お久しぶりです。あいこです。
今回は、出産日記ということで記事を書きたいと思います。
文章を書くことが苦手なのと、育児をしながらなので、3つに分けて綴りたいと思います。
出産までの経過については、主人(まお)も綴っています→
長男誕生こちらもご覧ください。
2010年5月28日。
この日は、私にとって、一生忘れられない日になりました。
私をここまで支えてくれた主人や家族、応援してくれたみなさんに、なんてお礼を言えばいいか・・・
それから、一生懸命私のお腹の中で、9ヶ月と短めだったけど育ってくれ、無事に産まれてくれたわが子。
母になった喜びと、すべての人への感謝の気持ちでいっぱいです。
ですが、この日ばかりは、母の偉大さを改めて感じました。
前日(27日)の夜から、腰痛を感じ、私は「久しぶりに動いたから(安静入院していたので)、ただの筋肉痛だろう」と思っていましたが、そんな私を心配して、「陣痛の始まりかもしれない」と、実家の祖母が夜中に何度も私の背中や腰をさすってくれました。
祖母は、心配のあまり、あまり眠ることができなかったようです。陣痛の辛さを知っている祖母は、「痛いね。痛いね」と言いながら一生懸命さすってくれました。
そんな祖母のおかけげで、私は少し不安もありましたが、朝までぐっすり眠ることができました。
そして、28日の朝5時半。トイレに行くとおしるし(出血)がありました。
6時に実母が起床したので、状況を伝え、主人にも電話で連絡しました。
実母は、私よりも慌てて、朝から「今日の夕飯どうしよう」と夕食作りに取り掛かったり、あちこちに電話をかけ始めたりと落ち着かなくなりました。「今日の仕事は休む」と言い切り、仕事も休んで私につきっきりになってくれました。
私は、「初産だし、まさか今日は産まれないだろう」と思っていましたので、主人には「仕事に行くように」と伝えました。主人も心配して、仕事に行く前に実家にきて、おさづけをしてくれました。
周囲がどたばたしている中、不思議なことに、当の私は、慌てることはありませんでした。
意外と「なんとかなるだろう(笑)」、「神様にもたれていれば大丈夫」と安心しきっていました。
朝食後、「体力勝負だな」と思い、少し寝ました。9時半、痛みが強くなってきて、出血も4回確認されたので、かかりつけの病院に連絡しました。パニックになることなく状況を伝えられたと思います。
すると「今すぐきて下さい」というので、おびや許しの御供さんをいただいて、早めの昼食をとってから、入院セットを持ち病院にいきました。
ですが、医師より、「子宮口がまだ1.5~2cmしか開いていないから、一度帰宅するように」と言われたので、私は実母と教会に行きました。さなさんから、たくさん頂き物をしていたので、何が届いたのか見たり、部屋を片付けたりして痛みが強くなるのを待とうと思ったのですw。この時は、まだ余裕でした。
教会に着くと、会長さん(義母)が待っていてくれお茶を入れてくれました。陣痛の波がきて、辛そうにしている私の腰をなでたり、おにぎりを作ってくれたりしました。そのおにぎりが、美味しかったのなんのって。まだ食欲があった私は2個、ぺろりと食べてしまいました。
そうこうしている間に、陣痛は強くなり、私はそれでも「まだ産まれないと思う。そう簡単には産まれないって医師も言っていたし」と、口にしていましたが、2人の母は心配で仕方なかったようです。
とにかく、病院に電話をするようにと2人の母に強く勧められたので16時半頃、私はしぶしぶ(笑)電話をかけました。状況を伝えると、助産師さんからも「まだまだ時間かかりそうだけど、どうする?病院にくる?」と言われました。「やっぱりまだまだ産まれないんだ」と思っていたら、会長さん(義母)から「をびやをいただいているから、早いかもしれないよ」と言われたので、「行きます」と助産師さんに伝え、17時すぎに私は2人の母とともに病院に行きました。
2に続く。
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