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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

会報配り 

今日は会報第6号を近所に配ってきました.毎度同じコースなので配りそこないはありません.あいこは先月同様自転車,私は徒歩でした.先月の会報がポストに入ったままなのが見える家が何件かあり,最初の1件は入れましたが,よく考えたら「もういらないよ」という暗黙のメッセージかもしれないと思い,入れるのをやめておきました.他の郵便物をとっておきながらわざわざそれだけ置いてあるという意図的行為からそう判断しました.一方では,声をかけてもらったり嬉しいこともありました.続ける意欲が沸いてきます.

午後は会長がおたすけしている方の家にあいこと会長と3人で行かせていただきました.電車で行くと車の倍くらいかかるので車で行ってきたのです.海の近くの家なので,浜で貝をとったりして小旅行みたいな感じでした.おさづけを取り次がせていただき,家の掃除を一緒にやって帰りました.一人暮らしの方なので名残惜しいのかとめどなく話し,後ろ髪ひかれる思いでした.今回で私は2回目でしたのでだいたい道を覚えました.また,時間を作って足を運ばせていただきたいと思います.


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お台場「ガンダム」が完成間近! 

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[ 2009/06/27 23:14 ] ガンダム | トラックバック(-) | コメント(-)

小屋跡地片付け 

今日は次弟と小屋の片づけをしました.すでに解体してありますので,残りの細かなゴミをトラックでゴミ処理場に捨ててこようと思っていたのですが,母の手違いでトラックが借りれなくなり,やむを得ず木を切って通常の燃えるゴミに出すことにしたのでした.朝9時頃から夕方5時くらいまでやりました.ベニアのはがれたのがたくさんありましたが,そのへんは燃えるゴミの袋に入れました.

チェーンソーも使いましたが,経年で腐っているのも多く,手足で細分化できた部分もおおくありました.結局,燃えるゴミ12袋とカット材木の束が数十組できました.明日は燃えるゴミの日ですので,とりあえずその12袋とカット材木10束くらいは出そうと思います.疲れました.

役員 

あいこです.久しぶりにブログを書きます.

今日は,相談員の集まりでした.私は,役員になりまして(事前に依頼されていた),任期は2年.当県で働いている相談員の研修など企画することになり,1年に4~5回集まって,会議をすることになります.

午前中は,その役員の挨拶ということで,会員の皆さんの前で,ご挨拶をしました.
人前で話をすることが久しぶりだったため,緊張してしまい,カタコトになってしまいましたが
なんとかこなしました.(汗だく)

午後は,研修会がありまして,ある病院の院長先生から「相談員に対する期待」というテーマでお話を伺いました.
その中で,「目の前に現れる患者さんのことを皆さんは,ただの患者さんと思って接していますか?実は,縁あって,その患者さんは自分の目の前に現れるのです.いやだなぁ~苦手だなぁと思う患者さんが時々いるかと思います.でもその人は,自分を映し出す「鏡」なんです.その人と接するのが嫌だと思ったら,その人は変えられない.自分の問題を解決するしかないんです」という話がありました.
ちょっとお道のような話ですよね?

一院長先生からこのようなお話が聞けてよかったです.

お弁当 

ある日のお弁当です.

090623a.jpg

蓋を開けると・・・.

090623b.jpg

レトルトカレーが入っています.

090623c.jpg

これを入れ物から出します.おやおや,カレー皿までついてますね.

090623d.jpg

あとはご飯にカレーを空けて,レンジでチンしておいしくいただくだけです.
完成品の写真をとるのを忘れたのが悔やまれます.

普通にレトルトカレーを持っていくだけなら誰でもできると思い,一工夫しました.なかなかお弁当にカレー皿ごと持っていく人はいないでしょう.

友人の生活(布教の家) 

布教の家にいる友人に1日の生活を聞いてみました.

朝5時前に起床、ひのきしん、掃除。

7時あさづとめ、その後軽くひのきしん、朝食。
9時にお願いづとめしてにおいがけに出発。
昼飯抜いて4時30分帰寮。帰寮次第軽くひのきしんしてその後ミーティングか神名流し、路傍講演。

6時夕づとめ。夕食。

その後ミーティングをしてお願いづとめをしたり勉強したりゆっくりしたりで10時消灯。

簡単に言うとこんな感じのようです.私には到底できない生活です.すごいです.
1年後友人に会うのが楽しみです.(会えるかわかりませんが)

闇の子供たち 

フィクションですが,タイで子供たちに対して行われている搾取・・・臓器売買,人身売買,性的虐待などについての映画および書籍です.書籍が後に映画化されたものですが,全国でも数少ない劇場でしか上映されなかったようです.見てていたたまれない気分になりますが,似たようなことはやはりアジアで起こっているのだと思います.その根本的原因は「貧困」です.圧倒的なまでの経済的な貧困は人の心を貧しくするのでしょうか?生活のために子どもを売るということは貧困層の間では実際あるようです.この映画を見ていると,人をこうまで変えてしまう貧困が憎く思えます.そして,搾取されている子供たちは一体何のために生かされているのだろう?という疑問を持たずにはいられません.親神様は世界中は皆わが子と言いますが,何故にこのような境遇を与えるのかがわかりません.子どもはもちろんのこと,このような手段や生き方をせざるを得なかった親や加害者もかわいそうです.

書籍は映画以上に描写が激しいので,まずは映画から見ることをオススメします.

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江口洋介宮崎あおい

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月次祭 

090617.jpg今日は6月の月次祭.
連日の雷雨で(特に夜間)ブログの更新もできませんでしたが,今日は晴天のご守護をいただきました.
13人で祭典をつとめさせていただきました.

講話では所属会長さんよりいい話がありましたが,今は気力がないので後日気が向いたら書きます.

話は変わりますが,先日の子ども行事に参加した子どもの親御さんが隣近所の方に,天理教に入れられるんじゃないか?ということを心配していたというのを聞きました.隣の方は付き合いが長いので,そんなことしないよ!と言ってくれたそうですが,やはりそう思われてしまうのですね・・・.

もちろんそんなことはしませんし,そもそも宗教は天理教にしろ何にしろ入るものではないと私は思っています.それは,過去記事「宗教は入るものではない」をお読みください.子ども行事は子どもたちに喜んでもらいたいから,またそういう姿を親神様が喜んでくださるからやらせていただいているに過ぎません.入れられるということはありませんので,どうぞ気兼ねなくお越しください,とここで言っても意味ないですけどね.そういうことを気にせずによこしてくれる親御さんもいらっしゃいますので,地道に続けていきたいと思います.

材木解体 

今日は次弟と朝9時前から夕方4時半くらいまで,ひたすら先日解体した小屋の材木を40cm程度の大きさにチェーンソーで切りました.このサイズにすれば週3回の燃えるゴミに出すことができます.とりあえず目に見える材木は大方切りました.チェーンソー2台でやると早いです.量が半端でないので,少しずつ燃えるゴミで出していくと1ヶ月以上はかかりそうな感じです.写真撮りたかったのですが,カメラがなくて今日は撮れませんでした.残念.

まだまだ小屋跡に細かい材木の切れ端やゴミなどが散乱しているのでそちらも引き続いて片付けねばなりません.梅雨入りして天気が不安定になってきますので,夏前には片付かないかもしれませんね.今日はわりといい天気だったので本当によかったです.

原爆を許すまじ 

私の幼い頃の子守唄の1つでした.母がなぜこの唄を聞かせたのかよくわかりませんが,戦争は恐ろしいものだということをよほど教えたかったのでしょう.当時は何とも思いませんでしたが,今思うとこの唄で眠ってたってすごいですね.夢にも出てたのかもしれませんよね.他には親神様の唄とかこかん様の唄とか舌切り雀や桃太郎,一寸法師などなど.母が保母さんだったもので色々歌ってくれたようです.

この歌詞にあるように,核は本当に恐ろしいです.絶対に核廃絶の道を世界は歩まねばなりません.

原爆を許すまじ
作詞 中央合唱団
    浅田 石二
作曲 南部文化集団
    木下 航二


  1. ふるさとの街やかれ 身よりの骨うめし焼土に
    今は白い花咲く ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を  われらの街に

  2. ふるさとの海荒れて 黒き雨喜びの日はなく
    今は舟に人もなし ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を  われらの海に

  3. ふるさとの空重く 黒き雲今日も大地おおい
    今は空に陽もささず ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を  われらの空に

  4. はらからのたえまなき 労働にきずきあぐ富と幸
    今はすべてついえ去らん ああ許すまじ原爆を
    三度許すまじ原爆を  世界の上に


うたごえサークル「おけら」さんのサイトに楽譜もありましたのでのぞいてみてください.
また,http://14.studio-web.net/~yamahisa/gen_baku.htmlにはMP3で曲が自動再生されます.ぜひ聞いてみてください.

お蔭様の気持ちを忘れない 

「お蔭様で・・・」という言葉,蔭(陰)に「お」をつけて丁寧に「お蔭」とし,さらにその下に「様」までつけています.【蔭=陰】とは物事の隠れて見えない部分,あるいは光の当たらない部分です.この「お蔭様」という表現から分かるように,人は昔からこの隠れて見えない部分,光の当たらない部分に感謝して生きてきたのだと思います.

蔭があるから陽の光が輝きます.すべてが陽であれば陽は陽の役割を果たせません.陽と蔭は二つ一つです.人生にたとえれば,生きていく中で,しんどいとき,つらいとき―つまり蔭の部分があるから,楽しいとき,うまくいっているときを人は陽と感じ,喜ぶことができるのです.また,そうした陽の当たっているときこそ,その蔭には,力になってくれたり支えてくれたくさんの人や自分自身が辛抱し積み重ねてきた苦労があるのだと私は思わざるを得ません.

ですから,私たちはうまくいっているときこそ,その陽の蔭に隠れている「お蔭様」に感謝しなければならないと思います.この蔭の部分を忘れるということは,陽と蔭は二つで一つなのですから,陽が陽でなくなることになりかねないのではないでしょうか.それは今まで喜べていたことが喜べなくなり,人生自体にうまくいかないと感じるようになり,実際にそうなっていくことをイメージしてもらうといいと思います.蔭の部分を忘れずに感謝できるということはいつまでも陽の光を喜び感謝できることにつながり,幸せな人生を導くと思うのです.

逆に言えば,光るために苦労の道を通ることも大切だと私は思うのです.会長(母)が小さい頃に両親からよく言われていたのは「苦労は先の楽しみ」という言葉だと言います.私もその言葉を小さい頃より母から聞かされて育てられてきましたので,当然のようにそう思います.蔭を知らずして陽の光を十分に喜ぶことはできません.

苦労とは蔭の道,しかし,それは陽の光が光たる輝きを果たすゆえに必要な道だと思います.そして,今結構に通らせていただいていると感じるのであれば,その蔭にある親々の通ってきた道,支えてくれる家族,友人,知人,いつもお守りくださっている親神様に対しての「お蔭様」の気持ちを忘れずに日々を通らせていただくのがいいのだろうと思いました.

このことを忘れずに,陽の当たっているときでも,蔭の部分を忘れずにきちんと感謝のできることがいつまでも陽の道を歩き続けるコツなのかもしれません.

統合失調症の理解にどうぞ 

統合失調症と向き合う

私もまだあまり見ていませんが,こんなサイトができたようです.
精神疾患の知識はおたすけにも役立つことと思います.興味があれば是非読んでみてください.

続・小屋解体 

090607a.jpg今日は晴天のご守護をいただき,長弟と末弟と先日,次弟と行った小屋の解体の続きをやりました.弟たちは日焼けするとかでタンクトップでやってましたが,私は去年日焼けでエライ目に合っているので半袖でやりました.

朝9時頃より開始し,夕方4時半頃までやりました.解体自体は2時間ほどで終わったのですが,その後は材木をチェーンソーで切って紐で縛るという作業を延々としていました.小さく切って縛れば燃えるゴミで出せるのでそうしたわけです.

1枚目の写真はもうかなり解体が進んでいますが,小屋の面影はまだわかると思います.骨組みを見ると分かると思いますが,作り自体はかなり適当です.解体しながらも足場が腐って崩れたり,左右に揺れたりということが度々ありました.ある程度壊したら,紐を柱に結び付けて皆で引っ張って倒しました.

解体後はひたすら材木を切ったわけですが,チェーンソーは釘にはかなり気をつけて使いました.というのは,私が中学生くらいのとき,祖父がチェーンソーで高いところの材木を切っていて釘で刃が跳ね返り,駆動中のチェーンソーが祖父の左肩に食い込んだという事件があったからです.すぐに救急車で病院に運ばれましたが,傷が深いため麻酔を使うことができず,麻酔なしで肩から胸にかけて縫合したのです.麻酔なしの縫合を「痛くなんかない」と言ってのけた祖父に脱帽です.さすがシベリア帰りの男です.抑留生活は伊達じゃありません.その後もまったく懲りずに動けなくなるまでチェーンソーをこよなく好んでいましたので,トラウマも何もあったものでなく,祖父は本当に大正生まれの根性のある強い人でした.さて,私にはもちろんそんな根性がないことは分かりきっているので気をつけてやったわけです.1回首で刃が跳ねましたが基本的に自分の体重をかけてチェーンソーで木を切っているのでそう自分にまで返ってくることはありません.なんとか無事に今日をつとめさせていただきました.090607b.jpg

もう今日はぐったりです.体重も2kg落ちました.(残念ながらすぐ戻ると思いますが・・・.)明日筋肉痛は間違いないと思います.かなり身体がだるいです.今度は木曜日に次弟と休みが一緒なので残りの木を切ろうと思います.全部は無理でしょう.片付いたら,コンクリートを敷いて駐車場と洗濯場にしたいと思っています.どうかまた晴天でありますように.

ハクビシンご対面 

敬語を使う必要なんてまったくないのですが,タイトルとしてしっくりくるのでご対面にしてしまいました.

今日もまたハクビシンが神殿の廊下の天井にやってきました.
昨日のぞき穴からすぐにのぞけるように梯子をセットしておいたので,すぐに梯子をのぼってのぞき穴を懐中電灯で照らすと・・・なんと玄関の天井にハクビシンがいるではありませんか!しかもどこで何を食べているのか丸々と太ったいい体格をしています.にらめっこをしましたが逃げません.次弟も見たいというので交代して次弟もにらめっこしました.その後,逃げていきましたが,どこから入っているのか未だ検討がつきません.

とりあえず何らかの形で嫌悪刺激を与えることを検討したいと思います.行動分析学的には,生体の行動の後に提示される刺激が好ましいものであればその行動の生起頻度は増加し,好ましくないものであればその行動の生起頻度は低下します.つまり,ハクビシンに対してハクビシンが嫌がる刺激を与え続ければ,ハクビシンは来なくなります.しかし,来なくなってももしたまたま来たときに嫌悪刺激の提示がないということが続けばまた少しずつ来るようになるので,理想を言えば来るたびに必ずその刺激に遭遇してしまうというのがベストです.なかなかそういう刺激って難しいですけどね.何かいい考えがあったら教えてください.

小屋解体 

今日は祖父が20年以上前に建てた小屋を次弟と解体しました.

材木を置いたり,かまどでもち米をふかしたり,薪割りをしたりと小さい頃からの思い出は色々ありますが,老朽化が進んでいることと教会の駐車場が不足していることから壊そうということになりました.
数年前より少しずつ片付けては捨てていたので,いよいよ小屋の中身でなく小屋自体に着手することになったわけです.

昼から雨といことでしたので,午前中しかありません.全部は無理ですのでとりあえず屋根のトタンを全部はがすことにしました.釘で打ちつけたトタンをはがすと下に太い材木が横に並べてありましたが,この材木は一切固定してなく本当にただのっているだけでした.祖父がでたらめ・気まぐれ設計なのは十分知っていましたが,まさかここまでとは・・・.材木を下ろして今日の解体ショーは終わりです.

燃えるゴミで出すのに材木を適当なサイズに切ろうとチェーンソーを持ち出しましたが,切れ味が悪くいくつか切ったところでやめてしまいました.そして,予報通り12時半頃から雨となりました.午前中もってよかったです.

日曜日は天気がよければ長弟と末弟と一緒に残りの解体をやる予定です.兄弟が多いと本当に助かります.ありがたい限りです.

SV 

今日は仕事の後,SVに行ってきました.
カウンセリングについて色々と指導していただき,また明日から頑張る気力が沸いてきました.
患者さんの利益ということを常に考えながら面接を進めていきたいと思いました.
明日は仕事は休みです.次弟と教会片付けひのきしんの予定です.

社説より 

6月1日の毎日新聞の社説に「敵基地攻撃論」について書いてありました.
私はこの手の議論が苦手なので,この社説の引用によって主張したいと思います.

一定の条件下であっても,相手国の攻撃前に敵の基地をたたくことは「防衛目的の先制攻撃」である.事実上,専守防衛原則の見直しに他ならない,との指摘がある.専守防衛は,日本が戦前の反省に基づいて平和国家の道を歩むことを対外的に明確にする役割を果たしてきた.(中略)
また,攻撃兵器の保有は,安全保障上の抑止力を高める目的であっても,結果的に相手国が軍備増強で対抗することで軍拡競争を生むという「安全保障のジレンマ」を引き起こす懸念がある.東アジア情勢を不安定化される可能性を否定できない.

と.私のいいたかったのはこういうことです.本当に平和な世界であることを望みます.

心理臨床と信仰~疑問を持つことと信じること 

心理臨床とは他者への臨床心理学的な知識や技術を生かした実践活動であり,信仰とは一個人の特定の宗教観・人生観に基づいた実践活動(精神的・行動的)と言えると思います.前者は疑問を持ち続けること(why do you think so?)が基本的態度としてあり,後者は対象を信じ続けること(I keep on believing)が基本的態度としてあると思われます.

なぜならば,心理臨床の実践は対象者に対する「なぜそう感じるのだろう?なぜそう考えるのだろう?」というWhyの問いを向け続けるところから始まります.(もっともこのWhyは対象者の理解という志向性から発せられていますが.)このWhyなくして心理臨床は成り立たないと思います.心理臨床では対象者に常に最大限の関心が向けられますが,関心を向けるということは相手の考え,感じ方,行動に対して不思議だという疑問を持ち続けることだと思います.あまりに素直に対象者の話や体験を受け入れすぎると,「そうだよね,もっともだよね」で終わってしまい,対象者についてそれ以上知ることはできません.それは対象者の気付きを促す機会の提供にはつながらず,対象者の悩みの解決にはつながっていかない可能性があります.だから,心理臨床では疑問を持ち続けることが求められると私は思います.

一方,信仰とは,信仰対象―仮に親神様としましょう―を信じることに始まり,信じることに終わると言っても過言ではありません.信じることの経過で「なぜ自分にこういう事態を与えられたのか?」「なぜこう教えられたのか?」と親神様の思惑という次元に対してWhyの問いを抱くことはあっても,親神様の教えや言葉自体に疑問は向けられず,それ自体は絶対的真実であります.その事態を説明できる親神様の教えや言葉が見つかったなら,やがてああそうかと信じることにつながっていきます.これが基本であり,そこにあるのは疑問を抱くよりもそれを素直に信じ実践する心であると思います.その真実を親神様は喜んで受け取ってくださり,そして,状況が変わっていきます(ご守護と言ってもいいかもしれません).やがては解決につながっていくこともあるでしょう.

そのように考えると,一個人の信仰の実践と他者への心理臨床の実践とは心構えとして相反する性質をもっているのではないかと思うのです.疑問を持つことと信じること.信じる態度は信仰の上では非常に大切ですが,殊,心理臨床においてはそれよりも疑問を抱く態度が大切で対象者の役に立つのではないかと思うのです.

しかし,別の見方をすれば,信仰においてもただ盲目的に信じるよりは疑問を抱いては教理の研鑽(神意の理解)によってその疑問を解決し,ということを繰り返すことにより,より揺るぎない篤い信仰につながっていくともとれるので,信仰においても疑問を抱くことは大切なこととも思います.また,心理臨床においても疑問を抱いて対象者の話を聞くことによってその疑問を解決し,ということを繰り返すことにより対象者との信頼が確立されていくので,結局のところ,疑問の先に信じることがある,あるいは疑問を向けながらより揺るぎない信仰・信頼が培われていくのであって,両者の態度は相反するものでもないのかもしれません.

ふと信じることと疑問を持つことについて考えさせられる機会があったので,まとまりませんが,雑記的に今の段階で思うことを綴ってみました.正しい答えなんてないんでしょうけどね.
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