今日,1月27日は当教会の初代であります祖父の祥月命日です.祖父の出直しから一年が経ちました.早いとしか言いようがありません.祖父の介護をしていた日がついこの間のことのように思い出せます.会長がおぢばから今日帰ってきたので,夜にあいこと会長と3人でお墓参りに行きました.
今でも時折在りし日のことを思い出しては懐かしい感じになることがあります.畑仕事が好きで元気な頃はよく私たちやチャコを連れて野菜作りをしていたものです.悪戯好きなところは最後まで残っていたので晩年はかわいらしくもありました.家族の中でもふとしたことから祖父の仕種やエピソードが話題になることが多々あり,人の死は哀しいものではありますが,それだけを残していくわけではないということを切に感じます.感謝もその1つです.
私たちは親や祖父母と過ごした時間から多くのことを学び,成長させていただいていると思います.時には叱られつらい思いをしたこともあるでしょうが,それが見えない糧となり今の生活で実を結んでいるのです.
親々は根っこです.見えないけれどもその根っこがしっかり地中に張り巡らされているから,幹はまっすぐに伸び枝葉や実を結んでいくのです.根っこが枯れずに元気でいれば木はいつまでも元気で倒れることはありません.たとえいなくなっても親々を末代まで大切にしていくことが家族という大木を支えていく秘訣のように私には思えます.
お墓参りや慰霊碑,御仏壇で手を合わせる習慣とその行為自体尊いもので,皆さんそれぞれのご家庭で大切にされていることと思います.親あっての私たち,親がいなければ私たちの存在すらありえません.親がこの地に礎を作り育んでくれたからこそ今の自分たちとその生活があると思えば,自ずと感謝の念も湧き上がってくるものです.その習慣にとどまらず,親と過ごした思い出や親の思いや知恵を子どもたちがまた次の世代に伝えていくことも親への恩返しになるでしょうし,親が育ててくれた家族という大木の根っこに十分な養分を与えることにもなるでしょう.
このことは核家族化して個別性が重視される傾向にあり,世代間のつながりが薄くなっていると言われている今の日本には大切なことだと思います.私も時が来たら,しっかりと親の大切さ,根っこの意味を伝えていきたいと思います.