祖父をおぢばに連れていくことになり,私と長弟で運転していくことになりました.一方,祖母を親戚の家に連れていかなければならないという用もあり,そちらは父が行くことになりました.
父がかつて出直していたことがあることを知っていた私は,母に「いてくれるだけでいいよね」と言いました.母も「いてくれるだけでありがたいね」と言いました.
その後,目が覚めました.(出直したと知っていながら父が存在しているという矛盾は夢でこそ容認される世界です)
この一見短いストーリーの中に実はとても大切なテーマが内包されています.それは,実際その対象を喪失した体験をしているから感じられるということもあるとは思いますが,私たち親子はただ父がそこにいるだけでどれほど喜び,ただそこにいることをどれほど感謝したでしょうか.4年前と少しも老いぬ父の顔を見,会話したというだけで,私にはとてもことばでは表せないほどの喜びでした.
そして,その後,気がついたことがありました.朝づとめで,ことばでこそ「今朝もみな元気に目が覚めましてありがとうございます」と神様にご挨拶していますが,それをどの程度心の奥から感じていたでしょうか.正直恥ずかしながら,そのことばの真意を失いかねないほどにしか感謝していなかったかもしれません.今朝の夢で「いてくれるだけでいいよね」と言った私のことばには心からの感謝があったと思います.ただ存在に対して感謝し,何も求めない・・・.
このことから,私たちは日常当たり前と思って気にも留めていないかもしれない事実に気がつくことができるかと思います.今日,あなたの目の前に,あるいは明日あなたの目の前に,両親や祖父母,あるいは配偶者,子ども,孫,友人・・・と現われることすべてがその人が生きていなければかなわぬこと,親神様によって生かされていなければかなわぬことなのです.その人が変わらず,あるいは変わりつつも生ある姿を見せてくれていることには,かけがえのない喜びがあるのです.
私たち人間は飽くなき欲求がありますから,そこに確かに存在することがわかれば,今度はあれをしてほしい,あるいはこうなってくれたらいいなと自分にとっての理想の姿を描き,それと現実の姿とのズレに不足しがちですが,何かを求める前に,すでに奇跡としてそこに今生かされて在る彼,彼女の存在に感謝することを忘れてはいけないなぁと思いました.
「いてくれるだけでいいよね」ということば,私たち家族の傍らにいつもいてくれて(見守ってくれて)いる父の御霊に捧げたいと思います.
また明日も「いてくれるだけでいいよ」.
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