お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

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屋根塗装 

before今日は休みだったので屋根の塗装をしました.次弟はあいにく夜勤でして,日中は睡眠ですので私一人でした.晴天のご守護をいただきましてありがたかったです.

先日磨いたのですが,あの日夕立で雨が降ったので,錆落としをしたところを点検すると,少々錆びていました.予想通りですが.錆びたまま塗るのはよくないので,再び磨きました.錆を落とした後,掃いてゴミをとり,いよいよ錆止め塗装です.ところが錆止め液の蓋が開きません.手でやっても開かないのでマイナスドライバーを使いましたが,それでも開かないので,ラジオペンチを使ってようやく開けました.液をバケツに入れてペイントうすめ液を少しずつ加えながら,まず錆びているところだけを塗っていきました.塗り終わったところで別の屋根の錆落としをして乾くのを待ち,その後屋根全体に錆止め塗装をしました.after

1缶目が空になったところで昼休みをとって,午後からまた塗りました.途中でペイントうすめ液がなくなったので,近くのホームセンターに買いにいき,帰宅後また塗りました.錆止め液が足りなくなるかと思いましたが,ギリギリ足りまして,下地塗装は一応終わりました.素人なのでうまくできたとは言いがたいですが,屋根は誰も見ませんのでまぁいいかなと・・・.

その後,ベランダの錆落としに取り掛かりましたが,落とした錆が塗ったばかりの屋根に飛んでいくので中止にしました.次の機会には,ペンキを塗ります.予定では次弟が3日に塗ってくれることになっています.私はちょうどおぢば帰り中でして教会にいません.なんとか8月中に屋根とベランダと階段の塗装をやりたいと思います.


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まおのバイト歴(4) 

未読の方はまず以下を閲覧ください.
まおのバイト歴(1)魚市場
まおのバイト歴(2)天下一品
まおのバイト歴(3)警備

久々アルバイト経験のお話です.

大学の頃は雅楽のバイトもしていました.リーガロイヤルホテルや平安閣などの結婚式場での神前式の演奏です.堺やミナミの方まで行っていたので往復の時間や交通費もかなりかかりました.バブルの頃と違って,式の件数も減少していたようで5件あると大喜び,たいていは3件くらい,1~2件の頃は嫌々ながらも行った覚えがあります.1件あたり2000円でかなり安かったです.式と式の間が連続であればいいのですが,下手をすると午前と夕方と離れていることもあり,1日がかりでわずか4000円といったこともありました.しかし,少ない件数を断っていると大口ももらえなくなってしまうと思い,辛抱して行っていた記憶があります.浦安の舞を唄わなくてはならない会場もあり,音痴な私は苦手ながらもこれまた辛抱して唄っていました.

天下一品とのダブルヘッダーもよくありました.昼間に大阪へ行って式場で弁当を食べ,夜に天一でラーメンを食べるといったこともしばしばでした.食費節約にもなりました.天理生活の終焉と共に結婚式のバイトはほとんどなくなりましたね.

続きはまた今度.

人と人の背後に働く力 

かつての指導教官がキリスト教信者でして,その先生が「精神療法の背後には人智を超えた神の力が働いている」と言っていたことがありました.

それを聞いてなるほどと関心したのを覚えています.対象は違えど私も同様のことを感じていたからです.精神療法と言えども,人が為すものなれば,神の働きなしには成しえない.これは私からすればごく自然に理解できることです.キリストでいうところの神とお道でいうところの神は働きが違うと思いますが,神様によって生かされていて口が動いて言葉を発し,耳で相手の言葉を聴き取ることができるからこそ,会話による意志の疎通が可能であり,目をはじめとした他の器官によって雰囲気をつかみ,自分は受容されているという感覚を抱くのだと思います.そしてそこから徐々に変化が起こり治療が進んでいく・・・これは外枠的なもので内で起こっていることにももちろん神様の力は働いていると私は思います.

一般に精神療法はクライエントとセラピストの協同作業であり,共通の治療目標をもってセラピストはクライエントの自己治癒力を妨げないように援助する姿勢が求められると思います.ですから治療の成功はセラピストを活かして自己治癒していったクライエントに功があるのです.もちろんそれを妨げなかったセラピストも重要な働きをしています.

しかし,ここで教官の言葉が真であると考えるのであれば,その協同作業の背後に働く大きな力があるのです.クライエント(被面接者)のためによかれと思って,最大限の関心を払い,労い,共感し,自らの人格を以て相手の人生なり症状や生活の一部がよりよくなるように接していく誠真実の心がセラピストにあるのであれば,そこに神様が働いてくださってクライエントが薄紙を剥ぐようにご守護いただくということは理に適っているかもしれません.神様の話をするわけでもありませんし,おさづけを取り次ぐわけでもありませんが,人に救かってもらいたいという心においてはおそらく親神様の思惑と一致するものでしょう.また,クライエントの方も自分の悩みや問題を解決すべく,自らの性格や行いに関心を払い,改善しようと試みるのですから,よい心遣いに成っていけば,その心通りのご守護も現われ出るのかもしれません.

おたすけをしている方はもちろんだとは思いますが,それ以外の方法―たとえば看護や介護など様々ですが―で人だすけの種をまいておられる方,その道中で当事者や関係者以外の何か大きな力を感じることありませんか?それこそ私が知ってほしいと思う神様の働きです.

「国際ガンダム学会」発足 

「国際ガンダム学会」発足 アニメの中の未来都市を研究(Yahoo!ニュース) 

「機動戦士ガンダム」について学術的に研究する「国際ガンダム学会」が発足することになり、本日7月28日、広島経済同友会などが発表した。8月末に設立シンポジウムを広島市内で開催し、作品に描かれた未来都市の姿を研究する。


ついに来たという感じです.なんだかわくわくすることになってきました.しかも,今日という私の誕生日に発表するなんてなかなか素敵なサプライズです.学会員資格や年会費などどうなっていくかが今後楽しみです.私は今いくつかの学会に入っていますが,内容如何によっては参戦するかもしれませんな.会員証は何のロゴが使われるのかな・・・.

シンポジウムは広島アニメーションビエンナーレ2008の開催期間中に行われるそうで,テーマもすでにあがっています.

テーマ案
* 宇宙世紀の実現性(人口増加による宇宙移民の可能性)
* 地球と宇宙の人類の対立構造(エリート主義に関する歴史学的観点からの考察)
* 宇宙人類(スペースノイド)の社会心理学(ニュータイプの現出)
* 地球愛と故郷愛に関する考察(故郷不在の都市における行動学)
* ジオン革命に関する考察(ファシズムの恒久性について)
* テクノクラート(地球連邦)の政治学
* 戦場における人の意識の革新可能性
* 『ガンダム』の国際的普及動向と経済効果/等


なんだかとても難しそうなテーマですね.アニメからここまで発展するってガンダムはもはや人類の財産ですな.ただ軍事目的でのMSが作られるような世の中にだけはならないでほしいです.ガンダムはやはりアニメの中で楽しめれば十分です.世界が平和であってこそ,ガンダムも存分に楽しめるとうことを皆さんには忘れないでもらいたいです.

まおの誕生日 

今日は私の誕生日です.この歳まで大難を小難,小難を無難にしていただき,無事平穏に過ごさせていただきました.本当にありがたいです.親神様のご守護に感謝です.また,日頃より私を支えてくれているあいこ,会長や兄弟,そしてこれまで私という人間を育ててくれた両親,祖父母に感謝です.

誕生日は自分が生まれたことを祝ってもらう日だと思っている人が多いかもしれませんが,それだけではありません.自分がまたこうして新たに1つ歳を重ねたということは色々な人の支えのおかげでありますし,そもそも生を授かってきたこと自体,親のおかげです.ですから,誕生日という日には祝ってもらうことだけでなく,改めて感謝することも忘れずにしたいものです.

今日の夕日がきれいただったので写真にとってみました.
080728a.jpg

屋根のサビ落とし 

今日は屋根のサビ落としをしました.
教職者の方なのですが,もう何年もペンキを塗り替えていないのではげてボロボロになってきています.数年前より祖父に尻を叩かれていたのですが,磨くまではやったものの結局塗っていなくて,また元の状態に戻っていたのでした.

今年の夏には絶対塗らないとやばいので,とりあえず磨くのだけやりました.それほど日差しは強くなかったのですが,さすが夏,すぐに汗だくです.水分補給も忘れてやったのでかなりへとへとでした.一応お昼過ぎまでかかって終わりました.

午後から雨の予報でしたので塗装はやりませんでしたが,ネットで調べた順序によると,次はサビ予防の下地塗装です.その次にペンキ塗装となります.なんとか8月中にやりたいです.屋根はそこだけでなくもう1箇所ありますし,ベランダと階段もかなりサビていて危ないのでそっちもやらねばなりません.なかなか素人にはハードなメニューではありますが,建物を長持ちさせるためにも時間を作ってやりたいと思います.

親孝行 

統合失調症と親孝行
-Satoruさんのブログ『プシコ・メモメモ』からの引用です.

講演を聞いていたら、東洋英和女学院の教授&横浜クリニック院長の山田先生が、昔にしたアンケートの話が出てきました。
病棟に長期入院している統合失調症の50名に「生きがいは何ですか?」と聞いて、紙に書いてもらったそうです。
すると45人が「親孝行」と書いたとのこと。
統合失調症で入院だけの生活を送ってる人にとって家族、特に親の存在は大きいものなんですね。


精神科病棟に長期入院している患者さんって,病状が悪くて退院できない場合もありますが,いわゆる社会的入院といわれている人たちもいます.病状は安定しているのだけれども,単身で生活するのは難しい,しかしながら家族が受け入れを嫌がったり,あるいは親兄弟が高齢のために面倒を見れずにやむを得ず入院し続けている人たちを指すことが多いです.

家族が受け入れを拒否している場合は別ですが,そうでない場合は家族に悪いイメージを持つこともそうないと思います.統合失調症に限らずですが,長期入院している場合,どうしても社会とのつながりに乏しくなり,かつての友人ともだんだん疎遠になり,孤立感を覚えることも多いと思います.そうなると,家族とのつながりというのがとても重要になりますし,それでもなおつながっていてくれる家族に対して,孝行したいという気持ちが自然と湧いてくるのかもしれません.

人間,豊かな社会資源に囲まれているときは親を口うるさく疎ましくと感じることもしばしばですが,周囲から孤立を感じたとき,それでもなお変わらず親として存在してくれたら,それほど心強いものはないかもしれません.誰しも元々は親の懐に抱かれ,育ってきたのですから,その感覚も当然のものでしょう.できることなら,日ごろからそのありがたみは忘れずに常に感謝して過ごしていきたいものです.

あいこ一家来る 

昨晩はあいこの両親と弟が教会にやってきました.名目は弟と私の誕生日祝いです.弟が22日,私が28日にそれぞれ22歳,29歳の誕生日ですので,そのお祝いと思い,招待したのでした.(といっても,祖父母は来ません.)

3時間ほどいまして色々話をしながら楽しく過ごしました.こうして親戚付き合いが普通にできて本当にありがたいです.今度はまたあいこの実家に行きましょうかね.近いので本当に楽です.


アートセラピー 

先日のアートセラピーの作品です.テーマは「理想のマイルーム」でした.

やはり自分だけの部屋ならではのガンダムテイストを出したいと思いまして,ハロやポスターや布団などガンダムグッズが目白押しです.部屋の右側はすべてガンプラおよびフィギュア置き場になっており,そこにぎっしりとMSたちが並ぶ・・・実現不可能だけどすばらしい!それと,やはり私は畳派なので畳は欠かせません.皆さんの理想のお部屋はどんな感じなんでしょうか?


青年会総会 

昨日は次弟と青年会総会に行ってきました.青年会はほとんど顔を出していないので,あまり仲良しはいません.しかし,今年から従兄が委員長になったので,少し身近に感じられるようにはなりそうです.

祭典での新委員長の挨拶で従兄はとても緊張しているようでした.彼も私と同じく,大のガンダム好きでして,二人揃えばガンダムの名セリフだけで会話が成り立つのではないかと思われるほど普通にセリフが飛び交います.そんな彼は挨拶の際,緊張のために「深呼吸していいですか?」と言って間を取っていましたが,「何というプレッシャーだ!」と声を大にして言ってほしかったです.それは一緒に行った次弟も感じるところです.

直会の乾杯の際も,近くにいた青年会員にあるセリフを耳打ちしてもらったのですが,従兄の口から出た言葉は「乾杯!」でした.そこは「勝利の栄光を君に!」と言ってほしかったです.

直会が終わったら帰ろうと思ったのですが,2次会に誘われまして,次弟もなかなかないから行って来いよというので,早めに帰るつもりで参加しました.しかし,結局9時過ぎに終了するまでいてしまいました.色々な人と話せたのでよかったと思います.飲むときはなるべく食べないように気をつけているので,かなりのお酒を飲んだっぽく,帰ったら気持ち悪くなって吐きました.もう昔のように強くないんだなと飲むたびに感じます.こういうお酒の飲み方はいけません.家に帰ると安心感か一気にアルコールがまわるんですよね.ってことは,帰宅したときの酔い加減をイメージしながら飲まないといけないですね.

また,私か次弟かがビンゴで映画のペアチケットを当てたのですが,末弟にあげてしまいました.ポニョでも見に行くんでしょうかね.

引越し手伝い 

日曜日は兄の引越しの手伝いをしました.今まで社宅に住んでいたのですが,ついにマイホームが完成したので,7/20に明け渡しとなったのでした.やはりローンは35年だそうです.大変ですが,結婚してマイホームを持つまでのご守護をいただけているのですから本当にありがたいです.DCF_0092.jpg


朝7時前には家を出て,現地へ向かいました.日曜だからすいていましたが,2時間半ほどかかりました.近くのコンビニで落ち合い,その後新居へ行きました.めっちゃきれいな家でした(新居だから当たり前).

一通り見た後,荷物を運びました.奥さんの両親も手伝いにきていたので労働力は5人です.男3人が運び屋で女2人は片付け屋でした.社宅と新居とは3往復くらいしましたし,社宅は4階なのでトラックに荷物を積むのに4階までの階段を何十往復としました.万歩計は軽く1万歩を超え,帰る頃には1万5000歩くらいいきました.かなりいい運動となりました.

夜は焼肉をごちそうしてくれまして,栄養補給もばっちりです.
とりあえず運んだだけですので,整理にはひと月くらいかかるでしょう.落ち着いたら,皆で遊びに行きたいと思います.

灯油を運んでいたら・・・ 

今日も,まおさんはお出かけです.青年会に参加するためです.
2日に渡って大変ですね!ご苦労様です.
ということで,今日もあいこが書きたいと思います.

今日は,一人で灯油を買いに行きました.(お風呂を沸かすのに使います)
一人で灯油を運ぶのは大変です.重いのなんのって.
千葉のセルフが安いと聞いて,足を運びました.セルフなので,自分で灯油を入れて,運んで・・・
そうしないといけないかなと思っていました.

暑い中,灯油缶に灯油を入れ,運ぶ・・・3缶・・・よいしょっよいしょっ.重い・・・
すると,灯油を販売している40代くらいの男性が,急いで台車を持ってきて「私が運びますよ!」と快く運んでくれました.しかも,灯油缶のキャップが古く,ビニールをまいて灯油がこぼれないようにしていたところ,その男性スタッフが,「これを使ってください」と,中古のキャップを好意でくれたのです.

たったこれだけ,相手は仕事だから・・・と,片付けてしまえばそれまでですが,私は心が温かくなりました.灯油缶を3缶運ぶことは大変です.それに気がついてくれて,車まで運んでくれたあのスタッフの方には感謝しています.
こうした一見何気ないようなことでも,相手には伝わるのだな・・・と思いました.
私も,何気なくこういうことができる人になりたいなと感じました.


教会の台所整理・掃除 

今日から,あいこは2連休です.
教会のひのきしんをしようと思い立ち,会長さんと2人で,台所の整理と掃除を始めました.
というのも,初代会長さんが,ものを非常に大切にする方で,教会のあちこちに色々なものが
あります.不要なものもたくさんあるのですが,「もったいない」という気持ちでこれまで通って
こられたのでしょう.
その気持ちを大切にしているのですが,とにかく教会には物が多く,掃除が行き届かない所が
たくさんあります.ほっておいても,ほこりが溜まるので,今日掃除と整頓をさせて頂いた訳です.
午前中に終わるかな~と思っていた2人でしたが・・・甘かったです.
1日がかりでした.朝早く,夜まで作業は及びました.

戦力のまおさんは,兄の引越しの手伝いに行っていたので,重いものはたいへんでした.
引越しのことは,まおさんが明日ブログにするそうです.先ほど,帰宅したのですが,疲れ
切っていますので・・・お疲れ様です!

今日はよく動きました.体力の無い,私を鍛える良い機会となりました.
あくびばかりでます.皆さんも,良い連休を♪お仕事の方は,暑いのでお体に気をつけて下さい♪
おやすみなさい.

あいこの母来る 

昨晩はあいこの母が教会にやってきました.出かけ先のお土産を買ってきてくれまして,それを届けてくれたのでした.お参りこそしませんが,こうして家の門を普通にくぐってあがっていただけるだけでありがたいですね.

1時間ちょっと客間で皆で話をしました.お話好きでとめどなく喋っていました.今,家では夫と義父母の4人暮らしなので,たまに娘と話せる機会がとても大事なひとときなのかなと思いました.車でわずか15分なので,お互い簡単に行き来できます.これからもよい関係を維持していけるといいと思います.

月次祭 

今日は暑い中の月次祭でしたが,結構につとめさせていただきました.
参拝は家族を含めて15人でした.叔父(父の弟)夫婦がお墓参りを兼ねて参拝に来てくれたので,いつもより少し多かったのです.私はいつも通りおてふりと地方をさせていただきました.
直会も暑い中でしたが,神殿で皆でおいしくいただきました.

夜,お下がりを持ってあいこ宅に行ったところ,両親はいなくて祖父母だけでした.おばあちゃんにあがっていきなよと言われたので少しお邪魔しまして,色々お話させていただきました.楽しそうにしてくれたのでよかったです.

帰り際に,よくよく考えると私は自分の祖父母(初代会長夫妻)とゆっくり話をしたことはそれほど多くないなぁと思いました.祖母はよく話をしたがっていたのですが,私の方が一緒に住んでいるんだしいつでも話なんて聞けるやと思ってあまり取り合わなかったのを覚えています.ゆっくりあいこの家でおじいちゃん,おばあちゃんと話す自分を見てもっと聞いとくんだったと思いました.

あいこの祖父母にはその分,孝行させていただきたいと思います.

旧blogアップ 

旧blog,「お道と臨床と~心づくりの処方箋~」から,当blogに移転して早1年半,せっかく書いた記事が2つのサイトに分かれているのはずっと不本意に感じていたため,当blogの方に統合しました.

基本的に旧blogカテゴリにおさめていますが,他カテゴリに入れたい記事は任意のカテゴリにおさめています.

旧blogを読んでいない方はこの機会にのぞいてみてはいかがでしょうか.
月別アーカイブから閲覧するのであれば2004年12月~2006年10月の記事です.

夕立ち 

今日の夕立はすごかったです.かなり大きな音がなりまして,近くにも落ちたと思います(おそらく).
何十発と稲光と共に雷鳴が響き,あいこが怖がっていました.私たちは夕食をとっていたのですが,あいこは食事どころではありませんでした.

というのも,あいこは高校生の頃に,自分の近くに雷が落ちて,自転車もかばんも放棄して近くの民家に避難したという経験を持つからです.稲光や雷鳴には相当敏感で,今日もかなり怯えていたのでした.

台所にしゃがみ込み,耳を塞いでいましたが,途中で部屋に退避してしまいました.私も後からついて行くと「怖いよ~」と言って泣いています.「大丈夫だよ」と宥めて過ぎ去るのを待ったのでした.そのうちに夕づとめの時間になったのでおつとめをして,その後あいこは夕食をとりました.まだ雷は鳴っていたのですが,今までならごはんはしばらくのどを通らないのに不思議とごはんがのどを通ったようでした.

最近,雷が多く,あいこにはつらい時がもう何度かありそうですが,だんだん克服していけるといいと思います.

祖父の実家へ 

今日は祖父の実家へ結婚のご挨拶とお墓参りに行ってきました.会長とあいこと次弟の4人です.

朝6時50分頃家を出て,9時20分頃,山梨の塩山にある本家に到着しました.祖父の兄が庭に出て待っていてくれました.今年89歳になるとのことでしたが,元気そうでした.昨年夏に,私と長弟と祖父とでお墓参りに行ったことが懐かしく感じられました.あのとき,祖父の兄は祖父に「兄貴より先に逝くんじゃねーぞ」と話していました.傍から見て祖父の方が明らかに弱っている感じでしたが,本当にその通りになってしまいました.できれば,今年も祖父を連れてくることができれば最高でしたね.

お墓参りには,祖父の兄も同行してくれました.地図で場所は調べてきたものの,心許なかったので助かりました.家のそばの寺にある祖父の先祖のお墓へ行った後,隣町の祖母の先祖のお墓にも行きました.祖母の先祖の墓はかなり荒れていて,ほとんど手入れされていないようでした.話によると年に2回ほど祖母の兄の長男がお墓参りに来ているらしいのですが,本当だろうかと疑いたくなるほどでした.

お墓参りが終わった後,早々に帰る予定でいたのですが,お昼を用意してくださるとのことでお言葉に甘えてしばし滞在させていただきました.祖父の話をしたり,50日祭に上映した祖父のスライドショーを見たりしました.

祖父の兄はお道の信仰者ではありませんが,母がよく手紙やパンフレットを送っていてそれに目を通してはいるようです.「まだ生かされてるっちゅーことはまだ何か果たす役割があるんだろうな」と言っていました.会長が「そうですよ」と相槌を打ち,「いるだけで子どもたちが親孝行の種をまくことができるんですから」というようなことを言うと「どうもそうらしいな」と言っていました.教会につながることだけがにをいがけではないと改めて思いました.こちらが種としてまいたものは,いつ何が当事者の心に残るかわかりません.ならば,より多くのきっかけをまいた方がいいなと思いました.

祖父の兄との話では,祖父が兄にだけは頭があがらなかったことや,教会の土地を買うときに「この土地どうだ?」と相談があって兄が見に来たことなど,色々話を聞くことができました.本当,兄を慕っていて,「兄貴にだけは頭が上がらないんだ」と祖父も生前よく言っていました.高齢なので,いつまで寿命をお与えいただけるかわかりませんが,長生きしてほしいと思います.

本家を含めて,祖父の両親やその親々,祖母の両親やその親々があってこそ,私たちもこうして存在し,生かされているわけですから,たとえ先人のことをあまり知らなくとも決してないがしろにすることはできません.いくら感謝しても感謝しきれないものがあると思います.

今の若い世代は家から離れていく人が増えているように思いますが,たとえ離れても親々への感謝と,子どものうち誰かしらが家と親々の思いを継いでいく役割を果たしていくべきと思います.昔は長男であれば当たり前だったが,どうも最近はそうでもないようですし,状況的に誰も継げないということもあるとは思いますが・・・.せめてその思いだけは継承していくべきだと思いました.それが親々への最大の孝行であると思います.

今日は祖父の兄に会えて,喜んでもらえて本当によかったです.

ゲド戦記 

見てないなぁと思いながらも,ずっとレンタルもしていなくて,そろそろ借りて見なきゃなぁと思っていたら,TV放送があったので辛抱した甲斐がありました.

今日はスーパーヴィジョンで先生の指導を受けてきたので帰宅したのがちょうど9時でして,帰るなりTVをつけました.しかし,疲れていたのか途中何度も落ちかけて,若干見ていない箇所があります.ストーリーとしては,なんだか難しく,訴えたいことは言葉を通してしか伝わりにくいなぁという印象を持ちました.子どもには難しいですよね,これは.

ゲド戦記と言えば大学のレポートで「ゲド戦記Ⅰ 影との戦い」について論述した覚えがあります.あのゲドはまだ子どもで自分自身の影と戦っていました.それが映画では大賢人になってて,それに至るまでの経過が気になりました.機会があれば,原作を読んでみたいと思います.

映画では影よりも命を大切にすることや生きることについてのメッセージが主だったのかなと思いますが,以下は影について少し.森羅万象は表裏一体.人間の内面も然り.陽があれば陰もあります.明るい自分を表に出していれば,暗い自分は影として存在しますし,暗く生きていても,明るい自分は影として存在します.影とは表立って生きられなかった自分自身の内面であると思います.それを知り,受け入れていくことは人格の成長につながるのではないかと思います.

また,この影は固体内だけでなく,世代間にも表れてきます.以前,宮崎先生の講話で聞いたことを,過去記事「子は親を写す鏡」より引用します.

以前に,宮崎伸一郎先生(教会長&臨床心理士)の講演の中で,「影」という言葉が出てきてなるほどと思った話がありました.記憶が曖昧なので自分の見解も加えて書きます.

世間的にも評価される両親の下で育ち,それを映したように子どもが育つ中に,一人だけ非行に走るような子どもがいたとしたら,それをどのように説明できるでしょうか.子どもは親を映す鏡であるのなら,そんな子どもに育つのはおかしいと思うでしょう.しかし,そうではなく,その子どもは親の生きられなかった影の側面を生きているわけです.どんなに人間的に素晴らしい人でも,人間である限り悪い心遣いだってします.それを表現する,行動に移すことが悪だと思っているとしたら,その行動は抑えられ,親の人生では生きられずに表だった人生の「影」として潜みます.そして,それは世代を超えて子どもに表れるのかもしれません.

ですから,子どもに問題が生じたときには,それを子どもの人格や養育環境のせいにするのではなく,親はこれまでの人生を顧みる必要があると思います.そして,子どもが自分の生きられなかった影の側面を生きているのだと理解したとき,以前は子どもが思うように育っていかない憤りや煩わしさ,疎ましさを知らず知らずのうちに子どもに向けていたかもしれませんが,子どもへの見方が劇的に変わることと思います.なぜならばその子は親が生きられなかった影の部分を一生懸命生きているのですから.子どもを通して,親はそういう面があったことに気がつき,自分の生き方の質を高めることができるのです.むしろその子に感謝する日さえ来るかもしれません.

どんな子どもでも,子どもは親の生き方を映しています.うちの子が何でこんなふうに・・・と嘆く親御さんがいらっしゃるかもしれませんが,そうではありません.親がやってこなかった,あるいはできなかった影の側面をその子が生きているのです.そのことを理解してあげてください.

子どもは親を映す鏡です.子どもをして自分の生き方を知るでしょう.


自分の影の部分を知ることは気持ちのいいものではありませんが,社会や家庭を通して,人は影の部分に気付かされることがあります.そのときには,目を背けることなく,自身の成長の糧にしたいものです.

ゲド戦記から思ったことを綴ってみました.

カビ退治 

一昨日くらいに,畳のはしが緑色だったことを発見し,よく見ると,
カビでした.さらによく見ると・・・畳じゅうがカビだらけではありませんか!
見つけたときのショックといったらもう・・・

結婚を機に,ずっと使っていた畳をはりかえたので,通気性が良くなり
湿気も吸い取ってしまう為,カビが繁殖しやすい環境になっていたのです.
大慌てで,まおさんと今日はお部屋の掃除をしました.

まず,掃除機で,カビを吸い取り(カビの胞子が舞い散らないように注意!)
その後に,お酢を10分の1程度に薄めた水に,雑巾を浸し,固く絞って
畳を痛まない程度にふきました(目にそって).

何度ふいても,雑巾が緑になります.最近,部屋の掃除を怠っていたため
こんな状況になってしまいました↓
心のほこりに似たものを感じました.毎日,親神様に生かされていることを
喜んで毎日過ごしたいです.今日も,色々学ぶ1日であったことを感謝して
寝ます.おやすみなさい!

ちなみに,部屋は綺麗になりました.9月まで,カビ菌に気をつけねばなりません.
掃除をこまめにやりたいと思います.



「のに」は使わない~ええじゃないか探しのススメ 

これも宮崎先生のお話で印象に残ったので綴ります.やはりもう私まおの言葉でしか綴れません.

先の「プロセスを大事にすること」とも関係してきますが,「のに」という表現は使わないほうがベターです.

のに」をgoo辞書で調べると,接続助詞の意味の1つに「既定の逆接条件を表す。意味内容の対立する二つの事柄を、意外・不服の気持ちをこめてつなぐ。」とあります.つまり,前に出てきた事柄に対して不足の理を生むことになっています.

「勉強したのに,テストができなかった.」
「おさづけを取り次いだのに,一向に快方に向かわない.」
「夕食をせっかく作ったのに,夫は食べて帰ってきた.」
「運動しているのに,全然痩せない.(←私のことです)」


などなど,あげればきりがありませんが,これらはせっかくの行為に対して,それを無に帰すような発言になっています.確かに,結果には反映されなかったかもしれませんが,そのために尽くした理,つまりプロセスは実は無駄にはなっていません.しかし,「のに」という言葉を使ってしまうがために,自分自身で今までの行為を無にしてしまっているのです.

結果とプロセスは別物です.結果も大事かもしれませんが,プロセスも同等かそれ以上に大事です.本来,この2つの事柄は「のに」でつなぐのではなく,切り離して2文で使うべきです.「のに」を使うから無駄に思え,不足の心遣いをしてしまうのです.切り離して使えば,そのプロセスに生きている理は無駄にはなりません.

「勉強した.テストはできなかった.」
ええじゃないか!あなたが勉強したことは次のテストや授業で生きてきます!無駄ではありません.
「おさづけを取り次いだ.一向に快方に向かわない.」
ええじゃないか!あなたが取り次いでいることで命をつないでいただいているのかもしれません!無駄ではありません.
「夕食をせっかく作った.夫は食べて帰ってきた.」
ええじゃないか!あなたが夫のために作った食事は明日の朝食になります!(強引か?)尽くした姿は夫婦円満の種になります.無駄ではありません.
「運動している.全然痩せない.」
ええじゃないか!私が運動したことは,基礎代謝や筋力の向上,コレステロールの低下など次の健康診断で生きてきます!無駄ではありません.


どうです.「のに」を使って無駄にしてしまっていることを,これからは切り離して「ええじゃないか!」をつけて考えてみませんか?宮崎先生の「よかった探し」ではありませんが,無駄を作らないために,先生のお話からヒントを得た「ええじゃないか探し」として皆さん活用してみてはいかがでしょうか(笑)幕末のええじゃないか騒動のように,いっちょ民衆を巻き込みますか.くれぐれも言っておきますが,悪いことを「ええじゃないか」と正当化することとは違いますからね.

※誤解のないよう言っておきますが,宮崎先生は「ええじゃないか」とは言ってません.


未読の方は以下を閲覧ください.
「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる
心は自由
心はパズル
プロセスを大事にする心を

プロセスを大事にする心を  

いまだ宮崎先生の講話ネタは続いております.「プロセスを大事にする心」を持つことが大事というお話がありまして,それも印象に残ったので綴ってみます.

人は大人になるにつれて,過程(プロセス)よりも結果を求めるようになっていきます.決して結果はどうでもいいということではありませんが,結果に至るプロセスもまた大事であり,たいていの人は人生の早期においてはプロセスを大事にする心を持っていたと思われます.

以下は宮崎先生と幼い頃の娘さんとのやりとりです.

娘さんがパズルを一生懸命やっていましたが,どうにもできないところがあり,そこへやってきた先生が手助けをして作ってあげたそうです.完成したパズルを見て娘さんは「ありがとう」と言うやいなや,パズルを床に叩きつけ,バラバラにしたそうです.先生は「何するんや,せっかく作ったのに!」と思ったそうですが,娘さんはまたパズルをやり始めました.


以上のエピソードから分かると思いますが,大人は完成したパズルを自分自身の結果として,糊付して額に入れて壁にかけて眺めることで達成感や喜びを得るかもしれませんが,子どもにとってパズルが完成したという事実はそのときの達成感や喜びにこそなれども,それ以上の意味を持たないのかもしれません.むしろ製作のプロセスの中にこそ喜びがあるのでしょう.だって,完成したパズルはもう楽しめませんからね.娘さんにとってはパズルを完成させて保存するよりも,パズルを作ること字体に喜びがあるのです.

このプロセスを楽しみ,喜ぶ心を忘れると,子どもの頃に比べて人生の楽しみ,喜びは半減してしまうかもしれません.プロセスに大事にする心がいつまでもあれば,喜びの機会はもっと増えます.プロセスを楽しみ,喜びましょう.

ちなみに,私もあまりできていません.私もごくまれにガンダムのプラモデルを作ることがありますが,やはり作る過程よりも完成したモビルスーツの姿と出来具合を楽しみに取り組んでいるところがありますし,ひどいときには作るのは時間がかかって面倒だからと完成されたフィギュアを購入したこともあるので,子どもの心を忘れかけているどころか,すっかり結果人間になっている節があります.初心にかえって,作ること自体を楽しみたいと思います.もっとも,いまだにガンダムを溺愛している時点で子どもの心は十分に持っているという反証もありますが・・・.


未読の方は以下を閲覧ください.
「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる
心は自由
心はパズル

追い上げあいこ 

昨日,リーフレット配りを終えてしばらくして気付いたのですが,なぜか右手人差し指が切れていました.おそらく紙で切ったのだと思うのですが,何だろうと不思議に思いました.確かに右手人差し指はよくパクッと切れるんです.ずっとかまいたちかと思っていたのですが,何だか考えていたら,配る度に切っている気さえしてきました.切った瞬間は気付かなくていつの間にか切れているのに気付き,治ったと思ったらまたいつの間にか切れているという感じです.昨日もそうでした.

それで,「切れる・・・切ること一切・・・何だ?」とつぶやくと,あいこが「たいしょくてんのみこと,切ること一切の守護の理.ふぐだよふぐ!」と言いました.私はすぐに出てこなかったのですが,あいこが瞬時に答えたのです.しかも,雛型となった魚まで!さすがにびっくりしまして,「何!?」と反応すると,勉強していると言います.たまに本を読んでいるのは知っていましたが,まさかそんなに覚えていたとは!!

これはうかうかしていると,あいこに抜かれて,色々あいこに教えてもらうことになりかねませんな.私もお道の勉強を少しずつ生活に取り入れていかないとやばいですね.

リーフレット配り(初手渡し) 

今日は,仕事が休みだったので,まおさんと教会の片付けをしました,
暑く,むしむしした日だったので,汗びっしょり!
でもがんばりました!
布団がたくさんあって,いらないタンスもあったので,まおさんが近くの処理場で捨ててきました.

その後,リーフレット配りをしました.
「月1回はしよう!」と決めているリーフレット配りです.
リーフレット配りをはじめた頃は,私の方がどうどうとポストに投函していたのですが
今は,まおさんも,おどおどせず,「いい種まきになる!」とがんばっています.
これまで,私はおどおどせず,ポストに投函できていたので,余裕で配っていました.
ぽいっ(順調)
ぽいっ’(順調)
「いい種まきだ~♪」
そんな気持ちでした.
そんな中,あるお宅で,ポストに投函しようとした・・・その時!
人影が!!

年配の男性でした.
「何?」と男性.
私は,「あ.近くの天理教の教会の者です.こちらを,是非読んでみてください!!」と
いうことが言えればよかったのかもしれません.(天理教について説明できると,さらにいい)
ですが,私は・・・「はい.よかったらどうぞ.」
これだけしか,言えず,ささっとその場を立ち去ってしまいました.
心の中で,「天理教・・・とか,教会・・・とか口にしていいか・・・」と悩んでいた自分に気がついたのです.ショックでした.恥ずかしいとか,そういうことではなく,「突然,変な人が,よくわからないものを配っていると思われるのでは?」と思ってしまったのです.

おやさまに申し訳ないことをしてしまいました.余裕で配っていた気持ちを,改める良い機会となりました.今後は,胸をはって,天理教のよさをしっかり伝えていけるようになりたいです.

35000GET!! 

たまたまですが,35000HITを自分で踏みました.
おかげさまで,ここまで続けさせていただいております.
今後とも皆さんよろしくお願いします.次は40000HIT目標です.

心はパズル  

「心はパズル」という言葉も印象に残りました.それについて綴りたいと思います.

先の記事で「心は自由」という話をしましたが,自由といっても知らず知らずのうちに心の遣い方は凝り固まっていき,言わば敷き詰められたパズルのようになっていきます.長く生きればそれだけ色々な考え方が身につき,大きなパズルができあがっていきます.

世の中は自分の考えだけで渡れるわけではありませんから,決まった枠がないと空き枠にピースにぴったりはまらないのと同様に,自分の考えの枠にぴったり入らないことが必ず出てきます.

どんなに頭をひねっても,そのピースがどこにも入らない,そんなとき人はどうするでしょうか.
そのピースが不良品だといったメーカーにクレームをつけますか?それともピースを削って強引に押し込みますか?あるいはピースを放り出してやめてしまいますか?これらのやり方をする人は一時はその事態を乗り越えることができるかもしれませんが,度々起こる同様の事態を乗り越えていくことは不可能でしょう.つまり,いつまでたってもパズルは完成しないということです.たいていの人は「今までのパズルにどこか間違いがあったのではないか」と思い,自分がこれまでに作り上げたパズルに疑問を抱き,製作過程を振り返り,場合によってはパズルを崩すという行動に出ると思います.

人間の心も同様と思います.ある事態がどうにも自分のこれまでの考えで心におさまりきらないとき,それは今まで自分が作り上げた心のパズルを崩す必要があります.周囲に文句を言ったり,周囲を強引に変えようとしたり,放り出してやめてしまっては,根本的解決にはなりませんし,心のパズルはいつまでたっても先へ進みません.

今までの自分の考えの枠―心のパズルを崩して振り返り,また新たな考えの枠―心のパズルを組んでいくことで,その事態がぴったりおさまるよう枠作りをしていく必要があります.やがて,今までおさまらなかったものがぴったりと心におさまるときが来るはずです.

どうにも呑み込めない,おさまらない事態に遭遇したとき,それはこれまでの心のパズル―考えの枠をぶっ壊すチャンスです.そこから新たな心の成人が生まれるでしょう.


未読の方は以下を閲覧ください.
「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる
心は自由

心は自由  

宮崎先生のお話の中に「心は自由(じゅうよう)」という話がありました.そのことから考えたことを綴ります.

私たち人間,身体は神様からお借りしていますが,心は自由をお与えいただいております.時として身体は自由がきかずとも心は何時も自由です.どんなことでも自身の受け止め方ひとつで喜びにも悲しみにもいかようにも変わります.

しかし,私たちの心は自由であるといっても,その自由さの中でだいたい決まった考え方,感じ方をしていくもので,知らず知らずのうちにそのパターンが,その人の癖として定着していきます.それは広く見れば性格という言葉に置き換えられるかもしれません.両親から受け継いだ傾向や育った環境,出会った価値観の取り込みにより,それらは形成されていきます.形成された性格の一面に癖もあります.

嫌気がさして癖をとりたいと思っても,これらの癖は一度定式化してしまうと変えていくのには勇気もいりますし,時間も必要ですし,本当に変わっていいのかな?という戸惑いや迷いがあることもしばしばでしょう.それももっともです.その考え方で今までの人生を歩んできたのですから.

しかしながら,その癖は変えないと同じことの繰り返しになることもあります.それもまたもっともなことかもしれません.同じような出来事に対して同じ癖で対処していては同じ結果になることは目に見えています.そんなときは,自分の心を変えていく必要があります.人は環境や他者の中で生きています.環境や他者を変えることができれば,自分の癖が出ることなく生活していくことも可能でしょうが,残念ながら環境や他者を変えることはできません.なぜって,環境や他者がそのようにあるのは,親神様によって私たち個人がその環境や他者をして自分自身を変化させる機会を与えられているからだと思います.

そのことを理解しているかどうかにかかわらず,やはり人は環境や他者を変えることはできないということを経験的に知っているので(あるいは知っていくので),結局は自分自身を変える努力をしなくてはならないということに気がついていきます.他者を変えようと頑張っている人も見かけますが,果たしてうまくいっているでしょうか.表面的にはうまくいっているように見えるかもしれませんが,陰では周囲から不平不満があったり,信頼されていなかったりと内実は円満にはいっていないことが多いのではないでしょうか.ワンマン社長などが典型例です.

一方,周りを変えようとするのではなく,自分自身の心の持ち方を変えると,不思議と環境や他者が変わってくることがあります.これが神様のお働きであり,同時に本人の努力の成果であると思います.ここでいう本人の努力とは,本人が意識しているかどうかにかかわらず,神様の子どもにかける思いに足る本人の心の持ち方や行いを指すでしょうか.

人は,適応のために自由を与えられている心に自らの努力で変化を与えることができるということです.せっかく心の自由を与えていただいているのですから,嫌な癖は取り除き,人を喜ばすことのできる心の遣い方をしたいものですね.


未読の方は以下を閲覧ください.
「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる

「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれる  

「おかげさま」のストーリーから喜びが生まれるということが,宮崎先生のお話で印象に残ったので綴ってみます.

私たちは生活する中で,自分自身を中心にして(自己中ということではありません)人生を体験していると思いますが,自分のストーリーだけではなく,「おかげさま」という言葉をもってストーリーを描くと自然と喜びが生まれるというお話でした.なるほど,確かにそうだと納得しました.

では,ためしに私のある1日を綴ってみましょう.

今朝は6:20に起き,朝食をとり,身支度をして朝づとめに参拝し,7:20に家を出て車で出勤しました.8:30より17:00まで仕事をして,車で家に帰り,夕づとめに参拝して,夕食をとり,食休みをした後,運動をして,入浴を済ませ,ブログを書いて床に就きました.


これが自分のストーリーです.これをおかげさまストーリーで綴るとたとえば以下のように綴れるかもしれません.

今朝は6:20にお蔭様で元気に目覚めさせていただき,朝食もお蔭様でいつもと変わりなく喉を通りましておいしくいただきました.身支度をした後,朝づとめに参拝させていただき,7:20に家を出て車で出勤し,お蔭様で事故に遭うこともなく,無事職場につきました.8:30より17:00までお蔭様で何のトラブルもなく仕事をつとめさせていただき,再びお蔭様で何事もなく家に帰らせていただきました.夕づとめに参拝させていただいた後,お蔭様で夕食をおいしくいただき,食休みをした後,お蔭様で怪我をすることもなくいつもの運動をさせていただき,お蔭様であたたかいお風呂をいただき,お蔭様で書き込みエラーも出ずブログを書かせていただき,床に就かせていただきました.お蔭様で無事平穏な一日でした.ありがとうございました.


分かりやすく1日を綴ったので,後者の文章は少々読みにくくなってしまいましたが,感謝が自然と滲み出ています.要はそのときそのときに自己報告型の体験だけをするのではなく,親神様に報告する形で体験する,言わば「おかげさま」の気持ちを持って過ごすことを心がけると自然とどんなことにも喜びが生まれてくるということです.お道を信仰されている方はすでに習慣になっているかもしれませんが,ともすると当たり前のことと思ってしまい,感謝や喜びを忘れてしまいがちです.毎日,私たちを生かしてくださっている親神様におかげさまのストーリーをお届けできるよう心がけたいものです.

さて,他にもいくつか先生のお話の中で印象に残って是非記事にしようと思った箇所がいくつかありましたが,やはり私の記憶力ではどこまでが先生がお話しされて,どこからが私の理解であり,解釈なのかがもはや区別がつきませんので,以降は先生のお話をヒントとして私が考えたこととして綴りたいと思います.楽しみにされていた方いましたらすいません.
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