰る弟が同じ電車に合わせて乗ったらしく,1両目から順番に歩いていったら3両目にいたそうです.祖父は「助かった助かった」と言っていました.

帰ってくると祖父がかばんから「いか」を出しました.よく見るとスルメのようです.「食べろ」というので,トースターで少し焼いて食べました.

「うまいだろう」と訊くので「うまいよ」と言うと「とれたてだからな」と祖父は嬉しそうに言いました.「カラカラに乾いているスルメがとれたてのわけないだろうよ」と私はすかさず笑いながらツッコミました.祖父は嬉しそうでした.
無事帰ってこれてよかったです.天理でおばさんと話をしてきたらしく11月の月次祭を境にまた山口に行くことになりそうです.戻ってくるのは父の五年祭と祖母の一年祭のときでしょう.わがやは隙間風,雨漏りが多すぎるので年寄りには厳しすぎます・・・.

祖父の行動 

朝10時頃,会長が私のところに来まして「おじいちゃんがいない」と言いました.家中探してもいないとのことで,以前のように(関連記事;祖父の行動)また一人で何処か行ったかなと思い心配しました.

実は昨日,山梨(実家)へ行きたいと言っていまして,25日からおぢば帰りの予定があるから疲れちゃうよと言ってなだめたということがあったので,もしかしてまた一人でバスと電車乗って行ってしまったのではないかと思ったわけです.

すると自転車がないということに会長が気づきました.山梨へ行くのならおそらくバスで駅まで行くので,自転車がないとうことは別の可能性を考える必要があります.朝市の広告を見ていたというので,買い物へ行ったか,それともまたお墓参りへ行ったかというあたりです.でもお墓参りは昨日行っているし朝チャコの散歩へ行っていたので違うだろうと思い,買い物も休日で車が使えるのにわざわざ自分で行くこともないですし,まったくもって不明でした.

しかし,探しようもないのでこちらは待っているしかありません.10時半くらいでしょうか.自転車の音がして帰ってきました.どこへ行っていたのかと訊くと「お墓参り」と言いました.会長が「山梨行ったのかと心配したよ」と告げるとにこにこしながら「山梨行くなら一言いっていくよ」と言います.「大丈夫だ」と言うくせに心配されるのは嬉しいようです.

一言あっても行かせるものかと思いながら私は聞いていました.老体で出かけられると家族は本当に心配なんです.遠出しないってわかっているなら構いませんがしかねない人なので心配なわけです.近くならどんどん歩いてもらって構わないんですけどね.自転車はそろそろ勘弁してほしい歳です.

明日からのおぢばがえりも叔父の車に乗せてもらうのですが,叔父の教会の最寄り駅まで一人で行くので,乗換えなしの一本でいける電車を調べてそれに乗せて駅で叔父さんに拾ってもらい,帰りも同様の電車に乗せてもらい,私が仕事帰りに拾う予定です.

秋季霊祭 

今日は秋の霊祭でした.
私は朝祖父とお墓参りに行きました.昼から祭典でした.
祭文を聞いていると私も知らない名前が何人も出てきて,先代の苦労や色々な方の思いがあって今日の教会があるのだなぁというのを思います.
参拝者は家族を含めて5人でしたが,御霊様の前で直会もしましたし,結構に勤めさせていただいたと思います.四男の彼女もまた来てくれました.
無事勤められて何よりです.

アートセラピー 

昨日のアートセラピーは毛糸画(←勝手に名づけました)をやりました.
普段,文字や絵を描くときって,ペンなり鉛筆なりで描くかと思いますが,それをペンを使わずに毛糸でやろうというのです.ウォーミングアップとしてまず「雲」を作りました.雲の写真はとらなかったのでありません.皆いろんな雲を描きます(作ります?).1つだけの人,複数の人.日本むかし話のような雲を作った人もいました(スタッフでした).けっこう難しいもので形を作るのももちろんそうなのですが,のりづけが面倒でした.くっつきにくいんです.

さて,ウォーミングアップの後は各々が好きなように画用紙に作品を作ります.私は何にしようかなぁと迷ったのですが,ふと頭にみのむしが浮かんだたので,みのむしを作ることにしました.茶色い毛糸を短めに切ってそれを画用紙に貼るだけですが,けっこうたくさんの毛糸が必要で切るのも大変でした.ペタペタ貼っていって目がいるなぁと思い,オレンジの目を作ったのですが,貼ってからメンバーに「みのむしって目そこじゃないよ」と言われ,ハッと気付きました.

そうなんです,みのむしって蓑の中に虫が入っているのであって蓑に目は間違ってもついていないんです.しかし,もう後戻りできなくなっていた私はミノーン(ドラクエに出てきます)であるという合理化をしました.本体だけでは寂しいので葉っぱをつけてあげて完成!となりました.結果的にはなかなかの作品ではないかと思います.私のことばかりですが,守秘義務の都合上,患者さんについては書けませんのであしからず.

皆さんもたまにはアートをしてみると楽しいですよ.

アクセス100人突破 

昨日,一昨日と2日間,一日のアクセスが100ipを超えました(初めてです!!).つまり,100台以上のPCや携帯の端末から当ブログにアクセスされた方がいるということです.読んでくれたかどうかは別にしても私の中では1つの達成感であります.

今年の4月中旬よりきちんと書こうと思ってやってきまして,ひとつの大台を超えた気がします.もちろんアクセス数を増やすために書いているわけではありませんが励みにはなります.
(目的的にはアクセス数よりも読んだくださった方に神様の存在や働きを知ってもらえることの方が重要です.10000人が笑うブログよりも50人が神様を身近に感じられるブログにしたいですね.)

ブログを通して私自身いろいろ勉強になっています.文字にするということは,漠然としている考えや気持ちを整理することになりますので,私の価値観も少しずつですが形を持つようになってきています.また,文章としてまとめるので構成的に文章を書く習慣が身についてきています.種探しに色々なことに関心を持つようにもなっています.加えて過去ログを保存しておけば,将来自分が教会長になったときの話の種にもきっとなってくれるでしょう.それは私の心強い味方となってくれるはずです.

更新は大変なときもありますが,種まきになると思って頑張ろうと思います.

敬老の日 

昨日は敬老の日でしたね.私は用があって家を空けていたのですが,皆さんはいかが過ごされたでしょうか?

敬老の日はご存知の通り,お年寄りに感謝する日です.

母の日の記事と同様になってしまうのですが,敬老の日はお年寄りに感謝することだけでなく,お年寄りが寄る年波にも負けず,昨年と変わらずここにいることに感謝する,という神様への感謝も忘れずにしたいものです.変わらずに生きていることの影には,もちろん彼らの生活を支え見守ってきた子どもや孫,あるいは親戚,そして社会的資源としての援助者たちの存在があることは言うまでもありませんが,それをよいものにしてくださったのは,私たちに身体を貸してくださっている親神様のお働きによるものです.

ご老人に感謝すると同時に,神様に感謝する気持ちも忘れずに過ごすことができるといいのかなぁと思います.今回忘れてしまった方は,(日頃から忘れずにいれればなおいいのですが)家族の誕生日,あるいは来るこどもの日,母の日,父の日などに是非思い出していただきたいと思います.

月次祭後記 

昨日の月次祭は13人で勤めさせていただきました(うち家族5人).

四男が初めて地方をやりました.嫌がっていましたが叔父さんにも言われてやりました.一方四男の彼女はおつとめ中神殿に座っていました.おつとめは初めてなので彼女の目にどのように映ったのでしょうか?講話も最後まで聞いてくれました.

また来てくれるといいなぁと思います.とってもいい子なんです.うちは男5人兄弟で女の子がいないので会長も華があってよいと来てくれるのを楽しみにしています.私も妹がいたらこんな感じなのかなぁと思っています.

月次祭 

今日は月次祭です.

昨日は四男の彼女が午後からひのきしんをしに来てくれました.私は昨日は仕事でしたのですごく助かりました.(ちなみに買出しと調餞は三男が行ってくれました.)台所は私はめっきりですので本当に感謝しています.そして,教会に喜んで足を運んでくれることを嬉しく思います.わがやを気に入ってくれているみたいで幾度となく遊びに来てくれているのですが,喜ばしいことです.会長と琴の練習もしたようで,よろづよ八首を覚えたと会長より聞きました.

今日もこれから来てくれるみたいです.少しずつでもお道のにをいがかかっていくといいと思います.
写真は献餞前の神床です.したがって円座や鳴り物は定位置にはありません.

講義依頼再び 

次の講義の依頼がありまして,正式に決定しました.来年2月よりまた看護学校にいきます.

前回は3年生の前期の講義だったのですが,学生の声を考慮し,2年生のうちに5コマ,3年生になってから10コマという学年をまたいでの変則的な配分となりました.評価も一応2回しなければならないので前回より大変です.もっとも次はレポートではなくテストにするつもりですが.

次は初めての経験ではないので言い訳もできません.わかりやすく人にものを説明することにかけては本当に自信がもてないのですが,続けて依頼があったことをそれなりにできていると無理矢理信じることにします.それでも緊張せずにできるかという心配はつきまといますが,前回よりわかりやすく楽しい授業になるよう準備したいと思います.また,聞くだけの受け身の授業でなく,ワークも多く取り入れて参加型の授業にしようと考えています.準備期間は5ヶ月ほどありますので,暇を見つけてぼちぼちとやっていきます.

また,学校より体育祭の誘いがあったのですが,その日は教会の御用で都合が悪いので残念ながら行けません.

祖父と食事 

今日は仕事が休みでしたし,敬老の孝行ということで祖父(前々会長)を食事に連れていってあげました.

祖父はあまのじゃくですので誘うと,「なんか買ってきて家で食べることにしようや」と言います.私たち兄弟はもう対応には慣れていますので,あしらい方はお手のものです.

結局,行くことになり,せっかくなので会長もということで3人で行きました.会長の話だと寿司屋の広告を眺めていたということで,家で食べるとか言っていながら,外で食べることも考えていたのかと思いつつ車に乗りました.

祖父に何が食べたいか訊ねると「何でもおまえが連れてったところへ行くよ」と言います.やれやれ,素直じゃないなぁと思いつつ,行き先を寿司屋に決めました.もちろん,全皿100円の回転寿司ですが.

店に着くとさっそく祖父はトイレタイムです.(利尿作用のある薬を飲んでいるのでトイレは近いのです.)転ぶといけないので一緒についていきました.用を足した後,片手しか手を洗わないので「寿司食べるんだから両手荒いなよ」というと渋々洗います.乾燥機で手を乾かしながら私の方を見ながらにこにこしているので,よほど楽しいんだろうなぁと思いました.

席に着き,何を食べたいか訊くと,「もう店に着いたし帰ることにしようか」と言います.ここで気を悪くしたら負けです.祖父とは付き合えません.「それでもいいよ」と受け流しつつ,しばらくの間を置きます.後は好きそうなのをとってあげて,目の前に置けば自然と食べます.祖父の扱い方にかけては他の兄弟の方がうまいかもしれません.私は9年家を空けていた身ですので.

寿司なんて高価なものは家族一員久々でしたので,とてもおいしかったです.外食自体しばらくぶりでした.

帰ると祖父は疲れたのか昼寝に入りました.小さい頃,私たちの面倒をよく見てくれた祖父も齢84ともなると老います.これでもだいぶ丸くなったなぁと思います.祖父についても父同様,時間をかけていろいろ書いていきたいですね.祖母についてもですが・・・.

何はともあれ,祖父に喜びを与えることができてよかったと思いました.それを見て自分も喜ばせていただく.まさに陽気ぐらしです.

PCの電源が・・・ 

今日のブログを書いていて,さぁ投稿というときに,PCの電源が突然切れてしまいました.さらに起動の際に復元に失敗し,せっかく作った文章が全部消えてしまいました.

書き直す気力がないので,今日はこれでやめにします・・・.

今日はなんだか仕事忙しかったです.予約や所見がたまってきて最近忙しいです.

減らない飲酒運転 

飲酒運転による交通事故の報道が頻発しています.数年前に道路交通法の改正により,飲酒運転に対する取り締まりはかなり厳しくなったと思いますが,それでもなお飲酒運転をしてしまう人が多くいるようです.

「自分に限ってないだろう」「このくらいの量なら大丈夫」「酔いさましたから大丈夫」といった油断が事故を引き起こすということは言うまでもないことなのですが,社会のルールを守るという常識からの明らかな逸脱行為であるということをもっと認識する必要があると思います.社会人であるならば検問で捕まったり,事故を起こすことで社会的な信用にどれだけ影響するか容易にわかると思います.

別にわざわざ言うほどのことでもありませんが,私は飲むときは絶対車は乗らないと決めていますので,車のときは飲みません.もっとも私は大学院の修士論文提出後に,解放感からお酒を飲んだ後自転車の二人乗りをしてカラオケに行く途中,自転車のブレーキがきかず坂道で止まれなくて6mほどの高さから転落して相方と救急車で運ばれた経験があります.私の方が落ち方がよく身体が動けたので,救急車を待つ間におさづけを必死で取り次がせてもらったのを覚えています.幸い,2人とも大難を小難におたすけいただきましたが,大いに反省する点がありましたし,色々嫌な思いもしました.数時間後~数日は私は独歩はおろか寝返りすら苦痛なほどの全身打撲でした.自転車でさえこのようなことになりうるのですから,車を運転するなど言語道断です.

やはり本人は大丈夫だと思っていても,酩酊状態は注意力,判断力などの認知・思考機能が落ちますし,三半規管にアルコールが作用し,身体の平衡感覚を狂わせますので千鳥足に知られる通り,あらゆるバランスを欠いてしまいます.飲んだら乗らない!乗るなら飲まない!を断固守るのがマナーです.

万一事故を起こしたらどのようなことになるか.悔やむのは本人だけではありません.被害者やその家族も悔しさと悲しさ,怒り,憎しみなど本来抱えなくてもよかった感情まで抱えることになり,苦しむことになります.ニュースを見る度に「なぜ乗ったのだろう?」「周囲はとめなかったのだろうか?」と加害者の行動を疑問に思うと同時に,被害者がかわいそうでなりません.

飲むときはお金がかかっても公共交通機関を,なければタクシー,運転代行を使いましょう.それがもったいなければ飲むのを我慢しましょう.もっとも摘発や事故に遭うことを考えれば,安い料金だとは思いますが.大抵の人が車で任意保険に入るように,飲んだ際の保険と思えばいいでしょう.私はもったいないので代行やタクシー使うくらいならお酒は飲みません.

おぢば帰りにいかが? 

格安安心高速バス(http://www.kakuyasubus.jp/)

最近は格安のバスが多くありますので,急ぎでなければ昼行や夜行のバスでおぢば帰りするのも帰参費用を抑えられていいですよ.私はいつも格安バスで帰参しています.JTBやみどりの窓口でも買えますが,ネットでの購入は待ち時間がないのでオススメです.

私が学生時代よりよく乗っているのは青春ドリーム京都号(夜行),東海道昼特急大阪号です.いずれも東京駅発です.前者はJR奈良駅まで片道5000円,10日以内なら往復割引で9500円,後者は京都深草まで5700円,10日以内なら往復割引で9200円という格安バスです.往復でも新幹線の片道以下ですね.ただ,青春ドリーム号は4列シートなので見知らぬお隣さんがいますし,観光バスタイプで狭いので「ゆったり快眠」というわけにはいかないかもしれません.気にならない方はどうぞ.私は快眠です!昼特急は3列なのでわりとゆっくりできます.

バスを降りてからですが,前者の場合,JR奈良駅からJR天理駅まで200円です.後者の場合,京都深草下車で徒歩3分ほどで京阪藤森駅,そこから丹波橋経由で近鉄に乗り換え,近鉄天理駅まで820円です.どちらかと言えば,青春ドリーム号の方が安いですね.

また,電車に乗りたくないのであれば,関東バスのやまと号に乗れば片道8400円,往復割引15120円で行けます.少し割高ですが,それでも新幹線より安いですね.これはJTBか高速バス座席センター(TEL. 03-3928-6011)で予約・購入できます.

関東圏の方にしか今日の情報は参考になりませんが,掲載したサイトは全国の格安バスの予約ができると思いますので,どうぞ調べてみてください.

はだしのゲン 

GYAOのアニメで11日まで「はだしのゲン」の映画が見れます.

GYAOは無料登録できますので,是非見てください.

原爆の恐ろしさを改めて痛感します.私が小学校の頃は何回かTVで見た記憶がありますが,ここのところ地上波で放送することなかったですものね.是非見てください.毎年TV放映してほしいと思います.

戦争を経験した世代がいなくなる時代がじきにやってきます.安部氏は憲法改正を唱えていますが,再び軍国主義の道を歩むことだけは避けなければならないと思います.侵略戦争ではなく,国際紛争の一助のための手段だとしても武力行使は絶対にいけないと思います.本来互いにたすけあって,陽気ぐらしを目指すべき人類が殺しあう必要はありません.どんな大義名分を掲げてもやっていることは殺人です.日本はいまだ唯一の被爆国であるのですから,せっかくの平和憲法を失くしてはならないのです.

靖国参拝に賛否両論の声があがっています.もちろん戦争で命を落とした人に敬意を払うことは必要です.しかし,もっと大事なことを政府の高官は口にしません.戦争で苦しみ,恐怖を味わった人がなお生きていて彼らが何を願っているのか,戦争で命を落とした人の犠牲が何のためであったのか.そのことを考えれば日本が戦力の保持をせず,平和であり続け,核廃絶,武力廃絶(これは無理か)のために尽力していくことが,彼らへの最大の手向けになるのではないかと私は思います.戦没者をないがしろにするつもりはありませんが,戦災被害者への支援などもっと他にすべきことがあるのではないかと私は思います.

どうか争いのない平和な世の中になりますように.

18日は吉野家牛丼限定復活 

18日は1日だけ吉野家の牛丼が復活するらしいですね.敬老の日にいかがですか?380円だそうです.
(ご老人にはボリュームありすぎるかもしれませんが・・・うちの祖父は大盛でもきっと食べてしまいます.)

吉野家と言えば,私が子どもの頃の大ご馳走でありました.父とどこかに出かけた後(大抵は教会行事)に,帰りにたまに食べさせてくれたのです.それが私たち兄弟には大きな楽しみの1つでした.当時は並が400円,大盛が500円だか550円,特盛が600円だか650円だったと思うのですが,子ども5人車に乗っていれば,プラス父(たまに母も)で6~7人前になるので,概算しても3000円程度はいってしまいます.しかも食べ盛りで親の負担など考えもしなかった頃ですから,大盛・特盛を遠慮なしに食べました.父は大きな身体に似合わず,いつも並を食べていたのを覚えています.今思うと,本当に経済的には貧しかったので大変だったろうなぁ,子煩悩だったなぁと思います.

もう父と吉野家に行くことは叶いませんが,もし行けるのなら腹いっぱい牛丼を食べさせてあげたいなぁと思います.そして,今書いたような昔話を父にしてあげたいですね.吉野家が完全復活したら,代わりに祖父を連れていってあげようと思います.18日はきっと混雑するでしょうから難しいかもしれませんね.

根(2) 

昨日とは違う視点で,根について書きます.

根は地中深く張り付いて幹と樹冠を支え,幹や枝葉を成長させるために地中より養分を取り入れる重要な部分です.心理学的には根は目の前にある世界との接触の仕方を表したり,自我の安定感を表したり,無意識からの欲求や精神的エネルギーの伝達の仕方を表したりします.

家庭に置き換えると祖父母あるいは老人の役割と言えるでしょう.家庭の柱となる夫婦や次の世代を担うまだ若葉である孫に知恵や生き方を伝えていくのが根である祖父母あるいはそれに代わるものの役割です.根がしっかりと息づき地中から養分を吸い取ってもらえないと木は成長していくことができません.根あってこそ生き生きした樹木に育つことができます.同様に,家庭においてもやはりこれまでの○○家という樹木を培い支えてきた祖父母あってこそ,生き生きした家庭が育まれていくものと思います.

根が枯れると木は枯れる・・・地中にあるため目立つことはありませんが,見えないところから支えてくれているのが根であり,家庭でたとえると祖父母ないし老いた両親かと思います.これまでの彼らの働きに敬意を払いつつ,孝行していくことが今後家庭が緑豊かに色づいていくことにつながるのではないかと思います.

そういえば,今月18日は敬老の日ですね.連休ですし,普段会えない方は是非,家を支えてきたご老人に孝行してあげてください.それが肥やしとなり,ゆくゆくは家が成長していくことにつながります.

根(1) 

今日は祖父の診察日だったので,休みをとって病院に連れていきました.10時受付だったので10時少し前に病院に行き,採血・心電図・レントゲンととってもらって,その後診察でした.経過は問題ないということでよかったです.前回の医師はぶっきらぼうだったということですが,今日の医師はとても雰囲気のいい先生で,安心して診察を任せられそうです.その後会計と処方箋とですべて終わったのは12時半過ぎでした.長かったです.次回は10月3日の診察なのですが,10月は月次祭が火曜日で,さすがに月に2回火曜日は休めないので,来月は次男に行ってもらおうと思います.

家に帰ってから,お盆中に切った木の根を抜いてしまおうと思って,スコップを手にとり,掘りまくりました.祖父も口を出しに来て会長も根を集めるのをやってくれたので親子三代で取り組んだことになります.2時間ほどやったでしょうか・・・.ぐったりでした.(でも夕方ちゃんとジョギングはしました.)

根はかなり地中深く張り巡らされていて,掘っても掘っても先端が見えないものもありましたし,ある程度掘ると力ずくで引っこ抜けるものもありました.また,太い根もあれば細い根もありました.途中で水道管にぶち当たり,もう少しで貫通させてしまうところでした.

根を掘りながら,心にこれだけ根があったら大変だなぁと思い,今日のブログに記述することにしました.

お道は「根」を切る教えだと私は思います.お道が病救けではなく「心救け」の教えであるのは,すべての根本となる「根」と断ち切ることにあるからです.(関連記事;いんねんや世代間連鎖は断ち切れるのか?)その根は今日引っこ抜いた根のように,なかなか先端が見えませんし,簡単には抜けないものもあります.うっかりすると大事なものまで壊しかねません.ですから,根が深くならないよう心の掃除をおこなう必要があるのだと思います.深く太くなってしまった根は本当に取り除くのが大変です.今日私は身をもって体験しましたが,ほこりとなる心遣いもまた,積み重なれば心の畑に深く根を張り巡らし,簡単に払うことができなくなります.根が深くならぬよう,日々の暮らしの中で悔い改め,人が喜ぶこと(神様がお喜びになること)をさせていただくことが肝要であると思います.

明日,もう少し「根」について別の視点から書きたいと思います.

ガチャピン日記 

皆さんガチャピンを知っていますか??「ひらけポンキッキ」にムック(イエティ)と一緒に出ていた恐竜の子ども(?)です.私はムックよりはガチャピンが好きでした.そのガチャピンがブログを書いているようです.8月いっぱいで終了の予定だったようですが,人気のため,ガチャピンは頑張る決意をしたそうです.是非読んでください.記述内容の質に比例しない膨大なコメント,さすがガチャピンです.私もちょこちょこ読んでいます.

ガチャピン日記
http://gachapin.fujitvkidsclub.jp/

今日も研修 

今日も行ってきました.

9時半~17時くらいまでで休憩がお昼の30分しかなかったので疲れました.しかし,講師の先生がすごく分かりやすく解説してくれたので,珍しくほとんど睡魔を感じることなく集中して受けることができました.

職場のスタッフに講師の勤務先の見学の約束を取り付けてくるように言われていたので,終了後講師の一人にお願いにあがりました.すると「10月いっぱいまで見学はいっぱいなので」と言われ,後日メールをいただくことになりました.人気者ですね.

とても勉強になった2日間でした.

そうそう,そういえば昨日今日の練習相手をしてくださった方にこのブログを教える機会がありました.親しい友人以外に教えることって今までなかったので,このブログがどう映ったのか少し気になるところです.よかったらたまにでものぞいてもらえると嬉しいですね.

SST研修会 

今日はSSTの研修に行ってきました.SSTとはSocial Skills Trainningのことで生活技能訓練と呼ばれます.要するに生活技能の獲得のための集団訓練です.色々書きたいのですが,エネルギー切れです.また学んだことをぼちぼちブログに書いていけるといいですね.

明日も引き続き研修ですのでこれにて.

8月体重推移報告 

8月のV作戦の報告をします.

8月7日に70.0kgであった体重が8月31日現在で66.8kgとなりました.まずまずのスタートと言えるでしょう.

ルーチンとして運動面は以前より行っていた筋トレ(無酸素運動)に加えジョギング(有酸素運動)を取り入れ,食生活面では間食と飲酒を控え,ご飯は控え目にし,野菜を多く摂取するようにしました.

目標は64kgですので,もう1~2ヶ月かかりそうです.ほどほどに頑張ります.

(未達成日報告)筋トレ  1日
ジョギング  2日
間食なし  2日
飲酒なし  3日
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