9月20日の天理時報(第4148号)に婦人会に関する記事が載っています.
会創立の目的について橋本よ志ゑ氏は明治31年のおさしづに言及し,「互い互い談じ合い,諭し合いをして成人すること」,「義理や体裁にとらわれず互いに寄り集まって,教祖のひながたを研究し,また先輩の足取りを学んで,たすけ一条の道を歩む決意と,たすけ一条の精神を定めること」と話されたとあります.
原典の勉強をあまりしてない私には確実なことは言えませんが,そもそも教会の元ととなった「講」をおやさまがお許しになったのも,おそらくは互いに談じ合い,諭し合って成人していってほしいという思いがあったのではないかと思います.
今の私たちの教会の姿に談じ合いは存在しているでしょうか?互いに疑問を対等に主張できているでしょうか?原典にある親神様の思いに沿うようつとめさせていただくことがお道の信仰と私は思います.同時に神様を祀らせていただている教会も親神様の思いに沿うようにあるべきと思います.個人の信仰を親の思いに沿わせていただくためにも,教会のあり方を親の思いに近づけさせていただくためにも談じ合いは必要でしょう.教会を預かる立場の者は家族やお参りに来てくださる方たちと練り合い,談じ合いをすることがどこまでいっても大事なのだろうと思います.うちの教会も心がけていきたいです.
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