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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

いちれつ会報インタビュー 

今日は7時頃からいちれつ会報のインタビューがありました.仕事でこちらから伺うことができませんでしたので,いちれつ会の方が教会まで来てくださいました.(ご足労ありがとうございます)

最寄り駅まで迎えに行ったのですが,話を聞いているとどうやら天理高校の後輩のようで長弟とも同じクラスのことがあったということでした.よく見ると確かに北寮で見たような記憶があります.私の同い年の従兄弟がちょうど彼と同じ階の先輩だったのでその話をすると「そうなんですか!」と.やっぱりなかなか狭い世界のようですね.

さて,インタビューは1時間15分ほどありました.教会の神殿でやりました.仕事のことなど色々お話をしました.終了後,夕食を一緒に食べて彼は帰りました.

あまりインタビューを受けるという経験はありませんが,これも1つの経験としてよかったと思います.
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認知行動療法の研修 

今日から認知行動療法のワークショップが始まりました.12回なので1月下旬まで続きます.片道2時間ちょっとかかるところまで通うので10時半すぎに家に帰ってきたところです.

旅行の疲れもあるため,もう入浴してダウンです.旅行についても綴りたいのですが,また後日.

車内にて 

昨日今日と職員旅行に行ってきました。

今帰りのバスです。なぜか混んでるので病院着いてそこから家に帰ると1時すぎにはなりそうです。

チャコの出直しに関して 

(本日3本目の記事です.他の2本も是非閲覧ください)
先ほど会長がおぢばから帰って来ました.そして以下の話を聞かされました.

実はチャコが亡くなった22日頃(詳しい日時は不明です)祖父が山口の教会で心臓発作を起こして倒れたようです.おばが祖父のところを行くと祖父がチアノーゼ状態でひっくり返っていて,おばが処方薬を飲ませて祖父をひっぱたいたところ,意識を取り戻し回復したとのことでした.そして,昨日の大祭にはおぢば帰りをして詰所に宿泊するというありがたいご守護をいただいております.

不謹慎な話ですが,齢85の祖父が先か,齢13のチャコが先かと兄弟で話していたこともあったので,チャコは祖父の代わりに迎えとられたのかなぁと思いました.もちろん,チャコの出直しの意味はそれだけではないかと思いますが,そうかもしれないなぁと感じました.

出直しはつらいものですが,それでもなおその節自体には意味があると思います.父のときも祖母のときもそう感じました.それを見つけられるか否かで後の家族の生き方にも大きく影響を及ぼすと思います.

私はどんな節にも意味を見つけていきたいです.

チャコの夢(2) 

チャコが息を引き取りました.すぐに火葬してしまうのではなく,数日安置しておきました.すると,ほんとにわずかではありますが心拍があるとのことで,チャコが生きていることがわかりました.そして,見知らぬ人が「ここまでもてば大丈夫だ,あとは回復していくよ」と言ってくれて,私は大喜びでした.すぐに火葬しなくてよかったと思い,とりあえずチャコを病院に連れていこうと車に乗って病院を探しました.チャコをすぐ火葬しちゃったけど,本当はまだ生きれたのかもしれないなぁと思いながら(矛盾).

昨晩の夢です.チャコにまだしてあげられることがあったのではないかという思いが顕在化して夢の中で実現されようとしたのでしょうね.まだ時折チャコの夢は見るかもしれませんね.

チャコの夢(1) 

チャコが行方不明になり,皆で探しました.どこを探しても見当たりません.近所にチャコにそっくりな犬がいて,もしかしてチャコかも!?と思って見にいってもチャコではありませんでした.

電車に乗っている見知らぬおばさんが,「どこか遠くに行ったんじゃないかしら?たまにいるのよ,電車にちょこんと座って遠くの町に出かけて行く犬が」と言いました.

チャコ遠くに行っちゃったのかなぁと思いました.

チャコが出直した翌日か翌々日くらいに見た夢です.チャコの喪失が夢でも繰り返されています.
電車に乗っていくというのは宮崎駿の「耳をすませば」に出てくるムーン(猫)の影響かと思います.

ブラインドショッピング 

とある日常.

まお「この後どうするの?」
友人「ブラインドショッピングでもしようかな」
まお「何ブラインドショッピングって?目つぶって道歩いて手探りで買い物する?すいません,これは何ですか?もしかしてパンケーキですか~?みたいに」
友人「間違えた.ウインドウショッピングだ.ブラブラ見て回ろうと思って」
まお「何だ,間違いかよ.随分変わったことするなぁと思ったのに」
友人「そんなネタにしないでよ」

ガンダーラ⇒神田川機種変⇒ヘンキシュ(変機種)に続く第3弾と言えるでしょうか.

ところで,グループワークなどのエクササイズで「ブラインドウォーク」というのはしばしば行われますね.2人1組になって片方が目隠しをして,もう片方がその人の目となって言葉かけをしながら散歩をするというものです.これを通して,支えられるという体験,触れて在ると実感できることの安心感,相手の言葉や行動を信じようとすることに使うエネルギーの強さを知ることなどが得られると思います.こういった体験をしていくこともまた大事かと思いますので,機会があったらやってみるといいと思います.

併せてこちらも閲覧ください.
シャドウショッピング(後日公開予定)

在りし日のチャコ(1) 

未読の方は以下を閲覧ください.
1日がかりの作業

祖父とチャコ時折チャコの写真などをアップしていきたいと思っています.(犬嫌いの方は適当に流してください.)

8月29日に庭の木を切ったときの写真ですね.祖父は途中で疲れ果てチャコもその様子を見ていたのですがやはり疲れたようで共に寝ていました.ほのぼのした光景です.

この頃はまさかチャコに死が訪れようとは思ってもいませんでした.もう2~3年は生きるものと思っていました.予想以上に早かったです.もっとしてあげられたんじゃないかという思いも時折出てきますが,こうなったのだからそれも意味あるものとして受け取るようにしています.でもやっぱり寂しいですね.

小さい頃の写真とかもアルバムを探せばありますかね.中高生の頃なので携帯カメラなどない時代ですから,スキャナで取り込まないといけませんが.モーニングワークの一環として時間のあるときに振り返ってみたいと思います.

そういえば,他の家族は写真を載せられませんが,ペットは載せられるのでいいですね.ほんとかわいかったんです,チャコちゃんは.

講義(3) 

昨日は大学講義の3回目,つまり最終でした.

内容は様々な心理療法について.90分で一通り説明することはなかなか困難な業ですのでかなり急ぎ足でやったのですが,やはり終わりませんでした.残りは科目責任者の先生がやってくださるとのことです.

途中,実存分析の解説をしていて「どんなときも人生には意味がある」という話になりまして,チャコが昨日亡くなったという話をすると,教室からは「え~~~っ」という声がたくさん聞こえました.ちょうど先週スライドにスペースがあったので,チャコの写真を1枚貼って「これうちの愛犬チャコです」と紹介したばかりでしたので,まさか死ぬとは思っていなかったのでしょう.普段はなかなか反応のない学生がすごく反応しました.

講義は今回で終わりです.大学講義の感想としては・・・そんなにありませんが専門学校の方が1学年1クラスということもあり,受講生の人間関係の密度が濃いので反応がよいということがわかりました.人数はそれほど影響しないこともわかりました.むしろ学生たちが醸し出す空気の方が重要かと思います.

さて,講義が終わってから担当の先生と食事に行ってきたのですが,大学の話から私が天理大学,天理高校だという話をすると,その先生が天理行ったことあるわよと言います.なんでも先生の実家は代々お道を信仰していたそうで,葬儀やお墓はいつも天理教式だと言います.その先生自身は信仰はしていないようですが,先生の父の従兄弟が現在教会長をしているということでした.意外な話に驚きつつ,実は私の家も教会なんですと話をしました.

意外とお道とつながりのある人って近くにもいるのかもしれませんね.

愛犬チャコの出直し 

2007/08/24昨日未明,チャコが13年の生涯に幕を閉じ出直しました.会長が朝4時半頃に私を起こしにきて慌ててチャコのもとへ駆けつけるとすでに息を引き取ったあとでした.

病を抱えていたので心臓に非常に負担がかかっていまして3~4日前から何も食べていませんでした.そろそろかなとは思ってはいたのですが,予想より早かったです.昨晩は少しお菓子を口にしたのですがやはり想像以上に体力は衰えていたようです.

出直したのですが朝の段階ではあまり実感はありませんでした.まだ温かいチャコの身体をなでながら姿勢などを整えてあげました.お疲れ様という気持ちでいっぱいでした.最後の数日はかなりつらそうでしたので苦しみもあったと思います.

よく散歩に連れてってくれた信者さんも朝から駆けつけてくれまして一緒にチャコの出直しを悼みました.次弟は泣いていたようですが,私はまだその実感がありませんでした.しかし,仕事に行く前にようやく悲しみがやってきて涙を流しました.長弟も午前中に家に帰ってきたようです.

とりあえず仕事にいかないといけないので出勤しましたが,午後は有休にして午前中で帰ることにしました.役所に電話したのですが,引き取れるが死体が溜まるまで役所に放置しておいてある程度溜まったらペット葬儀屋に焼却を依頼するとのことでしたので,それではあまりにかわいそうだ,最後くらいは手厚く弔ってあげたいと思い,民間のペット葬儀屋に電話をかけてみました.即日で予約がとれるとのことでしたので,火葬を依頼しました.

家に帰ると悲しみがこみあげてきて,チャコの前でたくさん泣きました.もっと生きたかったのかなぁ?とか楽になれてよかったのかなぁ?とか色々思いましたが,もうチャコに会えないと思うととても悲しかったです.ダンボールにマットを敷いてバスタオルをかけてあげました.花も飾ってあげました.

3時過ぎに家を出て4時に会場へ行き手続きを済ませたのですが,手続きをしながらまた泣いてしまいました.その後火葬場へ移動し最後の別れだったのですが,そこでもまた泣きました.長弟と次弟と3人で行ったのですが,二人が最後席を外してくれたので,チャコにありがとうとお礼を言ってこれからも見守っててくれよとお願いしてその場を去りました.寂しかったです.

約1時間後,遺骨を拾いました.そして木箱に入れてもらい教会へと連れて帰りました.チャコの遺骨は近々チャコが育って長年親しんだ教会敷地内の庭に埋めてあげようと思います.その上には何かの種でも植えてあげるといいでしょうか.

チャコが出直してしまったことは残念ですしとても悲しい出来事ですが,チャコは今後は御霊として教会を守ってくれるでしょう.今朝も家を出るときつい習慣でチャコの方を見てしまいました.チャコの姿は見えませんでした.しかし,その魂はいると信じたいです.

チャコに会えてこれまで過ごせて幸せだったと思います.父,祖母に続く3度目の喪失.何度迎えてもつらいものですがそれだけ大事だったということでもあります.チャコ13年間ありがとう,チャコの記憶を大切に生きていきます.

(またチャコの写真や思い出なども記事にしていきたいと思います.)
2006/06/17(ベストショット)

ふしから芽が出る 

あいこさんの今日の記事「ふしから芽が出る」にこんなことが書かれていました.

今日も、家族に天理教を非難されました。
うちは、何も信仰していません。
でも、頑張って、どうして天理教を信仰しようと思ったのか
両親に話してみました。
結果は「宗教なんて・・・」と、やはり反対されましたが
今は辛抱です。

「ふしから芽が出る」

辛い・・・という道も、喜んで通りたいと思います。


確かにお道は御利益信仰ではないので,なかなか理解されにくいかもしれません.各自の心の成人,信仰を通して所謂世間から見てなるほどと言われる心を培うためのもので,至極分かりやすくいうなれば「なんであの人はああいうふうに何でも喜んで生きていられるんだろうね?」という疑問を通常の他者に抱かせる生き方を養うものであると思います.それは信仰によって培われるものではあるけれども世俗の道徳観にも合致するのでなるほどと言わしめるのだと思います.宗教と思うと偏見があったり,敬遠がちになるかもしれませんが,親が子に教えるように教会でごく当たり前だが忘れがちである人生観を学ぶ場所とでも思ってもらえるといいのだと思います.

時間はかかるかもしれませんが,あいこさんがそうやって自分の信じる道を伝えようとしていることは神様が受け取ってくれるでしょうし,ご両親もいつかその変化に気が付くことと思います.まさに「ふし」なんでしょうね.いつか芽は出ることと思います.まいた種は生えますからね.そして,できればお道を信仰することによってこんなところが変わったとご両親が気付いてくださるといいですね.

えーと,コメントしたかったのですが,マイルール「あいこしばり」によりジャンケンであいこにならなかったので,記事にさせてもらいました.

従兄弟の教会の大祭 

今日は従兄弟(父の弟方)の教会の秋季大祭でしたので,会長と参拝に行きました.

朝8時半頃に出発して11時半頃到着しました.私は大学院在学中,この教会にお世話になり2年間電車や自転車や原付で通学していたのですが,その頃と比べてかなり景観が変わっていてびっくりしました.元々その傾向はありますが,さらにベッドタウンとしての機能は今後強まるのでしょう.

さて,祭典では笛,小鼓,おてふりとつとめさせていただきました.その後,講話を聞いて片づけをして直会となりました.今日は久しぶりに教会の子ども4人が揃ったようです.小さい頃は年に数回はうちの子供たちと遊んだものです.そんな彼らも長男が24歳,長女が23歳,次男が21歳,次女が19歳となりました.長男,次男はお酒も飲めるので,直会では久しぶりに話をしまして,とても楽しかったです.

6時半頃,教会を出て8時半過ぎに家に帰ってきました.1日がかりでしたが,なかなか充実していました.ちなみに,参拝者はうちの教会よりも圧倒的に多かったです.直会は50人以上いたように思います.翌日が休みであればもう少しゆっくりしたかったですが,やむを得ません.また機会があったらゆっくりしていきたいです.

「をしい」のほこり 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
陽気に楽しく生きよう

八つのほこりについて書くと予告してしまったので,こうしてキーを叩いているわけですが,どういった形で綴るといいだろうかと考え中です.とりあえず1つずつ書きましょうかね.

八つのほこりとは「をしい」「ほしい」「にくい」「かわい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」の八つのわが身勝手の心遣いのことです.これらを神をほうきとして絶えず掃除するよう教えられています.

「をしい」とは

人のために心をつかったり、体を使うこと惜しむ心づかい。物を貸したり、お金を払うことを惜しいと思い、また、手助けをするための労を惜しむなど、すべてに出し惜しみ、骨惜しみすること。

天理教公式ホームページより

です.もうこの説明だけで十分な気がしますがそれでは記事として取り上げた甲斐がないので,もう少し考えてみたいと思います.

過去記事「心身相関(その3)」で私は以下のように述べています.

フロイトという精神科医は精神分析という学問体系を確立しましたが,彼は人間の発達段階を口唇期・肛門期・男根期・潜伏期・性器期に分類しました.どの時期にも達成すべき発達課題はあるのですが,2番目の発達段階である肛門期には昨日述べたことに通じる部分があります.

肛門を通して快感を得て発達・学習する時期を精神分析では肛門期と呼びます.ちょうど2歳~4歳くらいですかね.肛門は幼児期に「出すことと溜めること」をトイレットトレーニングを通して学ぶ大事な部位でして,肛門性格という言葉もあるくらいです.過度に几帳面で倹約家,わがままといった執着的な性格傾向をもつ大人は幼児期における便のコントロールがうまくいかなかった肛門性格の人であると言われています.他者からみて「ケチ」「強迫的」「執着心が強い」などと思われる人はその傾向があるかもしれませんね.ここで学習する「出すことと溜めること」というのは象徴的なものでして便だけに限らず,その後の人生における様々な側面での出すことと溜めることに関係しています.要するに便意という身体のコントロールを通して心のコントロールを学ぶわけです.お金を出したり力を出したり時間をかけたりと,それらを貯める(惜しむ)ことなどに関係していると言えるかもしれません.

このことから考えるに,をしいのほこりは,ためる(貯める・溜める)こととはなつ(放つ)ことと関係があるように考えられます.そして,をしいのほこりを積むときとは,両者のバランスを欠いたときと言えるかもしれません.「よく」のほこりとも関係していると思われますが,自分自身の欲求・欲望から,人のために放つことを惜しんで,必要以上に自分自身の力を抑制し,自分の中にためこむわけですから,それらのエネルギー(=労力,経済力,学力などあらゆる力)は自分の中に蓄積されていきます.生きるために必要なエネルギーというのは普通に生活することによって,消化・吸収されて自分の血や肉となっているわけですから,必要以上にためることは余剰物になりかねません.食事にたとえればカロリーオーバーによる体脂肪の増加,消化活動にたとえれば消化不良による便秘とでも言えるかと思います.もちろん,展望のある力の蓄積というのは必要ですが,目的のない場合に無駄にためこんだり,わが身思案で自分の欲望のためのみにためこんでは,自分の許容量を超えたエネルギーは余剰物となり,そのときは満足を得られても長い目で見ると不本意な形で残るので,やはりためこむのではなく日々の生活の中で消費する必要があるのです.その消費を惜しんだ瞬間「をしい」のほこりを積むことのなるのではないでしょうか.

たとえばゴロゴロしているのであれば,動けるだけの余剰体力を労力として消費する,使っていない家具や電化製品を所有しているのであれば,その余剰所有物を貸与・譲渡して消費する,特製手料理のレシピを知っているのであれば,独り占めせずに共有知識として伝授して消費する,など出し惜しみしない,ためこまないで力を出す,欲を放つ(欲から放れる)ことで「をしい」のほこりを積む機会は減じられるのかもしれません.そして,ためずに惜しまず放つ(消費する)ことで,他者が助かったと感じ,喜んでもらえるのであれば,それは親神様の喜ばれる陽気ぐらしにつながる行動になるかと思います.さらに,自分のために必要な分さえためずに,他者のために消費することができるようになると,より高い次元へと成人できるのだろうと思います.ためることと放つことのバランス,難しいですが日々の中で心がけたいものです.

ちなみに,「ゴロゴロしているのであれば,動けるだけの余剰体力を労力として消費する」などと書いてしまったので,うっかり兄弟に当該記事を読まれた日には,私は動け動けと兄弟から責められることになるのは言うまでもありません.これも成人への道でしょうか・・・.

講義(1)看護学校3期目 

大学と同時進行ですが,また今日から看護学校の講義が始まりました.

講師歴はまだ2年目なのですが,3学年目を担当しています.1期目は昨年4月~6月に3年生を教えました.2期目は今年2月~6月まで2年生~3年生を教えました.そして,3期目の現在,10月~2月まで2年生に教えます.2年間で3学年を教えるという変則です.

さて,やはり何度やっても第1回は緊張します.回数を重ねるごとに慣れてはいくのですが,最初は嫌ですね.しかも,今回の学生は反応がないんです.話す側にとってはかなりやりにくいわけですが,その関係ももしかしたら続けるごとに変わっていくのかもしれません.

学生の自己紹介がわりに学級委員に授業の中で「クラスの雰囲気を表現するとしたらどんな言葉で表現できますか?」と聞くと,「おとなしい」「集団ではあまり反応しないけど一人一人は色々考えているし話もちゃんと聞いている」というようなことを言っていました.

そして,授業終了後,学生に講義に期待することと感想を書いてもらった用紙を読んでみると,なるほど1行しか書いていない人はほとんどいなくて,みな数行にわたって自分の期待や感想を書いています.学生が言っていたことの意味が分かったのと,彼らのパッと見ただけではわからない素晴らしい力を発見した気がしてちょっと嬉しくなりました.

反応はしないけど感じて考えているのであれば,こちらから引き出してあげた方がいいのかなと思うので,今回の講義は学生にもいろいろ聞いてやってみようかなと思っています.次は11月末なのでしばらくありませんが・・・.

夕方,病院に実習に来ているすでに教え終えた3年生数人に会ったので,また今日から教えに行ってるんだよと話をすると「またガンダム,ガンダム言ってるんでしょ」と言われました.「今日は名前出したくらいでほとんど話してないよ」と返答しました.私とガンダムの関係はもはや一生切ることができないでしょうな.

SV 

今日はSVでした.ちょっと仕事が大変だったので,先生にメールでお願いして特別にやってもらいました.

先生の病院に向かうのに,いつも乗換下車する駅を何故か通り過ぎてしまい,終点まで行ってしまいました.終点まで来て降りたときに,「あれ?何でここまで来たんだ?遠回りじゃないか」と気がつきました.どちらからでも行けるからいいのですが,いつもの行き方の方が乗換が1回で済みますし,時間も少し早いと思います.

患者さんが面接に遅刻して来ることを治療への「抵抗」として捉えることがありますが,私の乗換間違いも抵抗の一種だったのでしょうか?まぁSVしてほしくて仕方がなかったのでただの間違いかもしれませんが.

さて,1時間半ほど見ていただいて,ある種の覚悟―というか諦念?ができた気がします.それが恒常的なものか一時的なものかはまだわかりませんが,自分自身を保証される癒される体験でありました.やはり臨床を続けていくにあたって,それをあたたかく指導してくださる先生の存在は重要です.

本当に行ってきてよかったです.

陽気に楽しく生きよう 

信仰すると,あれをしてはいけない,これをしなくてはいけないとか戒律ばかりが厳しくて不自由であり,楽しく生きられないと考える人もいると思います.幸福を求めていくのが信仰であるのに,窮屈な暗い気持ちになってしまうと考える人もいるかもしれません.

そう考えているうちは形だけの信仰であり,自らの意志によって神様とつながっている信仰ではないのかもしれません.自分自身で悟り,心に修めていくのであれば,それは有意味なものであり,楽しく生きることにつながっていくものだと思います.人から言われてしぶしぶやっているうちは,不自由に思ったり,不満を感じたりすることもあるでしょう.しかし,自分で悟り決めた道であれば,それは自分の意志で選択しているのですから不自由ではありませんし,たとえ不満を感じることはあったとしてもある部分では納得もできるでしょう.

そもそも,お道の説く生き方に戒律というほどの厳しい教えはないと私は思っています.人が陽気に仲良くたすけあっていくためのごく当たり前な姿を親神様がおやさまのお口を通してわかりやすく説かれているだけであります.しかし,人間誰しも間違いはあるもので,その姿を実践できないこともしばしばです.いや,些細なことを含めれば日常的にあると言っても過言ではありません.それは心のほこりとして私たちの心の隅にたまっていきます.

そのようなときには,親神様は神をほうきとしてその心のほこりを「そうじ」するように教えてくださっています.わが身勝手な行いや心遣いはしないにこしたことはないのですが,知らず知らずのうちにしてしまいほこりを積んでしまうのが人間です.しかし,神様は身上や事情を通し親切に私たちにお手紙をくださり,神様ですが,親でもあるので,子どもかわいい親心から私たちの心の成人のための道をきちんと用意してくださっています.その道をあくまでも自分で意思決定した上で歩んでいけばよいのですから,窮屈ということはないでしょう.おまけに,その道を歩むことで暗くなるどころか周囲をも陽気にさせる心を培っていくことができるのですから,まさに楽しく生きることができると思います.

さて,自分だけでなく皆が楽しく陽気に生きるための心得として,八つのほこりを次回から説明していきたいと思います.


※「お道の説く生き方に戒律というほどの厳しい教えはない」と記述しましたが,そのことについて補足を.

教会によっては組織上の厳しさを感じている方もあるかもしれませんが,それは人の「生き方」の教えではなく,組織の「在り方」の問題かと私は思います.ですから,そこは自分の「生き方」の指針になる信仰心にしたがえばいいと私は思います(簡単にはできないことでしょうが).あくまでも真の理の親は「親神様」であると私は思っています.親神様がおやさまのお口を通して私たちに伝えたかった姿の実践を心がけるべきだろうと思います.誤った姿が存在するのであれば,各々の信仰心と良心の上から「そうじ」していく必要があると私は思います.

月次祭 

071017.jpg10月の月次祭,滞りなくつとめさせていただきました.参拝者は11人でした(うち家族4人).

先月末で修養科を終えられた方が今日は参拝くださいまして,十二下りてをどりをしていただきました.「一応習ったけど帰ってきてからやってないし,やっぱりすぐに手が出ない」と言っていました.それでも,修養科前は拝殿でお参りするだけだったので素晴らしいです.

今日は講話の方がいませんでしたので,珍しく会長が話をしました.10分くらいで終わったので,その分直会も早く,夕食というよりはおやつといった感じでした.(しかし,夕食がないことは分かっていたのできちんと食べました)

来月は大祭です.より多くの方が参拝してくださるとありがたく思います.

講義(2) 

今日は2度目の講義がありました.
前回の続きとカウンセリングについてです.

やはり例にアムロやシャアを何回か用いて説明をしました.最初はそれなりに反響があったのですが,だんだん反応が薄くなってきて,しまいにはウザくなってきたという声もあがっていたようです.

最近の大学生はなかなか話題に乗ってくれないのですね.看護学校の学生の方が反応いいですよ.やはりコミュニティの規模の問題でしょうか・・・.

自分なりに理解してもらおうと思ってやっているのに,ウザいはないだろうと思ったりもしましたが,自分が大学生の頃を思い起こしてみると,自分にとってさほど重要でない授業の先生の話は,ウザがって早く終わらないかなぁと思っていた気がします.ろくに聞いていませんでした.

今日の出来事から1つの詩が浮かびました.

かつて種をまいた.今その種の実りを手にした.実りは苦かった.
私はかつてまいた種の意味を知った.

なんか哲学者っぽいですね.

残業 

今日は9時まで残業しました.明日の講義の資料で補足したいところがあったので,面接記録終了後,それをやってたら9時になりました.10時前に夕食をとり,入浴して,ようやくPCです.

講義の資料を作ると,自分自身の再学習になるので,嫌いではありません.講師を引き受けてからたくさん知識や理解は向上した気がします.相変わらずうまく話せている自信はありませんが,これがけっこう勉強になっているのです.というわけで,明日も頑張ってきます.

県士会研修 

今日は県の研修会がありました.
片道車で約2時間・・・遠かったですが,非常に勉強になりました.こんなに実りのある研修は久しぶりです.

内容は3部構成でして,第1部では一般企業人の本音を聞けました.
第2部ではグループワークを通して自然体でいることの難しさを体験することができました.
第3部ではカウンセリングや箱庭療法において表現することの意味をとてもわかりやすく理解することができました.

ついさっき帰ってきたばかりなのですが,くたくたですのでお風呂に入って寝ます.また,記事にしたいと思います.(思うだけで時間がなく,なかなか実行できていませんが・・・)

中井久夫先生の講演 

今日は仕事を早く切り上げ,中井久夫先生の講演を聞きにいってきました.中井久夫と言えば精神医学では統合失調症の治療,臨床心理学では風景構成法の創案者で有名です.また,Wikipediaによると奈良県天理市生まれのようです.

さて,このように有名な人なのですが,私は今まで先生の講演を聴いたことがなかったので,いい機会と思い行ってきました.そして,先ほど帰ってきたところです.

中井先生の話を聞いてきたというだけで十分な気がしています.もう寝ます.

日本の精神性と宗教 

今年の心理臨床学会で買ってきた本です.2005年に天理大学で行われた公開シンポジウムを記録したものです.今年出直された河合隼雄先生のお話もあります.

まだ読みかけなのですが,タイトル通り,日本人独特の宗教性を帯びた伝統的な精神性について書いています.また,お道についても触れているようです.今の時代―とりわけ若者には欠けつつある精神かもしれませんが,それがいかに大切かを教えてくれそうなそんな本です.

日本の精神性と宗教 日本の精神性と宗教
河合 隼雄、橋本 武人 他 (2006/04/14)
創元社

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末弟,別席者を連れていく 

先週末の連休のことですが,末弟が彼女を初めておぢば帰りに連れていきました.

彼女は教会にもちょくちょく遊びにきますし(末弟とセットですが),最近ではちゃんぽんや太鼓をおつとめのときにつとめてくれることもあります.先月は教会の月次祭にも参拝してくれて鳴り物をつとめてくれました.末弟の仕事がなかなか連休がとれずにずっとおぢばには行けなかったのですが,今回ようやく都合がつき行ってきました.

あまり様子を聞いていないので詳しくはわからないのですが,夜行バスで行って,午前中に基礎講座を受けて,午後から別席の初席を運ばせていただいたということです.そして,夕方に私の友人宅にお邪魔し,晩御飯をごちそうになったとのことです.彼は夏の異動で東京から奈良に帰ってしまったので,今は天理に住んでいるのですが,うちの教会に何十回と足を運んでいるので,末弟とも仲がいいんです.私は8月に行ったきりですかね.12月には彼の結婚式に呼ばれているので,またおぢば帰りします.余興を頼まれているのですが何をどうしましょうかな.

さて,帰ってきた彼女の感想としては基礎講座はわかりやすかったけど,別席は難しくてよくわからなかったということと,機会があればまた行きたいということで楽しかったようです.初めておぢばに帰らせていただき,また行きたいと思える経験をさせていただいて本当にありがたかったです.

講義(1) 

今日は夕方から某大学にて臨床心理の講義がありました.大学デビューというやつです.私が天理大学に在学中は5限目なんてなかったと思うのですが,5限目があり,4時半~6時まででした.

さて,今回の講義はわずか3回なので,科目責任者ではありません.担当の先生より紹介を受けて講義に入りました.看護学校で慣れていたつもりですが,やはり最初は緊張しました.一応80~90人が履修している講義なので看護学校の倍です.ただ緊張の原因は人数の問題ではなく担当の先生(私の勤務先の非常勤医師です)が最前列に座って聞いていたことだと思うのですが・・・.

内容は心理アセスメントについてです.シャアにも1回だけ登場してもらいました.反応はさすが大学生だけあってイマイチだった気がします.私が大学生の頃を考えても,広い教室での講義に真剣に耳を傾けていた記憶がありませんので,たとえ学生らが真面目に聞いていなかったにせよ,自分のまいた種がかえってきているだけです.もし,真剣に聞いてくれているのであれば,本当にありがたいですね.

残り2回ですが,自分の出来る限りの力でつとめさせていただこうと思います.

心に栄養を 

以前に「種はどこにある?」という話をしましたが,今回は視点を変えて考えてみましょう.

種から命が生まれ,その種は日月をかけて成長し,やがて花を咲かせ,実を結びます.種から生まれた命が成長していくには何が必要かといいますと,言わずと知れた「栄養」が必要です.水と太陽の光,養分とこれらを吸収して,成長していきます.きれいな花を咲かせる,あるいはおいしい果実を実らせるには,やはり良質の栄養が必要になります.

人間も同様です.生まれたときには自分では何もできない存在ですが,日月をかけて成長していき,やがて自分自身の考えで行動するようになり,人生を歩んでいきます.この命が成長して心の成人をしていくためには何が必要かといいますと,やはり栄養が必要だと思うのです.生物学的に必要とされる栄養という意味ではなく,心の成人をしていくための栄養です.よい生き方―人からなるほどと思われるような人生を送るためには,あるいは同様の子孫を残していくためには,やはり良質の心の栄養が必要なのだと思います.

それは徳であり,心が豊かに育つためには不可欠なものと思います.明るく陽気に生きる,他者を喜ばす行為を心がける,他者のたすけになる,こうした行動の積み重ねが徳となり,心の栄養として,その人の成人を促すのだと私は思います.また,よい栄養分を吸収して全体にしみこませていくには,それに見合った器や経路も必要になってきます.それらも急に大きく広げられるものではなく,やはり日々の徳の積み重ねていくことによりだんだん慣れていき広がっていくものと思います.胃をイメージするとわかりやすいかもしれません.

人生に,あるいは後の代によき花を咲かせるために,日ごろから心によい栄養を与えていきたいですね.

昔のレポート「父性の喪失」 

3回生のときの家族心理臨床学のレポートのようです.ろくに授業を聞いていなかった大学生活を思い出します.拙文ですがせっかく出てきたのでアップ.

「父性の喪失」

現代社会における父性の喪失は日本の経済が戦後急速に発展してきたことと深く関係がある.
家族とは様々な人間関係が存在する中で唯一血のつながりがある関係である.そこには厳しさもあるが,根底にはかけがえのない愛情がある.家族とのコミュニケーションは不可欠なものであるがそれが失われつつある.
日本の経済は発展したが,その背景には資本家や労働者の血のにじむような努力があった.そしてその当事者となるのは大抵男性である.女性は結婚を機に辞めたり,出産のための育児休暇などもあり,家庭との関わりは多い.しかし,男性は経済上の要請から企業戦士となり,連日遅くまで残業して,帰宅すれば疲労で寝るだけ.たまに早く終われば付き合い酒と家族との接点がなくなっている.休日は接待ゴルフに連行され,父親の不在の時間があまりにも多すぎる.挙句の果てには単身赴任の始末である.
父親は子どもに時間をかけて厳しさの中にある愛情を伝え,自主性や秩序など社会に出て一人でやっていくための術を教える存在であるのに,現代の資本主義形態は仕事至上主義といった感じで家庭を顧みることを許さない.そして,そのような父親のもとで育った子どももまた社会に出て,自分の親がしていたことを繰り返す.
父性の喪失は現代の経済状況が変わらない限り,起こり続けるであろう.父親は家庭での自分の存在と役割の大きさを再認識する必要がある.


うーん,かなり偏見が見られるレポートですね.レポートはいくつか出てきたのですが,最近「父性」という言葉を記事で用いていた故から記事として引っ張ってみました.今書けばまた違った論旨を展開できるのかもしれませんが,大変なので特に今日は書きません.またいつか機会があったら触れたいと思います.

部屋の掃除 

久しぶりに部屋の掃除をしました.本棚が特に散らかって本が外に溢れていたので,本棚を中心にやりました.

私の本棚にはクリアファイルが大量にあるのですが,それを思い切って整理することにしました.学部や院のときのノートや資料など4~8年も前のものがまだ本棚に入れっぱなしでしたので,捨ててもいいものととっておくものとに分けました.2時間以上かかりましたがかなりきれいになりました.ごみ(紙類)は市指定のごみ袋2つ分くらい出たので,相当いらないものがたくさん何年も置きっぱなしになっていたことになります.

昔書いたレポートとかも出てきて,懐かしかったです.後で晒してみます.記事になりそうなのもあるかもしれませんし.

フラガール 

地上波でフラガール(邦画)みました.邦画はめったに観ませんがなかなか面白かったです.60年代ですかね?時代背景は.伝統やこれまでの生活文化を守っていく世代と新しい文化を開拓していく世代の想いの違いといいますか,どちらも自分たちの,あるいは地域の生活を考えてのやり方なのですが,すれ違いがあるものですね.今の時代にも言えるテーマだと思います.

あと,親と子というのは,その想いの違いからすれ違うことがあっても,親は子どもが一生懸命に自分の道を進んでいるのをみることは何より嬉しいのだろうなぁと,子どもも自分のやり方で親に認めてほしかったり,そのやり方で親に恩返しをしたいと思っていたりという姿があって,結局お互いは切っても切れない「親子の縁」があるのだなぁと思いました.(残念ながらすべてに親子に言えるわけではありませんが)
フラガールスタンダード・エディション フラガールスタンダード・エディション
松雪泰子、豊川悦司 他 (2007/03/16)
ハピネット・ピクチャーズ

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そうそう,追記になりますが,もう1つ思ったことがありました.女性って化粧でホント別人のようになるのですね.びっくりしました.ある意味このインパクトが一番強く,非常に参考になりました.

ホッチキスで爪が切れるか?(2) 

今朝,爪を切ろうと机の引き出しを開けて,ホッチキスを手に取りました.

あっ!またやってしまった!ととっさに思いました.爪を切るときに使うのは爪きりのはずなのに,私が手にとったのはホッチキスだったのです.これは記事にするしかないと思い,こうしてキーボードを叩いています.

思えば2006年7月10日に私は同様のことをやっております.旧ブログ記事を書いているのですが,せっかくなので引用し,ここに転載します.

夕方4時半過ぎでしょうか.
患者さんとの話も終わり,喉がかわいたので珍しく廊下の自販でジュースを買い,医局で飲んでいました.エネルゲンです.商品名からすると元気が出そうですが無論名前負けの品です.

ふと,爪が伸びていることに気付き,「爪でも切るか」と一念発起して机の引き出しを開けて用具を手に取り,ゴミ箱を抱えてソファーに座りました.切ろうと思って指に近づけると,なんと左手に持っていたのは爪切りではなく,ホッチキスでした.危うく爪に穴を開けるところでした.医局にドクターが2人ほどいたので「爪切ろうと思ったら手に持ってたのホッチキスでしたよ」と言うと笑いが起こりました.すると「俺なんて昨日耳かきと間違って長スプーン持ってたよ」,「いや先生,僕なんて先週ステーキ切るのにメス使いましたよ」と.まだ週のはじめなのに,こんな調子では今週は先が思いやられますね.

そういえば私も歯磨き粉と間違って洗顔フォームをつけたこともあります.出先で電話をかけようとポケットの携帯を取り出したらTVのリモコンだったという友人もいました.大爆笑です.もっとビックリしたのは数年前,駅の自動改札機に一生懸命硬貨を入れて詰まらせていたおばちゃんでした.バスと間違えたのでしょうか.何かしら似ているものは間違えることはありますよね.

しかし,間違えたことに気付いた瞬間,今日のブログに書こうと思ったので,私もなかなかどうして一人前のブロガーになってきましたかな.


さて,こんなことがあったわけですが,実に1年2ヶ月ぶりに私は同じ失敗をしたことになります.これを同じ失敗をして学習力がないと捉えるか,構造の似たものを1年2ヶ月もよく間違わないで使いこなしてきたと捉えるか,私はこの件に関しては後者の考えを推進したいと思います.

しかし,間違えたことに気付いた瞬間,過去の記事を思い出し,今日のブログに書こうと思ったので,私もなかなかどうして超一人前のブロガーになってきましたかな.

治療の枠組みにおける父性と母性 

以前も書いたかもしれませんが,カウンセリングでは通常の人間関係ではありえない約束事が治療構造として存在します.通常の人間関係ではなく,職業的役割関係なのですから,当然なんですけどね.

たいていは45分とか50分とか60分とか面接の時間が決まっていて,同じ曜日の同じ時間に毎回同じ部屋で開始され,たとえ遅れて来ようとも同じ時間に終わって,帰ってもらるというのがスタンダードです.原則として面接時間以外では会うことはありませんし,電話での相談に頻回に応じることもありません.この外枠は厳しく,この治療構造の外枠を作ることはカウンセリングにおける父性的行為と言えると思います.

思い通りに動かせず,融通が利かなく,頑固で壊れにくいものですが,この外枠の治療構造―つまり父性的秩序がきちんと機能することによって安定した要素が作られて,たとえ間隔が開こうとも,いつも同じ時間に同じ場所に行けばそこにいつもと変わらぬカウンセラーがいて,話に耳を傾けてくれ,クライエントは受容されるという母性的側面が得られるのです.

ですから,母性的行為を最大限有効に生かすためにも,父性的側面である治療構造はどっしりと安定して在るべきなのですが,私は先日,この治療構造を甘く見ていて失敗しました.家庭において父性的役割に担う父親が重要なように,カウンセリングにおいても父性的役割を担う治療構造は安定の上には重要なのだと認識しました.

次回は,お道における父性と母性について書いてみます.(書ければ)
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