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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

大晦日 

ケーキ061231今日は大晦日です.

残っていた部屋の掃除とお墓の掃除をしてその後自分の部屋の掃除をしました.女性陣も午前中から来てくれて台所の手伝いやお菓子作りをしていました.写真は末弟の彼女が作ってくれたケーキです.洋菓子屋に勤めていただけあってやはりすごく上手です.夕方はお風呂に入ってお社の掃除を会長とさせていただきました.夜は鍋でした.大勢で食べる鍋はとてもおいしかったです.

今年1年もこれで終わりですね.今年は色々なことがありました.仕事の方は28日の「仕事納め」に書きましたが,その他にも大きな出来事として祖母の出直しがありました(関連記事;山口にてしばらくぶり・・・).会話は成り立ちませんでしたが最後に会えてよかったと思いますし,祖母も子どもたちに囲まれて幸せな最期を迎えられたと思います.来年2月には祖母の1年祭と父の5年祭があります.早いものです.ブログも4月より意を決してきちんと続けようと誓い,なんとかここまでやってこれました.コメントをくださる皆さんがいたからこその達成でもあると思います.来年もまたよろしくお願いします.

この後,12時から献餞があります.そして新年の挨拶を交わして一段落というところでしょうか.皆さんはどのような大晦日を過ごされていますか?わがやは毎年変わらない家族+エキストラの賑やかでとてもありがたい大晦日を過ごしています.

それでは,今年1年ありがとうございました.来年も,いや明日からもよろしくお願いします.


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餅つきなど 

もち今日も年末ひのきしんでした.大勢の若手が手伝ってくれてとても賑やかにやらせてもらいました.

朝市場に買出しにいきました.生前父が教会長をしながら働いていた場所でもありますし,うちの兄弟たちもたまに父に連れられ,アルバイトをしていた場所でもあります.魚を買いました.

帰ると餅作りです.10数年前に臼は壊れてしまったので機械でこねるのですが,三殿の鏡餅と伸餅を1枚作りました.最初にあがった餅は少し柔らかすぎてしまいまして形がうまくまとまりませんでした.一番大きい餅が少し表面の形が歪です.丸めたのは私です.弟たちに下手くそといわれてしまいました.お昼はさっそく皆でお餅をいただきました.

午後もそれぞれ何かしら担当し,夕方までほとんど休みなくやりました.晩御飯は夕づとめ後,女性陣が作ってくれたカレーコロッケをおいしくいただきました.

明日は大晦日です.今日は自分の部屋を掃除する時間がなかったので明日やります.今日ひのきしんをしてくださった皆さんどうもありがとうございました.本当に助かりました.


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神殿掃除ほか 

今日から3日間は年末ひのきしんです.

午前中から神殿掃除をやりました.八足や鳴物などすべて下ろしてはたきをかけ掃いた後ワックスをかけました.放置している間に昼食をとり,午後は私は元旦祭の御供え物と年末の食材を買いにいきました.会長と次弟は引き続き神殿掃除です.

年末ということもあり,道は混んでるし店も混んでるしで大変でした.1時頃出ていって帰ると5時という有様でした.掃除は終わっていました.

6時頃,末弟が帰ってきましてストーブを1台教会にお供えしてくれました.うちの教会は外から来た人はびっくりするくらい寒いので(昼間は外より寒いです)本当にありがたかったです.

明日は朝から市場に買出しにいって午前中が餅作り,午後が他の部屋の掃除です.私の部屋も汚れているので掃除をしないといけません.


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仕事納め 

今日は2006年の仕事納めです.
今年1年の仕事を振り返ってみたいと思います.

今年の主な業務は心理業務としてカウンセリングと心理検査,デイケア業務として隔週のアートセラピーと月イチの喫茶店および院外活動の引率でした.比較的時間に余裕のある時期もあれば多忙な時期もありました.また,今年は初の講師という大きな役割もありました.某看護学校において臨床心理学の講義を担当させていただきました.至らないながらも無事終えることができ,契約続行となりましたので,2月からまた次の学年の講義を担当させていただくことになっています.

また,まだ報告していなかったと思いますが,12月に大きな出来事がありました.なんと私の勤務している病院で2人目の心理士の採用が決まりました.入職時の私と同じ週1非常勤ですが,元々週1非常勤心理士1人のみだった病院にとってこの採用は大きいです.採用となったのは私の1年目の他職場の同期の友人です.11月の職員旅行の宴席で事務長にお願いしてみたら,「紹介してくれるならいいよ」と言われて実現したのでした.言ってみるものです.思えば私の常勤も「勤務日を増やしてほしい」とお願いしてみたらあっさり「いいよ」と言われて,その場で「じゃぁ思い切って常勤でも」と頼んでみるとしばらくの検討後,何の障害もなく実現したので,本当ダメもとでも言ってみるものです.神様はいいように物事を運んでくださるなぁと思います.

さて,そんなわけで最後こそ身上で1週間近く仕事になりませんでしたが,長期離脱をすることもなく,結構に今年1年の勤務の納めの日を迎えることができました.これも親神様のご守護あってのことと感謝しています.明日から3日間,教会の大掃除や餅つき,元旦祭の準備などいろいろありますが,今年1年大病もなく生かさせていただいたことに感謝してつとめたいと思います.

お仕事されている皆さんもそろそろ仕事納めですかね?
ちなみに新年は4日から勤務です.

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心身相関(その3) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
心身相関(その1)
心身相関(その2)

今日は出し惜しみをすることと便秘になることのつながりがこじつけではなく,それなりに理にかなっているということを説明します.

フロイトという精神科医は精神分析という学問体系を確立しましたが,彼は人間の発達段階を口唇期・肛門期・男根期・潜伏期・性器期に分類しました.どの時期にも達成すべき発達課題はあるのですが,2番目の発達段階である肛門期には昨日述べたことに通じる部分があります.

肛門を通して快感を得て発達・学習する時期を精神分析では肛門期と呼びます.ちょうど2歳~4歳くらいですかね.肛門は幼児期に「出すことと溜めること」をトイレットトレーニングを通して学ぶ大事な部位でして,肛門性格という言葉もあるくらいです.過度に几帳面で倹約家,わがままといった執着的な性格傾向をもつ大人は幼児期における便のコントロールがうまくいかなかった肛門性格の人であると言われています.他者からみて「ケチ」「強迫的」「執着心が強い」などと思われる人はその傾向があるかもしれませんね.ここで学習する「出すことと溜めること」というのは象徴的なものでして便だけに限らず,その後の人生における様々な側面での出すことと溜めることに関係しています.要するに便意という身体のコントロールを通して心のコントロールを学ぶわけです.お金を出したり力を出したり時間をかけたりと,それらを貯める(惜しむ)ことなどに関係していると言えるかもしれません.

ですから,学問的には肛門に関わることは出すことと溜める(貯める)ことに関係しているので,そこの生じる具体的症状を象徴的に捉えて,自らの「出すこととためる(おしむ)こと」のおこないについて振り返ってみることは有意義なことだと思うのです.そして,そこから自らの心遣いに気がつき,修正して自己を成長させていくことができるのだとしたら,この解釈の仕方もあながち無意味なものではないということがわかるでしょう.

神様に誓った志を忘れずに,人のために力や時間,お金を出すことを惜しまない,そんな人に成長していきたいと思っています.


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心身相関(その2) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
心身相関(その1)

今日はきれいな話ではありませんがご容赦ください.

今思うと恥ずかしい話なのですが,私の場合,過去に何度か便秘(といっても数日ですが)のお手入れをいただいたことがあります.稼いできたお金を納得のいかない理由で会長に渡すことを不足に思ったことがありまして,「何で俺ばっかが・・・」と不足に思ったことがありました.また,何か頼まれたときや人のために何か力を出す機会に出し惜しみをして,「めんどくせーなぁ」とか「しょうがねーなぁ」とか嫌々やったこともありました.そうすると,なぜか便の調子がよくないということが起こってくるのです(出なかったり硬かったり・・・).そこで会長に諭されたり,自分で気がついたりするわけです.出すことを惜しんでいたことを.自分のために出すことを惜しむのは構いませんが,人のためにすることを惜しんではいけないのです.そもそも私が働きに出れるのも健康な身体あってのことですし,時間や労力を人のために使う機会があるのも健康な身体あってのことです.また,教会にいてくれる会長が健在だからこそでもあるのです.そして,そのことを改め「以後,出し惜しみをせずに喜んでさせていただきます」と神様に約束すると不思議なもので,快便になるわけです.「ああ,神様が私の心のほこりをお知らせくださったんやなぁ」と納得できる瞬間です.(何度かと書いているので,私は何度か約束を守れていないみたいですね.)

今回の身上でもそうでした.思い当たる節があり,心を改めると不思議なもので以来力を入れずともするりと便が出るというご守護をいただいております.「願い通りでなく,心通りのご守護とはこのことか」と勝手に納得しています.心のあり方が身体に表れる,まさに心身相関です(←お道的心身相関といいますか・・・).今はお手紙をいただいた後なので出し惜しみをすることはありませんが,この思いを忘れずにずっと続けられるといいと思います.

出し惜しみをすることと便秘になることにつながりがあるだなんてこじつけだと思う方もいるでしょう.しかし,実はこのことはあながち嘘ではないのです.続きは次回・・・.


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日本の宗教 

クリスマスなので少し宗教関連の話を.(といっても2年前のクリスマスの記事の転載ですが・・・.)

日本は諸外国と違い,特定の宗教を持ちません.中国は儒教,アメリカ,ヨーロッパならキリスト教,アラブ諸国ならイスラム教,インドはヒンドゥー教,パキスタンは仏教,シンガポールは・・・というように国家として宗教色が濃厚であるというのはよく見られます.しかし,日本にはそういった傾向はありません.正月には神社へお参りにいきますし,クリスマスにはキリスト教会へ拝みにいく人もいるでしょう.合格祈願に神社にお参りにいくかと思えば,葬儀は仏式で,結婚式は華やかにチャペルで牧師さんに契りを誓い・・・などなど,しかもそこに宗教的な観念はあまりなく,私たちの習慣として生活に密着しているというのが特徴です.

ですから,世界中のほとんどの人々が人間が生きていく上で何らかの宗教は必要であると信じている中で日本人は特異であると思います.しかしながら特定の宗教や宗派を信仰していなくても個人としての宗教性を持っている人は多いのです.日本には文化的伝承の形で働く宗教と個人に信仰を訴える形で働く宗教の二重性が存在すると思います.

前者は「お墓参り」「正月」「節分」「バレンタインデー」「節句」「お盆」「七五三」「クリスマス」といった年中行事に見られるような宗教性ですね.宗教的なものを意識している人はほとんどいないと思いますがこれらは元々宗教的な意味合いを帯びているのです.こられは特定の成立宗教をもたない日本人が,生活慣習の中で伝承してきたもので,普遍的であるがあまり宗教と意識されず,半ば社会規範としての宗教で民俗宗教と呼ばれます.

後者は特定の宗教に対して信仰をもつことですね.その宗教の教えを学び,生き方に反映させていくというものです.私の場合ですと天理教ということになります.このあたりを説明するのに心理学者のAllport(オールポート)という人がパーソナリティに内面化された宗教という形である概念を提唱しているのですがこれについてはまた時間のあるときに解説したいと思います.

このような宗教の複雑さが日本にはあるのです.
家に亡くなった家族を祀る仏壇や神棚があるという人は多いと思います.
「家族が亡くなった時には,~宗の○○寺に葬儀をやってもらってるから強いて言えば宗教は~宗かな」
という人多いと思います.しかし,その教理を自分の生き方に取り込んでないのだとすれば,それは信仰とは言えないのではないかと思います.

あなたは信仰がありますか?


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お留守番 

昨晩より会長と次弟とがおぢば帰りに発ちまして,私はお留守番です.といっても,昼間は仕事なのですが.5時に仕事が終わったら直帰りして撤饌に夕づとめ,明日の調餞準備などをやりました.かつては10人でも生活できていた家なので1人でいるには広すぎますね.明日の晩には2人とも帰ってきます.


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ジャンケン論の検証 

未読の方は以下を閲覧下さい.
私的ジャンケン論

さて,翌日の9月26日にさっそく私的ジャンケン論の検証実験をしてみました.

弟に記事を見せた後,試してみようかという話になり,私が「負けた方がコーヒー入れようぜ」と弟に持ち掛けました.弟は「コーヒーの入れ方わからないからカルピスならいいぜ」と言いました.

決戦前,弟が「今どんな気分だ?」と訊くので,「こっちから持ちかけたが,おまえが我を通してカルピスに変えたからどっちかわからない」と答えました.なんだか楽しくなってきてしまってはしゃぎながらジャンケンをすると,なんと3回連続あいこです・・・4回目,ついに勝敗が決まりました!

負けたのはなんと弟でした!弟は潔くカルピスを入れにいきました.戻ってきたとき,何で負けたんだろうなぁと問いかけると「勉強しているのに何てくだらないことを言う兄だ!と思ったんだ.あとは,負けるはずがない!という慢心か!?」と言っていました.私の怠け心以上に弟の慢心が強かったということかもしれません.

1回じゃわかりませんし,よく考えたら見えない次元での話なので検証は不可能なんですけどね.

※ちなみにこの記事は私の極めて個人的な考えであることを記述しておきます.ジャンケンにここまで深くこだわって考えることもないと思いますので.確信的に書いていますがこういうふうな見方もあるかな?と.

補足;先述の「ジャンケンで勝ったにしても,見えない徳の勘定上は何の得もしていない」ということについて.
このことはジャンケンに限らず,様々なことに言えると思います.表面上は損をしているように思えても,実はそれが種まきになっていて後の機会,あるいは後の人生に実を結ぶということは往々にしてあると思います.一時の損得よりも先に実を結ぶ種まきとして事に当たるとベストなんだろうなと思います.人間なかなかそうはいかないんですけどね.しかし,そのことを知っているのと知らないのとでは,動機づけが変わってくると思いますので,参考にされるといいと思います.


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私的ジャンケン論 

ひろさんのリクエストにこたえて私が以前考えた「ジャンケン論」を旧ブログより転載します.

9月25日の夕食はカレーだったのですが,洗物をどちらがやるかで弟とジャンケンで決めることになりました.言い出したのは私です.

弟はグー,私はチョキを出しました.無論私の負けです.私は潔く洗物をしました・・・.

ここでふと思ったのは「言い出しっぺは負ける」ということです.よくよく考えると,こういうのってたいてい言い出した人が負けているような気がしませんか??この事実に気付いたのは今になってではありませんが,昔から何故言い出した人が負けることが多いのだろうと思っていました.今日はふとそのカラクリが解けた気がしたので,解説したいと思います.

こういうなすりつけ合いのジャンケンって,たいていそれをやりたくない人が言い出します.ジャンケンに勝てば,負けた人にやってもらえるので自分は楽をできるわけです.(もちろん負けたら自分がやらないといけませんが.)できれば勝って楽をしたいという気持ちが強いと思います.

この時点で言い出しっぺは心遣いとして「をしい」ほこりを積んでいるのです.自分の力を人のために使うのを惜しむの話ではなく,自分のことにさえ力を出すのを惜しんで楽をしたがっているわけです.親神様は「願い通りではなく,心通りの働き」をしてくださるので,いくら勝ちたい!勝って楽をしたい!と思っても,その怠け心を受け取ってもらえることはないでしょうから,ジャンケンに負けることになるわけです.

勝つことだってあるだろうに!という反論をしたい方いますよね?ここまでは絶対論でしたが,ここで相対論的考え方をするわけです.

ジャンケンには相手が必要なので,今度はその相手の思惑を考慮する必要があります.挑まれた方は,「どっちでもいいけど挑まれたしいっちょ乗ってやるか」と思うかもしれませんし,「俺もやりたくない!何が何でも勝ってやる!」と思うかもしれません.どちらの心遣いをしても神様はお見通しです.

ここで勝負になるわけです.「ジャンケン・・・」っと言い出した時点で神様の秤で瞬時に計算がされます.その結果,やりたくない度の強い方が負けるわけです.そして,たいてい言い出した方が負けるのは,やりたくない気持ちがより強いからです.よりその思いが強いのでやらないで済むかもしれない方法を提案するという行動に出るのです.行動に出るかどうか,口に出すかどうかはその欲求がどれほど強いかを計る目安になります.出したということはそれ相応の欲求なり意図があります.今日の件に限って言えば,私は食事を終えた後,弟に食器を洗う話を持ちかけました.何も言わずにそれぞれが食器を洗ってもよかったですし,私が弟の分まで勝手に洗ってもよかったのです.それを私は「じゃんけんで負けた方が洗おうや」と持ちかけたのです.

何故って『このままだと弟は食器を洗わずに台所を去るだろう.そして私が食器を洗うことになる.ここでジャンケンをして勝てば弟に洗ってもらえる』と楽をしたくなったからです.弟は「いいぜ」と言い,ジャンケンをしました.結果,私が負けました.つまり,私の方が弟以上にきっと食器を洗いたくないと思う気持ちが勝っていたのでしょう.私から言い出したくらいですから,当然と言えば当然なのですが,それをすべて神様はお見通しだったということです.

弟にこの話をすると弟は「口で言ってもやらない場合にジャンケンに負ければ仕方なくやるだろうということを意図して,むしろ相手の成長を促す場合もあるんじゃないか?」と言いました.なるほど,そういう場合もあるかもしれません.

そして最後に「人に押し付けようとするその心がかわいそうや.自分からやれば徳を積めたものを」と言われました.確かにそうですね.

なすりつけ合いのジャンケンは言い出しっぺがすでに負けている!
たとえジャンケンで勝ったにしても,見えない徳の勘定上は何の得もしていないということを知っておくことは何かの足しになるかと思います.

私もいい勉強になりました.ブログが習慣になっていなければ,ここまで考えなかったでしょう.よかったら皆さんも考えてみてください.

(続きがあります)

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病院の忘年会 

昨晩は病院忘年会でした.食事をしながら今年の入職者の挨拶やマジックショー、ビンゴなどがありました.

ビンゴでは2年連続当たっているので今年も何か当たる気がしていたのですが残念ながら何も当たりませんでした.きっと「当たるに違いないという慢心」があったのが敗因なのではないかと思いました.

以前「私的ジャンケン論」で述べましたが私の慢心を神様は見抜いていて欲に目が眩んだ私の心に謙虚さを取り戻してくれたのかなと(笑)やはり願い通りではなく心通りの結果をくださいます.

来年は低い心で忘年会に臨みたいと思いました.

(今日のblogはやや滑稽な解釈をしていますがこのような解釈によって気の持ち方が明るくなるのであればこれも陽気ぐらしの一助かなと.)


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クリスマス会 

今日は午後からデイケアのクリスマス会がありました.
ピアノを演奏したスタッフが2名ほどいまして,私もギターで弾き語りをしました.
昨晩1時間ほど練習しただけだったのですが,昔に弾いたことがあったので,それなりに弾くことができました.でも人前で弾いたのは久しぶりだったので緊張しました.ちなみに曲は尾崎豊の「COOKIE」と「15の夜」と「街路樹」です.3曲目となるとさすがにメンバーは飽きてきたようでした.緊張はしましたが,思いきり唄うのは気持ちいいものですね.

今日はこれから病院主催の忘年会です.立食で食べ放題です.もちろん無料です!ビンゴもあります.私はこれまで2年連続景品が当たっていまして1年目はディズニーランドのペアチケットを,2年目はたこ焼き器をもらいました.3年目の今日は何か当たるでしょうか・・・.1年の慰労にたくさん栄養をつけてきます.
(ダイエットはどうなったのか・・・実は12月に入ってまったく運動も筋トレもしておりません.風邪の影響かダレています.)


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一粒万倍 

「一粒万倍」という言葉があります.
一粒の撒いた種が先に万倍にもなって返ってくるということだと思うのですが,とてもいい言葉です.

この言葉についての最初の記憶は小学生の頃のエピソードに遡ります.おぢば帰りのお土産に瓢箪型のキーホルダーを自分で買ったのだか,誰かにもらったのだかで持っていました.小さな穴から中が覗けるようになっていて,覗くと神殿の絵が描いてあり,その上に「一粒万倍」と書いてあったのでした.私はなぜかこのキーホルダーが気に入っていました.いつの間にかなくしてしまいましたが.

「ちょっとだけいいことをしたところで人生において何の変化もないに違いない」という否定的な認知をもつよりも,圧倒的に建設的な考え方を与えてくれるのがこの「一粒万倍」であります.小さな一粒の種が後の人生に大きな実りを生み出すのです.それは,穀物の小さな種が秋には稲穂いっぱいの実りをつけるようなものです.

どんな小さな種でもないがしろにせずにしっかり蒔かせていただきましょう.それが後の大きな変化を生み出します.小さな変化を喜びましょう.それが後の大きな喜びを生み出します.それは,信仰生活においてのみならず,カウンセリングにおいても重ね重ね言われることです.

人生において無駄はありません.小さな種が大きな実となるのです.


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虐待について(その3) 

未読の方はまず以下を閲覧下さい.
虐待について(その1)虐待の分類
虐待について(その2)虐待にかかわるとき

しばらくぶりですが,今回は児童虐待への対応についてです.

児童虐待への対応は3つのレベルから考えることができるかなと思います.第一レベルは「発生予防」,第二レベルは「早期介入・保護」,第三レベルは「被虐待児とその親への援助」です.

第二レベル以降は専門的な対応が主になってきますので,第一レベルの「発生予防」についてのみ述べます.虐待に至るような状態にならないようにすることが一番よいので,いかに予防するかというのはとても大事なことです.

①子育て支援
子どもを育てるということは容易ではありません(私が言うのもなんですが).子どもを責任をもって育てるという覚悟なくしては不可能ですし,覚悟があっても親の思い通りに子どもは育ってくれるわけではありません.そのような際に,親は育児不安を抱えることになります.また責任放棄という選択肢をとりたくなる場合もあるでしょう.そうした子育てにまつわる不安やストレスなどを共有・解消するコミュニティを本人がもっているかどうかということは意外と重要です.孤立化の防止という意味で集いの場を利用できるといいでしょう.近所や同世代の友人との交流でもいいですし,関係機関として母子教室や地域子育て支援センターを利用することも可能です.大切なのは大変さを1人で抱え込みすぎないことです.子育てで困っている人がいたら,何か子育て支援となる情報を提供してあげられるといいと思います.

②ハイリスクの家庭や親への支援
10代の妊娠(今「14才の母」という衝撃的なドラマも放映していますね)や産後うつ,精神疾患,アルコール問題,パーソナリティの問題など精神的・心理的問題を抱える人たちはハイリスク家庭として認識しておく必要があります.また,経済的貧困やひとり親家庭(母子家庭・父子家庭),再婚家庭など環境的要因としてのリスクを抱える家族もそれに準じる場合もあります.(誤解のないよう必ずしもすべてのケースがあてはまるわけではなく,ときにはあてはまることもあると述べておきます.)こうした家庭は周囲からの支援が得られにくいこともありますので,公的機関の支援を利用することが重要になってくるかもしれません.

③地域ネットワーク
地域には児童相談所や保健師,民生委員など地域における連携・協働のシステムが存在すると思います.必要なときにはそうした機関の援助を受けることが有用な場合がありますので,教えてあげたいものです.

④子育て教育
子ども好きなこと,子どもとの時間を過ごすことが苦痛でないことはとても大事なことです.それは早期から教育することも可能であると思います.低年齢からの乳幼児とのふれあい体験を重ねておくことは自分が親になって子どもをもったときに,より子どもに対しての愛着に結びつくかもしれませんので,子どもとふれあう機会をできるだけ多くもつこともいいことだと思います.

発生予防としては,簡単に述べるとこんなところでしょうか.他にもたくさんあると思いますが.虐待の報道も後を絶ちませんが,あのようなむごいことになる家庭が少しでも減っていくことを切に願っています.

子どもはつくるものではなく,授かるものです.望んでも授からない人もたくさんいます.奇跡的に授かった命なのです.その命は陽気に暮らすためそれぞれの家庭に生まれてきて,そして生かされています.その命の重さを親になる人は知る必要があると思います.そのことが理解できないのであれば,人は親になるべきではないと私は思います.親とは子どもをどんなときも見守り,あたたかく育てていくものです.(それは親神様が私たちをお守りくださるのと似ているかもしれません.)私も時機を与えていただけるのであればそのような親になりたいものです.


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忘年会 

今日は職場のデイケアスタッフと忘年会です.実は5日の予定だったのですが,私が風邪でダウンしていたため,本日に延期になっていました.(ご配慮ありがとうございます.)

事の発端は私が医局の最若手の医師と先月くらいに「今度一度飲みに行きませんか?」と話をしていて,「じゃぁデイケアにも声をかけてみましょう」という話になって実現した会なので,当初のコンセプトは"私と某医師の飲み会にデイケアを招いた"形なのですが,何しろ多勢に無勢でデイケアの忘年会に私たち医局陣が参加させていただく感じになっています.2番目に若い医師にも今朝声をかけてOKが出たので,総勢8人ほどで飲みに行ってきます.

こうして夜に家を空けることができるのも,会長や次弟がいればこそです.そして彼らが元気でいられるのも神様のご守護あってのことですので,そのことに対する感謝も忘れずに胸に抱いて参加してきます.私は理由あってあまり飲めないのですが,今年1年の慰労に楽しく参加してきたいと思います.

心身相関(その1) 

心と身体は深いつながりがあると言われています.たとえば,心配や不安があると心臓がどきどきして手に汗をかきますし,カッとなれば血圧が上がり脈が早くなります.疲れたときにのびをすれば呼吸が落ち着き気分が和らぎます.このように,心と身体とは深いつながりがあり,心理的な刺激がすぐに自律神経系を伝って身体に反映され,身体に影響を与えるのです.(自律神経系とは心臓や胃腸など我々の意思に関わらず常に動いている部分です.)これを心身相関といいます.

「病は気から」という言葉があるのを大抵の人は知っていると思いますが,それはあながち嘘ではないのです.不安や心配事,気遣いなどでストレスがたまってくると,身体の働きのバランスが崩れ,食欲不振・不眠・頭痛・動悸・胃のもたれ・便秘や下痢などさまざまな症状がでるものです.

ところで,お道では「かしもの・かりものの理」にあるように,私たちの身体は親神様からのかりものであり,心ひとつが自分のものであると教えられています.身体はかりものであるため,自分で完全にコントロールすることはできません.「病の元は心から」と聞かされているように,心遣いひとつで身体の働きのバランスがいかようにも変わるのです.不調や病気は親神様からのお手紙だと聞かされていますので,身体の反応を通して私たち信仰者は自身の心遣いを知ることができます.そして,「ああそういえば・・・」と思い当たる節に気がつき,心を入れ替えると不思議なご守護をいただけるということが多々あるのです.

実はこのことは不調や病気を単なる不快な出来事として認知して生活するよりもプラスな考え方なのです.いやだなぁと思うだけだと,無意味なものになってしまうでしょうし,喜びを見つけることができません.しかし,不調や病気によって心の掃除をしてくれていると思えば,その不調や病気にも「意味」が生まれるのです.その意味を見つけることができたとき,人は心の掃除と共に成長を遂げることができるのです.

意味についてはこのブログでも何度か述べていますが,どんな中にも「親神様から求められる意味」があります.フランクル心理学的に言えば「人生から求められる意味」があるのです.身体の不調の際にはどうぞその意味を考えてみてください.

次回は心身相関を神様から私自身へのお手紙を通して考えます.


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月次祭 

月次祭0612今日は12月の月次祭でした.

家族も含めて15名が参拝させていただきました.休日ということもあり,わが兄弟たちも1人を除いていました.私の高校からの友人も昨晩より来てくれて今日もつとめてくれました.それから,日参に来ている少年も日頃会長と太鼓の練習をしていたので,12下りずっと太鼓をつとめてもらいました.師走で忙しい中,多くの方に参拝していただき陽気につとめさせてもらってとてもありがたかったです.

写真は先月おさづけの理を拝戴してよふぼくとなった末弟です.プライバシー保護のため顔には修正をかけております.ご容赦ください.


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月次祭前日 

私は仕事だったので長弟,次弟が買い物や調餞などのひのきしんをしてくれました.末弟の彼女も2時すぎから手伝いに来てくれたようです.
ありがたいことです.限りある時間を神様の御用のために費やすこと,それはお供えとしてよい種まきになることと思います.

明日は月次祭です.


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診察に同伴して 

今日は仕事が休みでした.

ちょうど日参している子の4週に1度の診察日だったので一緒に病院にいきました.不思議なもので主治医の先生が昨年まで週末に私の勤務する病院に当直として来ていた医師でして顔見知りだったのです.私にとってはこれは神様のお引き寄せ以外の何ものでもないという感じです.偶然という言葉で片付けられるものではない気がしました.なのでご挨拶と一度話を聞いておきたいと思っていたので外来受診に同行しました.その先生はすごくほんわかした雰囲気をお持ちで当直に来ていた頃より私はなんとなく好感を抱いていたのですが,やはり患者さんから見てもいい先生のようで,彼も彼の祖父もいい先生だと言っていました.とても親身に話に耳を傾けてくださる先生で,彼はいい先生にめぐりあえてよかったなぁと思いました.

診察後,彼の経過などについて先生と少しお話させていただきました.焦らせず,ゆっくり治療していくことをを伝えて彼の回復および成長を見守っていこうと思います.服薬しながらの緩やかな回復の中にも神様のご守護があることが伝わるといいと思います.

結局,道が込んでたり,処方箋もらうのに時間がかかったりで1日がかりとなりました.疲れましたが,よい1日だった気がします.「お道と臨床と」というブログタイトルにあるように,双方の観点を生かしながら人だすけ・対人援助ができるといいなぁと思いました.


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身上から思うこと 

お道では身体に起こる神様からのお手紙を「身上」と呼びます.風邪をひいて寝込むのも身上,大病で床につくのも身上です.

病はつらいものですが,お道では「病の元は心から」と教えられています.これは,ネガティブに捉えるべき観念ではありません.ネガティブ思考の人は「悪いことをすると病気になってしまう」などとついつい捉えてしまいそうな気がするのですが,そのような人間を萎縮させるようなものではなく,人間の成人により貢献するポジティブな観念なのです.どういうことかといいますと,病をして「自らの心遣いの仕方に気付き」「心を入れ替える」という自己成長のきっかけを与えられているのであります.

親神様は私たちの心の成人を期待されているということは以前にもどこかで述べたかと思うのですが,子どもかわいい親心ゆえ,病や怪我や様々な事情を通して私たちにお手紙を下さいます.その意味を考えることにより,私たちは今まで気づかなかった,あるいは忘れてしまっていた自らの心の癖性分を知り,より親神様が喜ぶ遣い方,人を喜ばせる遣い方へと改めていくことができるのです.

実はこれはとても建設的な生き方です.病はつらいものですし,できれば回避したいものです.しかし,この身体は神様よりのかりものゆえ,私たちの思い通りにならず,ときには病を患ってしまうこともあります.このとき,この教えに出逢っていなかったならば,ただ病はつらいものとして認識され,「なぜ私が・・・」「なぜうちの子が・・・」という答えのない実存的問いに苦しむやもしれません.しかし,ここで私たちは親心に触れて考えることができるのです.そして,その病に対して意味を見つけることができ,そこから自分自身や家族が成長することができるのですから,病もただつらいだけのことではなく,そのときの自分にとって必要な経験だったと思えるでしょう.むしろありがたいと思えるかもしれません.どのみち病むのであれば,陰気に病むよりも陽気に病みましょう.陽気に過ごせて,さらに病を無駄なものに終わらせることなく,自分自身を成長させるきっかけにもなるのですから,私たち信仰者の持つ信念たるやとてつもなく建設的なものなのであります.

神様からのお手紙はときには厳しいこともありますが,忘れてはならないのは「どんな状況でも親心は届いており,ご守護くださっている」ということです.このことを忘れさえしなければ病にあっても陽気を失うことなく過ごさせていただくことができるのではないかと思います.先日,病にある友人の父の話をしましたが,たとえ身上で思うようにならない部分があったにしても,あれができない,これができないではなく,まだあれができる,これができると思うことができるならば,感謝の気持ちは自ずと生まれてくるのです.

今回の私の身上はたかだが1週間ちょっと寝込んだだけという彼の苦労に思えば何てことはないことですが,それでも,通常できていたことができなくなり,色々心を悩ませられました.しかし,床についていてもまだまだできることはたくさんあり,身上にあっても変わらず働いてくださっている神の守護を感じることができるのです.それでも,人間は浅はかなものですから,私も残っているものよりも失くしたものの方に目がいってしまうこともあり,不足に思ってしまったりもします.そう考えると,友人の父の信仰に再び尊敬のまなざしを向けずにはいられない私です.よくなるごとに「ありがたい」を連発するようになった私ですが,これが今だけに終わることなく,日頃から連発できるように成人させていただきたいものです.

話はまとまりませんが,私たちがかしもの・かりものの理を心におさめ,親神の守護を感じ,そのことに感謝して生きることができるのなら,私たちは病に対するもっとも強力な信念を持っていることになります.これは直接的に病原を殺傷する力は持ちませんが,人の心を支えるものであり,病から意味を得るものであり,病と闘う力にもなり得るもので,より成人した人間として生きる力を授けてくれるものであると思います.さらには,病だけでなく,私たちの人生のいかなる側面においても大きな力と意味とをもたらしてくれるものでもあるように思います.


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通勤中・・・ 

通勤中,私は見ました.

軽トラックを運転しながら犬の散歩をしているおじさんを!!
犬は必死で走っているように見えました・・・車についていくのは大変だろうなぁ.「車で犬の散歩かよ!」と思わず一人ツッコミしていた自分がいました.私一人のときでも結構一人セリフ言うんですよね.

車に犬を乗せている人はたまに見かけます.トラックの荷台に犬を乗せている人もまれに見ます.原付で犬の散歩をしている人もたまに見かけます.しかし,車で犬の散歩をしている人は初めてです.昨日に続き,いろいろな人がいるなぁと思いました.


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看護学生への講義 

今日は9時から,病院に実習に来ている看護学生(7人ほど)に心理アセスメントの講義をしました.

1時間くらいの予定でいたのですが,学生は長く時間を割いてほしかったようなので,雑談を交えて3時間弱お話をしました.(ちょうど予約もなかったので.)話はとびとびでしたが,今回の学生はとても明るい感じで初対面は緊張しやすい私としても話しやすかったです.

ある学生に「なぜこの職になろうと思ったのですか?」と聞かれました.この手の質問をされると私の回答には2通りあります.「月並みな話ですが人だすけになる仕事をしたかったのです」で終わるか,その続きを話すかです.続きとは私の家は天理教の教会ゆえ私も信仰を持っていて云々・・・です.後半を話すこともあるし,話さないこともあります.今回はなんとなく話しました.すると,学生の一人が天理を通ったことがあるという話で,「天理の人って皆ハッピ着てますよね」と.そうなんです,着ている人が多いんです.でも私は小さい頃から見慣れているので何の疑問も抱えません.やはり普通の人には変わった風にうつるようです.よかったら教会にお参りでも来てくださいと言ってこの話は終わりました.天理の名を出すだけでもにをいがけになると聞いています.今日この日,耳にした言葉をもしかしたらまたいつか耳にすることがあるかもしれませんものね.せっかくなのでブログも教えてみました.「今日このことも書くのんですか?」と聞いてくれた学生もいたので,せっかくなので書いています.見てくれているかはわかりませんが・・・.

そんなわけで半分くらいが雑談だったのですが,半分はそれなりに心理アセスメント,特に心理検査についての解説をしました.終わると11時50分くらいだったので,もう午前中の仕事は終了間際でした.医局に戻って,少し息をついてお昼休みとなりました...

学生さん,もしブログを読んでいただけたのであれば,せっかくなのでカテゴリの「お道」を読んでみてください(旧ブログにも「お道」,「お道×心理学」のカテゴリがあります).何も知らない人が読む情報としては足りないでしょうが,私が信じていることの一端は知ることができるでしょう(別に知らなくてもよいと思うのもよし!).そして,この価値観はたとえ信心せずとも人生をより楽しく適応的に送ることにおいて貢献することと思います.興味があれば続けて読んでみてください.まだ1年以上先ですが,よい看護師さんとなることを祈っています.


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通勤中・・・ 

通勤中,私は見ました.

対向車線に,車内で歯を磨いている運転手を!!
磨くのはいいけどどうやって口ゆすぐんだろう・・・??

食事や化粧をしている人はよく見かけますが,歯磨きは初めてです.
いろいろな人がいるなぁと思いました.


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働くことの喜び 

無事出勤し,定時まで仕事をしました.
まだのどがこそばゆい感じがありましたので,院内ではマスクをしていましたが,体調は悪くはなく,普通に仕事ができました.

明日からもおそらく普通に仕事ができることと思います.これまでは,仕事面倒だなぁ,休みほしいなぁなどと思うことがありましたが,こうして何事もなく働きに出れることが実は喜びに満ち溢れていることだということに気がつかせていただきました.

これからは,働くことに不足を言わず,喜んで通らせていただこうと思います.ちなみに,今回の身上で,いろいろ思わせていただくところがあり,「人のために何かをすることを惜しまずに喜んでさせていただこう」と決心させていただきました.人間ゆえどこまでつとめられるかわかりませんが,できる限り勇んで通らせていただこうと思います.


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夕べも・・・ 

かなり寝汗をかきました.2回ほどパジャマを着替えた気がします.
朝起きると,体温は36.1℃・・・かなり状態はよいと言えます.下痢もしませんでしたし.ただまだのどに少し違和感がありますので,今日は一日自宅で療養することにします.

明日は出勤できそうな予感です.
身上の間(ってまだ治りきってませんが)たくさんのあたたかいコメントをいただきました.
さなさん,yoshiさん,しきさん,なほさん,のってぃさん,ひろさん,カエルさん,kanzoさん,体調不良のときなのでさらに励みになりました.ありがとうございました.
たんぽぽさん,ガッツさん,初めてコメント下さいましたね.ありがとうございます.すぐにお返しできずに申し訳ありませんでした.また気軽にコメントください.

完全回復したらきちんと更新したいと思いますので,またよろしくお願いします.


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出勤したものの・・・ 

朝出勤したものの体調不良にて30分ほどで帰りました.
また病院へ行き,処方を受けました.

なんとか明日には治して月曜からは仕事復帰したいです.2週連続で休むとさすがに患者さんに大きな影響を与えます.


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まさかの下し 

ついに来ました.もしかして,発熱,喉の痛みに続いて,下痢までも.ノロウイルスにも感染しているのでしょうか?下痢になったとはつい15分ほど前の話です.1回で終わればいいのですが,続くとつらいです.

今年はノロウイルスが猛威を振るっていて(関連ニュース),過去25年間で最大の流行のようです.

「食欲はあるし,上げ下しは全然ありません」と公言していた私の風邪ですが,ここにきて急展開を迎えようとしています.親神様,お腹の掃除もしていただけるのですね,ありがとうございます...


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なんとか仕事終わりました 

なんとか終わりました...
今日は予約の患者さんがいませんでしたので,もう検査などはしないことにして,ゆっくり一人仕事をすることにしました.午前中は所見を書いて,午後はデイケアで過ごし,あまり身体に負担のかかることはしませんでした.

午後3時過ぎで36.7℃で微熱気味でしたが,喉が痛いだけで体調は悪くありません.今夜も早く寝れば明日も仕事に行けそうな気がします.

もう少しで元に戻ります.何でもないことのありがたさ,当たり前に思わず噛みしめたいと思います.


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とりあえず出勤・・・ 

朝熱が下がっていたので,とりあえず出勤してみました.昨日処方してもらった薬がよくて効いたのか,おさづけのご守護をいただいたのか,自然治癒力で時間が解決したのか,そのどれもが該当するのでしょうが,熱は下がりました.一時的に下がっていてもまた上がるということを今回は何回も経験しているので予断はならないですが,有休使ってばかりですと後々大変ですので,頑張って出ることにしました.喉はまだ痛いので,治ってはいません.

出勤すると院長が「まだ治らないの?」「何か別の病気じゃないの?」「白血球の値下がってない?」などからかってきます.医者にそんなこと言われたら不安になるのは当然の心理です.何か悪い病気だったらどうしようとちょっと心配になりました.別の医師は「大丈夫だと思いますよ」と言ってくれました.

今日は予定では他院の見学に行くはずだったのですが,このような体調だったのでキャンセルさせてもらって,病院でおとなしく所見を書くことにしました.

では,仕事がたまっていますのでこれにて.


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再び受診・・・ 

熱が下がらないので,今日は別の近医を受診して違う薬をもらいました.今調子が少しいいので,もしかしたら明日は大丈夫かもしれません.

とりあえず,寝ることにします.


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