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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

餅作り 

091230a.jpg今日は毎年恒例の餅作りです.

会長とあいこ,末弟と信者さんが1名来て下さいまして一緒にやりました.
9時から蒸かし始めて全部終わったのは12時でした.今回は例年より多く,蒸篭7つ分です.最初の2つは神様にお供えする鏡餅にしました.以降,1つは小さい飾り餅6組,4つは伸餅としました.

午後は末弟と末弟の彼女と一緒に元旦祭のお供え物および食材を買いにいきました.大きなマーケットへ行ったのですがえらく混んでいてびっくりました.普段は空いている駐車場がはじまでいっぱいなのです.店内にも人がたくさんいてレジもすごく混んでいました.

夕づとめ後はあいこの実家へ伸餅を持って行きました.昨年より餅米はあいこのお母さんがお供えしてくださっているので(注:本人はお供えしているつもりはありません),1枚伸餅を届けにあがったのでした.帰りにはポンカンを1箱いただいたので,これも元旦祭のお供えにさせていただく予定です(これも本人はお供えしているつもりはありません).

今日も1日慌ただしく過ぎました.明日は大晦日,1年の締めくくりです.お社のお掃除もあります.最後までしっかりつとめさせていただきます.

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大掃除 

昨日,今日と大掃除です.

昨日は自室の大掃除,今日は神餞場,居間,客間,風呂,台所とあいこ,会長と3人で分担したり一緒にやったりと1日がかりでやりました.風呂は毎年恒例で私が2時間かけてやりました.相当きれいになりました.また,今日は12月号の会報を配りに行ってきました.一人だったのでけっこうかかりました.

明日は餅つきと元旦祭のお供え物および正月の食料の買出し,その他掃除です.27日から休みなのにこの3日間毎日掃除です.1年間お世話になったお礼としてしっかりさせていただきたいと思います.

病院忘年会 

今日は私とあいこの仕事おさめでした.外来は28日までやっているのですが,公休をまだ使い果たしていないため28日を休みにしてしまいましたので明日からめでたく休暇です.

仕事の後は病院主催の忘年会でした.昨年なかった分今年はくじの賞品もたくさんありました.
しかもわがやは夫婦で勤務しているため,当選率は2倍です.目玉賞品は液晶TV,PS3,Wii,ファンヒーター,プリンターなどなど.恒例のTDLペアチケットも10組ありました.残念ながらこれらのどれも当たりませんでした.
私は会長賞として「新巻鮭」が当たりました.この鮭大量にあって帰るときに鮭を抱えている人がけっこういました.ある意味異様な光景です.
賞品は100個以上あったため,何も当たらなかったのは3人だったのですが,なんとその3人にあいこが入っていたのです!
残念!と思いましたが,1つ当たりましたし,その分他の人に賞品が渡ったのですからよしとしましょう.

ちなみに,車のため,お酒は飲めず食べることに専念せざるを得なかったことを記述しておきます.

青年の会合 

昨日は教会に教区青年会員が3人やってきまして,色々お道について語り合いました.

皆お道に対して真剣に通っておられるなぁというのが率直な感想です.1人は市内の教会の長男で11月の総会で少し会話をしたので若干の面識がありました.もう2人は来るまで顔も名前も知らなかったのですが,実は私の勤める病院の市内の教会の教会長さんとその同級生の用木さんでした.不思議とつながりがあるものですね.さらに,ちょうど同時期にプリンタが壊れたと言ってまして,そのプリンタの機種も同じ,次に用意したプリンタも同じという不思議なつながりもありました.

深夜2時近くまで話し込んでいましたが,今朝は朝づとめに参拝し,それぞれ教会の御用があるとのことで帰っていかれました.非常に楽しい時間を過ごさせていただきました.第2回は別の教会でということになりましたので,続いていくといいです.

ちなみに私も午前中は消防団の大掃除がありました.
消防車と詰所の清掃です.水がとても冷たくて大変でした.今日で平成21年の消防団の活動は終わりです.
忘年会はやらないようなので少し残念です.

お道と臨床と(4) 

今夏の道の心理臨床家の集いを迎えるにあたって考えていたお道と心理臨床について,今の自分が考えることを綴ります.だめの教えと対人援助の学問ですから,そもそも異なるのですが,互いに活用できる部分もあると思います.今回は異同について書いてみたいと思います.また,これは今の私自身が考えることで今後いかようにも変わってくるものでもあります.

まず,重なる点を2点先に挙げておきます.1つ目は人の援助に活かせるということ.2つ目は自分が上手く生きるために活かせるものであるということです.しかし,世の中の道理・真理を説いているのがお道の教えであり,一方,心理臨床学は人間の心を研究する一学問でありますが,つきつめればこの世界に見せていただいているものはすべて親神様からのかりものと考えられますので,お道の教えの実践に生かすために親神様のお与えくださったものという点ではそもそも区別されます.

続いて,異なる点を挙げていきますと今思いつく限りは4点ほどあると思います.1つ目は基本的枠組み,2つ目はモデル,3つ目はライフサイクル,4つ目は援助などのあり方です.

お道は全人類の陽気ぐらしによる救済を目的としていて,自分自分が対象ではなく基本はすべての人々であり,すべての人が仲良く陽気にくらすために自分がどうあるかという「全ありての個」という捉え方があります.その一方で,心理臨床の理論は基本的には個についてを扱っていることが多く,個が適応するために全との関係を扱うことはありますが,あくまでも個が充実するための全であり,これが全が充実するための個というお道とベクトルがまったく異なる点ではないかと思います.つまり,お道は皆の陽気ぐらし実現のために個々が存在しているというのが基本的な枠組みであり,心理臨床は個の自己実現のために全との関係をどのように生かしていくかというのが基本的な枠組みであるように思います.

個のあり方についても決定的な違いがあり,お道には陽気ぐらしの雛型としてのおやさま50年の道すがらが示されていて,個が何を目指せばいいのかの道がはっきりと共通のモデルとして示されています.それに対して,心理臨床にはこうした雛型はなく,個が自己実現のために必要に応じてモデルを探していくということがあるように思います.人間の真にあるべき姿,陽気ぐらしを導く心のあり方が雛型がない分,心理臨床は自由度は高いと言えるかもしれませんが,親神様が望まれる生き方にたどり着くのは容易ではありません.

また,お道は天然自然の理の教えであり,出直しの教理をはじめとした,一代に限らない命の連鎖を説いているため,ライフサイクルは一代で完結するわけではありません.個は先祖代々続く命の連鎖,自身の生まれ変わり出変わりの魂の連鎖の中に位置づけられ,人生の何時でも次の人生,次の世代へつないでいくというライフサイクル論から生への強い動機付けを得ることができます.一方,心理臨床一般の理論はこうした概念がなく,ライフサイクルとして1人1人の人生を対象とします.個は必ずしも連鎖の中で存在するわけではありません.この点が異なります.

援助に対しても,お道のおたすけの目指すところは心だすけ(身上・事情だすけも含む),長期的には信仰によって身上・事情の根を切るということが目的としてあるかと思います.当面の問題が解決してもいのちの切り替えのために丹精し,関わり続けることになります.したがって,お道の教理は当事者の人生に大きな影響を及ぼします.一方,心理臨床は目指すところは主訴の解決(適応の改善,症状の緩和・改善など)であり,長期的にはパーソナリティの変容などの課題に取り組むこともありますが,職業的役割関係の中での援助であるため,主訴が解決すれば一般に関係は終わりになります.人生における一時的な関わりとなりますが,やはり大きな影響力を持つとは思います.しかし,当事者の主訴の解決は必ずしも親神様の思いに沿うわけではないという点があります.天の理に明らかに沿っていないと思われてもそれが本人にとっての解決であるならそれでよしとする,ある意味それが職業的役割関係の限界なのかもしれませんが.

もっとたくさんあるのでしょう.ざっと書きましたが,以上がお道と心理臨床の異同について今の私が考えるところです.どちらの経験も未熟ながら最近思うことがあります.それは,心理臨床でも何でも援助によって人の適応や問題は解決したり,上手に生きられたりするようにはなるが,元にあるいんねんの根,身上・事情の根を切ることは天の理に沿ってこの心と身体を使わせていただき,おつとめによる命の切り替えをしていくことによってしかなし得ないのではないかということです.(もっともこれは私が本当に未熟がゆえになしえないのかもしれませんが.)

なぜなら,ここもまた未熟さ全開なのですが,おやさまがおつとめで命の切り替えをしていくということを教えてくださったからです.おふでさきには

このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを(02.009)
とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで(10.020)
このみちがたしかみゑたる事ならば やまいのねゑわきれてしまうで(04.094)
しやんせよやまいとゆうてさらになし 神のみちをせいけんなるぞや(03.138)

など,おつとめややまいについて色々な言及があり,おつとめをしっかりつとめ,親神様の思いに沿ってこの道を通るならば,どんな病でもたすかり,病の根は切れると教えてくださっています.そもそもこの病さえ,親神様が皆が陽気に通るための道を教えてくださっているお手紙なのですから,元の親である親神様の示される通り通らせていただけば根が切れるのも了解できます.親神様は人間が憎くて身上・事情をくださるのではありませんからね.子どもかわいい親心からなんとか互いにたすけ合える心になってほしいと思って道教せしてくださるわけです.そういうわけで,適応をはかるなら心理臨床の援助でも可能ですが,元の根を切るにはお道の信仰とおつとめが大事なのだろうと私は思うのです.


関連記事になります.
お道と臨床と(1)
お道と臨床と(2)
お道と臨床と(3)

月次祭 

今日は12月の月次祭,家族を含めて17人の参拝者がありました.
なんと大祭でないのにおつとめの手がそろいました!
なんともありがたかったです.
講話は所属の教会長さんがわかりやすいお話をしてくださいました.
直会は今年最後ということでおでんでした.
寒かったので皆に温まって帰っていただきました.
今年1年おかげさまで無事にお連れ通りいただきましてよかったです.
年末は教会の大掃除を頑張ります.

月次祭準備 

明日は月次祭.今日は仕事帰りにお供え物を買いに行ってきました.
夜は予定通り,あいこの母が年賀状を取りに来まして無事に渡すことができました.
明日は2009年納めの月次祭,勇んでつとめさせていただこうと思います.

年賀状作成 

プリンターはもうだめっぽかったので,以前友人よりもらったプリンターを出しました.ドライバ等をインストールし,いよいよ年賀状印刷です.明日の晩には母が取りに来ますのでリミットは今晩中.
約50枚ほどあいこの実家の母に頼まれた年賀状を両面作成し,その後,自分のとあいこの,それから教会の年賀状と取り掛かることになります.そんなわけで,ブログは早々と失礼します.

献血(11回目) 

今日は都内に出かける用があったので,久しぶりに献血ルームへ行ってきました.

つい先日,東京赤十字センターから次の献血をすすめる葉書が届いており,それに「一等賞」と書いてあったので,何がもらえるのかと思い,ネットで調べてみると,どうやら一等賞と特等賞しかないらしく,実は最下位なことが発覚したのですが,せっかくだからと思い,葉書を持っていきました.

最寄だった秋葉原で下車し,献血ルームへ.400mlの献血の予定が,次の献血可能日を確認していなくてあと3日足りず,成分献血しかできないと言われました.交渉してみましたが,「規則ですから」と言われ,初めての成分献血.1時間弱かけて血をとられました.赤血球は返してくれるらしく,終了後の血を見ると尿のような黄色い色をしていまして,自分の血ながら驚きました.普段なかなか見れないものを見た感じがして,これはこれでいい経験をした気がしました.

さて,気になる一等賞は・・・乾麺でした.それと成分献血をやったため,レトルトカレーとレトルト中華丼をもらいました.非常食にしたいと思います.

それにしても前回新宿で献血したときもそうでしたが,やはりお菓子やジュースが食べ放題,飲み放題になっていて,漫画も色々置いてあり,なかなか充実した空間になっています.皆さんもどうぞ.

年賀状作成・・・ならず 

あいこの実家に頼まれた年賀状を作ろうとプリンターで印刷をしたら,何故かYellowが印刷されません.何回もヘッドクリーニングしてみましたが,なぜかYellowだけうつりません.インクを変えてみたがダメでした.さらに,クリーニングしてみましたが,やはりダメ・・・.私にはもう分かりません.

そんなわけでプリンターと悪戦苦闘している今宵でした...

親心と子ども心 

増田正義先生の講話で触れられた「親心」についても綴っておきます.これも例によって先生の話をヒントにほとんど私の言葉で書きますので,先生のお話と誤解されぬようお願いします.

私たちは様々なことから喜びを感じるかと思いますが,何に喜びを感じるかでその心も「親心」と「子ども心」に分かれます.端的に言えば,人に何かをしてもらって喜ぶは「子ども心」,人に何かをして喜ぶは「親心」ということになります.

子どもは無邪気です.ほめられて喜び,お菓子をもらって喜び,人に与えてもらうことによって喜びを得ます.これが「子ども心」です.人はやがて大人になっていきますが,人はいくつになってもこの子ども心は失わない方がよいでしょう.この無邪気で素直に与えを喜ぶ心は陽気ぐらしには必要です.してもらったことに喜びを見出すことができるようになることは喜び方の第一歩と思います.これを第一段階とします.成人が進むと,同じ子ども心でも,この世界および自分の人生が自分の力だけで成り立っているのではなく,たくさんの存在に支えられて(たくさんのものを与えられて)今日の自分があるということに気づき,その与えに喜びを感じられるようになるかもしれません.これこそが子ども心の第二段階です.おふでさきに

たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ(3.40)

とありますように,人間の親である親神様に私たちはたくさんの与えをいただいており,それを素直に受け取り感謝していく心になっていくことが大切です.

しかし,受身的に与えを喜ぶだけでは心は子どものままであります.子ども心を忘れてはいけませんが,同時に人は心の成長と共に親神様が私たちが喜ぶ姿を見て楽しまれるように,私たちもおやを見習い,「親心」も身につけていく必要があります.

おさしづに

子が満足して親と言う。どんな事も、成らん処育てるが親の役、親が腹を立てゝはどうもならん。これをよう聞き分けてくれ。(M31.11.13)

とあります.すでに子どもの親になられた方は経験されていることでしょうが,親とは子どもに無償の愛を与え,自分に利益がなくとも子どもが喜ぶ姿を見て喜びを得るものと思われます.子が満足する,喜べるよう,させていただくことが親の役割,そして子が満足し,喜ぶ姿を共に喜べるようになることが「親心」であると思います.広く言えば,相手に尽くすことで自分自身が喜びを得る,それが親心です.これは何も自分の子どもに対してだけではありません.たとえ親にならずとも,人は誰に対してでも親心を使えるのです.言葉かけ,気遣い,贈り物,どんなことでも相手に尽くし,相手が喜ぶ姿を見て自分も嬉しい,楽しいと感じたならばその心は親心と言えるでしょう.

この親心も陽気ぐらしには必要であります.皆がしてもらって喜ぶだけでは,共に喜ぶ世界は実現しません.反対に,親心だけで子ども心がないと,親心でいくらしてもそれを喜んでもらえなければやはり共に喜ぶ世界は実現しません.してもらう側はそれを大いに喜んで,させてもらう側は相手の喜ぶ姿を見て大いに喜ぶ,この2つの条件が満たされることで共に喜ぶ陽気な姿が現れるのではないかと私は思うのです.そして,各人はどちらの役割を担うこともある故から,してもらったときには大いに喜んで,させてもらったときには相手の喜ぶ姿を見て大いに喜ぶ,という両方の心を持てるといいのだろうと思います.

万物は表裏一体,二つ一つが天の理,人の心も然りです.自由を与えられていますが,どちらの心だけでも陽気ぐらしは成り立ちません.「親心」と「子ども心」,双方の心を互いが必要なときに引き出せることが肝要と思います.

会報配り 

遅くなりましたが,昨日11月の会報を配ってきました.
11月は本当にスケジュールがギッシリで配る時間をとれず昨日になってしまいました.
17日の月次祭には次の会報が発行されるので,それより先に配ることができてよかったです.
一人で配ったので,1時間以上かかりました.
毎月地域に配らせてもらっているものをきちんと配ることができてよかったです.

第215回定時集会の記事より思う 

12月6日の天理時報(第4159号)に第215回定時集会の記事があります。
上田表統領の発言が興味をひきました。

「いま一番求められているのは,教勢活性化のために何をすべきか,何ができるのか,その手がかりや"芽"となるものを探っていくことにある」
「現状に目をふさいで通るわけにはいかない。なぜ低迷しているのかというところから考え,なんとか歯止めをかけたい」

おやさまが教えてくださった親神様の教えは真実の教えであることは間違いありません。この人間世界は親神様によって作られており,天然自然の理によって物事がうまく運ぶようになっています。うまくいかないということは,今の天理教という教団の姿が人間思案によって親神様の目―天の定規と照らし合わせてずれているところがあるからに他ならないと思います。これは一信仰者の生き方とは別の問題であるかもしれませんし,それに加担している部分もあるのかもしれません。

この道の原点はおやさまの道すがら,おやさまの教えにあるということを考えれば,信仰者には何が間違っているのかはある程度推測が可能であると思います。(もちそんそこにも人間思案が入る恐れがありますので,慎重な判断が必要ですが。)一介の信仰者にできることは自分自身がおやさまのひながたや教えを胸に抱きつつ日々を過ごしていくことです。信仰者それぞれが教えに沿った生き方を志すことは言うまでもなく大事なことです。しかし,個人の信仰に教団としての組織を変える力は残念ながらありません。なぜ低迷しているのかを真に考えるのであれば,全国各地の信仰者が感じていること,地域や教会,布教所の現状などおやさまの教えを信心している人の生の声を直接聞き入れていくことが必要でしょう。そのような役割を果たす部署などの設立などがまずは求められるのではないかと私は思います。

企業とは違うかもしれませんが,お道を信仰するある社長さんが,経営がトップダウン方式の会社はどこかで行き詰まるがボトムアップ方式の会社は伸びると言っていました。実際に現場で動くのは末端の社員ですから,彼らの意見を取り入れずして真の解決方法は見えないということだと思います。

さらに言うと,そもそも人体の仕組み自体がボトムアップ方式が反映されるようできています。目や耳や皮膚などで見たり,聞いたり,触れたりして知覚された情報は,感覚神経を通ってトップである脳へ伝えられた後,それを脳が整理し,今度は脳から指令が出されて,運動神経を通って手や足など体の必要な部位に伝達されるわけです。末端からのフィードバックなくして人体の円滑な働きはありえません。そして,この仕組みは親神様が作られたものですから,天然自然の理にかなっていることは言うまでもなく,逆に言えば,これが正しく行われずして天の理にかなうわけがないと私は思います。これは,人体というシステムにとどまらずあらゆるシステムに言えることではないかと思います。

おさしづに以下のようにあります。

高い低いの理はあれど,何事するも話し合い、伝え合いが神の望や。十人なら十人,下は下の理がある。上は上の理を一つの心に結んで了う。おら気が合わんという事は言うたらよい。結構と思えば,俺はどうやと言えようまい。あんな事というは見て居られん。見苦しいてならん。綺麗なものなら,いつ\/までも楽しんで居らるやろう。めん\/心得てくれ。もうこれいつも変わらん。(M31.5.9)

他者は神様の郵便配達人 

先日の増田正義先生の講話で印象に残った話を私の中で私の理解として綴っていきます。例によって一度私の中で咀嚼されていますので,先生の話そのままということは困難ですのでそのことを予め述べておきます。

これは「ほっ」にも載っていた話ですが,「他者は郵便配達員」であるという理解の仕方です。

私たちは親神様よりこの身体をお借りし,心の自由を与えられて日々を送っているわけですが,自由が与えられている心ですから,どんなふうに思うも,またどんなふうに考えるもその人の自由です。神様の喜ぶような心の遣い方,つまり皆が明るく喜べるようにこの心を遣わせてもらえればいいですが,実際はそれがままならないこともあります。相手に言われたことによっては腹が立つこともあるわけです。

そんなときには相手のことを郵便屋さんだと思うのです。手紙を配達してくれる郵便屋さんに私たちは手紙を持ってきてくれたことに感謝こそすれども,その手紙の内容がたとえ自分にとって不都合だったり,腹の立つ内容であったとしても,郵便屋さんに怒りを向けることはないと思います。これと同様に,私たちの気に障るようなことを言ってくる人も神様からのお手紙を運んでくれる郵便屋さんだと思えば,郵便屋さんはただ神様からの手紙を配達しにきただけです。一刻は腹を立ててしまうかもしれませんが,後で思い直すことができます。言われたくない人から言われるから余計に腹が立つのでしょうが,あくまでもその人は皆神様からのお手紙を運んでくれる人で,たまたま配達人がその人だったのです。

この話を知っているか知らないかだけでも私は人生の質が変わってくるのではないかと思います。なぜなら,知らずにいてはこの考えに至る可能性は低いからです。知っていればいつそう思えるか分かりません。

増田先生のこのお話はより一般向けの話ですが,私は前にある会長さんから,「相手の肩の上に赤い着物を来たおばあさん(おやさま)が座っていて,相手にそうさせているのだから,心配はいらない。君が心をしっかり定めていれば必ず乗り越えられる」というようなことを言われて,大層心強かったことを覚えています。おやさまが私の成人のためにしてくださっていると思うことで,苦労もありがたく感じます。これが信仰の力かもしれません。

この人生において成ってくることは,皆神様の深い思惑があって起こってくることと聞かせていただいています。そして,喜んで受け取ったならば,それは親神様の喜ばれる天に届く理となるのですから,喜んで受け取りたいものですね。それが,先々の喜びの種になります。

google日本語入力 

すでにネット上で話題になっていますが,昨日リリースされた「google日本語入力」,私も早速インストールしてみました.

サジェストと学習機能に優れていてIMEよりは使い易い感じです.ただ再変換ができず,一度文章を確定してしまうと一度消して打ち直さないといけないというデメリットがありますが,それでもこのサジェスト機能は便利だと思います.ATOKを使ったことがないので,そちらとの比較は私は分かりませんが,フリーソフトであることとまだベータ版であることから今後のアップデートが楽しみです.

ちなみにサジェスト機能はかなりいいです.たとえば以下のように途中まで入力すると候補が出てくるわけです.

あむろ⇒アムロ・レイ
しゃあ⇒シャア・アズナブル
にゅーが⇒νガンダム
まちる⇒マチルダさん
すたーぷ⇒スタープラチナ
くうじょ⇒空条承太郎
ざ・わ⇒ザ・ワールド
きんぐ⇒キング・クリムゾン
ろーどろ⇒ロードローラーだッ
きんに⇒キン肉マン
すてか⇒ステカセキング
はがね⇒鋼の錬金術師
えどわ⇒エドワード・エルリック
ほくとひゃ⇒北斗百裂拳

TABキーで選択すれば最後まで入力しないでいいので楽です.しかも,これをどうやら学習してくれるようなので,次に入力するときには更に短い入力でサジェストが働くわけです.どんどんまお仕様に特化していってもらいたいものです.

祖母の誕生日 

今日は久しぶりの休日でした.

あいにくの雨でしたので,外での作業などはできず,家の整理をしました.まだ夏物の服をしまってなかったので,あいこと衣替えです.かなり整理できました.それから,朝と夕方とお参りに来られた方がいましたので,少しお話しました.まぁだいたいは会長が話し相手です.

夕方からあいこの実家へ行き,あいこの祖母の76歳の誕生日をお祝いしました.あいこの父がいたら久々に乾杯しようかと思っていたのですが,あいにく仕事で遅いとのことでしたので,食事をしてしばらく話をし,お風呂をいただいて帰りました.

何気ない日常でしたが,こういう日が続くことがとてもありがたいです.
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