お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

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夢を通して御霊の働きを感じたことから 

久しぶりに父が夢に出てきました.
教会の大祭か奉告祭のような雰囲気だったのですが,祭典中に父が私の勤めている病院の副院長に「まおがいつもお世話になっております」と言っています.副院長は「いやいや」と返答します.
その後目が覚めました.出直しているのになぁといった違和感は劇中にはありませんでした.副院長が祭典に参拝することはありえないんですけどね.

目覚めて最初に思ったことは「あっ父さんお世話になってますって言ってたな.知ってたのか.やっぱ見守ってくれてるんだなぁ」ということでした.

ただの夢じゃないかと言われればそれまでですが,そこで終わってしまうのではあまりにも味気ない.私は今朝の夢を通して御霊となった後も私を,私たち家族を見守ってくれている父の存在を感じることができたのです.これはとても素晴らしいことです.生果てた後もその存在を感じることができること,内的に形成された信頼感の永続性とでも言えましょうか.皆さんも同様の経験あるかもしれませんね.

ここで大切なことは,それが実証的であるかということではありません.少なくとも私はこの夢を通して私にとっての内的現実として父に守られているという感覚を得ることができ,そのことで自分の人生が自分だけの力で成っているのではなく,他の力や守護の中に成り立っているということを信じることに成功しているのです.そして,それを感じられるということは巨視的に見れば,人生の様々な局面において自分の成功体験の中にもちろん自分自身の努力を認めるけれども,そのことだけではなく,色々なものの力を借りて,あるいは助けられて今の自分があるという感謝の心を培うことにつながるのではないかと思うのです.

悪影響を与える恐れがあるのなら科学的実証性を検証することも必要かもしれませんが,この手の人間の成人に貢献することであれば,私は個人内体験で意味があればそれでいいと思います.宗教や信仰はつまるところ,個人の心に訴えるものであり,それが心の遣い方をよい方向に成長させ,行動を動機付けるのです.個人でよいと思っていても,そこから導かれる心の遣い方や行動が他者に迷惑をかけるものであれば検討の余地はありますが.
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視線が上に向くこと 

車内を見回しても街中を歩いていてもそうなのですが,広告や宣伝などの情報って大抵は視線と同等ないしはそれより高い位置にありますよね.

実はこれらに目が行くことってとても大事なことなんです.人は気分が塞ぎがちになるとどうしても下を向くことが多くなります.悩みを抱えていたり,落ち込んでいたりするときってそんなことないですか?うつむきがちなので,人にぶつかりそうになったり,友人が近づいているのに気がつかずびっくりしたりという経験あると思います.

車内の広告や街の宣伝やネオンに目が届くことって自分に上を向くだけの力があるということなのです.悩みや心配事で心を遣って下を向くことが多くあったにしろ,それとは別なところで機能する健康な部分があるということです.うつむきがちなその人だけでなく,そうでない健康なその人もいるということなのです.そのことを知っておくと,落ち込みの中にも,その落ち込みに呑まれない自分がいることに気がつけます.それが救いとなることもあるかもしれません.

よく悩み相談や精神科・心療内科の看板が車内や街の高いところにありますが,あれは宣伝効果を120%は発揮していないように私は思います.なぜならば本当に悩んで落ち込んでいる人―とりわけうつ病と診断されるような人であれば,外を歩いていても極端なことを言えば自分の目の高さより上に視線を向けることが残念ながらあまりありません.せっかく助けになる情報を提供していてもそれに気付くことがないということが多々起こりうることと思います.

今,うつ病が「心の風邪」と言われ,ようやく世間一般に誰にでも起こりうることとして認知されてきたのですから,車内広告は車両上部だけでなく,足元にも広告を貼るようにするといいのではないかと私は思います.今まさに落ち込んでいる人が足元にある広告に気がついたのであれば,その足で援助を求めに向かうかもしれませんし・・・.もっとも,自分たちの広告が必然的に乗客に踏まれるという事実に,広告主は抵抗を示すということもあるかもしれませんが.

街の看板も高いところだけでなく,低い位置にもつけるといいのです.キリスト教の聖書の引用などが街角の塀のわりと低い位置に掲げてあるのを見かけることがありますが,あれなんかは効果的だろうなぁと思います.

秋葉原へ寄ってみました 

今日も講座の後半眠くてうたた寝気味でした.

帰りに久しぶりに秋葉原に寄ってきました.というのは2年前にパソコンを買ったときに貯まったポイントの有効期限が迫っていたからです.1000円以上をみすみすチャラにするのはもったいないですので.

秋葉にきたのはかなり久しぶりです.ハロウィンの影響か駅前にはカボチャのかぶりものやスクリームのかぶりもの(白いヤツですね)、魔法使い、メイドなどの格好をした人がいました.電車男以来(?)秋葉原は若者の脚光を浴びるようになったのかかなり街の様子は変わっていました.数年前は飲食店もろくになかったですしなんといっても歩いているのはほとんど男性でした.それが飲食店はたくさんあるし女性もたくさん歩いているし秋葉は若者の街に変貌を遂げたかのようでした.

小1時間ほどブラブラしただけですがやはり小売店は量販店と比較して圧倒的に安いです.代わりに量販店のような長期保証はありませんが小物や周辺機器など長期保証を必要としない製品を買い求めるのであればついでに足を運んで損はないでしょう.わざわざ行くのだと往復交通費を計算にいれないといけませんが.

結局何を買ったかといいますと特にほしいものもないので消耗品のメディアを購入して帰ってきました.

今日も疲れました.ジョギングに各手足2kgずつ計8kgの錘をつけているのが思いの外疲労として蓄積されているようです(特に足).今日は筋トレだけにしておきました.ジョギングはお休みです.身体もかなり締まってきましたよ.横腹の肉がなかなか落ちませんが,停滞期を辛抱して乗り切れば道は開けるでしょう.

家族員の表記 

当ブログ内での家族の表記についてです.
祖父=初代会長,父方祖父
祖母=父方祖母(うちの信仰は祖母からです)
父=二代会長
母=会長(三代会長)
私=まお,長男
長兄=まおの1つ上,共に育った兄弟,父の親友の甥
長弟=まおの1つ下,次男
次弟=まおの3つ下,三男
末弟=まおの5つ下,四男
チャコ=愛犬(老犬)
混乱したときはここに戻ってきてください.

車内にて 

講座が終わり帰りの電車です.

電車の中で立って新聞を広げ読みしている小学生を発見!!何を読んでいるのかのぞいてみると…『週刊碁』…日経新聞とかじゃなくてよかったです.まだこどもらしいですよね.車内で立ち読みの格好はともかく.

今日はかなり疲れたので夜のエントリはないかもしれません.元気があれば書きます.

不定愁訴について 

今日の研究会は学生が多かったということもあり学生向けという感じでした.それでもせっかく行ったので皆さんにも何かお土産をと思うのですが・・・.

というわけで「不定愁訴」について.

不定愁訴とは「なんとなく頭が重い」とか「なんとなくすっきりしない」とか体の不調を訴えるのだけれどもどこが悪いのかはっきりしない漠然としたもののことを言います.倦怠感や疲労感,頭重,しびれ,動悸など訴えが多いのが特徴です.この手の訴えがある人って結局何が困っているのかがなかなか明確にならないんです.皆さんの周りにもいませんか?不定愁訴に限らず,色々訴えはあるのだけれども結局一体何に困っててどうしたいのかがわからない人って.

そういう人の話って終わりがなかなかなく,話もダラダラ聞いてしまうことになるので,聞く方は結構大変なのではないかと思います.そんなときは,ズバリ「一体何が一番困っているのか」を聞いてあげるといいと思います.その質問で「そういえば私って何が困っているのだろう?」と考えてくれればしめたものです.そのことに焦点を当てて聞いてあげればいいのです.あるいは,多訴の中で順序をつけてもらうというのも自分の困っていることの整理になるかもしれません.

相手の話にじっと耳を傾けてあげることももちろん大事なことですが,費やせる時間には限りがありますし,人の集中力にも限界があります.ときには,漠然としたものを明確になるようにショートカットしてあげることもまた必要な場合もあります.

明日と明後日はまたロールシャッハ・テストの研修です.

弦張ってみました 

先日会長がギターの弦を切ってしまったので弦を買ってきました.ヤマハの弦は800円して高かったので500円の聞いたことのない弦にしました.弦をはりかえるのも5年ぶりですのですっかり忘れてしまい,適当に張ってみたもののなんとなく心許ないので長弟に電話してみましたが出ません.オタク青年をしている友人に電話をしてみましたが「今殿内や」と言われて断念….結局また長弟に聞きました.
ようやく弦が張れましたので明日からまた触ってみようと思います.

今日はこれから研修です.『初回面接で心理士が知っておきたい精神科領域の基礎知識』だそうです.実は外から携帯で書いています.人身事故の影響で電車が来ません.時間潰しのようなエントリですいません.

立教の日 

「我は元の神・実の神である.この屋敷にいんねんあり.このたび,世界一れつをたすけるために天降った.みきを神のやしろに貰い受けたい」
とは,親神天理王命が,教祖中山みきの口を通して仰せになった最初の言葉である.
家人は,この思いがけぬ啓示にうち驚き,再三言葉を尽して辞退したが,親神は厳として退かれぬにより,遂に,あらゆる人間思案を断ち,一家の都合を捨てて,仰せのままに順う旨を対えた.
時に,天保九年十月二十六日,天理教は,ここに始まる.
「天理教教典」冒頭より引用
立教の日より数えてちょうど169年の月日が流れました.宗教の歴史としては浅いかもしれませんが,この教えの素晴らしさはその歴史の浅さを埋めるものであると思います.天理教教会本部では,この日に秋季大祭として祭典がつとめられています.今日も多くの参拝者が天理に集ったことと思います.うちの教会からは会長が参拝に行っています.

余談ですが,同様に教会本部では春季大祭として1月26日に祭典が施行されています.これは明治20年1月26日に教祖である中山みき様(おやさま)が齢90歳で現身をお隠しになられたことに由来しています.身体はお返ししたけれども魂は永久に元のやしきに留まり,存命のまま,私たちを守ってくださっていると教えられています.

今月は参拝することはかないませんでしたが,来月の月次祭には私も参拝させていただく予定です.少し前から行きますので,久しく会っていない友人たちよ,杯を交わそうではありませんか.

雑記 

不思議なのですが,なぜか移転前のブログの方がこちらよりもアクセスが多いです.携帯電話からの閲覧者がかなり多いということなのでしょうか?あちらは更新もないのでだんだん減っていくと思いますが・・・.記事も少しずつ移行させていきましょうかね.

このブログは「更新率」を表示しているので,なんとなく無意味なエントリでも書いてしまいます.

今日はアートセラピーの日です.何をしようかな.

新たな講義依頼 

先日,某大学から講義の依頼がありました.

昨年から大学の精神科医よりほのめかされてはいたのですが,ついに正式に依頼がありました.臨床心理学全コマということではなく,5コマほど担当してほしいという依頼なので,物理的負担としてはそう大きいものではありません.しかし,優秀で話の上手な先生の代わりに教壇に立つわけですから,その心理的負担は大きなものです.畏れ多いとしかいいようがありません.そのことを先生にもお伝えしたのですが,好きなようにやって構わないとのお言葉をいただき,多少気は楽になったものの,逆にそれだけの自由度が与えられているということはそれだけ私の力量が試されるということでもあるので,気懸かりで仕方ありません.さらに,この大学は学生による教員の満足度評価があり,教員は学生によって評価されるようです.非常勤講師として数回顔を出すだけの私がその評価の対象に入るのかはわかりませんが,ひやひやものです.

結局自然な流れで,履歴書等必要な書類に記載をして先生に渡しました.自分の糧になるというプラス面もある故,なんとしても断ってやる!などというつもりもなく,自信ないけどいいのかなぁというくらいだったので,まぁこれでよかったのかなぁとも思います.神様が少しずつ私に色々経験を積ませてくれていると思うととてもありがたく思えます.いきなり大きな仕事を抱えてしまったら処理しきれませんものね.

講義は来年の秋ですから,それまでに次の看護学校の講義も終了していますので,おそらくレベル3にはアップしていると思われます(1期の講義で1レベルUPという安易な計算ですが).それに期待して今から覚悟を決めておこうと思います.

ところで,病院の仕事の方もけっこう忙しくなってきた感じがあり大変です.涼しくなってきたので夏とは打って変わって夜は快眠です.いくら寝ても寝たりないほどです.日中も眠いことが多いです.これは困ります.病院での仕事については,どうしても守秘義務に触れることが多いのであまり書けません.書ける範囲でたまにでも書いてみます.

いやな思い出の曲 

WOW WAR TONIGHT(H Jungle With t)とロビンソン(スピッツ)です.

これらは当時15歳だった私を嫌な気分にさせる代表的な曲でした.私と天理高校時代同期で北寮生だった人はこの2曲からよいイメージを描くことは困難であるかと思います.この曲が流れる度に憂鬱な一日の始まりを感じたことでしょう.そして夜床に就くとき,この曲が流れる時間が来ないことをどれだけ願ったことでしょう.

「ムーブメントなんて起こさなくていいからそっとしておいて!」
「新しい季節は何故か切ない日々で・・・って春爛漫の時期は切なすぎるんです」

今となっては笑い話ですが...つらい日々でした.

親神とはいかなる神か? 

この手の教理の本質の部分を未熟な私が記述するのは畏れ多いのですが,ブログの読者は信仰者に限らない故から,お道にとって欠かせない部分を記述していくこともまた必要であると思います.しかしながら,当ブログに於いて記述するのは「まお」という一人の人間であり,その人間思案ゆえから誤った記述をすることもまたあるかと思います.それを予めご理解の上,教理に関する記事は閲覧いただければと思います.

まずこの疑問に答えるには立教から記述する必要があるように思います.

天保9年(1838年)10月26日がその始まりなのですが,天保といえば享保・天明に続く江戸三大飢饉の1つであり,大飢饉の影響で前年の天保8年にはご存知「大塩平八郎の乱」も起こり,各地で打ちこわしや一揆などが続発した時期でもありました.立教に関して民俗学や宗教学的視点から色々研究がなされているようで,大学の頃に習った覚えがあります.

立教の日,大和の国庄屋敷村(現奈良県天理市)の中山みきという女性に親神様は天降ったと言われています.中山みきの口を通して「我は元の神・実の神である.この屋敷にいんねんあり.このたび世界いちれつをたすけるために天降った.みきを神の社にもらいうけたい」との啓示があり,これが天理教の始まりとなったと聞かされています.

そしてこの啓示にタイトルの疑問への回答があるのではないかと思います.親神様(親神天理王命)はご自身を「元の神・実の神」と仰せになっております.「元の神」とはもんかたない(何もない)ところから人間をはじめすべての物をお創りくだされたという始まりの神であります.何のために創られたかと言いますと,人間が陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい故からです.「実の神」とは,私たち人間をはじめすべてのものを創造して以来,人間にその創造の目的である陽気ぐらしをさせてやりたいために今も私たちをご守護くださる真実の神であります.

したがって,端的に述べるならば,親神様とは人間を創造され,以来私たちを守ってくださっている神様ということになるかと思います.そして,「いちれつ兄弟」と教えられているように,人類は皆親神様からすればかわいいわが子であり,我々から見れば親であります.

親であるゆえ,子どもの成人(成長)を期待されています.親となった方ならば経験済みのこととは思いますが,子どもかわいいゆえから子どもをほめることもありますし叱ることもあります.手を差し伸べて助けてあげることもあれば,手を差し伸べたいのをこらえて子どもが自分で達成するのをじっと辛抱して見守ることもあると思います.

今まさに苦難のその最中にある子どもからすれば「何で助けてくれないの?」と思うことも多々ありますが,その優しさから厳しさまでのスペクトラムの中で一貫して存在し続ける「子どもかわいいゆえの親心」があり,それが自分のためであったということが分かる日もまたやってくるのです.そして,そのことが成長と共に分かってくるのが大抵の人の感覚であると思います.

親神様のお働きも同様です.先述の通り神からすれば我々はかわいい子どもであり,ときには厳しい困難に直面させることもありますが,どんな中にあっても一貫して存在し続ける「親心」があり,いつも我々をご守護くださっています.大抵の親がわが子ををいつになっても気遣っていることを我々は知っているように,親神様も同様なのであります.苦難の道中があったにしてもそのことの中にあたたかい親心があったことが分かる日が来るのです.さらに,成人してくれば今まさに訪れている苦労の中にも親心を感じることができ,喜びの日々を送ることができるでしょう.

ですから,タイトルの答えとなる言葉を今現在の私の言葉で簡潔に綴るのであれば,「我々人間を創造された親なる神であり,いかなる状況にあっても我々子どもの成長を期待し,お守りくださる神様である」と表現できるでしょうか.

「お道と臨床と」の軌跡 

半年の締めくくりとして,アクセス推移を曝しておきます.
黒が一週間の閲覧数で赤がIPアドレス数です.地道に書き続けた甲斐あって地道にアクセスも増えました.ありがとうございます.移転しましたが,またよろしくお願いします.ちなみに今度のカウンターは携帯電話からの接続はカウントされません.
アクセス


小屋の片付け 

小屋今日は小屋の掃除をしました.寸法を測らない祖父の手作り小屋なので今にもくずれそうです・・・.今日は私しか家にいなかったため祖父と二人でやりました.写真をみてわかる通りまだ散らかっていますがこれでもかなりきれいになったのです.数ヶ月前まではここは古材が山のように積んであったのです.それをコツコツ片付けてここまでにしたのでした.

今日は午後から会長とリーフレット配りにいこうと話をしていたのすが,午前中の作業で疲れて午後は昼寝をしてしまい行きませんでした.

夜,祖父が散髪してくれというのでバリカン(3mm)で丸刈りにしてあげました.最近丸坊主が気に入っているようで月に一度くらいは丸刈りにしています.

今日1日自宅生活にて終了しました.明日からまた1週間仕事頑張ります.
今日は2エントリしてますのでもう1つも読んでくださいね.

自己紹介および当ブログの趣旨 

移転前からご覧になっている方には不必要とは思いますが,再度自己紹介をしたいと思います.

私は"まお"と名乗っています.お道のよふぼくであり,小さな天理教の教会の後継者であります.現在は母が会長をしていますが,ゆくゆくは教会を継がせていただく身であります.人救けの一助にと臨床心理学を志しました.
現在は精神科で心理臨床をおこなっているほか,某専門学校の非常勤講師として拙いながらも教育にも携わっています.一方,お道の御用は自教会の月々の行事と雑務程度でいわゆるおたすけ・にをいがけは恥ずかしながらあまりしておりません.

このブログは2004年12月18日より書いています.が2006年3月までにわずか58日しか記事を書いていません.

4月16日にブログをきちんと書こうと決心し,継続的に書くようになって半年が経ち,色々考えさせられることもあります.このブログでは,自分自身が歩んだことや感じ考えたこと,あるいは皆さんにも知ってほしいことなどについてありのままに書いていくことを旨としています.

自分は自分自身以上でも以下でもないし,今この瞬間に自分以外の人間になれるわけでもない,今の自分にできることを精一杯させていただき,その中に喜びをみつけ成長を遂げていきたいと思っています.そしてお道の教えをパーソナリティに内在化し,実践していくことが私の人格目標であります.

ブログ移転(済) 

本日gooブログよりこちらFC2ブログに移転してきました.
こちらのページは「お道と臨床と~心づくりの処方箋~」の移転先です.
過去記事に関しては上記リンクをご覧下さい.

タイトルも若干変更しまして「処方箋」から「たね」にしました.恐縮ながら読者が当ブログから自分自身の心をつくっていく「たね」となるものを拾っていただければ幸いに思います.

URLが変わっただけですのでまたよろしくお願いいたします.
携帯からも閲覧できますので,携帯で見て下さっていた方は引き続き携帯からご接続ください.

<重要!!>ブログ移転 

昨日予告しましたとおり,ブログを移転することにしました.(←早い)
このブログもしばらくは残しておきますが,いずれ削除する予定でいます.
移転後,過去記事のリサイクルをすることもあるかと思いますが,ご容赦ください.(もったいないので)
移転しても何も変わりませんのでまた<お気に入り>にご登録いただき,ご愛読のほどよろしくお願いします.

新しいURLはhttp://tencp.blog80.fc2.com/です.
携帯電話から接続の方でハイパーリンクが有効にならない場合はURL部分をコピーしてインターネットアクセスのページにペースト(貼り付け)してして新しいブログページに接続してください.お手数おかけしますがよろしくお願いします.

では移転先でお会いしましょう.

テスト投稿 

ブログ移転を考えテスト中・・・.

テスト中.
テスト中.
chako1

ブログ移転を考え中 

有料版と無料版があるため,無料版では何かと不都合の多いgooブログ.
使い勝手のよいFC2ブログへの移転を検討中であります.
近い将来ブログ移転の記事がありましたら,今後はリンク先を閲覧いただきたいと思います.

まずは予告まで.

再びギターを手にとってみる 

長弟が昨日ギターを持って帰ってきました.次弟がギターをやりたいというので持ってきたようです.次弟がやるというので私もまた5年ぶりくらいにギターを練習してみようかなぁと思っています.

昔楽々弾けていた曲などを私も試しに弾いてみるのですが,音が思うように鳴りません.それでも,何度かやってみるとだんだん音が鳴るようになり,なんだかまた始めてみようかなという気にさせてくれます.

ちょっとギター関連の記憶を探ってみます・・・.

私は思春期・青年期前期に尾崎豊が大好きでして彼の曲をギターで弾いていた時期がありました.今思うとバカみたいな妙なこだわりも持っていまして,彼の命日と誕生日だけ路上へ弾き語りに出るという暴挙でそのこだわりぶりを発揮していました.天理駅や近鉄奈良駅あるいは三条通などの路上で何回かやりましたね.ギターははっきり言って下手くそでしたが,熱さが伝わればいいのだと勝手な理由付けをして恥ずかしげもなく弾いていました.友人によれば聞き苦しくない程度には弾けてはいたようですが.

コーヒーを買ってくれた見知らぬ人もいましたし,銭をギターケースに入れていってくれた人も幾何かいました.女性を連れているのを私に発見されてその口止め料にジュースを置いていった友人もいました.彼は私がギターを弾いているときに3度私に発見されています.2人の女性は彼の彼女にはならなかったので,私の弾き語りは彼にとって不吉イベントに終わるに思われましたが,3度目に連れていた女性とは今年結婚しまして私もその式に参加させてもらいました.1年に2回しか弾かないのにわずか2~3年の間に3回も私に発見され,3度目の正直で交際し結婚にまで至ったのですから彼はなかなかの幸運(?)です.

1曲だけ作詞・作曲もしたことがあるのですが,今となってはうろ覚えですし,仮に覚えていても恥ずかしくてとても口にはできません.途中でやめた2曲目の歌詞を長弟に見られて大爆笑されたこともあります.あれは不覚でした.処分し忘れた私が悪いのですが・・・.(ちなみに長弟は大の長渕好きでギターとハーモニカを使ってかなり上手に弾きます.)

そんなわけで大した思い出も技術もないギターですが,またぼちぼちやってみようと思います.次弟に負けないように.次弟は「ぶっちぎりで抜いてやるぜ」と言っていましたが・・・.

ところでこういう過去の話を打ち明ける場があるのってすごくいいなぁと思いました.自己満足な部分もあるのでしょうが,こうして書くこと自体にカタルシス効果があるようです.よかったら皆さんもやってみてはいかが?

※カタルシス=ギリシャ語で「浄化」.簡単に言えば心の中に溜まっているものを取り除いてすっきりすることです.心理療法には一般にカタルシス効果があると言われています.

今日は2記事書いたので前記事も忘れずにお読みください.

携帯 

ソフトバンク「携帯」ホームアンテナ無償配布 圏外解消へ“奇策”(産経新聞) - goo ニュース

うちの教会のソフトバンク(旧vodafone)の電波状況はかなり悪いです.家の中にいますと圏外であることが大半ですし,電波が届いていても通話はしにくいです.自分も相手にもストレスがかかります.長電話をするときは外に出て話をするようにしているのですが正直イヤです.私の夢は布団に寝転がりながら電話をすることなのですが,それはとてもかないそうにありません.先日ソフトバンク店舗に電波改善の申請に行ってきたのですが,改善しないようであればそろそろauに乗り換えようかなぁと思っているほどです.(auはバツグンなんです!)

そんなとき,今日の記事を見つけ,歓喜の声をあげたくなったのですが,どうやら対応機種は"3G"と呼ばれる第三世代の機種だそうで残念ながら私はその対象から外れます・・・.何気にショックです.次弟は3Gなのでその恩恵を受けることができるようです.私はどうなるのでしょうか・・・.

月次祭 

今日は月次祭でした.参拝者は10人でした(うち家の者が4人).
今日は上級や兄弟教会からの講話の方がいませんでしたので,初代会長であった祖父が講話をすることになりました.

祖父が講話をすることはあまりなく,またこの先もどれだけあるかわからないので記録に残そうとテープレコーダーを引っ張り出してきたのですが,壊れてて動かず困り果てました.そんなところへ長弟がうちの古いマイクとレコードがついている機器にカセットテープがついていることを発見し,さらに録音機能までついていることがわかりました.しかし20年以上前の代物・・・機能するかどうかは疑問でした.長弟と試しに実験してみると,なんとマイクから録音できるではないですか!!結局それで録音することにしました.

おつとめでは上半の地方をしていた祖父が五下り目終了後,「次何下りだ?」と言うので「次は六だよ」というと「六つ~」と始まるというシーンもありました.講話は30分ちょっとでした.内容については今日は特に触れません.録音したので逐語起こしたらひょっとしたらブログでも紹介するかもしれません.

ところで今日は大学時代の友人の教会の秋季大祭でもあります.勇んでつとめたことと思います.

多忙な1日 

今日は指導を受けてきました.仕事もわりと忙しかったのですが,終わってすぐにタイムカードを切って猛ダッシュで駅までバイクで走り,電車に乗って指導者の在勤する病院へ.経験豊富な先生に2時間ほど指導してもらい,自分の抱えていたもやもやを少しすっきりさせてもらって,自分は未熟だけれども今の自分にできることしかできないのだからそれでいいやと思えるようになって帰りました.いやいや人に自分の話を聞いてもらう時間が保障されていて受け入れられるっていいですね.殊,心理臨床に関してはあまり自信がなく右往左往しながらやっているのでこうした温かい指導は不可欠です.ましてや私は一人職場ですので同職者に仕事の中で指導してもらうことができません.何でもできる自由さもありますが,満足な指導を受けられない不自由さもあります.

指導を受けて家に帰ってくると10時半くらいでした.でもノルマの筋トレとジョギングはおこないました.サボリたかったですが・・・走りながら某大教会で青年をしている友人(当ブログ愛読者です)に久しぶりに電話をかけて近況などを談じ合いました.道一条の彼と仕事をしている私では生活状況がまるで違います.彼はにをいがけにもしょっちゅう出て行くそうで,誰それ構わず声をかけるそうです.話を聞いてくれる人は10日に1人くらいだそうですが,それでも彼の行為は種まきになっていていつか実るのだろうと思います.それが道理であるということが最近やたらと納得がいきます.

先日のリーフレット配りの話を持ち出すと「おまえあれはやばいだろ.もう少しやらな.いいものをポストに入れるだけや」と友人に言われました.いちれつ会勤務の友人(彼も愛読者)が「俺もそんなもんや」と言っていたことを話すと「それが普通の感覚なのかもしれへんけどな」と言っていましたが,どちらが普通であれ改善の余地があることは明らかなので「またそのうち行ってみるわ」と言い,電話を終えました.

今日は疲れました.明日は月次祭です.

臨床心理士になるために(3) 

約1年ぶりですね.

大学院に入学後,私は自分の知識のなさにかなり困ることになりました.大学時代遊びすぎて心理学の基礎的な勉強をほとんどしていなかったので苦労しました.

研究は最初,実存分析(フランクル)に関することをやろうかと練っていたのですが,修士1年のときに学会発表で大学の研究を再度扱ったことにより,再びバーンアウトの研究をしたいと思うようになり,また終末期医療の看護師のバーンアウトについての研究をしました.死を間近に控えた患者さんが次々と入院しては死んでいく,そんな状況で看護師が看護師として働き続けることができるのはなぜなのだろうか?ということに関心を持ち,悲嘆(grief)について調べていきました.

一方,臨床実技の方は苦手で苦手で仕方ありませんでした.人の話を聞くことの難しさを学生同士のロールプレイ(役割演技)の中で身をもって体験し,劣等感を感じることが多かったことを覚えています.講義もボケーっとしていたり,睡魔に負けて寝ていたりとあまり一生懸命な学生ではありませんでした.

学業とは関係のない部分には結構力を入れていまして,学内のトレーニングルームに毎日足を運んでは筋トレをしていましたし,勾配の多い14kmの距離を自転車で通学していました(真冬は無理でしたね).暑い時期は学校へ着くとシャツを替えていた記憶があります.

修士2年になると学内の臨床心理センターでの実習や外部機関での実習が始まったのですが,そこからはまた次回話したいと思います.

医局にて 

医局においしそうなバウムクーヘンが置いてありました.今の私には天敵とも呼べるお菓子!
しかし,あまりにおいしそうなバウムクーヘン・・・ひとつ食べたい,ひとつ食べたい,と思っているところへ先生が1つ掴んで食します.

「バウムクーヘンおいしそうですね」と私がバウムクーヘンを見ながらつぶやきました.「目が輝いてるよ」と一人の先生が.もう一人の先生は笑いながら「食べるといいと思います」と.皆私がダイエットしているのを知っているので,半分面白がっています.

私は昼食をあまり食べなかったのをいいことに,昼食に含めるという荒業の合理化を行い,ひとつ食べることにしました.黄色いスタンダードなバウムクーヘンとこげ茶のバウムクーヘンがありました.どちらにしようか迷いましたが,珍しいこげ茶の方をほおばりました.「馬すぎる!」

「1つ食べたらもっと食べたくなっちゃいました」って気分でしたが1つでやめておきました.終わりのない健康管理・・・大変です.

不快さの中でみつけた感謝 

今日は不快な出来事がありました.

祖父の通院日だったので病院に連れていき,その帰りに灯油を2缶買ったのですが,灯油のキャップが割れていました.ポリタンクを積んだときにキャップが割れていたのに気がついて,別のポリタンクと取り替えて積んだのですが,どうやら新たに積んだポリタンクもキャップが割れていたようです.

自分の不注意をついてないなぁと運のせいにし,短い距離だし気をつけて走れば大丈夫だろうと思い,割れているのと割れていないのと両方とも灯油を入れました.そして車の後ろに積みます.4缶入れると荷台の幅とぴったり合って動くことがないのですが,2台だったので,倒れる危険性がありました.ここで,私は大きなミスを犯していました.キャップが割れている方のタンクを中央寄りに置いていたのです.このことにまったく気がつかない私は,タンクを積んで走り始めました.

いつもの通り慣れた道を走っていると,工事をしていて片側通行になっています.警備員が棒を振って止まるよう指示しているので,私はとっさに裏道を利用することにしまして,ハンドルを切って左折しました.すると,後方から「ドタツ!」と鈍い音がしました.

「しまった!!タンクが倒れた!!」と思い,少し走ったところに駐車して後方のドアを開けると案の定,灯油がドクドクこぼれています.すぐに起こしましたが下に敷いてあった新聞紙はすでに灯油浸しです.最悪だと思いつつ,どうにもならないのでとりあえず祖父の足元にタンクを置いてもらい,家に帰りました.

家に帰るとすぐに新聞紙を取りに行って灯油を拭き取り車の掃除に取り掛かりました.ついでなので掃除機もかけてマットも洗って車体も洗いました.さすがに腹が立ったのですが,何に立てたかって,せっかく積みなおしたのにまた割れたキャップのタンクを積んでいる自分のバカさ加減と,割れているのを知っていながら割れているタンクを中央寄りに置いた自分のバカさ加減にです.

でも,腹を立てても何も解決しませんし,心のほこりになりますので,実は今日は天気がよかったので洗車でもしようかなぁ,でも面倒だなぁなどと考えていたのでちょうどよい機会だったとまず合理化をしてポジティブに考えることにしました.

加えて,掃除をしているうちに実は大変ありがたいことがあったことにも気がつきました.もし私がキャップが割れているのを気付いていなかったとしたらどうでしょう?私はポリタンクが倒れてもキャップ閉めてるしまぁいいやとそのまま家まで走り続けていたでしょう.そして,家に帰って車のドアを開けて初めて灯油が1缶分すべてこぼれていることに気がつき,ショックを受けたに違いありません.さらに,20L流れるということは下や周辺まで染み込みますのでシートもやられていたかもしれませんし,車の駆動系のパーツまで浸透したかもしれず,ともすれば大きな事故になっていたかもしれないのです.そう考えると,大難を小難にしていただいたなぁと不快な出来事の中にも喜びを見つけることが可能になるのです.

さて,ポリタンクがその後どうなったかと言いますと,掃除をしている間に会長が別のポリタンクから新しいキャップをつけておいてくれたようです.ですが,私がタンクを運ぼうと思って近づくと,キャップが割れています.どうやら会長も間違ったようです.割れたキャップの替わりにまた割れたキャップをつけるとは呆れてものも言えんと思いましたが,私がしたことと同様であり,この人がいて私のあの行動もあったのかと親子の縁を感じました.やれやれです.

今日は不快な出来事がありました.でもその中にも感謝を見つけることができました.

天理教の組織 

天理教をあまり知らない方のために,天理教の組織について私の知っている限りで少し説明しておきます.教えについてはブログでちょこちょこ書いていますが,組織について説明したことがなかったので.

奈良県天理市に天理教教会本部があります.神殿の中央には「かんろだい」があり,人類のふるさとと教えられています.(天理を訪れると,「おかえり」といわれるのはそのためです.)

5c76ad0b81262194ed3c70d575534c0d.jpg教会本部の下には大教会あるいは直属の分教会があります.図を見ていただくとわかる通り,さらに下に分教会や布教所が連なっています.これは,お道の教えに感銘を受けた人,あるいは救けられた人が,お道の教えを伝道し,新たな教会を作り,またその教会から感銘を受けた人が・・・という具合に,つまりその教会の信者さんだった人が新たに教会を作り,教えが広がっていった結果,下に教会がつく形になり,このような組織ができあがったものと思われます.(図は概要です.実際は大教会は100以上ありますし,教会は全国に17000以上,布教所は20000以上あります.)これが縦のつながりです.

一方,横のつながりとして各都道府県は「教区」なる区分がなされており,大抵の都道府県は教務支庁があり,教区ごとにひのきしんやおつとめ,においがけなどの活動をしています.縦の活動と共に横の活動もあるわけですが,横のつながりに関しては縦よりも意識が低いような印象を私は持っています.また,年代によって少年会,学生会,青年会,女子青年会,婦人会などの会もあります.

教団を維持して教えを広げていくためには,ある程度組織化されることは必要だと思いますが,私はこの組織のあり方が100%正しいとは思っていません.今後変えていかねばならない箇所は数多くあると思います.それについて今多くを述べる必要はないと思いますので記述はしませんし,今こうあるということはそれ自体にも何らかの意味があり,いずれ変わっていくものとも思います.それに,大事なことはお道の教えを信じて神様とつながる生活を歩ませていただくということです.本質的に信仰とは組織とのつながりではなく,神の思いに近づく道だと私は思うからです.

少し話がそれますが続けて話します.おたすけと道の伝道のみで生活を立てている教会あるいは人は「道一条」と呼ばれています.うちの教会は初代(祖父)は道一条でしたが,二代会長の父は道一条ではありませんでした.現会長の母は道一条です.後継者である私はきっと仕事を続けていかないと生活がままならないだろうし,臨床家としても人救けをしていきたいと思っていますので,道一条になるつもりは今のところありません.(もっとも親神様のお計らい次第ですので,どうなるかはわかりませんが)

要するに,道一条に神様の御用をさせていただくには,自分以外のどこかからの収入によって生活が支えられる必要なわけで,部内教会や信者さんからのお供え,あるいは家族・親戚の援助,権利収入(土地・アパートがあればですが)などがあって初めて可能になるわけです.これが一般の家庭と異なる生計の仕組みです.お供えについてはまだ一度も記事を書いたことがありませんので,また後日書きますが,日々生かされていること,結構に過ごさせていただいていることの感謝に精一杯の真心をもって神様に供えるものであると思います.したがって,私たち教会の生活は信者さんなり部内教会なりが自分たちの生活の中から神様への気持ちとして供えていただいたお金で成り立っている部分があるということを忘れてはならないのです.これを忘れると,宗教は本来の意味を失い,形骸化してしまいます.仮にそのような教会があったとしても,それを天理教の真の姿だとは思わないでください.詳しくは過去記事「信仰と意味」「人をして宗教を知ること」を参照あれ.

MOWキャラメル 

甘ったるいように見えてそれほど甘くなくちょっぴり苦味がきいていて美味です.
前に少し食べたことがあるのですが,とてもおいしかったのでまた食べたいと思っていました.また私にとっては記憶に残る品でもあります.

昨日猛烈に食べたくなってコンビニを3件回ったのですが置いてなくて,今日祖父と買い物に行った際に見つけたのでつい買って食べてしまいました.時間がお昼前だったので,昼食の範囲内という強引な合理化をして・・・.

是非食べてみてください.おいしいです.

商品情報
http://www.morinagamilk.co.jp/products/icecream/detail.php?brand_id=99

きこりになった男 

今日は教会の神殿の横に生えている木を切るひのきしんをしました.前に長弟と次弟が切ったので短くしてあったのですが,木がブロック塀を圧迫し続けていまして塀が傾いてきているので,木をどうにも取り除いてブロック塀を補強しないといけないと祖父が言いまして,次弟と一緒にやることにしました.

チェーンソーを持ち出して切り始めたのですがなかなかしぶとかったです.2回に分けて切りました.硬いのなんのって.大きな木なので持ってみるとかなり重たく腰に負担がかかりました.

ブロックはセメントで補強しようと思ったのですが,やり方がわからないので近所のおじさんに聞いてみたところ,損壊しているところを直すよりは別の箇所に土を掘って基礎をセメントで固めてからブロックを新たに積み上げた方がいいよと言われ,それに従うことにしたため,今日は木を切っただけで終わってしまいました.

周囲を見ると屋根の樋も壊れていますし,ペンキも剥げてしまっています.修繕しなければいけない点がたくさんあり大変だなぁと思いました.他にも屋根裏部屋にどっさりと布団がしまってありますし,小屋にはガラクタと使えるものがごった返しています.少しずつでも整理していかないといけませんね.父がやりたくてもできなかったことですから,子どもたちで協力してやっていきたいと思います.

終了後,横たわっている木を次弟が修練にと鉞を振り下ろしていましたが,すぐに鉞が折れてしまいました.私も日々のトレーニングにやろうかななどと考えていたのですが,その野望は弟の一振りで潰えました・・・.

ちなみに祖父はシベリアでの戦後抑留で伐採をやっていたので,切り方にはうるさいです.歳で危ないのに我は我はとやろうとするので,止めるのが大変です.やりたい気持ちはわかりますが,後でどれだけ自分にダメージが返ってくるかの吟味ができていません.しかも最中に転んだりしてはなお大変です.そんなわけでいつも祖父はわがやの司令官として君臨しています.嬉しそうですが...

友人の結婚式の二次会 

今日は大学院時代の実習先で知り合った友人の結婚式の二次会に行ってきました.知人はあまりいないので時間をいかに過ごすかが課題でしたが,とにかく人生の門出の場に招いてもらえたことに感謝してその場を過ごそうと思っていました.

予想通り完全にアウェイです.端の方で小さくなっていました.途中で同じ実習先に来ていた1学年上の先輩が遅れて会場にきまして救われました.1年以上会っていなかったので仕事や近況などの話をしました.彼も先週入籍したようで2月に挙式だそうです.

終了後,友人と後輩と食事をして帰りました.学生が4人いたので,私たち社会人組が支払うことになり,刻の流れを感じました.これまでしてもらってきた種があるのですから,今自分が彼らにそうしているのは理の上では当然の結果と言えるでしょうか.

そんなわけで新郎新婦御結婚おめでとうございます.今後の人生が喜びにあふれんことを願っています.(当ブログの存在を知らないので読むこともないかと思いますが)
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