ひろさんのリクエストにこたえて私が以前考えた「ジャンケン論」を旧ブログより転載します.
9月25日の夕食はカレーだったのですが,洗物をどちらがやるかで弟とジャンケンで決めることになりました.言い出したのは私です.
弟はグー,私はチョキを出しました.無論私の負けです.私は潔く洗物をしました・・・.
ここでふと思ったのは「言い出しっぺは負ける」ということです.よくよく考えると,こういうのってたいてい言い出した人が負けているような気がしませんか??この事実に気付いたのは今になってではありませんが,昔から何故言い出した人が負けることが多いのだろうと思っていました.今日はふとそのカラクリが解けた気がしたので,解説したいと思います.
こういうなすりつけ合いのジャンケンって,たいていそれをやりたくない人が言い出します.ジャンケンに勝てば,負けた人にやってもらえるので自分は楽をできるわけです.(もちろん負けたら自分がやらないといけませんが.)できれば勝って楽をしたいという気持ちが強いと思います.
この時点で言い出しっぺは心遣いとして「をしい」ほこりを積んでいるのです.自分の力を人のために使うのを惜しむの話ではなく,自分のことにさえ力を出すのを惜しんで楽をしたがっているわけです.親神様は「願い通りではなく,心通りの働き」をしてくださるので,いくら勝ちたい!勝って楽をしたい!と思っても,その怠け心を受け取ってもらえることはないでしょうから,ジャンケンに負けることになるわけです.
勝つことだってあるだろうに!という反論をしたい方いますよね?ここまでは絶対論でしたが,ここで相対論的考え方をするわけです.
ジャンケンには相手が必要なので,今度はその相手の思惑を考慮する必要があります.挑まれた方は,「どっちでもいいけど挑まれたしいっちょ乗ってやるか」と思うかもしれませんし,「俺もやりたくない!何が何でも勝ってやる!」と思うかもしれません.どちらの心遣いをしても神様はお見通しです.
ここで勝負になるわけです.「ジャンケン・・・」っと言い出した時点で神様の秤で瞬時に計算がされます.その結果,やりたくない度の強い方が負けるわけです.そして,たいてい言い出した方が負けるのは,やりたくない気持ちがより強いからです.よりその思いが強いのでやらないで済むかもしれない方法を提案するという行動に出るのです.行動に出るかどうか,口に出すかどうかはその欲求がどれほど強いかを計る目安になります.出したということはそれ相応の欲求なり意図があります.今日の件に限って言えば,私は食事を終えた後,弟に食器を洗う話を持ちかけました.何も言わずにそれぞれが食器を洗ってもよかったですし,私が弟の分まで勝手に洗ってもよかったのです.それを私は「じゃんけんで負けた方が洗おうや」と持ちかけたのです.
何故って『このままだと弟は食器を洗わずに台所を去るだろう.そして私が食器を洗うことになる.ここでジャンケンをして勝てば弟に洗ってもらえる』と楽をしたくなったからです.弟は「いいぜ」と言い,ジャンケンをしました.結果,私が負けました.つまり,私の方が弟以上にきっと食器を洗いたくないと思う気持ちが勝っていたのでしょう.私から言い出したくらいですから,当然と言えば当然なのですが,それをすべて神様はお見通しだったということです.
弟にこの話をすると弟は「口で言ってもやらない場合にジャンケンに負ければ仕方なくやるだろうということを意図して,むしろ相手の成長を促す場合もあるんじゃないか?」と言いました.なるほど,そういう場合もあるかもしれません.
そして最後に「人に押し付けようとするその心がかわいそうや.自分からやれば徳を積めたものを」と言われました.確かにそうですね.
なすりつけ合いのジャンケンは言い出しっぺがすでに負けている!
たとえジャンケンで勝ったにしても,見えない徳の勘定上は何の得もしていないということを知っておくことは何かの足しになるかと思います.
私もいい勉強になりました.ブログが習慣になっていなければ,ここまで考えなかったでしょう.よかったら皆さんも考えてみてください.
(続きがあります)
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