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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

あいこ入院 

今日はあいこの検診でした.

私も休みをとってあいこを連れていきました.診察には私も同席し先生がエコーをかけるとモニターに赤ちゃんが動いているのが見えました.だいぶ大きくなりました.2週間前は1000g弱だったのですが,今日は1300g弱に成長していました.最初「逆子ちゃんだね~」と言われましてドキッとしましたが,次に「あ,違う違う.ちょっと斜めになってるだけだね」と言われたのでホッとしました.

その後,あいこは奥の部屋で何やら検査があったようで,戻ってから入院を勧められました.かなり赤ちゃんが下の方にいるとは聞いていましたが,成長したせいか,あるいは10日ほど前に風邪を引いて咳き込んでいたせいか,子宮頚管が2週間前の35mmから23mmに縮んでいまして,このままでは早産の危険性があるということでした.あいこは「仕事は休むことにしたんですけど」と言いましたが,先生に「仕事休むとかのレベルじゃないね」と言われました.入院を勧められたので,何より赤ちゃんが無事産まれてくることが大事と思い,そのまま入院となりました.受付で待っていたら,車椅子でスタッフが迎えにきたので,それほどのレベルなのか…とちょっと驚きました.

病室に行くと,すぐにベッドに寝かせられ,張り止めの点滴が始まりました.かなり安静を要する状態のようで,「ベッドの上なら自由に過ごしてよい」そうです.ベッド以外はすぐ近くのトイレのみ移動可で,10mも離れていないナースステーションにさえ行ってはいけないということでした.幸い,携帯電話のメールは病室で使用可能とのことですので,まったく孤独になることは避けられます.一段落して落ち着いたらあいこにおさづけを取り次がせていただき,私はあいこの荷物を取りに一度帰りました.ちょうど同じ病院に術後経過で入院している信者さんがいまして,会長が毎日おさづけに通っていますので,夕方会長と一緒に再び病院へと行き,今度は会長がおさづけを取り次ぎました.

入院期間は未定とのことで,とりあえず数週間,長ければ産後までとのことです.まぁあいこは元気ですし,赤ちゃんも胎内でぽんぽん動いて元気です.共に元気なのですが,ただ子宮頚管が短いために切迫早産の危険がある故からの入院です.入院という事態にあってもなおありがたいことはたくさんあります.子どもが胎内で育つという奇跡に当たり前はありません.今与わっている奇跡に感謝することを夫婦共に忘れないようにしたいです.ちょうど休職になってからの入院となったのもよかったですし,こうして大事に至る前に入院というセーフティネットを得られるのも素晴らしいご守護です.大難小難です.常時点滴で行動も制限されていますが,点滴でお腹の張りはまったくなくなったらしいので,赤ちゃんにとってはとてもいい環境になっています.あいこにとっては副作用の動悸や手の震えが少し辛いようですが...目の前に見せていただくことは皆親神様の子どもかわいい親心からと聞かせていただいてますので,その思いに応えるべく一層この期間を勇んで通らせていただきたいと思います.

ちなみにあいこから夜メールが来まして「赤ちゃんと向き合う時間が多くなった気がするよ!入院してよかったかも」と.受け取り上手の嫁さんで本当にありがたいです.
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あいこ休職 

ちょっと早いですが,昨日であいこの勤務が終了しました.これから産後1年の前日までお休みです.
産休は5月中旬からなのですが,体調のことを考えてもう無理はできないと判断し,休暇に入ることになりました.

予定日は6/23ですからまだまだ産まれるには早いです.どうかお母さんのお腹の中でまだまだすくすくと育ちますように.予定日前後に産まれてきてほしいです.私もしっかり伏せ込ませていただきたいと思います.

明日は検診です.3/18は約1000gでしたがどれくらい大きくなったでしょうか?

家屋点検 

午後から,大工をしている末弟の勤める会社の人が家を見に来てくれました.

うちの教会は築33年ですが,すでに別の家に建っていた建物を解体して再築した箇所もあり,実際はそれ以上経っています.また祖父の手作りで素人が継ぎ足し継ぎ足ししているということもあり,相当傷んでいます.それでも私たち家族が雨風しのぐ場所として十分にその役割を果たしてくれていまるので,ありがたいです.しかし,少し前に支部のある会長さんが家を見てくれた際に「このままじゃ崩れるよ」と言われたので,一度見てもらおうということになったのです.また,屋根の雨漏りの応急処置はしましたが,いつまた漏れるか分かりませんのでそのあたりも含めてですね.

100328.jpg客間の抜けそうな天井板や廊下の雨漏り,屋根の構造など一通り家を見てもらいました.やはり素人の祖父が作っているということもあり,部分部分を直すというのは難しい面もあるようです.それに全体的に古いので何箇所か,あるいは何回かに分けてリフォームをするよりは,思い切って建替えてしまった方が安いとのことでした.安いと言ってもウン千万でしょうから手元にあるわけはありません...

神殿は大工が手掛けたので頑丈に作っていますが,経年により,外側は瓦の土が崩れかけていたり,雨樋が壊れていたり,壁にヒビが入ったりしていますので,神殿だけはとにかく早く手を施した方がよさそうです.いつまでも放っておいては申し訳ありません.とりあえず,そのあたりの見積もりだけ出してもらうことにしました.

教会に実際住んでいるのは教会を預からせていただいている一家族です.ところがは土地は宗教法人であり,個人名義ではありません.手続きなども非常にややこしいことになっているのでしょうか,私は何も知りません.何もしないのか,何かするのか,これからどうなるか分かりませんが,私個人が住宅ローンを組むのであれば早いに越したことはありませんので,ちょっと色々調べてみようと思います.すぐにどうこうということではないのですが,どなたか教会の建て替えの手続きなどご存知でしたら教えてくださいませ.

ちなみに,末弟の勤める会社はPOLUSです.大工として働いてますので,皆さん建築,改築の際にはどうぞよろしくお願いします.

研修 

今日は夕方から強迫性障害についての研修に行ってきました.
大変勉強になりました.講師の先生が大層熱心で30分も延長して熱弁していました.

帰宅後,消防団の歓送迎会に参加し,詰所で飲んでました.
2年経ってかなり団員とも慣れた気がします.

おつくしの意味(2) 

未読の方は以下をお読みください.
おつくしの意味(1)

前回,おつくし=金品ではないという話をしました.

逸話篇においても,おやさまはご恩返しの手段としては金品よりも人だすけをさせていただくことの重要性を説かれています.ここでいうご恩返しとは真実の心を尽くすということでしょうから,おつくしと同義として捉えて差し支えないと思われます.

「金や物でないで.救けてもらい嬉しいと思うなら,その喜びで,救けてほしいと願う人を救けに行く事が,一番の御恩返しやから,しっかりおたすけするように.」(72 救かる身やもの)


しかし,一方で逸話篇にあるように,おやさまは「金銭は二の切り」とも教えられ,大難小難の理とし金銭を惜しまず施すことの重要性を説かれています.欲を離れて各人の真実の心でもって「おつくし」の手段として金品のお供えをさせていただくことも大事なことなのでしょう.

「命あっての物種と言うてある.身上がもとや.金銭は二の切りや.今,火事やと言うたら,出せるだけは出しもしようが,身上の焼けるのも構わず出す人は,ありゃせん.大水やと言うても,その通り.盗人が入っても,命が大事やから,惜しいと思う金でも,皆出してやりますやろ.
悩むところも,同じ事や.早く,二の切りを惜しまずに施しして,身上を救からにゃならん.それに,惜しい心が強いというは,ちょうど,焼け死ぬのもいとわず,金を出しているようなものや.惜しいと思う金銭・宝残りて,身を捨てる.これ,心通りやろ.そこで,二の切りを以て身の難救かったら,これが,大難小難という理やで.よう聞き分けよ.」(178 身上がもとや)


これまでの話を整理するに,「おつくし」とは先述したように人のために真実の心を尽くすことであり,その手段としての尽くし方は様々であります.殊,身上・事情のたすけの願いに関しては二の切としての金銭の施しは大難小難の理という重要な意味を持つと同時に,親神様の望まれる人だすけ―人のために心を尽くすことが大切であります.一方,親神様への「報恩感謝」に対しては金銭よりもむしろ人だすけ―人のために心を尽くすことが大切であると言えるでしょう.そして,願いであっても感謝であっても人のために心を尽くすことが大切という点は共通していますし,そもそもこの教えは感謝ありき,常に注がれている親神様のご守護に感謝するところから始まりますから,たすけを願う場合であっても,まず現状与わっているご守護に感謝を捧げることが先行します.その上での願いです.つまり,願いには自ずと感謝が含まれてくるのです.このように考えると,二の切の金銭のおつくしも大切でしょうが,それ以上に,金銭に限らず人のために心を尽くすことが最も大切であるということが理解できると思います.

繰り返しになりますが「おつくし」とは人のために真実の心を尽くすことであります.その肝心要は心のあり用です.心ゆえ無形であります.親神様がちゃんと見ていて,天の帳面につけてありますからおつくしの形にこだわる必要はないのだと思います.この道は教えを聞くことで心が勇めないといかんです.人によって立場・状況は変わりますから,その人が勇めるよう「おつくし」の意味を伝えたいものです.

この道を伝える者が「おつくし」の意味を勘違いしてしまうと,せっかくの素晴らしい教えが世間から誤解される恐れがあります.おやさまの教えは間違いのないものであるだけに,そうした誤解が起こらないよう私たち教えを継ぎ伝える者は神意を人間思案からではなく,神一条に思案する必要があると思います.どうあれば親神様・おやさまはお喜びになるか,その元は神意が説かれている「みかぐらうた」「おふでさき」「おさしづ」の三原典に発します.加えて天理教教祖伝や逸話篇を親神様・おやさまの思いを知るのに参照することは大切でしょう.人が言ったことをそのまま鵜呑みにするだけでなく,それが神意に沿うかどうかを常に考える姿勢を持つことが大切だと思いました.(切に感じながらも私自身も勉強が足りませんのでこれは自分に対する戒めでもあります.)もっとも,それを経ても我が身かわいさから人間思案が混じるのが人間ですから,互いに談じ合い,神意を求めていくことが大切なのだと思います.

おさしづに以下の一節があります.

「互い/\知らし合い,互い/\の研究諭し合い道という」(明治24.11.25)


青年求道者講習会の講義録とのことですので,私を含めてこれから道を求めていく人たちがこの講義録を読んで何かを学ぶ際に,親神様の思いに沿わない間違った解釈をしてしまっては申し訳ありませんので,至らないながら私の考えるところで述べさせていただきました.これは今の私が考えるところでありますが,今後原典を知るにしたがって変わっていく可能性もあります.これが正しいかどうかはおやさまの道すがら,原典で繰り返し述べられているをやの思いと照らし合わせれて判断していただければと思います.

おつくしの意味(1) 

「教会と信仰」と題して,第54回青年求道者講習会の講義録があらきとうりょう238号に載っていました.気になる点があったので若干引用します.

やはり,おつくしをしなければ,たすけていただくことはできません.これは理屈ではありません.おつくしを一生懸命することで,神様の御恩も分かってくるのです.
(中略)
「おつくしは,嘘偽りのない真実や」と.身上などのふしに際して,私たちはよく,「これからは絶対不足しません」「これからは主人を立てます」「低い優しい心で通ります」「低い優しい心で通ります」などと心を定めます.しかし,こうした心定めは,神様に約束手形を出したようなもので,往々にして不渡りになります.ところが,おつくしはいくら惜しみの心があっても,形のあるものを出しますから,うそではありません.ふしに際しては,まずおつくしをすることです.おつくしをすることで,理立てとなり,自分が定めた心定めも実行できるようになっていくのです.
(中略)
おつくしをしてもらわなかったら,徳を積んでいただけませんし,信仰も切れてしまいます.


ここで言うおつくしとは「形のあるもの」と書いてますので,文脈的に所謂お供え(つまり物や金)のことを指しているのだろうと最初読んだ感じでは思いましたが,そう解釈すると親神様・おやさまの思いとは異なると思いますので,そう限定して捉えない方が親神様の思いに沿うでしょうし,理に適っていると思います.私の第一印象同様間違って理解する人がいるといけないので思うところを綴ります.

おつくしの本来の意味は「真実の心」を尽くすことであると思います.親神様への日々の感謝を込めて,また,たすけてもらいたい一心から,互いに仲良くたすけあう姿を見たいという親神様の思いに適うよう「人のために」「真実の心」を尽くすことがおつくしであり,その手段として金銭や物,時間,労働力などがあるわけです.それぞれの立場・状況が違うように,手段にもできるものとできないものがあり,尽くし方もそれぞれ異なるわけで,おつくしとは必ずしも金品のことを指すのではありません.大事なのは当事者が心を尽くして自分の精一杯のことをさせていただくことであります.惜しんでするようでは神様は喜ばれません.真実の心を親神様は何よりも喜ばれます.それは以下のおさしづからもうかがえます.

さあ頼もしい/\心供えば受け取る/\。泣く/\するようでは神が受け取れん。百万の物持って来るよりも、一厘の心受け取る。(明治35.7.20)


そして,尽くした分は受け取り働いてくださいます.逸話篇においても繰り返し「神の方には倍の力」ということで教えてくださっていますし,同様逸話篇に以下のお言葉もあります.

「そっちで力をゆるめたら,神も力をゆるめる.そっちで力を入れたら,神も力を入れるのやで.この事は,今だけの事やない程に.」(174 そっちで力をゆるめたら)


ここで比喩的におやさまが伝えていることは先述した人のために力・心を尽くすということでしょう.尽くした分は神様も力を入れて働いてくださるのですから,各人の置かれた立場・状況から精一杯のおつくしとして人のために心を尽くすことは大事です.ですから,おつくし=真実の心を尽くすことであり,おつくし=金品ではありませんし,そのような伝え方をしてはいけないと私は思います.


続きは以下をお読みください.
おつくしの意味(2)

春季霊祭 

今日は春の霊祭でした.
長弟が帰ってきまして家族5人でつとめさせていただきました.
祭典後は皆で食事をして終わりました.

あいこがここ数日風邪をひいてしまい,しんどそうです.風邪をひいても薬も飲めないのでひたすら寝ています.
それでもおつとめだけは自分で起きて出てくるので大したものです.風邪のときくらい寝てた方がいいのにと私は思ってしまいましたが,何よりもおつとめを優先しているあいこの姿勢を素晴らしいと思いました.私も見習わなければなりません.

研究会 

今日は催眠の研究会に行ってきました.
普段3~5人くらいなのですが,今日は珍しく9人もいまして大勢でした.
基本的な導入をいくつかやって終わりました.初めて参加した院生もいまして,妙に親近感を覚えました.今までメンバーの中で私が最も初心者だったためだと思います.
来月,再来月と残念ながら都合がつかず参加出来ませんが,次の機会を楽しみに待つ事にします.
10時半頃帰ってきました.疲れました.

ベンジャミン・バトン 

80歳で生まれ,年をとるごとに若返っていくベンジャミンの物語.
老いは嫌だと思う人もありましょうが,周りの皆と同じように年をとって老いていくことのありがたみが分かる映画です.


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春季大祭 

100317a.jpg今日は大祭でした.家族を含めて26人の参拝がありました.
朝から1日勇んでつとめさせていただきました.
従兄の子どもが2人来てまして,2歳と4歳なのですが,ドタバタはしゃいでいていつもより教会も賑やかでした.

人数は多かったですが,おつとめでは私はいつも通り地方とおてふりでした.しかし,後ろを振り返ると下に何人もの姿が見えるというのは大祭ならではです.12下りのおつとめの後,講話があり,その後直会となりました.直会は皆で丹精を込めて作ったお弁当や天ぷらなどをおいしくいただきました.

今年の大祭も賑やかにつとめさせていただきまして本当にありがたかったです.次は22日の霊祭です.

100317b.jpg

大祭準備 

今日は大祭準備でした.

朝から赤飯炊きです.会長とあいこと次弟と4人でやってまして,次弟には途中でお供え物を買いにいってもらいました.11時頃あいすけさんがひのきしんに来てくれ,1時頃に6升分の赤飯が炊き終わりました.その後,親戚のおばさんも料理のひのきしんに来てくれました.私も赤飯を冷ましながら,野菜を切ったり,調餞をしたりして夕方になるのを待ち,夕方赤飯60人前を詰めました.

そんなわけで朝から晩まで充実した1日でした.明日は春季大祭,勇んでつとめさせていただきます.

あいこの誕生日 

今日はあいこの誕生日です.26歳になりました.

仕事だったのでいつものように無理をせずに仕事をした後,まっすぐ家に帰り,夕づとめをつとめてお礼を申し上げ,その後,家族で食事をしました.昨日の牛タンと次弟が買ってきた「伝説の焼き鳥」と小僧寿司を食べました.おいしかったです.

その後,17日の大祭にお供えする鏡餅を作りました.なかなかいい形にできました.もはやあいこの誕生日は毎年お餅作りが恒例となりました.さすがにプレゼント用の餅は作ってませんが...

明日は赤飯作りや料理,ご神餞の買い物,教会の掃除など大忙しです.先ほど

月次祭楽しんで来るは道の土台である.(M33.10.16)
明日は月次祭と言えば宵の日より皆勇んで働かにゃならん.(M31.5.17)

というおさしづを見つけましたので,勇んでひのきしんにあたらせていただこうと思います.

初仙台 

週末,学会で仙台に行ってきました.初めての仙台です.

ありがたいことに職場が業務に関連する研修に関しては参加費,交通費,宿泊費などすべて出してくれるのでこうして参加することができます.自費ではこんなに勉強できません.本当にありがたいです.

1日目は講演と基礎講座を聞いて終わりました.夜は大学時代の先輩が仙台に住んでますんで5年ぶりくらいに会いました.楽しかったです.

2日目の今日は体調不良でしたが,初心者向けのセッションとシンポジウムを聞きました.夕方駅にいたら大きめの地震がありましたが,しばらく運転見合わせになっただけで他の被害がなかったのてよかったです.あいこが明日15日誕生日なものですから,少しですが仙台の牛タンを買って帰りました.

疲れましたが,楽しい旅でした.

保健所相談終了 

昨日をもって保健所でのひきこもり相談が終了しました.
相談窓口が来年度から別の保健所に移ることになったので契約も終わりとなりました.
1年間という短い間でしたが,色々勉強させていただきました.

家族の抱える苦悩も大変なものですが,本人が抱える苦悩もまた大変なもので,なんとかしなきゃいけないというのは重々承知なのだがどうにもならない苦悩というのはそれを体験したものでないと分からないつらさがあると思いました.そういうつらさにきちんと耳を傾けられるおたすけ人に成長していきたいと思いました.自分はまだまだ足りません...

宗教の認識の転換を 

今の時代,「宗教」ときくと敬遠する人が多いというのが現状かと思います.その背景には,オウム真理教をはじめ,いくつかの宗教団体の社会への悪影響ということもあると思いますが,その他に戦後の核家族化が進み,親元の近くに子どもたちが住まなくなり,地域内の人間関係が希薄に成っていることもあると思います.さらには,物質的に豊かになり,目に見えるモノばかりを人が重視するようになってしまったこともあると思います.そして,もっとも言いたいのは宗教という概念に対する世間の誤解です.

核家族化,地域の人間関係の希薄化が進んだことにより,人は多くの人に見守られているという感覚を養う機会を失っている部分があると思います.祖父母がいて,一緒に遊んでくれて,外へ出れば近所のおじさんおばさんが声をかけてくれて,自然と町に大人に守られ育ててもらっているという感覚を感じられたと思います.そういう縦のつながり,横のつながりが薄くなっていると思います.よかれと思って言った一言が「他人の子どもには口を出すな」とトラブルの元になることさえあります.親がしっかりと伝えていればいいですが,いわゆる物騒だと言われるこの世の中では,むしろ知らない人には気をつけなさいと,自分が知っていること,自分が見たことを手がかりとして生活せざるを得ないような環境にあります.さらに,物質的には豊かになったものだから,食べ物を粗末にする,まだ使えるものでも買い換えるということも起こって,昔の人たちが感じていた物質に宿る魂だったり神様だったりという精神面を考える文化がなくなってきているということもあると思います.目に見えるものばかりを信じ,目に見えないものは信用しないという図式ができあがってしまっているのです.一方,クリスマスや正月,盆,節分など民間伝承という形で継承されてきた宗教的行事はまだすたれてませんし,そういう機会にはお参りする人もまだまだ多いので,宗教心がないわけではないのでしょう.願い,祈ることは信仰と結びつく思考活動です.それでも集団に迎合するのが日本人の心性でもありますから,単に皆が行くから行くというイベント感覚程度なのかもしれません.

もう1つ宗教が敬遠される背景は最初に述べたカルト教団など悪影響を及ぼす宗教団体ばかりが目立ち,宗教=騙されるといった図式ができあがっていることもあると思います.スピリチュアル的な関心が高まる一方で,「~教」と名の付くものに対し,否定的なレッテルが貼られ,疎まれる傾向にあることは否めません.ある教えを信仰することは,その人がその宗教団体を盲目的に追い続け,隷属するということを意味しません(そういう方もいるのかもしれませんが).宗教とは本質的には「人間のこころの成長と救済を目指すある教理によって規定される人生観を提供する信念体系」であり,信仰によって自らの行動を動機付け,それによって自分および周囲が日々を明るく通れる可能性を導くものであると思います.宗教という概念には儀礼と組織も含んで捉えられる場合が多いですが,最も重要なのは信念であります.そのことに社会の多くの人が気付いていないということがあると私は考えています.

多くの宗教が法制の下,宗教法人という形をとっていますが,それは宗教を流布するための単なる形式であって,宗教の本質はそこにあるわけではありません.ところが多くの宗教が会員制度や年会費をもうけ,あたかも個人が宗教団体に入っているかのような形になっています.世間でこうした「宗教に入る」という表現がよく使われていることには,1つには宗教が本来,人間救済のための人間の生き方を方向づける「信念体系」であるという観念的側面よりも「宗教団体」としての組織的側面のイメージが浸透しているということがあるように思います.このような組織的側面のイメージの浸透が生じる背景には,その宗教を信奉する指導的な立場にある者が,純粋なる教理の流布という観念的側面の伝達よりも信者数の確保,拡大といった組織的側面に固執している場合があるということもあるのではないかと私は思っています.本来宗教とはそういうものではないと私は思います.

布教とは「教えを布く」,つまり「教えを広く行き渡らせる」ことであり,世の人々に素晴らしい生き方・考え方があることを広く知っていただくことだと思います.それは先述した観念的側面の流布であり,決して組織的側面の拡大ではありません.観念的側面の流布の結果として組織的側面の拡大が達成されるのであればよいのですが,もし,後者のみに固執した場合,それは単なる団体活動への勧誘となる可能性があると私は思います.そして,誘う方も誘われる方にもこのような意識が漫然とあることが,「宗教に入る」という言葉が多用されていることの要因ではないかと私は思っています.

宗教を信奉する者が目指すのは本質的には自分自身が素晴らしいと思うことを他者にも知っていただくことであり,引き入れることではなく,行き渡らせることだと私は思います.その点,お道の「にをいがけ」という言葉は的を得ていると思います.においとは自然と広がって良くも悪くも他者の関心をひくもの,言わば自然と行き渡るものです.屋台の焼鳥など意図的に仰いで客を引き入れることにも使えますが,本来は空気の流れと共に自然と伝わっていくものと思います.

特に,おやさまが自らひながたをお示しくださった「お道」は,現代社会では「天理教」という宗教法人として認可されていますが,おやさまが天理教という教団を作ったのではありません.おやさまはただ人間が作られた目的を,皆が仲良く助け合う陽気ぐらしという元の教えを,親神様の教えを,私たち人間に伝えたかっただけだと思います.お道だけでなく,それ以前に素晴らしい教えを説いた開祖は組織の拡大や維持よりもただ教えを行き渡らせたいという思い一筋だったことと思います.そのことを信仰者は忘れてはならないと思うのです.

先に述べたように宗教においてもっとも重要なのは信念体系であります.したがって,信仰の実践とは,言わばその宗教のもつ価値観が個人のパーソナリティに内在化し,個人が意思決定や行動選択をする際に,その信念に基づいて一貫した言動を導くことですから,「宗教に入る」という表現は適切ではありません.むしろ,「宗教が個人に入る」わけです.個人が宗教を自身の生き方の指針として,人生のよすがとして,自己に取り込むわけです.

このように考えると,宗教とは入るものではなく,宗教が個人に入る,つまり宗教は自らに入れるものだということが分かるかと思います.したがって,私自身は「天理教に入っている」とは思っていませんし,そういう表現も使いません.お道の教えを自らの生きるよすがとして取り入れ(至らないながらも)実践させていただきたいと思って日々を過ごさせていただいているわけですから,「私にはお道が入っている」「お道を取り込んでいる」表現の方が自己感覚に合うわけです.この宗教の本質を大多数の人はおそらくは理解していません.宗教は自らが入るものではなく自らに入れるものであるというベクトルの転換ができ,それが社会に浸透すれば,宗教とは1つの人格成長のための手段,豊かな人生観と間違いのない生き方を養うための手段としてその敷居は下がるのではないかと思うのです.さらに,家族ぐるみであればあれば,共通の価値観を持ったつながりとなるわけですから,教えを通して強い絆ができるでしょう.

宗教とは人としての生き方を学び,自らに取り入れるものです.宗教は多くのことを人に教えてくれます.他宗教をあまり知らないのですが,人格の成長を促す教理のある宗教は基本的に悪いものではないと考えています.そういう宗教に触れる機会は祖先を大事にする心,自然への畏敬と感謝,他者への思いやり,人としてあるべき姿など,学校の道徳で教えてくれる以上のものを教えてくれると思います.そういうことを知る機会がなくなっているとしたら,それは心を豊かにする重要な1つの機会を失っているということになると思います.宗教でなくとも心を豊かにする教育は可能なのであえて1つの機会としておきます.

もちろん,だめの教えであるこのおやさまの教えを私が最も勧めるのは言うまでもありませんが.


宗教に関する関連記事です.是非閲覧ください.
信仰の本質~宗教というラベリングの影響
人をして宗教を知るということ(1)
人をして宗教を知るということ(2)
人をして宗教を知るということ(3)

路傍講演 

今日は単身,最寄り駅での路傍講演をしてきました.

数日前に拡声器を買いまして,原稿も今朝あいこの検閲をパスしたので準備万端です.あいこが午後から産婦人科の母親学級でしたので,あいこを病院に送ったあと最寄り駅に向かいました.

平日の昼間ですから一通りも多くありません.一応駅員に声をかけますと「駅の構内なら注意しますが,駅外であれば私たちは関係ありませんのでどうぞ好きにしてください」と言われました.何だ,関係ないのか…と思いつつ,駅の外で拡声器を持って挨拶と数分の講演をしました.もちろん誰も聞いている気配はありません.終了後,拡声器を置くと掃除のおばさんが「音入ってなかったみたいだよ」と言いました.電源はONで最大音量にしていたのに,拡声作用はほとんどなかったようです.ちなみに私の購入した拡声器はハンディメガホン(型番XB-11SF)です.amazonのレビューでも音量が小さすぎることは指摘されていましたが,一応商品の説明には有効距離200mと買いてるので1/10の20mくらいでも届けばいいと思って買いました.今度有効距離の検証をしてみる必要がありそうです.

その後,会報を配ったのですが,10枚程度を配るのに30分くらいかかりました.そもそも人通りが少ないということもありますが,半分以上の人はもらってくれません.とりあえず手に持った枚数を配った後,駅の反対口へ行きました.そこは目の前に交番があるので一応話を通しておいた方がいいと思い,声をかけたところ,「やるなら警察署で道路使用許可の申請をしないと道路交通法違反になる」と言われ,分かりましたと引き下がるよりほかありませんでした.聞いてしまった以上,違反をしてまで行うわけにもいかず,「律ありても心定めが第一やで」「律が怖いか神が怖いか」というお言葉もありますが,律を犯してお道のイメージを悪くすることはおやさまもお望みではないだろうと思い,駅前での路傍講演はあきらめ,近隣の家にポスティングして帰りました.

結局,路傍講演は1度やっただけで終わりました.率直な感想としては誰も聞いていなかったせいなのか割と堂々とできたとは思います.音量が小さいのは気になりました.にをいがけの手段としては不特性多数に声を届けられるというメリットはありますが,その後のリーフレット配りなどの効率の悪さを考えるとポスティングの方がいい気がしました.帰宅後,道路使用許可の申請について調べてみましたが,申請に数日,手数料が2000円以上かかるようです.現実問題,路傍講演と公道でのリーフレット配りは今の私の立場ではちょっと厳しいなぁと思いました.今後個人で続けるかどうかは少し考えたいと思います.市内の教友と相談してみようかな….今まで通りポスティングは続けるつもりです.

とにかく三日講習での決意を果たせましたし,また1つ勉強させていただきました.ありがたい1日でした.


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勇みあいこ 

いつも通り仕事を終えて家に帰ると,じきに夕づとめの時間となりました.

会長と神殿に向かうとすでに太鼓の下にハッピと足袋を履いて座っているあいこがいるではありませんか!!

冬の神殿はひどく寒いので,お腹を冷やしてはいけないあいこはずっとストーブの前でおつとめをしていたのですが,今日は暖かいからということで鳴り物をやることにしたのだそうです.「すごいな」と言うと「勇んでるからな」と言います.明るく陽気な嫁さんをお与えいただいたことに感謝すると同時に,私自身もあいこに負けぬよう勇ませていただかないといけないと思いました.

SV 

今日は仕事を早く切り上げてSVに行ってきました.
3ヶ月以上行ってませんでしたので久しぶりです.
色々ご指導していただき,自分の未熟な点にも気づくことができました.
明日からの仕事に生かしていきたいと思います.

結婚式 

27日よりおぢば帰りしてきました.

今回の結婚式は教会関係の後継者です.奇しくも私同様前会長が出直して間もなくの式となりました.
私も1月に祖父が出直し,5月に挙式でした.彼も1月に祖父が出直し,2月に挙式の運びとなりました.しかし,私と違うのは父は会長としてご健在であるということです.欲を言えば祖父母にもと思うのが人間ですが,両親そろっての結婚を迎えられたことはとてもありがたいことだと思いました.

28日午前中に教祖殿で挙式があり,2年前に続いて再び結界内に入ることができました.教祖殿で初めて奥さんを見ましたが,しっかりした人のようでした.それは結婚に至るエピソードからも確認できることで,昨年大学院に通い始めたようなのですが,結婚の話があって大学院を中退してお嫁に来ているのです.就労後に大学院に入ったということはよほど研究したいことがあってのことではないかと思うので,それを中退してまでということはそれもよほどの出来事だったのでしょう.それも私が聞いた話によると,両親のすすめる人であれば間違いなかろうということで話を受け,2度目か3度目に会ったときは結納だったとのことでした.

おふでさきに

せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる(1号 74)

とありますように,結婚の縁は親神様が各人の魂のいんねん,つまり徳分を見定められて,つりあった人同士を寄せあって夫婦となるご守護を与えられるものですから,結婚に至るまでの期間などは問題ではないのですが,それでも私にとっては驚きに値することでした.そういう劇的な出会いを与わるのもまた当事者たちの徳分なのでしょう.

披露宴は寿で行われました.ちょうど私の伯母が寿で甥の結納ということでおぢばに来ていて久しぶりに会いました.これも不思議なことでした.さて,披露宴には宮崎先生も来ておられまして少々言葉を交わさせていただきました.まさかこんなところでお会いするとは思ってもみなかったのでこれも驚きました.また,天理高校時代の後輩も新郎スピーチ役として披露宴に来ており,これも驚きました.彼も臨床心理士なので新郎の心理アセスメントと題して面白いスピーチを聞かせてくれました.とにかく催し物の多い披露宴で見るのになかなか忙しかったです.

たくさんの人に祝福されて二人にとっても幸せな結婚式となったことでしょう.月並ですが,どうか二人には互いの役割を理解し,立て合って夫婦仲睦まじく通ってもらいたいものです.そして,この道を歩ませて大事なのは形よりも心であり,天の理に沿う,おやさまの教えに沿うよう歩ませていただくことが第一と私は思いますので,お道を信仰する人間として共にそれを忘れることなく歩んでいければ素晴らしいことです.まずはおめでとうございます.
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