引越しをしよう タダでもらった住宅情報タウンズで声が気に入ったのだと思いますが,今日は職場で軽く20回は唄いました.しばらくマイブームとなるかもしれません.
タダでもらった タダでもらった 住宅情報タウンズで
いつも昼食に1000円のラーメンを食べている3代目社長がいるとします.社員は300円のラーメンです.
普通に考えれば,社長のほうがおいしいものを食べているから,社員より幸せだということになるでしょう.しかし心の世界で見てみると,どうでしょうか.
この社長に800円のラーメンを出したら,「これはまずいではないか」と言うでしょう.500円なら,「こんなものが食えるか」と腹を立てるかもしれません.1000円が当たり前ですから,それ以上に高いラーメンでなければ,「これはうまい」と喜ぶことはないでしょう.
一方,いつも300円のラーメンを食べている社員は,500円のラーメンを「おいしい,おいしい」と言って食べるでしょうし,1000円のラーメンなら飛び上がって喜ぶはずです.つまり,この社員のほうが,社長よりも広くて大きい喜びの世界を持っていると言えるのではないでしょうか.
しかも,この社員が努力に努力を重ねて,やがて1000円のラーメンを食べられるようになったとしても,下積みの時代を知っていますから,〝ありがたい〟とか〝もったいない〟と思い,1000円で当たり前などという心になることはないはずです.たまに300円のラーメンを食べても,昔を懐かしんで,おいしく頂くことができるでしょう.(岩井孝一郎著『天理教の信仰』天理教道友社刊から)
教祖は,現身の寿命を二十五年縮めて,姿をかくされたが,魂は永久に元のやしきに留り,存命のまま,一れつ子供の成人を守護されている.「天理教教典」第5章より引用
昨日の実習で、同じフロアの実習生に年を聞かれたことろ、実際より若く見えるといわれ、その話を家で弟にしてみた。3年半前ですから24歳のときですね.会話には長弟と次弟が出てきています.当時は別のホームページでこのような学生らしい日記を書いていたのです.懐かしい・・・.
「昨日(中略)って言われたぞ」
「ありえねーよ!」
「兄ちゃん、どうみても20代にはみえねーぞ!」
「なんでだよ、けっこう年より下にみられるんだぞ!21とか22くらいに。」
「あんま、かわんねーじゃねーか!」
「僕なんて兄ちゃんと年が3つしか違わないなんて信じられないよ」
「僕だって兄ちゃんと年が1つしか違わないなんて信じられないよ」
「上にみられることもあるけど、けっこう下にみられるんだけどな~。」
「お世辞だよ、お世辞。言った人だってだいぶ下を見積もっていったのに、あんまり違わないんで、やべー、ギリギリだった・・・って冷や汗かいてるよ」
「なにΣ(ノ°▽°)ノ」
といった具合だった。そういえば、「25くらいかと思った」といわれた事もあるし、「あんた野人みたいやな」といわれた事もある。はて?(゜_。)?(。_゜)?果たして俺は老けているのだろうか??そうではないのだろうか??まぁ老け顔のほうが年とってもあんま変わらないっていうし、今更どっちでも大して気にしないのだが。まぁいいや。
明るい声で唄うので,年をとるのも忘れっぽくなるのも当たり前のことで,その当たり前の中に素敵と感じられる喜びがあるのだろうなぁととても納得できる唄です.後半の歌詞は,一見悲観的なことを唄っているようにも見えますが,実は悲観論ではなく,その忘れっぽさが時には人生の苦難を和らげることにも貢献するということを示唆しているように思えます.そう考えると生き方上手ですよね.『年をとるのは素敵なことです そうじゃないですか
忘れっぽいのは素敵なことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか』
この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
ごらん 夜空を星の線路が
ガラスの笛を吹いて 通過信号を出す
虫も獣も人も魚も
透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ
この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
僕の命を 僕は見えない
いつのまに走り始め いつまでを走るのだろう
星も礫も人も木の葉も
ひとつだけ運んでゆく 次のスタートへ繋ぐ
この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
この一生だけでは辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ
(中島みゆき 詞/曲)
お父さんのこと
ぼくのお父さんの名前は○○と言う.昭和63年の8月20日に交通事こにあって,××病院に入院している.
お父さんは,手じゅつを3回やった.1回目の手じゅつは,8月22日であとは忘れた.
ぼくが病院に行くといつもわらってくれる.
ぼくはお父さんが入院してる間,ぼくはいつもお父さんのことをおねがいしている.お父さんも病院で早く治ってたい院できるようにおねがいしていると思う.
お父さんの外泊の初めの日は3月30,31日だった.その時,ぼくは,とてもうれしかった.それからお父さんは1週間に1ぺん外泊をしている.
お父さんはもうだいたい治っていてたい院の日にちは5月31日だ.
お父さんがよくなったのも,神様のおかげ
Author:まお & あいこ
まお:お道を信仰するよふぼくであり,教会子弟です.現在は精神科で働いています.
あいこ:お道を信仰するよふぼくであり,まおと出逢って入信しました.現在は精神科で働いています.