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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

飾らない心で 

未読の方は以下を閲覧ください.
引き受ける心
共に苦労を

相手の身上・事情を「引き受ける心」を持ち,「共に苦労を」喜んで通れる相手と歩んでいくには,お互い飾らず自然体でいられることも重要なことと思います.

24時間365日互いの身体をお返しするそのときまで続いていく関係ですから,見栄や遠慮・気兼ねがある関係では疲れてしまうでしょうし,そもそもそのような態度は一生続けられるものではありません.場面を限定されているから,ある程度人は演じることができるのです.

人は生きていく中で様々なペルソナ(仮面)をつけて生活していきます.中堅サラリーマンであれば,日中は課長として部下の上に立ち部長の命に従うペルソナを,家に帰れば子どもには父親としてのペルソナを,両親には息子としてのペルソナを,そして伴侶には夫あるいは妻としてのペルソナをつけてその役割行動を果たしていきます.仕事においてはその役割期待に応え立場を維持していくために疲労を抱えることもあるでしょうが,その疲労を癒すはずの関係においても役割行動として先述の見栄や遠慮・気兼ね,過度の気遣いをしなければならないとしたら,その関係を維持することにおいて仕事と同等あるいはそれ以上のエネルギーが必要となり,どこかでその力は潰えてしまうかもしれません.

もちろん親しき仲にも礼儀ありという言葉があるように,互いに立て合い扶け合うことは大事なことです.しかし,一緒にいる時間が終わるとホッとするような関係では刹那には終わらない関係を築いていくことに不安が残るでしょう.

引き受ける心ともつながってきますが,相手の持ち味を互いに引き出すことができ,互いがのびのびとでき,それを互いが無条件に肯定できること,そしてその中に喜び,楽しみを見つけられるということが大切だと思います.相手のありのままを受け入れて,それを互いに立て合い扶け合っていくこと,その姿はおそらく陽気ぐらしそのものであり,その屈託ない姿は後の世代に引き継がれていく台となるものと思います.

ですから,互いにありのままの自分を出せる相手がいるのであれば,その出会いは大事にしたいものです.もちろん,このことは結婚に限らず友人関係や職場の人間関係にも言えることです.
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友人の結婚式 

今日は高校時代の友人の結婚式です.おぢばで挙式かもしれません.

彼は教会の長男で,3月に5年に渡る道友社勤務を終え,現在は大教会で青年をしています.過去記事,友人の結婚祝賀会においても私は少し彼らについて言及しています.

教会の後継者なのですが,その嫁さんは「教会にお嫁に行きたかった」とのことで,正直感動しました.本人のその心意気に感動すると共に,母親にも尊敬の念を抱かずにはおれません.教会で育った娘さんなので,教会の奥さんである母親の姿をしてその役割イメージを形成するのでしょうから,彼女が教会にお嫁に行きたいと思ったのは,お母さんがその役割をこなす中でよき手本となり,彼女はその背中を見て育ってきたに違いないと思いました.(勝手な想像ですが)

さて,私は仕事の都合ですぐに休みがとれず,残念ながらお祝いの場に参加できませんでしたが,当記事を以てお祝いとさせていただきたいと思います.どうぞ夫婦互いに立て合い扶け合い,楽しいことばかりでなく,ときには苦労もあるかと思いますが,その苦労を先の楽しみに変えていける喜びの心を持って陽気に暮らしていってほしいと思います.今日は本当におめでとうございます.

ちなみに,4月にも一人結婚しましたし,7月,12月と高校の友人の結婚式を控えていまして,私の年代も結婚していく歳になってきたようです.私の番はまだまだ先のようですが・・・.

先日のおぢば帰り~祖父と過ごした1日 

26~27日のおぢば帰りについて綴ります.

26日の朝5時半頃詰所に着きました.祖父がいる部屋に行くと祖父はまだ寝ていました.
何時頃か忘れましたが祖父は目が覚めました.布団から起き上がろうとするがなかなか起き上がれず,体力の衰えを目の当たりにしたという感じでした.

朝食を祖父と食堂でとり,その後少し休んでから,神殿に参拝に行きました.詰所内を歩くだけで疲れてしまう祖父なので,参拝はもちろん車椅子です.中庭で参拝させていただきました.私が力がついたのか,祖父が軽くなったのか,何ら疲労を感じませんでした.祖父は疲れたようです.

参拝後,詰所へ戻り昼食をとり,祖父は昼寝をしました.私もごろごろしていました.夕方,おばさんに祖父をお願いして,私は例のごとく友人宅へ行き,お父さんにおさづけを取り次がせていただきました.その後また詰所へ戻り,夕食をとり,夕づとめへ行こうと思いましたが,祖父は疲れたようで行かないというので私も断念し,祖父と風呂へ入りました.久しぶりに背中を流してあげますととても喜んでいました.

祖父が先に出まして,少しして私が出ますと,祖父が私のトランクスを履いていたので,「じいちゃんそれ僕のだよ」と言うと,「そうか?」と脱ごうとするので「いいよいいよ.それはきなよ!」と言って私はやむを得ず祖父のトランクスを履きました.(そして,そのまま翌日帰ったので,下着が入れ替わったことになりました.)

入浴を済まして部屋に帰ると,湿布を貼ってあとはもうおやすみの時間です.就寝前の薬を飲んで寝ました.トイレには1度しか起きなかったようです.

翌朝,朝食をとり歯を磨いて部屋の掃除をし,私は8時に詰所を後にしました.祖父はまた山口へ戻るので,玄関の外まで見送りにきてくれました.

1日でしたが,久しぶりに祖父に会って一緒に過ごすことができてよかったです.また会うときまで元気に過ごしてほしいと思います.

フル駆動 

フル駆動でした.ありがたいですね.

6時半に起き,朝づとめをして出勤.30分ほど早く仕事を終えて,バイクで駅まで行って電車に乗ってオフィスへ行き,7時からロールシャッハ・テストのグループ・スーパーヴィジョンを2時間半受けて,また電車に乗って家に帰り,帰ると弟が駅に迎えに来てくれというので迎えに行って,0時半に帰ってきました.電話ほしいと言っていた友人がいたのですが,弟を迎えに行ったために話を聞いてあげることができず申し訳なかったです.明日じっくり聞きます.

おぢば帰りの記事を書きたいのですが,明日も仕事ですので,今日はやめておきます.おやすみなさい.

ブログ拍手 

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ということなので,とりあえずデフォルトのまま拍手は有効にしておきます.読むだけの方も(もちろん読んでいただけるだけで嬉しいのですが)拍手送っていただけると励みになります.

今後とも当ブログをよろしくお願いします.

おぢば帰り 

今晩からおぢば帰りしてきます.

4月の終わりに参拝に行っているのですが,今回は山口から祖父が帰参するので会いに行ってきます.5月中旬には京都も往復していますので,1ヶ月に3回近畿往復ということになります.(ありえないくらい移動しています)

月次祭参拝は久しぶりですし,祖父に会うのも11月以来なので楽しみです.半年前より弱っていると聞いています.少しでも元気になって長生きしてくれることを願っています.

というわけで明日は1日祖父の付き人です.月次祭にはおそらく東礼拝場周辺で参拝させていただくと思います.祖父の意向にもよりますが.

偽セキュリティソフト「WinAntiVirusPro 2007」 

偽対策ソフトもバージョンアップ、日本語の2007年版が登場

「WinAntiVirusPro 2007」という偽のウイルスセキュリティソフトが発見されたようですね.上記ニュースを見るとわかりますが,インターフェイスなども確かにノートンなどの信頼性の高いセキュリティソフトと似ていて,一見偽者には見えません.それにWinとかproとか2007とかついているとなんとなく胡散臭さは薄れます.

インターネットやパソコンをただ使うだけの人は間違って正規版の購入をしないように気をつけてください.万一試用版をインストールしてもアンインストールは問題なくできるらしいので,正規版の購入をしなければ大丈夫だとは思います.

ドキドキ健康診断 

今日は病院で義務づけられている年2回の定期健康診断です.

朝から水一滴摂取せず,10時半頃健診にのぞみました.
身長・体重・視力・血圧・採血・検尿が項目としてありました.
最初の3つは自己申告です.171cm,66.4kgで申告しました.

前回,コレステロールがすごく下がっていたのですが(ダイエット真っ最中)今回はむしろ増加傾向にある時期の健診ですので,きっと数値があがっていることでしょう.加えて気になるのは前回基準値を逸していたビリルビンです.結果が気になるところです.
最大の焦点はC型肝炎です.次弟は自然と抗体ができるご守護をいただきましたが,彼の体内に一度ウイルスが侵入しているということは,髭剃りなどを平気で共有していた私にもその可能性がないわけではないということです.おそらくは大丈夫だとは思うのですが,少し気になります.

しかし,だんだん健診に抵抗を示す年齢になってきました.父が病院に行くのを嫌がっていた気持ちがわかります.悪いところがあるのなら早期発見・早期治療にこしたことはないのですが,もし・・・と思うと二の足を踏みたくなりますよね.なんしか無事終わってよかったです.

講義(第12回) 

以下は関連記事になります.
講義(1)
講義(2)
講義(3)
講義(4・5)
講義(6)
講義(7)
講義(8・9)
講義(10)
講義(11)

今日はDVD鑑賞をしました.学生にとってはよい息抜きになったのではないでしょうか.(講師にとってもまぁ…声を大にしては言えませんが)

「イブの三つの顔」という解離性同一性障害(多重人格障害)についての作品です.1957年の作品ですので,実に50年前の映画ですが,なかなか興味深いですよ.是非見てください.院生のときに解離性同一性障害について書いたレポートがあり,私の何年も放置しているホームページにも載せているのですが,そろそろ閉鎖しようと思っているので,そのうちこちらにも転載しようと思います.

イブの三つの顔 イブの三つの顔
ジョアン・ウッドワード (2005/04/08)
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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講義(第11回) 

以下は関連記事になります.
講義(1)
講義(2)
講義(3)
講義(4・5)
講義(6)
講義(7)
講義(8・9)
講義(10)

先週の講義の記事を書き忘れていました.月次祭準備だったからですね.

先週は心理アセスメントの続きをやりました.様々な心理検査の解説と,毎年エゴグラムを学生がやっていたようなので,今年もエゴグラムをTEG-Ⅱを用いてやってもらいました.私もやってみたのですが,昔は山型だったのが,今回はM型になっていました.CPとAをもう少しあげたいですね.

エゴグラムに興味を持たれた方は検索してみると,様々なサイトで実施できます.ただあくまでも,「その質問項目で構成された検査から推測できる性格傾向」であるということをお忘れなく.

共に苦労を 

未読の方は以下を閲覧ください.
引き受ける心

昨日,引き受ける心について話をしましたが,結婚において大事なことは他にもあると思います.それは自分にとってその相手が苦労を共にできる相手かどうかです.おもしろおかしく楽しく過ごせる相手は意外とたくさんいるでしょう.自分や相手の深い部分には触れずに生活できるからです.「この人だったら楽しい(あるいは楽な)生活が送れそうだし・・・」という動機のみであるならば,その視点では人生の片面しか見ていないと言えると思います.そのときには是非もう片方の側面にも目を向けて考えてほしいと思います.

人生には苦労も伴うものです(もちろんその先に楽しみはあるのですが).その苦労を共にできる相手は人生においてそうはいません.「この人だったらどんなに苦労しても構わない」と思える相手に出会えたのなら,それは大事にしたいものです.そこには「苦労を喜びに変えていける力」が包含されています.苦労は先の楽しみとなる種です.苦労に意味を見出し,共に助け合って通れるのならば,人生における茨の道の先に明るい道が見えるでしょう.以前にも述べましたが(関連記事;苦労に意味を与える),意味が与えられた苦労はただ「つらい」のみの苦労ではなく,先につながる苦労です.それは客観的なものではなく,主観的な体験です.他人からどう見えるかということは関係ありません.心理学的に言えば,彼ら夫婦の認知において肯定的あるいは適応的な意味づけがなされていればよいのです.他者評価は関係ありません.現にどんなに他者からみたら幸せな家庭に見えても,当人たちがそれを感じ得ない場合があることを私たちは知っています.

当人たちが,たとえ客観でも主観でも楽ではない生活を送っていたにしても,相手が自分にとって苦労を共にできる相手ならば,その苦労にも意味があり,喜びを見つけていくことができるのではないかと思います.その経験があったからこそ,見える,わかる,大切にできることもあるでしょう.苦労を共にできることは共に楽しめることの十分条件なのです.お互いに苦労を共にできる相手と出会えたならば,その出会いは大切にしたいものです.

引き受ける心 

さなさんのコメントを受けて,過去記事から引っ張りたい記事があったので,加筆・修正して綴ります.

昨年の8月21日~24日にかけて書いた記事なのですが,高校の友人と電話で話した際に思ったのがきっかけでした.

彼女は当時,修養科を終えて教会へ戻り,今までやっていた仕事へ戻っていました.(この時世によく3ヶ月も休職もらえたなとまず関心しました.)そして,家を出ないで教会で尽くして偉いよという話をしていました.大抵の女性は時期が来れば嫁として他家に嫁ぐでしょうから,これまで育ててもらった両親に十分に孝行できるのは今が旬ということもあるのですが,それでも世の中には,それさえも疎ましく思う人もいます.それを思えば結構な娘さんだと思ったのです.

結婚についての話などもしまして,相手にも信仰を求めるかどうか訊くと,彼女は「そうでないと私が無理と思う.それに天理教を信仰してもいいというくらい私のこと好きになってくれる人じゃないと」と言いました.

それを聞いてもっともだなぁと思うわけです.お道の信仰によって支えられ育ってきた彼女ですし,今日の彼女というアイデンティティ,パーソナリティと信仰とを切り離すことは不可能です.信仰を持たなかったならば,きっと今の彼女とは違う人格が形成されていたでしょう.信仰とパーソナリティについては過去記事「信仰の本質~宗教というラベリングの影響」,「人をして宗教を知るということ(1)」,「人をして宗教を知るということ(2)」を閲覧ください.

ですから,彼女の伴侶となる相手には彼女の持つ信仰を認め,それを引き受ける心が必要になってきますし,彼女もその相手のもつ様々な要素を引き受ける心が必要になってきます.それは私も同様です.相手に引き受けてもらうには,教理を説くよりも(あまり説けませんが),まず日頃の生き方として自分が心がけていく必要があるのだと思います.時間のかかることですが,その中に伝わっていくものがあるのでしょう.その信仰によって培われたであろう人柄を通して引き受ける心は育んでいけるのかもしれません.

以前読んだお道の本にこんな話がありました.

教会の娘さんを嫁にもらいたいという男性がいまして,その男性は未信者の方でした.娘を嫁に出すときに父親は「何もいらん.ただうちは天理教の教会や.あんたが好きになったんは天理の教えの中で育った娘や.娘が好きなら娘の好きな天理の教えも好きになってはくれまいか」というようなことを言ったそうです.男性は別席を運び,よふぼくとなり,娘さんと結婚したとのことです.

このことは信仰に限ってではありません.自分が抱えているものすべてに言えることです.環境因,遺伝因,疾病,価値観,人は千差万別な特徴があります.そのひとつひとつが神様が選んでお与えくださったもの―いわば神様からのかりものであり,その人の担うべきものなのです.もちろん改善しうるものもありますが,親との同居・介護,慢性疾患,障がいなど現実的に解決策はなくその人が背負って引き受けていかなくてはならないものもあると思います.そうした相手が引き受けるものを(形を変えてでも)一緒に引き受けたいと思う心,そうした真実の心があるかどうかが大事だと思います.

お互いに相手に望む・求める心を持つのではなく,お互いに相手を取り巻くものを引き受ける心を持つことで自ずと寄り添い落ち着く勘所におさまるご守護もいただけるのかもしれません.これを読んでいる皆さんがそうした心を持った相手に出逢えることを,あるいはすでに出逢っていることを願ってやみません.

意外と量が多いのであと数回に分けて転載したいと思います.

SV 

今日はスーパーヴィジョンを受けに行ってきました.
バイクで40分ほどかかる先生のお宅にお邪魔し,心理査定についての指導を受けました.かなり久しぶりでしたので,新たな視点や自分の至らない点に色々気づくことができました.

定期的に行っているのは心理面接についての指導でして,心理査定の方は困ったときだけ先生に連絡をして受けるようにしています.2年ちょっとは定期的に通っていたのですが,慣れてきたということもあり,今のようになったのです.次はいつかはわかりませんが,数ヶ月の間にまたあることと思います.勉強になってよかったです.

お疲れ様 

21日付けで職場のデイケアの若手女性スタッフ(ガンダーラと神田川を間違えていたスタッフです)が福祉相談室へ異動となりますので,今日は15分ほどの送別会がありました.1年ちょっとですが,頑張ってくれた方なので,私も送別会に顔をだしました.

メンバーが唄や色紙などでお別れをしたのですが,女性スタッフはおいおい泣いていました.異動などでもう会えないわけではないのですが,慣れ親しんだ場所を去るというのは1つの喪失でしょうから,そういう経験も大事だなぁと思いました.見ていて私も感慨深かったです.相談室へ行っても頑張ってほしいと思います.ちなみに入れ替わりで21日より産休明けのスタッフが帰ってきます.

私は心理職で患者さんと面接室以外で会うことはありませんので,退職の際,このように送別会はないんだなぁと思いました.でも,ないのが一般的ですよね.

あくび 

最近,眠くて仕方がありません.寝起きは悪くないのですが,出勤してからが眠いのなんのって.

あくびもおそらく何十回としています.どうしてこんなに眠いのだろうと思うくらい眠いです.家に帰る頃も眠いんですし,家に着いてからも眠いのですが,夕食をとり,筋トレをし,ジョギングをしている間にだんだん眠気は覚めてしまい,お風呂から出るともう眠気は半減です.で,結局早寝しそびれてしまうのです.

ところで,あくびってうつるって言いますよね.人があくびしているのを見ると不思議とあくびが出ます.伝染する刺激ってどうやら人だけではないようです.

以前,読書をしていて,文章に「あくび」という言葉が出てきたのですが,なんとそのときもあくびが出ました.さらに,「あくび」という言葉を会話の中で聞いただけでもあくびが出ました.極めつけは愛犬チャコのあくびを見てあくびが出たのです.もはや何でもありなんですね,あくびって.今,こうしてあくびについての記事を書いていてもあくびが出ます.もちろん単に夜で眠いということもありますが,<akubi>とタイプするときにあくびが出る傾向があるような気がします.

不思議ですね,あくびって.でも,そんなあくびが出るのも,親神様に生かされていて,そのお働きがあるからです.再自覚できたところで明日はあくびの数だけ『ありがとうございます』と申し上げたいと思います.

月次祭 

5月月次祭今日は5月の月次祭でした.12人で参拝させていただきました.(うち4人は家族です.)人身事故で電車が止まったにもかかわらず,遅れて参拝にきてくださった方もいました.

天気がすごく不安定で降ったり止んだり.どしゃ降りになったときもありました.それでも結構に祭典をつとめさせていただくことができました.ありがたかったです.私はいつも通りおてふりと地方でした.

講話では,親教会の会長さんがいい話をしてくださいました.内容に触れる余力はありませんが.

月次祭準備 

p054.jpg明日は月次祭です.

今日は次弟が夜勤明けでしたので,買い物と調餞をやってくれました.仕事から帰ってくると終わっていましてありがたかったです.

今月のお供え物は大根・キャベツ・ブロッコリー・ピーマン・玉ねぎ・じゃがいも・トマト・パイナップル・ハネジューメロン・夏みかん・バナナです.

ウェディングケーキの象徴的意味 

未読の方は以下を閲覧ください.
友人の結婚式

先日の結婚式の披露宴でケーキ入刀後,新郎新婦それぞれがケーキをスプーンだかフォークだかで(遠くて見えない)とって相手に食べさせるという場面がありました.

最初,新婦が新郎にケーキを食べさせました.新婦は白い生クリームがついた部分をたっぷりとり,新郎は大口を開けて食べました.次に,新郎が新婦に生クリームに苺がのった部分をとって食べさせました.もちろんそれはそれはとても幸せな光景だったわけですが,そこから心理学的に興味深い示唆を得ることができます.ちなみに完全な私論です.

このシーンはお互いの結婚観を象徴しているかもしれません.選んだケーキはそれぞれの結婚に対するイメージや願望を表しており,食べさせるという行為はお互いのそのイメージを呑み込む―理解するという意味があるように私には思えました.

つまり,新婦は結婚に対し,白い生クリームのような甘いイメージをもち,甘い生活を期待してその甘さを新郎にも共有してほしいと思っていて無意識的に甘い部分を選び食べさせました.それに対して新郎は結婚に対し,甘い部分ももちろんあるけれども甘酸っぱい部分もあるんだよということを知っていて,無意識的に甘い部分だけでなくやや酸味のある苺を含んだ部分を選んで食べさせてあげたのではないでしょうか.お互いに口に運んでくれたケーキを至福を感じながらおいしく食べたということは,象徴的に考えても互いの心根を十分に味わって理解したということだと思うので,お互いの価値観を尊重しながら生活していけるだろうと思いました.

お道では成ってきたことに親神様の思いを考えてどんな意味があるのかを考えるかと思いますが,心理療法でも起こっていることに対して本人や周囲の人にとってどんな意味があるのかを考えることがよくあります.詳細は述べることはできませんが,意味について考えることで確認できることがあったり,新たに気がつけることがあったりして,その積み重ねが治療になっていきますので,今回のケーキについて考えることもあながち無駄ではないのです.まぁそれらはあくまで仮説ですので,正しいかどうかは別問題ですし,あの場でそこまで考える必要はないというのが一般的だと思いますが・・・.単に微笑ましい光景としておさめるだけで十分ですよね.

人生には甘さと酸っぱさがありますが,私も友人のように(って友人がそう言ったわけではありませんが),甘い部分も酸っぱい部分も含めて喜んで食べてくれるような女性をいつか伴侶として迎えたいなぁなんて思いました.

牧師はゴダイゴ!? 

さっき北山ル・アンジェ教会のサイトを見ていたら,牧師がゴダイゴのメンバーだったことを知り,びっくり!!そりゃ日本語うまいですよ!以下に引用してみましょう.

■スティーヴ・フォックス (bass & vocals)

1953年10月3日、宮城県仙台市出身。父はアメリカ人、母は日本人。
横浜のアメリカ ン・スクール在学中にミッキー吉野と知りあい、71年にミッキーと“サンライズ”を 結成。
バークリー音楽学院在学中には、ミッキーと共に地元の“フレッシュ&ブラッ ド”というバンドで活動した。
帰国後、ミッキー吉野グループを経てゴダイゴを結成。ゴダイゴではベースだけではなく、PAやミックスなどエンジニアリング面でも活躍した。
ゴダイゴ全盛期の80年に脱退後は、ハワイと日本でキリスト教の宣教師と して、布教とボランティア活動を開始。
教会の仲間たちとゴスペル・グループを結成し、少年院の慰問の他、数作のCDも制作している。
98年には、浅野孝己たちと共に “T.P.O”というユニットを結成する。
現在は京都の北山ル・アンジェ教会において牧師の仕事の傍ら音楽活動をバランス良く展開している。

GODIEGOより引用


ゴダイゴと言えば「ガンダーラ」しか知りませんが,ちょっと前にはガンダーラを聞きたいがゆえにベストアルバムをレンタルしたほどです.式のBGMでガンダーラ流してほしかった・・・.

当ブログでも「ガンダーラと神田川」という記事がありますので,未読の方は是非この機会にお読みください.

友人の結婚式 

昨日は友人の結婚式でした.

二条城を後にした私は地下鉄に乗り,式場入りしました.

控え室でスーツに着替え歯を磨き寝癖を直し,来る刻に備えました.
11時半,挙式でした.チャペルは初めてでしたのでどんな感じなのだろうと興味がありました.牧師さんは予想通り外人さんで,要所要所で私には理解できない言葉も用いていました.その顔立ちと通じない言葉が非日常的な空間の雰囲気作りに貢献し,式の荘厳さをより一層引き立てているようでした.日本語も上手でした.

新郎である友人はとても緊張しているようでした.式の後披露宴があったのですが,披露宴の席でもだいぶ緊張しているようでしたので悪友たちと一緒にお酒をつぎに行きました.料理は食べなれないものばかりでしたがわりとおいしかったです.

スピーチは我々大学の友人だけスルーされました・・・.新郎新婦からの贈り物も私たちにはありませんでした.コーヒーカップの皿の裏にシールが貼ってある人が対象者だったのですが,「今度こそあるんちゃうの?」とか言いながら,我々は他の料理の皿の裏やテーブルの裏までチェックしたのですが,ありませんでした.お色直しが何度かあり,その度に上の階のバルコニーから登場するのですが,私たちの席はもっともバルコニー寄りで(真下)移動しないとまったく見えませんでした.

きっと他の友人には多少なりとも気兼ねがあって,席やスピーチの配慮が必要だったのでしょう.私たち大学の友人なら,気を遣わずとも理解してくれるだろうという思惑があってのことだったに違いありません(←超プラス思考).ともかく人生の門出の席に招いてもらえたことは光栄でした.

4時すぎに披露宴も終わり,京都駅で友人たちの主役のいない2次会をやりました.途中で新郎新婦も来たのでよかったです.もちろん私たちがスルーされていたことはしっかりネタとして突っ込みましたよ.

その後,夜行バスに乗り,今朝教会へと帰ってきました.夜行で行って夜行で帰ってくるというハードスケジュールでしたが,楽しかったです.明日からまた仕事頑張りますです.

二条城にて 

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急ぎ足です。ゆっくり見れなかったのは残念ですが式に遅れたら元も子もなありません。途中の庭園がきれいでしたので撮ってみました。今入場口まで戻ったのでこれからまた地下鉄に乗り式場へ向かいます。

二条城へ 

二条城朝6時に京都駅に到着しとりあえず地下鉄フリーパスを購入し四条へ。
降りたが何もないので再び乗車。烏丸御池へ。
やはり何もなくとりあえず北へ一駅歩きました。
ようやくくつろげるマックを見つけた朝食をとり9時すぎまで時間をつぶしました。
その後三度地下鉄に乗り二条城前へ。
入場料600円に足が止まりましたが思い切って購入。
現在敷地内にいます。写真は二の丸御殿です。




京都へ 

今日はこれから夜行バスで京都へ行きます。明日の夜行バスで戻るのでハードです。
仕事から帰って夕食をとり、風呂へ入って髭をそり、スーツを詰めて…そう明日は大学の友人の結婚式なのです。昨年7月にも臨床心理の友人の結婚式がありましたが今回もそうです。昨年同様心理職同士の結婚です。

朝6時に京都駅に着いてしまうのですが式は11時半なんで時間をもてあまします。とりあえず今晩は寝ます。格安シートなので狭いですが…。では行ってきます。

勉強と会合と 

今日は夕方から先生に指導を受けに行ってきました.
日頃の面接などの姿勢や方針について考える機会を与えていただきとても勉強になりました.2時間ほどご指導いただき,また気持ちを新たにすることができました.

その後,大学院時代の実習先の仲間と飲みにいきまして久しぶりに懐かしく楽しい時間を過ごしました.私は高校・大学と天理で過ごしているので実は生活行動範囲に友人が非常に少ないのです.院の友人と職場の同僚くらいのものです.末弟は高校が地元なので友人がたくさんいていいなぁと思うことがよくあります.

そんなわけで,相当久しぶりに友人と話ができてよかったと思いました.

腹を立てないには 

誰でも腹を立てるときってあると思います.私もあります.人間の悪しき心遣いとして挙げられている八つのほこり(「をしい」「ほしい」「にくい」「かわい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」)にもある通り,腹を立てることはほこりを積むことになりますので,できることなら腹を立てることなく寛容に日々を通れるといいと思います.

腹を立てるときってどんなときかといいますと,人間関係で言えば,不当なことを言われた,誹謗中傷を浴びた,まさに劣等感を刺激された・・・などなどがあると思います.人間関係以外の状況で言えば,たいていは不測の事態に遭遇したということが多いように私は思います.

コツとは言いますがこれから述べることは理想論でこれができれば苦労しないというレベルかもしれません.

他人から意に添わないことを言われれば誰でも面白くないと思いますが,そこで腹を立てないには,まず自分の心が相手より上に立たないように小さく低い姿勢になることです.「なるほど.私の言動で不快になる人もいるのなら,今後は気をつけよう」あるいは「私に至らない点があるのであれば,今後はその点をよい点に変えていくよう努力してみよう」などと自分の成長のための出来事として処理するといいでしょう.まぁ人間なかなかそう簡単にそうは思えませんが.

また不測の事態に遭遇したときは,「かえってよかった」と考えることが助けになります.例えば・・・出っ張りに小指をぶつけることって誰しもあると思います.私は不注意なのでよくあります.「いて~っ!」と絶叫するわけですが,ここで腹を立てても相手は物質ですのでナンセンスです.謝ってもくれませんし態度を改めることもありません.そこで「ああ,私がぶつかってかえってよかった.他の人に気をつけるようにアドバイスができるし,これが年寄りや子どもだったらもっと大変なことになったかもしれない」と思えば,痛みにも意味が生まれ耐え忍ぶことができるかもしれません.

要はどんなことも受け取りようです.受け取る心一つで腹の虫はいかようにもできるのです.それを教えてくださっているのがお道の教えです.受け取り上手になりたいものです.

ジョギング再開 

連休明けの7日よりジョギングを再開しました.今日で3日です.もちろん忙しくてできない日もあるでしょうが,できる限り続けたいと思います.目標再63kgです.再来週には健康診断もあるので,ちょっと本腰入れねば!!

講義(第10回) 

以下は関連記事になります.
講義(1)
講義(2)
講義(3)
講義(4・5)
講義(6)
講義(7)
講義(8・9)

今日は心理アセスメントについて講義をしました.面接や検査や観察を用いて対象者を心理学的に理解する方法論ですね.その多くを心理検査が占めていました.まだ半分くらいしか終わっていませんので残り半分は来週ということになります.

来週はテストについての告知をすることになっています.プリントとノート(直筆に限る)持込可にして,30~40問くらい出題しましょうかね.落とすためのテストではありませんが,一応テストと呼べるものを出題しないと私も講師としての立場が・・・.そういえば学生さんは誰も読んでないんですかね,私のブログ.講義の日だけ読んでくれてる人とかいたりするのでしょうか・・・.

悲嘆(その2) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
悲嘆(その1)

1ヶ月以上前の記事ですが悲嘆について述べました.予告通り,今日は悲嘆とは実際どんな反応なのかということについて綴りたいと思います.文字通りの単に悲しみ嘆くということにとどまらず,実は様々な反応が生じます.

正常な悲嘆反応を示すのであれば,身体的には腹部の空腹感や胸部の圧迫感,喉への緊張感,音への過敏,離人感,息切れ,筋力の衰退,口の渇き,不眠,易疲労感,食欲不振,体重減少といった症状があり,感情・情緒的には,抑うつや悲しみ,怒り,罪悪感と自責,不安,無力感,感情鈍麻,安堵感,解放感といった症状がみられます.行動としては,喪失に対する接近あるいは回避,人との接触の回避,社会的引きこもりなどがみられます.

悲嘆をただ悲しいこととだけ思っていると,これら予想外の自分の反応に驚きや戸惑いを覚えるかもしれません.そして,自分はおかしくなってしまったのではないかと感じられる方もいるでしょう.しかし,実はそうではありません.これは,悲しみを乗り越えるための必然的な過程であって,自然な反応なのです.むしろ,これらの過程を経て,喪失を受容し,新たな出発をするといっても過言ではありません.

悲嘆対象を喪失することはつらい体験ですが,これらの過程を乗り越えて元の健康な生活へと戻っていくことができるのです.これが達成されないと病的悲嘆という状況に陥っていきます.つまり,悲嘆の過程が意識的あるいは無意識的に抑圧され,悲嘆作業が十分に,あるいは全く行われない場合に生じると言えると思います.ですから,何らかの喪失体験の際には恥ずかしがることなく存分に悲しみましょう.それはもっとも人間的な感情です.どうしようもなく悲しい体験でしょうが,その体験をして自分が人間として生きていることを,あるいは自分が生かされていることを知るでしょう.

私のこれまでの人生では最大の悲嘆は父の出直し(死)であり,祖母の出直し(死)でした.
よかったら以下の記事も読んでみてください.
祖母の命日

聞き方のコツ 

相手に積極的に話をしてもらうのってどうしたらいいんでしょうね?思うように話が進まないなぁとか,どうも話を聞いていてテンポが合わないなぁと感じることってありませんか?人の話ってただ聞いていればいいというものでもなく,いくつか最低限必要なスキルがあるのだと思います.

基本的なことですが「うなづき」「あいづち」「ほほえみ」という三種の神器(勝手に名づけました)を最大限に生かすことが功を奏すことが多いのではないかと思います.「ええ」「そう」とか「うんうん」「なるほど」「それから?」のように,話の合間に入れるわけです.直接会っているのならそこに微笑みを入れるとより好感触です.これらは話を聞いているよということを相手に伝える最良の手段であり,相手の言ったことを相手の言ったこととして認めるということです.実に当たり前なことで皆さんも普通にしていることだと思います.ですが,それがなかなか難しくなることもあるのです.

人の話を真剣に聞けるのはだいたい1時間くらいであると言われています.確かにそう思います.現在病院でも50分のカウンセリングをしていますが,このくらいの時間だと話を聞くことができます.50分で終わるという保証があるから聞く方も安心して聞けるのです.

しかし,これが制限がないと思うと少々つらさを感じるでしょう.相手のためにと思っていくら頑張ってきこうとしても,際限なく続くときけなくなってくるときが来ると思います.相手の話が聞けなくなってくると相づちを打てなくなってくるのが一般的だと思います.あるいは相づちに不快感や面倒くささのようなものが反映されてきます.単調になることもあるでしょう.そうならないように相づちのレパートリーは豊富にもち,余裕をもって相手の話をききたいものです.相づちを打てなくなってきたときには休憩を挟むなり,機会を改めるなりした方がいいかもしれません.ききたくないときにきいても話は残りませんし,お互いにとってよいコミュニケーションには発展しません.

臨床心理学的援助には時間設定ができます.通常45~60分くらいです.原則的に契約時間以外は会いませんし,目標が達成されて終結すればもう会うことはありません.ドライだなぁと思う部分もありますが,あくまで職業的役割関係の上での専門的援助であり,それが自分で立ち直っていくという治療的な効果にもなっているのだと思います.私的関係を持ってはいけないことは臨床心理士の倫理要綱にも記載してあります.学校の先生とか看護師は生徒や患者と卒業後,あるいは退院後関わりがあるケースもあるかと思いますが,心理士は会ってはいけないのです.契約外には会わない分,自分の生活も守られるわけですが.24時間治療者でいることはできませんので,こうした枠があることは重要な意味を持ちます.

そう考えるとお道のおたすけは,24時間365日休みなくあるわけですから,大変だろうと思います.信仰心あってこそ成し遂げられるものなのでしょう.私はお道一本でのおたすけは今はしておりませんが,色々な経験を積んで来たるべき刻に備えたいと思っています.

道友社Webストアで本を買おう 

先日の天理時報にも紹介されていましたが道友社Webストアでお道(天理教)の書籍が購入できるようになったようです.

なかなかおぢば帰りできない方でもインターネット環境があれば手に入れることができるのですから便利になったものです.

是非ご活用ください.
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