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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

はじめての地鎮祭 

今日は信者さんの妹の娘さんがクリニックを建てるので,その土地の地鎮祭でした.斉官としてつとめさせていただくのは初めての経験です.

7時半頃に昨晩準備した荷物を積んで出発しました.一度施主のお宅へお邪魔しまして,準備と着替えなどを済まし現地へ.祭壇を組み立てて10時頃祭典を始めました.

自己評価は,はじめてにしては上出来といったところでしょうか.多少緊張はしましたが,順番を間違えることもなく順調にできました.終わって片づけをして着替えて帰るときにパラパラと雨が降ってきましたので,天気をもたせていただいてありがたかったですし,親神様に土地のお清めをしていただくこともできて本当にありがたかったです.

しかも今日知ったのですが,こちらのお家の地祭りは今日で3度目でして,祖父(初代会長),父(二代会長),私と親子三代にわたって斉官をご依頼いただいているようです.2度頼んでいるので3度目もと思って頼んでくださったとのことです.祖父や父がつとめた家で私もつとめさせていただいたこと,とてもありがたく思いました.急な依頼にもかかわらず,私の休日と重なっていたのも親神様のお導きかもしれませんね.

次回以降はさほど不安要素なくできそうです.もっともそんなに機会もないとは思いますが・・・.
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地鎮祭の準備 

明日は私にとって初めての地鎮祭の斉主です.

前回の地鎮祭のときは会長が斉主をつとめたのですが,もう私に譲るということで,ちょうど私が仕事が休みということもあり,私がつとめさせていただくことになりました.

と言ってもやり方がほとんどわかりませんので,昨日は勤務後に市内の教会の会長さんに教わりに行きました.準備も色々ありますし手順もなかなか難しかったです.家に帰ったから,これは練習して覚えないとまずいぞと思い,急遽,今日の仕事は半日にして午後から有休をとって帰りました.道具の準備は会長がだいたいやってくれていたので,私は祭儀の手順の確認や練習をイメージトレーニングも含めて何回もやりました.わからないところはおじさんに電話で聞きながらだったので,計4回ほどかけた気がします.祭文も書きました.私は筆を使って書くのがすごく下手なのでかなり時間がかかりました.生前父が書いた祭文を参考に書きました.式次第は昨日教わったやり方をベースにおじさんに聞いてこんな感じとなりました.

 1.祓詞奏上
 2.修祓
 3.警蹕
 4.献餞
 5.祭文奏上
 6.塩水の儀
 7.鍬入れの儀
 8.玉櫛奉奠
 9.撤饌
10.警蹕
11.大麻行事
12.乾杯

地鎮祭はそう頻繁にあることではありませんので,やり方を覚えておくのは大変ですが,定着して記憶の引き出しに残るよう明日は勇んでつとめさせていただこうと思います.

講義(第15回) 

以下は関連記事になります.
講義(1)
講義(2)
講義(3)
講義(4・5)
講義(6)
講義(7)
講義(8・9)
講義(10)
講義(11)
講義(12)
講義(13)
講義(14)

今日は最終回です.2月から始まった講義も本日を以って終了しました.

今日はバーンアウトについて話をしました.バーンアウトは旧ブログに記事を書いていますが,近々こちらにも転載します.

質問紙に回答してもらった後,概説をして,その後グループワークでコーピングについて検討してもらいました.少し早めに終わり,アンケートを書いてもらい,テストについてのヒントなどを与えて終了としました.次の時間がテストだったので,学生はかなり気にしていたようです.

テストは選択問題ですし(論述が1問ありますが),レジュメ,ノートなど持込可としたので,さほど難しくはなかったと思います.明日,今実習に来ている学生に感想を聞いてみようと思います.

さて,今年の学生に対しては前年度の学生のときよりも緊張せずにできたと思います.色々反省もあるのですが,猛烈に眠いので今日はこのくらいで.
学生さん,よい経験をありがとうございました.拙い話を聞いてくれてありがとうございました.

講義(第14回) 

以下は関連記事になります.
講義(1)
講義(2)
講義(3)
講義(4・5)
講義(6)
講義(7)
講義(8・9)
講義(10)
講義(11)
講義(12)
講義(13)

先週はまた書き忘れてしまったので今日綴ります.

前回は心理療法について話をしました.いろんな心理療法を紹介したのでそれぞれはざっとでしたし,かなり早口でしゃべりました.昨年は心理療法に2コマ使ったのですが,今年は昨年とは構成が違いましたので,1コマでやらざるを得なかったのです.・・・特記事項のない記事ですね.

パーソナリティ障害の臨床(3) 

今日も仕事を早めに切り上げて講座に行ってきました.先ほど帰って入浴を済ませ,ようやくPCの前に辿り着きました.賢い読者の皆さんはお分かりとは思いますが,案の定詳細を書く気力は残されておりませんのでざっとだけ.

内容は自己愛パーソナリティ障害についてでした.自己愛という言葉は聞いたことがあると思いますが,要は自己愛という自分への関心の向け方の程度が病的であるということです.別の言い方をすれば関係性の障害で自分に対する関心の向け方と他者への関心の向け方のバランスを著しく欠いているということになると思います.

自分自身が特別な価値ある存在だと思っていて,他者からの関心や賞賛を得ることで自己を支えるので,他者は自分がそれらを得るための存在にすぎません.したがって,自分の理想どおりの態度を示したときは他者を認めますが,理想どうりでないときは軽蔑し,無視し,拒否します.要は他者を利用するということです.振る舞いは尊大で傲慢でして,他者の気持ちを理解することを知りません.

そんなパーソナリティの障害です.

ちなみに健康な範疇の自己愛は必要です.それがあるからたいていの人は自分を信じて日々を歩んでいけるのです.

まおのバイト歴(2)天下一品 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
まおのバイト歴(1)魚市場

大学入学後,まず天下一品というラーメン屋でバイトしました.ここで1つ恥さらしエピソードがありました.

まお「すいません.アルバイトしたいんですけど」
店長「今日は忙しいので火曜日また来てくれ.履歴書もってきてほしいんやけど」
まお「履歴書ですか.免許証じゃだめですか?」
店長「あのな.履歴書って知ってるか?云々・・・」


私は何と無知だったのでしょうか.身分を証明できれば働けると思っていました.市場のときは履歴書なんかいらなかったので.(そりゃ父の息子ということならいらないでしょう.)天下一品に笑い話として言い伝えられる珍事です.話がそれましたね,戻します.

ここは時給800円でした.3年間いたのですが,その間に時給10円あがりました.「なんだよ10円って~」と当時は思いましたが,実は今の常勤職でさえ,1年働いた昇給額を時給換算するとわずか30円程度しか上がっていません.それを考えるとただのアルバイトの身分で10円上げてもらえたのは喜ぶべきことだったことがわかります.

ここでは店長の代わりにお店をまわすほどまでやりました.つまり麺場を仕切るということです.ラーメンはもちろん,餃子,チャーハン,定食,チャーシューの仕込み・・・とほとんどの仕事をこなしました.ただ深夜のバイトは入っていませんでしたので,掃除はやりませんでした.

店長が不真面目な人で,パートのおばちゃんに急遽呼ばれて店長の代わりにバイトに入ったり,おばちゃんに頼まれて店長を家まで起こしに行ったり,かなり活躍しました.店長が仕事をしないことでよく喧嘩もしました.一方,バイト仲間は高校の同級生や先輩,学科の後輩などかなり親しい人で構成されていたので,なかなか楽しかったです.店長がオーナーに解雇される頃,私もだんだん他のバイトの都合で入れなくなってきていたので,辞めました.

おぢば帰りしても天一は遠いし,まず行きません.パートのおばちゃんはまだ働いているのでしょうか・・・.どちらもお道の方でとてもよくしてもらったので,気になります.

ちなみに店舗は天理市別所町,169号線沿いでオークワの向かいです.ご縁があればどうぞ.もちろん私が働いていた形跡すらありませんが.

他のバイトはまた今度.

主体性を相手に返す 

先日のSVで恩師にご指導いただいて再確認をしたことを綴りたいと思います.

カウンセリングにおいて尊重すべきことはクライエント(依頼者)の自主性であると思います.(もちろん,自他傷害の危険性のある場合や治療契約を破る行動については例外です.)クライエントが自分自身の人生を自分で引き受け,決断していけるように支援していくのがセラピストの役割であると私は考えています.クライエントは今このときに支援が必要だからカウンセリングに来談する(あるいは継続来談している)のですが,やはり自分の人生において一貫して不可欠なものとして存在するものではありません.最終的にはカウンセリングを受けなくても自分自身や自分の現実生活の中のリソースを活用して,意志決定し,行動選択をしていけるようになることが共通の目標としてあるように思います.

ですから,カウンセリングの過程でときにはセラピストが助言や提案をすることもありますが,その際に決定するのはあくまでもクライエントであり,セラピストが「こうしなさいよ」と暗にでも行動を操作するようなことは望ましくないので,たとえ助言や提言をすることが望ましい場合であっても,いくつかの配慮をする必要があると思います.

まず選択肢はなるべく多く用意すること.提案をするにしてもそれが1つしかないとそれをするかしないかの二者択一になってしまいます.クライエントがこの先人生を歩んでいく中で,自分の考えていること,やろうとしていることのみしか手段・方法がないわけではないし,色々な見方や方法があるということを身を以て体感していくことが大事なことですので,複数の選択肢を提案できるといいのだと思います.

もう1つは提案する際には「こうしてみてはどうですか?」というやや指示的な言い方ではなく,「こうしてみたらどうなんだろうかと私は思うんですけど,あなたにとってはどうなんでしょうねぇ」のように,主体性をあくまでもクライエントに返す提案の仕方にする必要があると思います.前者でも勧めているだけなので,指示的とまでは言えないかもしれませんが,人の受け止め方は千差万別ですので,その言い方でも「こうすればいいんだよ」と言われているように感じる方もいるので,こちらの提案はあくまでも本人の自主性や主導権を奪わない限りにおいての提案にしなければなりません.「私は」という主語を入れることによりクライエントではなくセラピストがそう思っているに過ぎないことが明確になり,自他の考えの混同を避け,どうなんでしょうねと相手に返すことで,あくまでもその人が考え決断する中にセラピストの提言が本人の考えや決断の選択肢を広げる形で意識されるので,「自主性を奪わない限りにおいて」という言葉の効力は守られるわけです.

私はどうやら無意識的にその範囲を超えた提案をしてしまっていたようで,反省させられました.こちらがレールを敷いてあげてしまっては(その方が楽だと思うことも多いのですが),これから先クライエントが自分の人生を自分で乗り越えていく力となりません.こちらはクライエントが自分で乗り越えていくのを支援するという立場であるということを常々意識しておかねばならないと思いました.

ところで,お道では「理」の上から,どうしても指示的になることが多いように私は思うのですが,それはどう理解したらいいんでしょうかね?(私もまたいつか気が向いたときに触れたいと思います)

雨の中のSV 

今日は夜SV(スーパーヴィジョン)の予定が入っていまして,仕事終了後そのまま電車に乗らないといけないので,雨でしたがバイクで出勤しました.久々にカッパを着て出勤しました.

行きはまだよかったのですが,帰りは朝よりも雨が強く,念のために靴の上にコンビニのビニール袋を履いて結んでおいたのですが,あまり意味がなく,駅に着く頃には靴と靴下はぐしょぐしょに濡れ,ジーンズの裾から20cmくらいまで濡れてしまいました.駐輪場で靴下だけ脱いでみたのですが,やっぱりぐしょぐしょで素足の分余計気持ち悪かったので,また靴下を履き,駅に向かいました.

かなり不快指数高かったです.やっぱり雨のときは長靴にしようと思いました.電車で長靴はさすがの私も抵抗があり靴でいったのですが,背に腹は代えられません.次回からは長靴にします.

雨の中バイクで通勤したのは久しぶりだなんて・・・思えばありがたいことです.社会に出てからの2年間はバイク通勤でした.

1年目は訪問の教育相談もしていましたので,雨の日はそれは大変でした.カッパを着て生徒の家まで行き,家の前でカッパを脱ぎ,訪問を済ませるとまたカッパを着て次の家へ移動し,またカッパを脱ぎ・・・と.まぁ訪問といっても何十件もあるわけではなく,数件でしたが.しかし,面倒でしたし,スーツが濡れて家人に迷惑をかけたこともあったのではないかと思います.

2年目は病院だけでしたので,何回も着替えることはなくなりましたが,やはり雨のバイクは視界も道路も不安定で,あまりいいものではありませんでした.

4年目の今,天気の悪い日や寒い冬などは車で通勤しています.今まではできなかったことができるようになって,とてもありがたいですが,苦労した日々のことを忘れないように,当たり前に思わないようにしようと思っています.

さて,話がそれましたがSVは今日もとても勉強になりました.自分自身で自覚していなかったことに気づかされたり,物事には意味があることを確認できたり,面接方針が立てられたりととても充実した時間となりました.ちょっと心理学の記事にできそうな気づきもあったので,また後日書きたいと思います.今日は遅いのでこのへんで.

わがやの流行(1) 

わがやでは日常会話の中に漫画のセリフなどが未だによく登場します.小さい頃見た漫画から最近の漫画まで含まれているので,小さい頃の漫画のセリフに関しては15年以上も廃れずにいるということになります.

たとえば,昔少年ジャンプで「ぼくはしたたか君」という漫画がありました.主人公のしたたか君が給食当番をしていて,スープを配給しています.彼の永遠のライバル(だとしたたか君が勝手に思っている)の本郷君の順番になって,本郷君が「多めに頼むぜ」というと,したたか君が「お前の分などない」と言います.

それが私たち兄弟には面白かったのか流行りました.
未だに兄弟同士でご飯をよそってもらうときには,「多めに頼むぜ」と言って,茶碗を突き出します.すると,受け取った方は「お前の分などない」と言います.まぁ言うだけでよそうんですけどね.

最近ではかなり脈絡のない使い方もしていて,駅まで送っていってもらうのに車に乗り込んだときなどに「多めに頼むぜ」と言います.すると弟は「お前の分などない」と言います.この場合の「多めに頼むぜ」には「駅まで頼むよ」ということを暗に示しています.「お前の分などない」には特に意味はないかと思いますが.

こうした面白い体験,くだらない体験を兄弟で共有してきた,またそれをいつまでも共有できるということは実は大切なことです.共有できてきたことは,兄弟と過ごした日々は楽しかったというポジティブな体験としてそれぞれに刻まれるでしょうし,それをいつまでも共有できることは兄弟が「笑い」という体験でいつでもつながっていけるということだと思います.今はまだ独身が多いですが,今後それぞれが家庭をもつとどうしても兄弟で集う機会も少なくなってくると思います.そうしたときに,共に過ごした期間のくだらない話は財産となるでしょう.

男5人で育ってきたこともあり,品のない話で盛り上がることが多く,母親は手を焼いていたようですが,そうした体験もあながち無駄ではないのです.親から見たらくだらないことでも子どもにとってそれが面白く楽しい体験であるならば,それを見守ることもまた重要な場合もあるのだと思います.私なんかは未だに子どもっぽいので,子どもと一緒にくだらなさを共有できそうかななんて思っています.

パーソナリティ障害の臨床(2) 

仕事を早めに切り上げて第2回の講義にいってきました.今日は「境界性パーソナリティ障害の臨床」でした.いわゆるボーダーラインと呼ばれる人たちについてです.

できれば概要でも書きたいのですが,今日は帰って入浴後から,論文の修正をしていまして,ちょっと時間がありません.論文を明日雑誌に投稿しようと思って最後の文献の確認をしていたら,重要な文献を見つけてしまったので,また取り寄せて読んで修正してから投稿することにしました.一筋縄ではいきませんね.とりあえず,手元の文献の確認をしないといけないのでこれにて.

ロールシャッハの勉強 

今日は仕事を30分ほど早く切り上げて,ロールシャッハ・テストのグループ・スーパーヴィジョンへ行ってきました.9時半頃終わり,11時過ぎに家に帰り,入浴を済ませました.というわけで疲れたので寝ます.

最近,お道の記事を本当に書いていません.書こう書こうとは思うのですが,なかなかまとまった時間がとれずにいます.どうか皆さん,懲りずにのぞいてやってくださいませ.

父の日 

昨日は父の日でしたので,夜,花を少々買ってお墓参りに行きました.
花を生けて参拝しただけですが,父の日に忘れずに行ってこれてよかったと思います.

姿はなけれども,まおたち兄弟の父であることには変わりはありません.父に対する感謝の気持ちをいつまでも忘れることなく,心に抱いていきたいと思います.

皆さんは父の日をいかに迎えられたでしょうか?

月次祭 

070617.jpg今日は6月の月次祭でした.17人でつとめさせていただきました.兄弟も5人揃う予定だったのですが,長兄が残念ながら来れず兄弟は4人でした.

また,以前に初席を運んだ方が初めて月次祭に参拝し,琴と太鼓をつとめてくれました.日参している少年も太鼓の他に最近は小鼓を練習していたので,小鼓デビューもしてもらいました.

男のてをどりと地方は兄弟4人でローテーションでした.座りづとめは長弟が地方で残り3人がてをどり,上半下りは私が地方で残り3人がてをどり,下半下りは次弟が地方で残り3人がてをどりとユニークなローテとなりました.

その他の方も勇んでつとめていただきましてありがたかったです.講話は兄弟教会の会長さんが来てくださいました.その後,皆で片付けをして直会の準備をしておいしくいただきました.

そうそう,直会で信者さんがお供えしてくださったとうもろこしを皆でいただきました.とうもろこしは蒸したり茹でたりするのではなく,皮一枚残してラップで包み,電子レンジで2本で7分温めるととてもおいしく食べれると農家の人が言っていたそうで,今日はそうやっていただきましたがとても甘くておいしかったです.密封されているので確かに素材の旨みが逃げないかもしれません.皆さんも是非やってみてください.

今日は天気も快晴でしたし,ありがたいご守護でいっぱいの月次祭でした.ありがとうございました.

月次祭準備 

070616.jpg今日は夜勤明けの次弟がお供え物を買いに行ってくれました.足りなかったものを私が仕事帰りに買って帰りました.ほとんど調餞は終わっていたので,残りをやり終了です.

今月のお供えはキャベツ,トマト,大根,玉ねぎ,なす,きゅうり,じゃがいも,パイナップル,オレンジ,グレープフルーツ,りんご,メロンです.

明日は休日ですし,久しぶりに兄弟も5人揃う予定です.蒸し暑い日になるかもしれませんが喜んで通らせていただこうと思います,

人をして宗教を知るということ(3)  

関連記事になりますので,未読の方は以下を閲覧ください.
信仰の本質~宗教というラベリングの影響
人をして宗教を知るということ(1)
人をして宗教を知るということ(2)

宗教というラベリングによって判断されるべきではないということは最初に述べました.それから,信仰のスペクトラムについて説明し,信仰には程度の違いがあるということ,しかしながらその程度の違いは信仰を知らない人が判断する際には認識されず,ラベルのみで判断されることにも触れました.今回はお道に焦点を当ててみます.

私たちの信仰の程度がどうであれ,他者は私たちの行動をしてお道を知るということです.ならば,なるほどと人々が関心するような生き方を心がけねばなりませんよね.今の時代,いきなりお道をわかってもらうことは困難な場合が多いです.ならば,何かを強要することなしに時間をかけて理解してもらう必要があります.

それには,おやさまが私たちに教えてくださった感謝と喜びと慎みの心と人をたすける心をもって生活することが肝要です.人々は私たちの信仰の程度は見ていません.見ていないというよりパーソナリティに内在化するものゆえ外的行動では測れないのです.見ているのはお道の信仰者というラベルのみです.したがって,私たちの信仰が外発的なものであれ,内発的なものであれ,私たちの行動1つでその人の天理教へのイメージが決まります.残念ながらお道(天理教)に対してよいイメージを持てていない人もいると思います.それはお道を実践するよい信仰者に出逢えなかったからかもしれません.

お道は,その教えは間違いなく素晴らしいものと私は思います.しかし,それをどのように個人内に取り込み,実践していくかはやはり個人のパーソナリティの影響もありますし,教団としての組織は人の造りしものゆえ誤った方向へと進んでしまう面もあります.されど,その教えは本物の道であります.それを誤った風に受け取られることのないよう,私たちは日々自らの行動を省みて,この身体をお借りして生かされていることに感謝し,悪しき心遣いは改め,人のために尽くすことを喜んでおこない,周囲になるほどと思われるような通り方をしていかなければならないと思います.

学生時代にこんな話を聞いたことがあります.

「天理教って何ですか?」と聞かれたら
「私を見てください」と言えるように成人させていただく

長い道程です.

講義(第13回) 

以下は関連記事になります.
講義(1)
講義(2)
講義(3)
講義(4・5)
講義(6)
講義(7)
講義(8・9)
講義(10)
講義(11)
講義(12)

今日は講義でした.

最初にニュージーランドで行われた「かめはめ波コンテスト」の動画について触れ,学生にも見るようススメました.私は昨日見て大爆笑しました.ホントめっちゃおもろいんで是非リンク先の動画を再生してみてください.

直リンクはこちら.
Christchurch, NZ Armageddon 2007 Kamehameha Contest
Christchurch, NZ Armageddon 2007 kamehameha final

思い起こせば私も小学生の頃,もしかしたら出るかな?と思ってかめはめ波やってみたことありました.もちろん不発でしたが・・・しかし,その夢を今もなお追いかけて続けている猛者たちが存在することがわかります.私も再びやってみたいです.少年の心を忘れない・・・陽気ぐらしには必要なことかもしれません.

さて,今日は心理療法とカウンセリングについて講義しました.治療者や患者の役割や治療構造,基本的な技法とプロセスなどについて解説しました.カウンセラーとしての自信は正直ありませんが,教壇ではちょっと強がって知っているふうな顔で話をしました.また,アムロとシャアにもスライドに登場してもらったのですが,あまり学生にはウケませんでした.

来週,再来週とあと2回で講義も終わりです.来週には学生に実施するテストを作成して提出しないといけません.30問中20問はもう作ったので,あと10問頭をひねって作ろうと思います.一応国家試験に役立つようなテストにしようと思います.ノート・プリント類持込可なので難易度は低いですが.

パーソナリティ障害の臨床(1) 

今日は仕事を30分ほど早く切り上げて,講座を受けにいきました.7月10日まで毎週火曜日の5回のシリーズでパーソナリティ障害について学びます.

今日はその導入で人格構造論の変遷について概観しました.過去は省略しますが,現代人の人格構造として「無気力」「無力感」ということが挙げられていました.

自己無価値感や諦念,自己否定などの低い自尊感情に加えて,先述の無気力,無力感,生き生きとした感情のなさ,対人関係の希薄さ(対話よりメールの方が安心,ひきこもり)などがあり,近づきすぎると衝動的になって自傷行為や暴力行為に及ぶことが特徴だということです.なるほど,確かに納得できます.

また,対象や周囲を動かす力がないことも挙げられていました.相手を動かして自分の欲求を達成したり,困ったときに相手を動かして援助させる力がないとのことです.

つまり,子どもであればほしいものがあったときに駄々をこねて買って買ってとねだったり,自分の手に余る課題や相談を親の手を借りて解決したりといった,私的解釈ですが「生き抜く力」のようなものに欠けているということだと思います.さらに言えば,それだけのエネルギーがない,自己主張に欠ける,ということでもあると思います.

それが,現代人の心性です.心性は時代によって移り変わっていくものですが,戦後にはとても考えられなかった状況だと思います.物質的に豊かになり,物との結びつきが強まる一方,人間関係,家族関係は希薄化している現代社会情勢ならではの特徴かと思います.

こういった心性に陥らないためにも,家族との結びつきや人生の喜び方のコツを幼いうちから獲得することはとても大事なことだなぁと思いました.そして,お道はその一助となるでしょう.安易な終わり方ですが,眠いのでご容赦ください.

医療訴訟の講習 

夕方より院内で医療訴訟の講習がありました.非常に勉強になり,参加してよかったと思いましたが,同時に医療って怖いと思い,自分が提供していることの重みを知りました.医療従事者サイドから見れば,とても大変なことですが,病院に自分や家族の命や人生を預ける患者にとっては当然きちんとしてもらわなければ困ることですし,現に自分だって患者やその家族となることは多々あるのですから,両者の視点を持つことが大事だと思いました.

近年の動向として,医療ミスだけでなく,インフォームド・コンセントが十分でなかったという理由から,病院が敗訴しているケースがぐんと増加しているとのことです.患者に十分な説明と選択権を与え,同意を得てから医行為すること,そして説明したこと,行ったこと,また説明しなかったこと,おこなわなかったことについてはカルテにしっかりとその理由と手続きを記載しておくことが重要と言っていました.カルテに書いていないことはいくら口頭で主張したところで,証拠にはならないとのことです.

精神科は他科と違い,手術等の治療はなく,ほとんどが薬物療法による治療ですが,それでも訴訟は起こりうるとのことです.薬に副作用があるならば,その副作用をきちんと説明して,患者の同意を得てから処方をしないと(もちろん,その経緯はカルテに記載します)万一,副作用によって患者に重大な後遺症が残ったり,死に至ったりしてその家族が訴訟を起こしたときに,やはり敗訴となって民事責任を問われる可能性があるようです.

心理士は医師と違って処方はできませんが,こうした危険がないわけではありません.カウンセリングの契約や心理検査の施行にあたっては,やはりその目的と施行した場合の効果,おこなわなかった場合にどのような経過をたどるかを十分に説明した上で,患者に受けるのか受けないのかの選択をしてもらうという手続きを踏むことが肝要と思いました.治療契約に関しても同様に,できることできないことをはじめにきちんと説明し,より厳密な治療契約を結ぶ必要があり,契約内容をカルテにも記載し,しかもそれを同意書として文書に残すということまで今後はしていかないといけないのかもしれないなぁと思いました.

また,心理士はその業務の性質上,どうしても対象者と密室で1対1で会うということが多いです.密室での出来事に関しては提示できる証拠がありませんので,特に異性との面接に関しては注意が必要ですし,この先は部屋に院内セキュリティの向上と称して映像のみのビデオを取り入れるなどの対策も考えていく必要があるかもしれません.
さらに,業務については公式の「業務マニュアル」を作成し,それに基づいて業務をおこなっているということを提示できるようにしておく必要があると思います.現在,臨床心理業務には特にマニュアルはなく,私の判断で随時行動しているので,基本的な関わり方の方針を早めに公式文書にしようと思います.そうすることで,心理業務の正当性と信頼性も増すことでしょう.

いや,今までそこまで深く考えないで仕事をしていましたが,今日の講習はいい刺激になりました.そして,自分の行為の責任の重さも感じました.ありがとうございます.

ところで,お道のおたすけでは訴訟って起こりうるんですかね?おさづけと家族の信心でご守護いただけますと言って助からないで死んだから民事訴訟とか・・・.

足回復 

昨日怪我した足の指ですが,意外と回復が早く,今日はもうジョギングできました.昨日は「数日走れないよ~」とニヤニヤしながら言っていたのですが,翌日には走れるなんて,なかなか楽はさせてもらえないですね.いや,すごくありがたいことなんですけどね.

ちょっと指を怪我しただけでも走れなくなってしまうのですから,健康であるということは本当にありがたいことなんだということを改めて実感しました.

ご心配いただいた方どうもありがとうございました.まおは今日もご守護でいっぱいです.

研修会 

今日は県心理士会の研修でした.

倫理の研修ということで,日頃,一人で患者さんと接し,あまり相談する窓口もない私にとってはとても興味深い内容で行く前からかなりの期待を寄せていました.終えて,それなりに勉強になったかなという感じはありました.

専門職には倫理規定が存在すると思いますが,心理職についても同様です.その規定によってお互いの関係を維持し,互いに守られるものがあるのだと思います.しかし,倫理規定にのっとって行動することを心がけても,やはりどう判断したらいいのか難しいことも起こりうるでしょう.そうしたときにどういった判断をするのか,しかも誰にも相談できない唐突な出来事などもあるわけです.下手をすると訴訟にまで発展することもあるでしょうし,日頃から細心の注意を払わなければならないなぁと思います.

治療関係を超えることは間違いなくありえませんが,金品の授受などはなかなか判断が難しいこともあるでしょう.お金を受け取らないことには正当な理由が存在しますが,物品に関してはケースバイケースなのかなと今の私は思います.もちろん高価なモノは受け取れませんが・・・.仮に受け取るにしてもやはり最初の1回に限り,以後は受け取らないという約束をするというスタンスをとるのがいいのだろうとは思います.まぁできるだけ金品の授受が発生しない治療関係を築く努力をしようと思います.

スーパーヴァイザーに定期的に指導も受けていますし,幸いにして今年から毎週月曜日はもう一人心理士も出勤していますので,倫理についての話題も守秘義務を超えない範囲で色々してみたいと思います.自分ひとりの判断だけではやはり危険ですものね.

ロッカールームの掃除 

午前中いつものように外来患者さんの面接をした後,午後からロッカールームの掃除をしました.

ロッカールームはありえないくらい散らかっていまして,すでに非常勤となっている先生の私物(ほとんどが書籍です)が大量にあります.

カウンセリングの記録ファイルを収納する棚をその部屋に置きたかったのですが,何分散らかりすぎてて置くスペースがないので,掃除に踏み切ったのでした.

痛い本棚を整理して紐で縛る作業を延々とした後,ダンボールなどを整理し,ロッカーは移動し・・・とかなりの作業でした.途中,本棚を動かしていたら,親指の爪にひっかかってしまい,流血してしまったので,まだ外来中の私と同い年のドクターに処置してもらいました.何気に痛かったです.

結局,1時半から始めて5時過ぎまでかかりました.就職して4年目になりますが,こんなに掃除をしたのは初めてです.そもそも,普段カルテより重いものを持つことってあまりありませんからね.

でもロッカールームは見違えるほどきれいになりました.事務の方がほめてくれたので,なるほどなかなかどうして自分は片付け上手なのかもしれないと思ってしまいました.

昨日に続き,今日も身体を使わせていただきありがたかったです.

草むしり 

before今日は家の掃除と周囲の草むしりをやりました.暑くなってきたので,草木は伸び放題です.わがやは井戸水のため,除草剤をまくことは極力避けていますので,手で抜きます.

天気予報は雨でしたが,快晴でしたので,気持ちよく作業することができました.午前中2時間ほどでだいたい終わりまして,けっこうきれいになりました.終了後の写真も撮ろうと思っていたのですが,うっかり撮り忘れてしまいましてありません.まぁまた伸びると思うので次回は忘れずに撮ろうと思います.

なかなか充実した休日となりありがたかったです.明日は仕事ですが,1日頑張ればまた休みです.しかし,日曜は研修です・・・.

解離性障害(1)~定義 

何回にわたるか分かりませんが,自身のサイト削除に伴い,いくつかの精神障害について転載していきます.やや専門的になりますがご容赦ください.まずは解離性障害です.今日はその定義について.参考文献の記載は最終でします.

解離性障害の基本的特徴は,意識,記憶,同一性,又は環境の知覚といった通常は統合されている機能の破綻である.解離の症状は日常的で非病理的な現象から,重症で病的な現象まで連続していると考えられている.解離障害を持つ人も,正常から異常の範囲までの幅広い範囲の解離体験を示す.

スタインバーグは中核症状として,健忘,離人症,現実感喪失,同一性混乱,同一性変容の5つをあげている.また,パトナムは解離症状を二つの大きなカテゴリーに分けている.第一は健忘と記憶障害であり,時間喪失体験,基本的知識の忘却とそれにともなう困惑,自己史記憶の連続性に生じる空隙,知識の出所の健忘,および侵入的記憶がある.第二は解離過程症状である.ここには,離人と非現実感,被影響感/被干渉感,幻聴,トランス様状態,分離的同一性障害,認知処理の独特な変化で解離性「思考障害」と概念化されつつあるものが入る.

解離は心的外傷に対する防衛として現れると考えられ,発達論的観点が不可欠である.解離による防衛は2つの機能を持っており,1つは患者に心的外傷が起きているまさにその時にそれから逃れさせる役割を持っている.もう1つは,それ以降に心的外傷を正しく認識するという必要な過程をたどることを遅らせる.

解離状態の大半では,自己が相互に葛藤しているため,矛盾した自己表現が分離した心的区分において保たれている.解離性同一性障害の典型においては,それらの分離した自己表現は,それぞれが比喩的存在を担っており,交代アイデンティティとして知られている.

解離と分裂には類似点と相違点がある.両者とも心的内容を積極的に区分化し分離する.両者とも自己の中心にある対立する部分の統合に関する不快気分を払拭する防御として使われる.しかしこれらは,障害された自我機能の本質において違いがみられる.分裂においては,不安耐性や衝動性の制御が特に損なわれる.解離においては,記憶や意識が障害される.しかし,両者とも内的対象表象に関係した自己表象を作る心理的裂け目を持っている.


次回は解離性障害の歴史的背景について綴ります.

関連記事
解離性障害(2)

目には目を,歯には歯を,カレーにはカレーを 

昨晩の夕食はカレーでした.

当然,カレーは翌日にまで残ります.そして,今日の病院の昼食はカレーでした.昨晩の時点でそのことを知っていた私は,「弁当にするしかない!」と思いました.

家のカレーが残っているのに,わざわざ昼食代を払って病院カレーを食べる必要はないと思い,家のカレーとご飯をタッパーに詰めて持っていきました.

昼食はデイケアで食べているので,通所メンバーやスタッフは病院のカレーを食べていましたが,私は一人家のカレーをレンジでチンして食べました.2日目のカレーはコクが増し食が進みました.満足でした.

今日の格言としてあげたいのは『目には目を,歯には歯を,カレーにはカレーを』ですね.家から持っていけば倹約になりますし,同じメニューを食べるので気持ちは皆と一緒です.

ひのきしん検索 

「ひのきしん」と検索エンジンで検索すると「ひのきしんじ」さんという方がいらっしゃるようで,その方の情報が色々ひっかかります.

http://www.music39.com/profile.html (ひのきプロフィール)

何のオチもないのですが,へぇと思ったので記事にしてみました.

小さな対象喪失~はじめての悲嘆 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
悲嘆(その1)
悲嘆(その2)

まだ私が園児の頃でしょうか.

穴のあいた靴下があったのですが,私はそれを気に入ってたのか捨てることなく履いていました.あんまり穴がひどかったので,あるとき,見かねた母が靴下を捨てるように私に言いました.

私は「いやだ.靴下がかわいそうだ」と泣きわめき,捨てるのを頑として聞きませんでした.母は「これだけ大事に履いてもらえば靴下も喜んでいるだろうから,ありがとうと言って捨てよう」と私に言いました.私は納得して泣きやみ,「靴下さん,どうもありがとう」と言ってその靴下をゴミ箱に捨てました.部屋の片隅に置いてあったゴミ箱に捨てたのを覚えています.

これが,おそらく私の記憶に残る最初の対象喪失であり,悲嘆でした.

親神に引き合わせられし縁 

未読の方は以下を閲覧ください.
引き受ける心
共に苦労を
飾らない心で
老いては目となり杖となり

4日にわたり,結婚観について述べてきました.条件を満たしてもなお,あるいはどんなに互いが望んでも伴侶として連れ添えない場合もあると思います.そこで,悲しい経験をされた方もいると思います.

なぜこうしたことが起こるのでしょうか?それは神の思惑なので私たち人間が簡単に知ることはできませんが,お互いの成長を期待されてのことかもしれませんし,お互いの役目を終えてのことかもしれません.前者の場合は再度引き合わせいただくこともあるでしょう.

つまり,最後は神様が引き合わせくださるものです.人と人の縁は自分で切り開いていける部分もありますが,最後は親神様です.親神様はそれぞれの徳分にふさわしい相手を授けてくださいます.ですから,引き合うのも縁,離れていくのもまた縁,再びつながっていくのも縁です.その時々にそれぞれの生き方に合った相手に出会えることと思います.ですから,仮に今離れたからといってそれは永遠ではありません.(関連記事;人と人の縁

また,互いに合った相手であっても縁が紡がれるまでには容易ではない道を歩まねばならない場合もあるでしょう.しかし,それも互いの成人,互いの家族の成人のための道を神様が用意してくださったのかもしれません.どんな道であってもそこには何らかの神様の思いがあるはずですので,その時々の出会いを喜んで日々を歩んでいくことは大切なことです.

人と人の縁は親神様が引き合わせし縁,各々の通り方によっていかようにも変わっていくものです.いずれ訪れる契りの縁のために,今を精一杯つとめさせていただき,己の徳の器を広げていくことが肝要かと思います.

老いては目となり杖となり 

未読の方は以下を閲覧ください.
引き受ける心
共に苦労を
飾らない心で

「引き受ける心」「共に苦労を」「飾らない心で」と結婚という縁について書いてきましたが,もう1つあげておきます.

この縁は刹那的なものではありません.一般的にはお互いの生が果てるまで続くものであります.人はよくも悪くも老いていくものです.当然老いの中で失われていくものもあり,また磨かれていくものもあります.老いを考えたとき,共に老いていくこと,老いても変わらずそばにいること,それを描けることも大事なことではないかと思います.

既述の引き受ける心と苦労を共にできることの延長線上でもあるのですが,どちらかが衰えて身体に不自由が出てきたとき,相手の目となり杖となり,その生活を支えていく,こうした支え合う心をお互いにもっていることが大事なのではないかと思います.

私はまだ独身ですし,経験してもいないことを知った風に書いても信憑性がないかもしれませんが,これまでお道の中で育ってきた価値観,そして今年2月まで健在だった祖父母の姿からこのように感じます.若い頃はそう思っていても年季を重ねるごとに忘れ去られていく人たちもあるかと思いますが,こうした夫婦の姿は子どもの結婚観にも大きく影響を与えます.繰り返しこのブログでも述べていることですが,親の生き方はそれほど子どもに強く影響するということです.

夫婦が仲むつまじく通っていれば,子どもはあたたかい環境で育ちますし,健全な将来像と人生観を描いていくことができます.反対に,いつも喧嘩ばかりしていると,暗い家庭になりますし,子どもは結婚に対して,あるいは異性に対してよいイメージをもてません.

ですから,新婚時期にとどまらず,その先の長い人生どんなときでも助け合い支え合っていける,そうした未来時間イメージの描ける相手を選ぶ必要があるのではないかと思います.

組合会議 

今夜は組合の会議でした.
今年はうちの組合が8年に1回の夏祭りの当番なのです.
神輿は出さないことに決まったのですが宵祭りはやりますので,その話し合いです.参議院選挙の都合で今年は7月28日が宵祭りになりました.なんとその日は私の誕生日ではありませんか!!前後は準備と片付けで忙しいのでのんびりはしていられそうにないです.でも楽しみにしている近所の子どもたちもいるでしょうから,喜んでつとめさせていただこうと思います.2時間話し合って今日は終了し,また23日に話し合いがあります.

5月体重報告 

5月体重報告恒例の体重報告です.

状況はあまり変わっていません.むしろ悪いかも.ジョギングが不規則なもんで・・・.5月の健康診断でなんとコレステロールにアスタリスクがついてしまったので,本格的に健康管理をしなくてはいけないと思っているところです.やはり64kgを維持しないと健康上まずいですねぇ.

秋の健康診断にはリベンジします.
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