なぜ人と人はめぐり逢うのでしょうか.
いつ人と人は別れることになるのでしょうか.
人と人との出逢いと別れ,これこそ人の業を超えたもの,縁であると思います.
世の中に60億の人々が生きていて,その中で出逢える人というのはほんの一握りの人だけです.進学・就職といった人生の節目のみならず,街角の交差点,学校の廊下,ショップ,居酒屋,ボランティア活動・・・人の意思が交錯しあう場所なら,たえず人と人が出逢う可能性はあるのです.
そこですれ違う人は数多くいるでしょう.視線を合わせることもなくただすれ違うのみの人もいれば,目は合ったものの特に意志の疎通をすることもなく視界から消えていく人,挨拶は交わすけれども特に会話にまでは至らない人,挨拶の後,社交上のコミュニケーションを展開していく人,社交上の話題を超えた話までする人,その時間に喜びを見出し自分の体験を共有したい,相手の体験を共有したいと思う人,その思いが一致する人・・・と.
後者になればなるほど希少かつ貴重な関係であると思います.彼らは友として,あるいはよきパートナーとして,あるいはよきアドバイザーとして関係を維持していくことになる人でしょう.それは個人の努力や人柄がなせる業でもありますが,それはすでに布置されている中で関係を築いていくことです.手を伸ばして行動範囲を広げても広げた先にいる人たちはやはりその環境に布置されています.すなわち,この世界で人と人が出逢っていくことは単に人の業のみでなせるものではなく,人の意思を超えたものの力や思いが存在していると私は思います.
つまり「縁」あって人と人はめぐり逢っていると思うわけです.これが真だとするならば,めぐり逢った人と別れていくのもまた「縁」だと思います.物理的距離の広がり,あるいは時間的空白の広がりから切れていくこともありますし,仲違いや価値観の相違から切れていくこともあるでしょう.また,当事者間の意思に反して切れていかざるを得ないこともあると思います.さらにこれも真だとするならば,かつて縁のあった人と再びめぐり逢う―そんなことも人生においては起こり得ます―これもまた「縁」であると思います.縁あれば人と人はまためぐり逢うのです.
出逢いと別れには喜びや哀しみが伴うものですが,そこに至るまでの過程,その節そのものには必ず意味があり,神様の思いを感じることができると思います.実存分析的に言えば「人生から求められるものがある」のです.その思いに気付いて,その思いやその節目の体験を心におさめていくことで人は人としてさらなる成人(成長)をしていくことができるのだと思います.
別れと出逢いは表裏一体,別れがあればこそ新しい出逢いもあり,出逢いあればこそ別れもあるのです.よい出逢いと別れにめぐり逢うために,日頃からよい種を蒔きたいものです.