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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

種はどこにある? 

ひまわりの種はひまわりの種をまいて育てることから,たんぽぽの種はたんぽぽの種をまいて育てることから,さくらんぼの種はさくらんぼの種をまいて育てることから,それぞれ最後に得ることができます.それは自然の摂理であり,どんなに頑張ってたんぽぽからひまわりの種をとろうとしても達成されないでしょう.

それは,私たちの行いや心遣いも同様です.お道ではまいたる種はみなはへると教えられているように,自分がまいてきた種が後の人生で実を結んでいきます.喜びの実は人を喜ばす種をまくことから,傷つく実は人を傷つける種をまくことから,たすかる実は人をたすける種をまくことから,それぞれ得ることができるでしょう.それも自然の摂理であります.

そして,自分に返ってきたその実からとれる種がよい種であれば,それをまたまいてあげればよいのです.反対に,悪い種であれば,それは自分だけで済むように,その根を摘みとり,今度はよい種をまいてあげればよいのです.これを各々が繰り返すことにより,皆が明るく陽気に暮らせるようになるでしょう.

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いつの間にか・・・ 

今気づいたのですが,アクセス20000突破しているではありませんか.誰が踏んだんでしょうか?記念すべき番号を.

記事のクオリティは若干落ちている気がするのは否めませんが,今後とも当ブログをよろしくお願いします.是非気軽にコメントなどいただければと思います.

1日がかりの作業 

今日は祖父がはりきっていまして(といっても祖父は何もできないのですが),教会の前の木を切ったり,石を運んだりしました.
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私と長弟と次弟と3人でやりました.他にひのきしんに一人来て色々と食事の準備や片付けなどをしてくださいました.最初は庭にある不要な石を裏に運ぶだけの予定だったのですが,祖父が木を切ろうと言い出しまして,一度言い出すときかないので,次弟が木に登りチェーンソーやのこぎりを使って切りました.

私は重いものを運ぶための一輪車がパンクしていたので,その修理をまずしました.実はこれにかなりてこずり,結局新しくタイヤを買って取り付けました.600円くらいでタイヤ売ってたのでびっくりしました.一輪車そのものも5~6000円するものかと思っていましたが,2000円でした.

一輪車が直ると木切りと並行して石運びもやりました.手で運ぶと相当重い石ですが,一輪車を使うとありえないくらい楽に運べます.

さて,木は切ったはいいですが,大きすぎてどうしようもないのでさらに3等分ほどに切りました.それぞれ体重計に乗せてみると最初のが60kg,次に乗せたのが110kg,最後のはそれ以上に重かったので,おそらく140~150kgくらいあったのだと思います.全部で300kg超です.なかなか大変な作業でした.それでも大木の中心の幹から分かれた幹を切っただけなんですけどね.

結局片づけまで含めて5時くらいまでかかり,朝の9時半頃から取り掛かっていたので1日がかりになりました.市役所に木の処分について問い合わせると,ごみとしては出せないようで業者を紹介されました.見積もりの概要を問い合わせてみると30円/kgとのことでした.300kgあれば9000円です.もちろん依頼は諦め,邪魔にならないところに放置して腐らせることにしました.

もっと切れと祖父は言いそうですが,これ以上は簡単にはできません.人手も入りますし・・・.本当兄弟が多くてありがたいとつくづく思います.

蜂退治 

蜂の巣と蜂の死骸仕事を終えて帰ってくると次弟がつなぎを着ています.今度は何のネタだろうと思いつつ,話を聞くとどうやら蜂退治をしているとのことです.

私も早々と夕食をとり長袖長ズボンに着替え助太刀しました.なるほどわがやの勝手口の上に巣を作って大量に群がっているではありませんか.殺虫スプレーをかけて弱ったところをサンダルで叩き潰すという二段構えの戦法で退治しました.

すべて退治し終わってかき集めるとかなりの量になりました.写真ではよくわからないかもしれませんが,そのよくわからないのは皆蜂です.キイロスズメバチかなんかですかね.

片づけをしていると隣のおばちゃんが出てきて「蜂退治は消防署に頼めばすぐ来てくれるよ!タダだよタダ!」と.・・・知っていれば頼んでたのにと思いましたが,まぁ怪我もなく無事に駆除できたのでよかったです.

ちなみに屋根の上にもまだ何箇所か巣を作っているのでまだ駆除の必要はあります.今度はもし敵が多いようであれば消防署に頼みましょうかねぇ.

祖父の山口行き見送り 

11日に帰ってきた祖父は今日27日か明日28日にまた山口へ戻る予定だったのですが,見送りになりました.

どうやらまだ家にいたいようで,昨日は朝からご飯も食べずに体調が悪いと寝ていまして,機嫌も悪かったです.無理に行かせるわけにもいかないので,とりあえず見送ることにしました.すると安心したのかじきに機嫌は直り,夕方には普通に食事もとりました.

今日なんて朝からご飯をきれいに食べて食欲満点です.かかりつけが山口ということもあり,またそのうち行くことになると思いますが,もう少しこちらでの生活をしてもらおうと思います.

ちなみに,祖父が期間限定と思っていたので,22,24,27,29日と平日にたくさん休みをとって夏休みを使い切ってしまったので,9月入ったら祖父がいようともそう多くは休めません.母も教会の用で出かけることもあるし,祖父だけ家に残すと心配なんですけどねぇ・・・フラフラなこともあるし.神様に守っていただくしかありませんね.

住吉神社で伶人 

今日は住吉神社の例大祭に伶人として行ってきました.

6時前には起床し,6時半前には家を出ました.祭典は9時45分からでした.道楽のあとに国旗掲揚と君が代斉唱があったのがちょっとびっくりしました.いくつかの神社の伶人を経験していますが,国旗や国歌が関係していたのは初めての経験です.曲は今回も平調だったので助かりました.意外と早く終わり,12時前には直会を終えて帰ることができました.

教会に帰ったのは2時前でしたかね.よい仕事をさせていただきました.
今日はおぢばも祭典でしたね.天理の陽気はどうだったのでしょうか.会長が帰参する予定でしたが,祖父が先日のお墓参りで疲れてフラフラのため,帰参を見送っています.



疲れてもなお見えるというご守護 

もう職業病というかいつものことなのですが,目がしょぼしょぼします・・・目が疲れます・・・毎日PCのモニターに向かいすぎでしょうか・・・さすがに視力も低下した気がします.

メガネは疲れるし,コンタクトは目の中に異物を入れるようで怖いのでどちらもいやです.小さい頃まぶたの裏におはじきが入ってしまったことがあるので余計に怖いのです.視力をなんとか回復したいと思います.

小学校低学年の頃,視力が0.4と0.7に落ちたことがありました.メガネが嫌だったので,母と毎晩,お願いづとめをさせていただきました.正確な期間は覚えていませんが,数ヶ月でご守護いただき,視力は1.2と1.5に回復しました.それ以来多少下がることもありましたが,1.0と1.2はだいたいキープしていたのです.それがついに落ちた気がします.

今はいくつなのでしょうか・・・1.0くらいはあるようなないような.目が見えるご守護はお道では「くにとこたちのみこと」のお働きであり,「人間身の内の目うるおい、世界では水の守護の理」と教えられています.目が見えるのも,この世界に水が存在するのも親神様のお働きあってのこと,目が見えるありがたさを日頃から味わい,人のよいところ,よい行いをこの目に映すように心がけようと思う今日この頃であります.

2つの硫黄島作品 

少し前に『硫黄島からの手紙』を,今日『父親たちの星条旗』を見ました.太平洋戦争末期の重要な戦局地であった硫黄島での戦いを日本とアメリカそれぞれの視点から描いている作品です.

同じ人間同士が国家の都合で殺し合う,なんとも惨い話です.「英雄はいない」と今日の作品でも言っていましたが,本当にその通りだと思いました.

ちなみに,祖父は満州で軍属をした後シベリア抑留生活という戦中・戦後でしたので,日米の戦争にはほとんど関心を示しませんでした.シベリア抑留に関する本は熱心に読んでいたことがありました.抑留の話も以前に聞いてテープに録ったのですが,そのテープが見つからず困っています.見つかったら逐語にしたいと思います.

私を含めて戦争を知らない世代が増え,体験者がいなくなる時代が近づいてきましたが,映像や話を通して,戦争の理不尽さ,悲惨さは伝えていかなければいけませんね.

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スーパーヴィジョン 

今日は勤務が終わってから指導を受けにいってきました.

2ヶ月ぶりでしたので,検討したいこともあり,とても有意義に時間を使うことができました.明日からの臨床に生かしたいと思います.

お墓参り 

祖父と祖父の兄今日は祖父の実家の墓参りに行ってきました.

朝5時過ぎから祖父が電気をつけてガタガタやっていたので私も起きてしまいました.6時過ぎに長弟と祖父と私とで家を発ちました.行きは車で4時間かかりました.

祖父の実家は山梨の塩山なので,勝沼ICで中央道を降りたのですが,祖父がまったく道を覚えていなくて,長弟の借りてきた車にたまたまナビがついていて,住所を入力していったからよかったものの,祖父の記憶だけでは到底たどりつけなかったと思います.ナビで左折を示しているところを「ここを右だ」と言ったり,実家の近くに来ても「こんな道知らない」と言ったり,終いには実家の前の道を走っているときに「違うぞ.こんな道通ったことないぞ」と言ったりしていました.昨年,次弟と一緒に行ったときにはまだ覚えていたらしいのですが・・・.

実家に着くと87歳になる祖父の兄が出てきてくれ,お家に通してくれました.祖父は「こっちは随分涼しいんだな」と兄に言います.兄は「冷やしてるんだよ」と言います.クーラーが効いてればそりゃあ涼しいでしょう.わがやにはクーラーがないので,山梨は涼しいと勘違いしたのでしょうか.

祖父は兄に何度も「しっかりしろよ」「兄貴より先に逝くんじゃねえぞ」と言われていました.確かに祖父の方が老いているように見えました.小一時間ほど話をして後,お墓参りに行くことになり,祖父の兄もかなり足腰が弱っているので,外には出たくなかったようですが,祖父の記憶力ではとてもお墓に辿りつけそうになかったので,一緒についてきてもらいました.

祖父の実家は300年続いている本家でして(祖父は11人兄弟の3番目で次男です.うちの教会の信仰は祖父母からですので,本家や祖父の兄弟は誰もお道は信仰していません)お墓は実家からそう遠くない場所にあります.私も数年前に祖父と祖母を連れてきているので,お寺を見るとすぐに思い出しました.祖父はどこが本家のお墓かわからなくなっていたようで,目の前にきて「どこだ?」と言っていました・・・.

今日はすごく暑くて,祖父も祖父の兄も麦わら帽子をかぶっていたのですが,ほんと偶然なんですけどおそろいでした.なんか面白かったです.熱中症にでもなりそうなくらい暑かったので私も手ぬぐいをかぶっていました.

その後,祖母の家のお墓もそう遠くないところにあるので,そちらにも行きました.同様,私は数年前に来ているのですがまったく場所は覚えていませんでしたので,祖父の兄の記憶をたどり,多少迷った後たどりつきました.そこは祖母の旧姓のお墓だらけでして,とても不思議な感じです.祖母の長兄の息子が年に2回くらいお参りに来て一応管理をしているらしいのですが,とてもそうは見えない状況でした・・・.

お墓参りが終わって,4人ですき家で食事をして,祖父の兄を家まで送り,山梨の地を後にしました.

そうたくさん歩いたわけではありませんが,暑さのせいか祖父は疲れ果ててフラフラ,くたくたです.帰りもぐったりしていました.行きは4時間かかりましたが,帰りは5時間かかりました.

私も帰るとかなり疲れていましたが,祖父が行きたがってたお墓参りに連れてってあげることができてよかったです.

医局での会話 

お昼どきです.

医師A「今日のお昼は深海魚ですよ」
まお 「深海魚ですか」
医師B「食べる前からメニューわかっちゃうんですか?」
医師A「はい,全然楽しみでもないんですけどね」
医師B「しかも何深海魚って.気持ち悪い」
医師A「メルルーサですよ.ほんと何それって感じですよね」
まお 「でもマックのフィレオフィッシュもメルルーサでしたよね?」
医師A「うそぉ!?」
医師B「やだ~,もうフィレオフィッシュ食べらんない」

と,そんな会話があったのですが,今日のメルルーサのフライは何気においしかったですね.温かかったですし,揚げたてに巡り逢えたのでしょうか.

神様のご守護(ケース2) 

先日,別席を運んだ方の話です.

1ヶ月ほど前,耳に違和感を覚えて,多分何でもないだろうが本人の母親がとにかく行ってきなさいと言うので,親を安心させるためにも一応行ってみようということで,耳鼻科へ行ったところ,「よく来たね.放っておいたら聞こえなくなったかもしれない.この段階で来る人は少ないよ.」と医師に褒められ,詳しく検査をすると「これで聞こえてるの?聞こえないはずなんだけどなぁ」と言われたそうです.とりあえず,投薬で様子を見て,進行するようなら大きな病院を紹介してもらうということになりました.それがちょうど先月の17日,当教会の月次祭の午前中でした.

終わってから,教会にひのきしんと参拝に来られて,祭典までつとめたのですが,本人はショックを受けていました.会長が「耳は聞き分けるところだから,人の話,神様の話をよく聞いて,我を捨てて聞き分けるように」とお話をして,毎日おさづけを取り次がせていただくことになりました.

このひと月,用があって来られないこともありましたが,だいたい日参をしていたように思います.夕づとめ後におさづけを取り次がせていただく日が続きました.その間も診察には行っていましたが,「よくはなっているけど本当に聞こえるの?数値的には聞こえないはずなんだけどなぁ」という話でした.

その不思議なお働きに「神様のお手紙だよ,かわいがってもらってるんだよ,ご守護もいただけるよ」と会長と私は本人に話していました.

そして,先日17日の月次祭をつとめた後,夜行バスでおぢば帰りし,午前・午後と二席目,三席目の別席を運ばせていただきました.昨朝,東京には着いたのですが,一度自宅に帰ってから,無事帰って来れたお礼の参拝とおつとめをしに夕方教会に来られました.

今日,また耳鼻科に行ったそうです.すると,「(耳が)よくなったから,残りの薬飲むだけでもう通わなくていいよ」と言われ,治りが早いと先生はびっくりしたそうです.本人もびっくり,そして話を聞いた私も会長もびっくりでした.同時に,神様のお働きに感激を覚えました(普段から感激すべきことなんですけどね).

一時は耳が聞こえなくなることまで心配していましたが,ご守護いただけて本当にありがたかったです.この方,昨年1年間で病院には1回しかかかっていないのですが,教会にお引き寄せされてから,ちまちま色々な身上をいただき,いくつか病院にかかり,その度に健康のありがたさを知り,心の成人をさせていただいているようです.そして,この身体が神様からのかりものであるということも,漠然としていたのが,ご守護を通して実感としてわいてきているようです.

わが身,家族の身に現れる身上は,神様からのお手紙です.そこには何らかの親の思いがあり,かわいい子どもの心の成人を期待されてのことと私は理解しています.しかしながら,以前の次弟の肝炎のご守護の際にも述べていることですが(信仰の上で重要なので再度綴ります)何も鮮やかなご守護だけが神様のご守護というわけではありません.父が生前おさづけを取り次ぐ際によく言っていたことで,私はこのくだりが好きなのですが,「鮮やかなご守護をいただけることもあるし,薄紙を剥ぐように少しずつご守護をいただくこともある.ただどちらも神様のご守護であるから,喜んで通るように」と.つまりはどんなときでも,どんな状態でも感謝すべきご守護があるということです.

お道は病だすけの教えではなく,心だすけの教えです.今置かれている状況に喜べる心を培っていくための信仰であります.病気だってしますし,死にもします.ただその中に神様が私たちの心の成人を期待されての何らかのメッセージがあり,それに気がついて心に修めていくことで人間としての成長を遂げることができるのだと思います.そのメッセージは私たち個人や家族のその時々の節目や状況に合わせて必要な身上・事情として伝えられるので,時には八方塞と感じたり,無理難題に思えることもあると思います.しかし,その中に成人への道があるのだと思います.その道を歩んで,完全なご守護をいただけることが篤い信仰なわけでもなく,信仰が足りないからご守護がいただけないわけでもありません.そんな人間の尺度で測ることのできる相対的なものではないと私は思います.神様が子どもかわいい親心からその個人や家族にお手紙として授ける思いです(関連記事;親神とはいかなる神か?).ですから,それを受け止める寛容さをパーソナリティに内面化していくことが肝要かと思います.言い換えれば抱えながらも喜べる道を確立していくこととでも言えるでしょうか.

ちなみに,この方,別席を運んだ日の晩,おやさまに「別席で満足していたらいかんよ.成人しいや」と言われる夢を見たそうです.おやさまが赤い着物を召しているイメージはもっていなくて,「貧に落ち切れ」とおっしゃっているイメージしかなかったようで,ボロボロの着物を着ていて顔は見えなかったのですが,あれはおやさまだったという感覚が残っているということでした.

おやさまが夢に出てきたことなんて今まで生きてきて私は一度もありませんよ・・・.


シリーズ関連記事として以下にあげておきます.
神様のご守護(ケース1)

おぢば帰り 

昨日はおぢばに帰ってきました.

朝,奈良駅についてJRで天理に行き,神殿参拝して詰所へと行きました.同行者は午前席と午後席の二席運びまして,私は午前中は別席場まで同行しましたが,天理の暑さにバテ気味になってしまい,午後は詰所でぐったりしていました.

その後,いつものように友人宅へ行き,お父さんにおさづけを取り次がせていただきました.友人がちょうど結納だったものでお祝いに軽く一杯やりました.

夜,また奈良駅発の夜行バスで帰りました.夜行バスで往復したので,なんだか身体がぐったりしている感じで今日はのんびり過ごしました.

明日からまた仕事頑張りたいと思います.

月次祭 

今日は月次祭でした.暑かったですが,昨日に比べると3℃ほど低かったのでまだよかったです.

12人でつとめさせていただきました.(うち5人は家族です)
私はいつも通りおてふりと地方でした.久しぶりに祖父もいまして,おてふりと地方を少々つとめていました.

おつとめ着は予想通り暑かったですが,誰一人倒れることなく結構に最後までつとめさせていただきありがたかったです.

今晩から今日参拝に来られた方と一緒におぢば帰りしてきます.別席の付添いです.

天理は暑いでしょうか?

左足に北斗七星 

昨日,蚊に大量に刺されている話をしましたが,今日すごいことを発見しました.

なんと左足の内側の赤くなっている部分をたどると,ちょうど北斗七星の形になるではありませんか!!

驚きと同時にわけもなく宿命じみたものを感じました.しかし,その直後,はっ!として周りに死兆星がないかどうかを確かめました.周りにそれらしきものがなく,とりあえずほっとしました.なんか嬉しくて長弟に見せました.

今日も何発か刺されましたが,それも結構と思い,過ごそうと思います.

(当該記事は『北斗の拳』を知っていると楽しめるかもしれません)

月次祭準備 

070816.jpgあまりにも暑く,お供え物も悪くなってしまいそうだったので,午後2時を回ってから買い物へ行きました.

祖父は昼過ぎから,早く行こう早く行こうと言っていましたが,なんとか宥めました.すると,参拝の方が見えてお供え物をくださったので,とてもありがたかったです.

今回お供えさせていただくのは,まずお供えいただいたきゅうり,なす,トマト,ピーマン,梨,後から買いにいった大根,人参,とうもろこし,じゃがいも,キャベツ,玉ねぎ,すいか,バナナ,パイナップルです.

調餞は終えましたが,なんせ33℃あるので明日までもつか心配です.とりあえず扇風機をずっと回して空気の循環をしています.効果あるのかは疑問ですが・・・.

二十四の証~感覚をして健康の喜びを知る~ 

猛暑のせいか蚊の勢いも一入のようで,ここ数日蚊取り線香や蚊取りマットを炊いているにもかかわらず,たくさん蚊に刺されています.

先ほどキンカンを赤くなったところに塗っていたら,なんと24箇所ありました.かゆいのなんのって.しかし,こうした感覚が備わっているのも何不自由なく健康に過ごさせていただいているからこそです.

今日の昼下がりに参拝に来られた方が明日の月次祭にお供えしてくださいと旬の野菜を持ってきてくださって,会長と一緒に私も少しお話させていただいたのですが,そのときに蚊の話になり,私がエライ蚊にさされていることを話すと,その方は「蚊って湿気のないカラカラのところには出ないらしいのよ.このうちはまだ蚊が生きられるんだから.~ちゃんとこは蚊も出ないらしいのよ」と言いました.

それを聞いて,なんと受け取り上手な方なんだろうと私は思いました.私も常々受け取り上手でありたいとは思っていますが(あくまでも思っているだけです),さすがに蚊に刺されるという不快な状況に対して,感謝する術は私は持ち合わせていませんでした.

24箇所刺されて相当かゆいですが,かゆさを確実に感じられることもご守護です.この赤い虫さされを健康に生かされている勲章と思って,今日一日を終えようと思います.

ちなみにこの勲章は今後も増える可能性大です.

(二階級特進では済みませんかな?)

暑さを楽しむ 

教会の玄関を入るとすぐ神殿なのですが,その手前に温度計があります.

午前7時,朝づとめのとき,温度計は31℃を示していました.
午後2時,もっとも暑いと思われる時間,温度計は35.5℃を示していました.
午後6時半,夕づとめのとき,温度計は34.5℃を示していました.
午後9時半すぎ,記事のためにわざわざ確認しにいくと,温度計は33℃を示していました.

これ30℃を下回るときあるんでしょうか?(夜中に起きて計ってみようかな)

とにかく暑すぎです.今日1日常に汗を流し続けていた感じです.体重も64.8kgまで減りました.同時に,どうして私が運動をしないとまったく体重が減らないのかもわかりました.答えは明瞭で,汗をかかないからです.冷房のきいた職場で椅子に座って仕事をしていれば,そりゃ何も消費しませんよ.教会にいるだけでダイエット効果があることが今日わかりました.大発見です!!

それがわかるといやな暑さにもチャレンジ精神が加わり,ドンと来いという気持ちになってきます.流れ出る汗を眺めては,よしよしという気持ちが沸いてきます.

しかし,さすがに明日の月次祭のおつとめ着には尻込みです.大量の汗が噴出すこと間違いなしですね.その状況をいかに陽気にやり過ごすか,腕の見せ所です.

祖父の勘違い 

先日,祖父に「まお,お前もそろそろ嫁さんでももらえ」言われました.

「そのうちな」と答えましたが,どうも祖父の了解に違和感を覚えた私は,
「じいちゃん,一体ぼくがいくつだと思ってるんだ?」と訊ねました.

すると,祖父は「いくつってお前もう33になるだろう」と.

「じいちゃん,ぼくまだ28だよ,28!」とすかさず返しましたが,祖父は「そうか」と笑うだけでした.

すぐに,弟たちに話をすると,「どう見てもそうとしか見えなかったんだろう」と言われました.

学生たちには結構若く見られるんですけどねぇ・・・.

世界最高齢,114歳出直し 

皆川ヨ子さん死去=世界最高齢,114歳-福岡(yahoo!ニュース)

おやさまは人間の寿命は115歳定命,あとは心次第とお教えくださっています.

  しんぢつの心しだいのこのたすけ
  やますしなずによハりなきよふ      三 99

  このたすけ百十五才ぢよみよと
  さだめつけたい神の一ぢよ         三 100

  そのゝちハやまずしなすによハらすに
  心したいにいつまでもいよ          四 37

  またさきハねんけんたちた事ならば
  としをよるめハさらにないぞや       四 38

(おふでさきより引用)

しかし,115歳の壁を超えることは並大抵のことではないことは経験的に私たちは知っていることです.周りにいませんものね.100歳だってそう多くはありません.私の祖父も85歳になりますが,心臓も腰も弱ってきています.

もちろん大切なことは「いくら生きたか」ではなく「いかに生きたか」だと思いますので,単なる行年でその良し悪しを語ることはできないと思いますが,それでもそれだけ生きたことにはその人なりの苦労の中に喜びを見出して生きていく術があったのだと思います.お疲れ様でした.また新しい着物をきて帰ってきてください.

祖父もいつまで生かさせていただけるかはわかりませんが,できる限り長生きしてほしいと思います.せめて私が結婚するまで,いや曾孫の顔を見せたいので,それまでは生かさせていただけるとありがたいです.

メラビアンの法則 

メラビアンの法則
言葉による表現(Vocal)・・・7%
声による表現(Verbal)・・・・・38%
表情による表現(Visual)・・・55%

メラビアンによると,話し手が聞き手に与える影響度は以上のように表されるようです.

言葉そのものの影響は意外にもとても少ないことがわかると思います.
何を言うかよりも,いかに伝えるか―どんな口調で語りかけ,どんな表情で話しかけるのかが重要なのです.

人はどうしても言葉による表現で飾りがちですが,それよりもむしろノン・バーバルな部分での表現を心がけた方がよい話し手になれる可能性は高いことがわかります.

私はVocalは苦手なのでVisualを第一に心がけようと思います.Vocalを頑張るよりもVisualを頑張った方がより質の高い表現ができそうですものね.

皆さんは話すとき,何を一番意識しますか?

祖父帰る 

祖父が帰ってきました.仕事が終わるとすぐに帰り,駅まで祖父と長弟を迎えに行きました.やはり新幹線の中で2度ほど転んだようでした.幸い何ともなかったようでありがたかったです.

教会に帰ってきたのは2月の年祭以来なのでとても満足そうでしたし嬉しそうでした.山口からの長旅だったので,夕食をとると風呂に入り,布団に入りました.といっても,眠りにつくわけではなくゴロゴロと・・・という感じでしたが.

明日はお墓参りに行くんだと言っているので,花屋→墓参りというコースをたどること間違いなしです.しばらく孝行できなかったので,色々孝行してあげたいと思います.

祖父明日帰る 

夜,おばから電話があり,なんと祖父が急に明日帰ることになりました!予定では9月の霊祭に合わせて帰ってくるはずだったのですが,祖父はどうにも帰りたくて勝手に家に帰ろうして駅まで行って切符を買ったとのことで,もうどうしようもないから一度帰すということになりました.

私も次弟も明日は仕事なのですが,ちょうど長弟が今晩から帰ってきてて,明日迎えに行ってくれるとのことで本当に助かります.特にわけもなく帰ってきたようなので,神様のお導きかもしれませんね.

とりあえず,おばが祖父を広島駅の新幹線に乗せて,長弟が東京駅の新幹線乗降口で迎えるという形になります.新幹線に乗っている数時間は祖父一人なので少し心配ですが,他の駅で降りるようなことはしないと思うのですが,トイレが近いのでトイレまでの歩行が心配です.何事もなく帰ってこれるといいと思います.

論文掲載決定 

昨日,某学術誌の出版社から1通の封筒が届きました.

開封前に神様にあげて恐る恐る中を開けると,採用の旨が書いてある手紙が入っていました!

ついにやりました.3年半前に書いた修士論文,3年半の刻を経て某学術誌への掲載が決定しました.ここに至るまでには色々な方のお力添えがありましたが,中でも卒後,指導教官でも出身大学の先生でもないのに,親身に論文の指導をしてくださった某大学の先生には本当に感謝しています.何度も投げ出したくなりましたが,その先生への恩義を果たさなければ申し訳ないと思い,なんとかやってきました.その先生への恩義がようやく果たせて嬉しいです.私にとっては最初で最後の論文となるでしょう.

さて,歓喜の声をあげた後,これは是非父にもと思い,みたま様に供えさせていただきました.

先生には,本日ご報告のメールを差し上げましたので,後日お礼にお伺いさせていただく予定です.長い間背負っていた大きな課題を終えてとてもすっきりしています.

1周年記念体重報告 

1周年8月は月初めの体重報告がなかったので,恒例記事がないと思った方もいたでしょうか?(いないか・・・)実は今日のために控えておいたのです.昨年8月7日よりダイエットを始めてちょうど1年が経ちました.

平成18年8月7日に70.0kgだった体重は平成19年8月7日で66.4kgとなりました.1年で3.6kg減ですが,グラフを見るとあまり好ましい結果であるとはいえません.ご覧の通り,よかったのは昨年いっぱいですね.今年に入ってからは体重は徐々に増えています.昨年8月~11月はかなり頑張ったので成果あって70kg→63kgに落ちました.しかし,12月に体調を崩し1週間ほど寝込んでから,運動をあまりしなくなりよく食べるようになりました.12月は64kg,2月には65kg,4月には66kg,5月以降は66kg~68kg手前を増減していました.

それでも筋トレはずっとしていたんですよ.走っていた時期だってありました.真冬はさすがにほとんど走りませんでしたが・・・.やはり一番いけなかったのはせっかくなくした間食の習慣がまた復活してしまったことだと思います.医局にはたいてい何かしらのお菓子があるので,ついついつまんでしまうんですよね.そして,断固食べない姿勢が崩れると家でもまぁいいやとなってしまい,手をつけてしまうこともあるわけです.その積み重ねがこの結果です・・・.

ここのところいい感じでまたおなかが少しずつへこんできたので,妥協せず64kgを目指していきたいと思います.やはり64kgを維持しないと健康体は保てません.秋の健康診断にはコレステロール値が下がるように食生活に気を配り,運動も続けていきたいと思います.

今日も汗だくになって運動したので疲れましたよ.そろそろ休みます.

一日生涯 

一日生涯という言葉があります.

今日この一日が生涯にあたると思って精一杯つとめさせていただくということだと思うのですが,時間軸を拡大して考えた実におもしろい見方であると思います.

①朝,目が覚めて②起き出し,③日中何らかの活動をして,④つとめを終えた夜はゆっくりして⑤また眠りにつく(そして次の朝が訪れる・・・).これが人生の中の1日のサイクルですが,拡大するとこれが一生になります.

①生を授かりこの世に生まれ出て②自分の足で歩くようになり,③学業や就労など何らかの活動をして人生のもっとも長い時期を過ごし,④老後はゆっくりして⑤時期が来たらこの身体をお返しして出直す(そして次の生が訪れる・・・).これが一生のサイクルと言えるでしょう.

また,心理学者のユングも人生の折り返しである40歳前後(中年期)を「人生の正午」と呼んでおり,彼も同様,人生というものを一日にたとえる見方をしていたと思われます.

ですから,今この一日を自分の一生涯と思って精一杯生きていくことが,包括的な自分の人生を考えたときに実りある一生を送ることにつながるのだと思います.それはどんな些細なことも無駄にしない,小さな種でも蒔かせていただくということでもあると思います.一粒万倍です.

一粒万倍と併せて一日生涯を心に刻もうと思います.

※未読の方はあわせて閲覧ください
一粒万倍

天照皇大神で伶人 

天照皇大神朝6時半前に家を出て天照皇大神の例大祭で伶人として鳳笙を吹いてきました.鳳笙を吹くのは何ヶ月ぶりでしょうか・・・半年以上は吹いていなかった気がします.

祭典は10時から1時間ほどでした.元々真夏で蒸し暑い上に電熱器による放熱でさらに温度が上がっていて相当暑かったです.今回の曲はすべて平調でした.長いこと吹いていない私にとってはありがたかったです.

終了後,直会に呼ばれて食事をいただき,12時前には現地を発ちました.朝よりも暑かったです.そういえばスラックスを履いたのは久々でしたね.26日に伶人の依頼があるので,そのときにはまた履かねばなりません・・・.

大収穫!! 

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[ 2007/08/04 22:41 ] ガンダム | トラックバック(-) | コメント(-)

研修報告 

今日は夕方から職場で研修報告がありました.

定期的にあるのですが,今回は私が以前受講した「パーソナリティ障害の臨床」についての報告をしました.研修内容そのままでは味気ないし足りない部分もあったということもありましたし,どうせ作るなら院内報告だけにとどまらない汎用性の高いもの―たとえば講義で使えるなど―を作ろうと思い,自分で補足したり,図を作ったりして作りました.どうやら私はこういうプレゼンテーションの資料作りは好きなようです(あくまで「作る」ことです.実際にプレゼンをするのは大嫌いです).その結果スライド40枚くらいになってしまいまして,持ち時間は30分ちょっとだったので,とてもすべては説明できないだろうなぁと思いつつやりました.

相当早口で説明しましたが,案の定30枚くらいしかできませんでした.しかし境界性パーソナリティ障害のスライドが終わったところまでちょうどできたので,区切りとしてはよかったです.

私と同い年の医師も聞いていたようで,医局に戻ってから「わかりやすくてよかったですよ」と言われほっとしました.私は文章を書くのはそれほど苦手ではありませんが,人前で話すのは非常に苦手という認識がありまして,今日もイメージ通りにはいかず,説明が思ったようにできなかったという感じがありました.しかし,それなりに説明できていたようなのでよかったです.

今日は時間が十分にとれなかったのでまた別の機会にやってもらいたいという話も看護部からあったので恐縮でした.こうした報告がついてまわると資料を作るのが大変ですが,研修費を出してもらっているので,これくらいの還元は義務ですね.むしろありがたいです.

縫いてまたその役割を担う(右膝が破れたジーンズの意味) 

昨年,ズボンの右ひざが3本破けてしまった話をしました.せっかくなので,記事を引用します.

昨晩,ふと悟ったことがありました.

昨日はジーンズを買いました.ここ半年くらいで3本右ひざが破けてしまったのです.
破れると何かと制約が増えますので,破れていないものを1本と思い,買ったのです.たまたまだったので衝動買いに近いですが,ファッションにあまり関心がないので一番安い4000円代の品にしました.よくはいているジーンズのサイズは31なのですが,今日試着した31はパンパンで苦しすぎたので,33と34を試着して33にしました.

夜,改めて試着してみると,なんだか緩いのでおかしいな?と思いつつサイズを確認すると34と書いてありました.遊びに来ていた友人に「何やってんの!」と言われましたが「神様が長くはけるようにしてくれたのかもよ」というので「そうだな!」と納得しましたが,それはまだまだ太るということだろうか?と冷や汗ものでもありました.そして「いつも右ひざだけが破れるんだよー」と友人に言ったところで,ひらめいたのです.

「そうか,そういうことだったのか!いつも右ひざばかり破れるのは何でなんだろうと思っていたんだけど,実は俺の代わりにズボンが破れていたんだよ!じいちゃんも父さんも交通事故で右ひざを骨折してる.俺ももしかしたらそういう事故に遭ってたかもしれないのを神様が守ってくれてるんじゃないか!?俺のひざが壊れる代わりにズボンが破れてたんだ!そう思うとズボン破れたくらいなんてことないなぁ,ありがたいなぁ.」

すべての謎が解けたようで私は嬉しくなりました.そして,どんなところに神様のご守護があるかわからないものだなぁと思いました.日頃生活していると気付かないことが多いですが,意外と色々なところで神様は働いてくださっています.

そんなの偶然だろう,こじつけだ,という反証もあるかと思います.ですが,それは信仰生活において問題にはならないのです.そういう洞察に至ったことで,私はまた1つ神様に感謝する機会を得て,事象を極めてポジティブに捉えることに成功しているのです.それは,人生においてマイナスになることではありません.

ちなみに,これを「ひざが3本も破けた!次は私の膝が壊れるに違いない!」と捉えてしまうと,将来への否定的態度を構成する破局的認知として精神的健康にあまりよい影響を及ぼしませんが.

気付かずにいる感謝できること,探してみませんか?皆さんの周りにはどんなよかったことが転がっているでしょうか?

そして,今・・・近所にズボンを直してくれる人がいてこのズボンが直ろうとしています.実は捨てられずにずっととってあったので,次弟が直してもらったジーンズを履いているのを見て私も頼むことにしました.

直ったら,また履こうと思います.私は会長に「いい加減そんな服着るのやめなさい!」と言われるほど,古い服や穴や継ぎ接ぎの服を着るので,戻ってまたその本来の役割を果たしてもらえるのが楽しみです.長い間使っているとなかなか捨てられません.

(今日の記事は,引用内容にむしろ言いたいことが書いています)
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