なるほど,よくわかる話です.陽気ぐらしを説く教会が陽気に暮らしていなかったら,人に話すことができません.うちの教会は名称をいただいて30年になります.天理さん天理さんと近所から呼ばれ,名前こそ知られてはいますが,なかなか近所にはにをいはかかりません.それでも家族は至らないながらもそこそこ陽気に過ごさせていただいているつもりです.それだけでなく足を運んでくださる信者さんにも喜んでもらえるよう,あるいは不足をさせぬよう,陽気ぐらしの手本となるたねを蒔かないとですね.そして,それに終わることなく近所や自分と関わる人すべてに対して陽気ぐらしのよさを知ってもらえるとなおいいのでしょうね.なかなかそれは難しいでしょうが・・・.天理教の言う陽気ぐらしとはどういう暮らしを言うのですか、と、人から尋ねられたら、
あの教会へ行ってごらんなさい、私が説明するよりもよくお分かりいただけますよ、と言うて、
あの教会を紹介できるような教会にならせてもらうということが、私は、土地や所の手本と言われる教会の理想の姿やと思うんです。(148 第21回新任教会長の集い)
【前真柱様『成人への日日』より】
返事がどうだったか忘れましたが,そのとき,その友人に,私が伝えたのは以上のような内容でした.今の私が書くのと微妙に表現は違うかもしれません.表現の仕方などは時と共に,あるいは誰に伝えるかで変わってくる部分はあるでしょうが,変わらない教えの本質だけは逃さずに伝えたいものです.仏ではない.寺ではないし神社でもないよ.祭儀式とかは明治・大正の宗教弾圧の中,神道としての形をとらねば生き残れず,その形に近いが.信仰対象は神.親神天理王命.
ここまで聞いてないかもしれないがせっかくなので.我々の体は神様からのかりものだと教えられている(教えの根本ね).だから,生かされていることに感謝し,神様が喜ぶような使い方をさせていただこうという教え.それは,人救けであり,人のために尽くすこと.現世利益を目的とした自己完結型なものでなく,人を救けてわが身救かるという奉仕ありきの心の成長を説いた教えかなぁ.願い通りではなく,心通りのご守護なので正しい心の使い方をして人に喜んでもらう通り方を心がける中に,病や事情から救かっていく道が開かれる.またどんな中も神様のご守護を感じ,喜びを探して通ることを示している教え.親なので起こること全ては子どもかわいい親心ゆえのこと,病や事情は親神の子どもの成長を期待する手紙と考える.心理学的には実存分析と認知療法に近いかな.どんな状況でも意味を見つけ,肯定的に捉え,感謝を感じていくこと.今の時代に必要なことと思っとります(゜゜ゝゝ
というわけで,以下の商品を紹介させていただきます.あああああ・・・暖かいお部屋でPCやりたいですぅ。。
PCやってる人は、指かじかむのかなぁ。。
なにか工夫してるのかなぁぁ
法改正で市町村も通告窓口になったこともポイントかな 虐待問題は抱えこまずまずは周囲に相談すること 虐待とはこどもの立場で判断するという視点が大切かな 重大なケースはともかく軽微なケースは支援者がいかに保護者の心情を理解し気長に支援ができるか そして支援者会議などを通じて周囲がよきスーパーバイズを与えられるかではないかと考えてますなるほど.抱えこまずまず周囲に相談することが大事なようです.相談することで解消される部分もありますものね.そういった社会的資源が周りにあるか,そしてそれを有効に使えるかがポイントになるでしょうか.通告=支援のスタートであるとすると非常に長い道のりになります.しかし,それをして余りあるほどの子どもの将来がかかっていると考えればその行為にも大きな意味があります.しかし,支援者の負担も相当のものなので,かなり大変な仕事を友人はやっているなぁと思います.
通告イコール即解決でなく支援のスタートと考えてもらうとありがたい 学校や保育園などはこの点が理解できず何でも児相が強権的に親指導をすると考えてるところが非常に多いです
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Author:まお & あいこ
まお:お道を信仰するよふぼくであり,教会子弟です.現在は精神科で働いています.
あいこ:お道を信仰するよふぼくであり,まおと出逢って入信しました.現在は精神科で働いています.