5月28日 | 6月30日 | 7月13日 | 8月25日 | 9月7日 | 9月30日 | |
身長 | 46.5cm | 51.5cm | --- | 60.0cm | 62.0cm | 61.7cm |
体重 | 2462g | 4155g | 4800g | 6300g | 6540g | 6945g |
胸囲 | 29.5cm | 35.5cm | --- | 41.0cm | --- | 43.0cm |
頭囲 | 31.5cm | 37.5cm | --- | 42.0cm | --- | 43.5cm |
自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.
明治七年のこと.西浦弥平の長男楢蔵(註,当時二才)が,ジフテリアにかかり,医者も匙を投げて,もう駄目だ,と言うている時に,同村の村田幸四郎の母こよから,にをいがかかった.
お屋敷へお願いしたところ,早速,お屋敷から仲田儀三郎が,おたすけに来てくれ,ふしぎなたすけを頂いた.弥平は,早速,楢蔵をつれてお礼詣りをし,その後,熱心に信心をつづけていた.
ある日のこと,お屋敷からもどって,夜遅く就寝したところ,夜中に,床下でコトコトと音がする.「これは怪しい.」 と思って,そっと起きてのぞいてみると,一人の男が,「アッ」と言って,闇の中へ逃げてしまった.後には,大切な品々を包んだ大風呂敷が残っていた.
弥平は,大層喜んで,その翌朝早速,お詣りして,「お蔭で,結講でございました.」と,教祖に心からお礼申し上げた.すると,教祖は,「ほしい人にもろてもろたら,もっと結構やないか.」と,仰せになった.弥平は,そのお言葉に深い感銘を覚えた,という.
高い低いの理はあれど,何事するも話し合い、伝え合いが神の望や。十人なら十人,下は下の理がある。上は上の理を一つの心に結んで了う。おら気が合わんという事は言うたらよい。結構と思えば,俺はどうやと言えようまい。あんな事というは見て居られん。見苦しいてならん。綺麗なものなら,いつ\/までも楽しんで居らるやろう。めん\/心得てくれ。もうこれいつも変わらん。(M31.5.9)
教団としての組織,体制を整えることは,公認を受けた教団としての社会的責任でもあり,また,それによって統一が取れ,安定した活動ができるようになる.
しかし,その組織や制度に安住し,内実を欠くようなことになったのでは,血のにじむような苦心を重ねて今日に至る基礎,骨格を築いてくださった先人たちの努力を台無しにしかねない.
教団の組織や規約のあり方は,教祖から直接お教えいただいたのではない.社会的に要請されたものもあれば,それぞれの時代に応じて,教団としての活動がしやすいようにと取り決められたものもある.もし,そこに本来の活動を妨げたり,時代にそぐわないものがあるようなら,見直し,修正することも考えなければならないだろう.
・・・(中略)
時代の風潮や世俗的な欲望に流されることなく,この道が教祖お一人から始まった道であることをあらためて胸に刻み,ようぼく,すなわち陽気ぐらしの世界建設のための人材としての自覚を高め,まずは身近なところから,陽気ぐらしの輪を広げていくことが大切だと思う.
・・・(中略)
教祖の教え通りにしていれば決して間違いはない,という信念をもって教えを実践することが第一だと思う.
5月28日 | 6月30日 | 7月13日 | 8月25日 | 9月7日 | |
身長 | 46.5cm | 51.5cm | --- | 60.0cm | 62.0cm |
体重 | 2462g | 4155g | 4800g | 6300g | 6540g |
胸囲 | 29.5cm | 35.5cm | --- | 41.0cm | --- |
頭囲 | 31.5cm | 37.5cm | --- | 42.0cm | --- |
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Author:まお & あいこ
まお:お道を信仰するよふぼくであり,教会子弟です.現在は精神科で働いています.
あいこ:お道を信仰するよふぼくであり,まおと出逢って入信しました.現在は精神科で働いています.