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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

餅作り 

今日は恒例の鏡餅作りです.

朝9時頃より始めまして,1蒸篭目は親神様のお供え餅を,2蒸篭目はおやさま・御霊様のお供え餅を,3・4蒸篭目は伸し餅を作りました.一人ひのきしんに来てくださいまして,4人でやりました.

夕方,先日お泊まり会に来てくれた小学生が新しい友だちを連れて教会に来てくれまして,40分ほどあがっていきました.また,来年も来てくれるといいです.

明日は大晦日.買い物と調餞,お社の掃除,神具の漂白などです.
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ぐうたらさんよりシャア専用ザクいただきました! 

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[ 2010/12/30 19:23 ] ガンダム | トラックバック(-) | コメント(-)

長男の妊娠・出産(3)  

関連記事になります.
長男の妊娠・出産(1)
長男の妊娠・出産(2)

をびや許しをいただいているとはいえ,子どものために万全を尽くし,親神様に真実を尽くしてこそ最大のご守護もあると思いましたので,あいこは無理をせず3月末で休職に入りました.ところが,休職初日の検診で子宮頚管が2週間前の35mmから23mmに縮んでいまして,このままでは早産の危険性があるということでした.先生に「仕事休むとかのレベルじゃないね」と言われました.入院を勧められたので,何より赤ちゃんが無事産まれてくることが大事と思い,そのまま入院となりました.受付で待っていたら,車椅子でスタッフが迎えにきたので,それほどのレベルなのか…とちょっと驚きました.

ここからがまたまたあいこのたんのうの道の始まりです.24時間常時点滴で「ベッドの上なら自由に過ごしてよい」という制限.部屋の真ん前のトイレのみ移動可で,10mも離れていないナースステーションにさえ行ってはいけないということでした.お風呂も頸管の長さに余裕があるときにたまに許可が出るくらいでしたから結局1週間に1度あるかないかくらいでしたかね.母子共に元気なのですが,ただ子宮頚管が短いために切迫早産の危険がある故からの入院です.

入院という事態にあってもなおありがたいことはたくさんあります.子どもが胎内で育つという奇跡に当たり前はありません.今与わっている奇跡に感謝することを夫婦共に忘れないようにしようと思わせていただきました.ちょうど休職になってからの入院となったのもよい巡り合わせを与えていただいたと思います.こうして大事に至る前に入院というセーフティネットを得られるのも素晴らしいご守護です.大難小難です.あいこも入院してから何気ないことの中に色々ありがたいことがあることを再確認させていただき,大層成人させていただきました.

ベッドの上ですが赤ちゃんのために日々勇んでいました.あいこの一番の目標は「赤ちゃんのことを第一に考えて勇んで入院生活を送る」ことです.その他に「朝晩のおつとめを忘れずにやる」,「周りに笑顔で接する」などです.私も毎日仕事帰りにおさづけに通わせていただくことと,情けない話ですが未だうろ覚えな「おてふり」をこの節に練習することにしたんです.この2ヶ月は私も毎日おさづけに通うという形で頑張りました.


続く...

恒例年末ひのきしん 

毎年恒例この時期は教会の掃除やらお正月の準備・買い物やらで大忙しです.
今日は神殿の拝殿の掃除とお風呂掃除に台所掃除,正月の買い物などをしました.
明日は餅つきと残りの部屋の掃除ですかね.

23日から風邪を引いていてまだ治らないのですが,風邪の年越しはしたくないので明日あたりで治ってほしいです.

仕事納め 

今日で2010年の仕事納めとなりました.仕事納めといっても特に何か変わるわけではないので何時も通り仕事をして帰りました.

昨晩は病院の忘年会がありましたが,当たらない人の方が圧倒的に少ない中,私は何も当たりませんでした.長男を無事生まれさせていただき順調に育てていただいていたこことで徳いっぱいなのだろうと思いました.

今年1年を振り返ると,新しく別の大学で1コマだけですが講義を受け持ちました.病院の仕事としてはデイケアで新しいプログラムを立ち上げたということがありました.この2つが主な変化だったでしょうか.あとはだいたい今まで通りです.無事1年つとめさせていただきありがたかったです.

長男の妊娠・出産(2) 

関連記事になります.
長男の妊娠・出産(1)

しばらく休んで流産の危険性がなくなったら,仕事に戻ったわけですが,元々赤ちゃんが子宮の下の方にいたので,やはり検診に行くと,赤ちゃんが下がってきているから無理はしないようにということを言われるわけです.無理はしないようにというのがまた曖昧でどっからが無理なんだということは正直思いましたが,できるだけ静かに歩く,疲れたら休むということを心がけて生活してもらいました.この時期の男ってのは特にやることがないので,何か嫁さんがしようとしていることの手助けをしたり代わりにやったりということくらいです.私たちお道の人間はやはり伏せ込みということが頭にありますから,いくらか意識的に勇んで色々なことにつとめようと努力したつもりですが,根が甘い性格なもんでどこまでできていたかは自分ではわかりません.

そうこうしているうちに,3日講習Ⅲの受講日が来まして,絶好のおぢばでの伏せ込みの機会と思い,勇んで行かせていただきました.そして,本当は一緒に行って話を聞けたらよかったのですが,あいこは安静にしてないといけませんので,私が帰りにをびや許しをいただいてきました.2月15日です.

おふでさきに

たいないゑやどしこむのも月日なり むまれだすのも月日せわどり(6号 131)

とあります.
子どもを授けるのも親神様のお働きでありますし,生まれ出すのも親神様の働きであります.人間を創造された親である親神様が人間のふるさとである元のぢばから出される安産の許し,人間宿し込みの場所であるぢばの一点にお供えしておつとめをした御供が働かないわけがない,親神様を信じて凭れていれば何の心配もない,これは絶対のものだと確信して帰ってきました.

3日後,またあいこの検診があり,子宮が収縮して赤ちゃんがこれ以上下に下がらないよう,はり止めなどいくつかの薬が処方されました.副作用の強い薬のようですが,どんなに辛くても飲んでくださいと言われたそうです.

ここからがまたあいこのたんのうの道の始まりでした.結構気持ち悪くなったり,手が震えたりなど副作用が強く,できれば飲みたくないだろうに,生まれてくる子どものためにとあいこは一生懸命辛抱し,ありがたいことを見つけて過ごしてくれたと思います.をびや許しをいただいているということもありましたので,きっと神様に凭れて通らせていただけば安産の御守護をいただけるという思いもあったので,このあたりは信仰者の強みかなとも思いました.あいこはよく勇んでましたね.特に印象に残っているが,おつとめの時間に会長と神殿に向かうとすでに太鼓の下にハッピと足袋を履いて座っているあいこがいたことがあったんです.冬の神殿はひどく寒くお腹を冷やしてはいけないのでずっとストーブの前でおつとめをしていたのですが,その日は暖かいからということで鳴り物をやることにしたのだそうです.「すごいな」と言うと「勇んでるからな」と言います.本当に明るく陽気な嫁さんをお与えいただいたことに感謝すると同時に,私自身もあいこに負けぬよう勇ませていただかないといけないと思いました.


続く...

長男の妊娠・出産(1) 

長男の妊娠・出産に関してのまとめ記事として綴ります.過去記事と重複する部分もあると思います.


妊娠~出産という一連の出来事は人間の力ではどうしようもないことがたくさんあり,人間の親である親神様にお任せするしかないというのを切に感じます.私たち夫婦に子どもが授かったのは一年ちょっと前のこと,秋の本部大祭に参拝させていただいたのですが,あいこの体調が思わしくなかったんです.帰ってきて翌日に近医を受診したところ,妊娠が発覚しまして,親神様に私たち夫婦の子どもをあいこの胎内に宿し込んでいただいたということが分かりました.嬉しかったですね.結婚して1年半が経ってましたから,そろそろ授かりたいなと思っていましたので,本当にありがたかった.しかし,同時に幾分かの戸惑いといいますか,自分に親となる資質があるのだろうかとか,生まれた子どもを自分はかわいいと思えるのだろうかいうことを感じました.父は25で父親となっていますが,子どもの頃見ていた父はとても頼もしく何でもできる万能的な人間のように見えていたもので,当時の父より5年も遅く親になるのに,自分はあまりにも未熟なのではないかと思いました.

しかし,出産までのこの期間は親になる前の心づくりの期間,親になる準備としてしっかり伏せこませていただくことで何か自覚といいますか変わってくるものもあるのかもしれないとも思いました.母になるあいこの方はきっと私のような単純な心理ではなかったと思います.女性は直接身体の中で子どもが育っていく,それも初めての子で,今まで味わったことのない感覚や思いがたくさん生じるでしょうから,喜びももちろんたくさんあるだろうけど不安もたくさんある,そんな心境だったと思うんです.

私たち夫婦はありがたいことに会長が元気に教会の御用をしてくれているおかげで,共につとめに出ていましたので,あいこも今まで通り仕事に行って,家では家事を手伝いということをしていたわけですが,やっぱり体調不良なときもあり,初めてで加減も分からないものですから,検診にいったときに子宮が下がり気味と言われた時には,とにかく神様が授けてくださった子どもを無事に生まれさせていただくことが何よりも優先と思い,切迫流産の診断書を書いてもらって1ヶ月ほど療養することにしたわけです.あまり負荷のかかる身体の動きが出来ない中での1ヶ月はかなり大変だったと思います.それでもよく辛抱して毎日の中に感謝を見つけてしっかりとつとめてくれました.胎教という言葉がありますが,この時期の親の心遣いは子どもに大きな影響を及ぼすので重要と教えられていますので,あいこも一生懸命お道の本を読んだり,まだいるんだかいないんだかわからない子どもに優しく話しかけたり,できる範囲の教会の御用をして,母としての心づくり,伏せ込みをしてくれました.

続く...

お泊まり会 

22日は夏休み以来の教会お泊まり会がありました.

うちの教会はすきま風が多く,廊下などは外と変わらない温度なので,寒さが心配されましたが,その日は日中は17~18度まであがるご守護をいただき,夜も暖かくありがたかったです.

今回は7人の子どもたちが集まってくれました.長男を入れると8人ですが,数にカウントしていいものかどうか….なんと全員女の子です.1年生2人,2年生1人,6年生4人という年齢差のわりとある中,皆仲良く楽しんでいたように思います.1年生の子らも皆とお泊まりができてとても偉かったです.皆うちの長男を大層かわいがってくれました,対するスタッフは私とあいこ,会長,次弟,次弟の彼女と5枚です.夜には仕事を終えた末弟と嫁さんが来てくれて大人は7人もいました.

夕方5時半に集合でしたが,ズレ込みました.私が子どもの頃はこの時期は短縮授業で早く帰れたものですが,今の子は普通に6時間授業とかやってるんだそうです.5時半という時間は少し早かったようです.皆で参拝をしてお約束を話し,自己紹介とウォーミングアップのゲームをしました.その後,夕食のハヤシライスを皆で食べました.女の子と言えども育ち盛り!1年生以外はおかわりをしてくれました.

その後,夕づとめ.信仰のない子どもたちがほとんどですが,皆いい子に座っていてくれました.座りづとめの後,トイレの神様の話をしてお楽しみ行事へと移りました.

今回はあいこの案でクリスマスにちなんでケーキ作りをしました.私はクリスマスだからケーキ作って出そうよと言っただけだったのですが,子どもたちに作ってもらおうと考えるあたりさすがです.男の私にはケーキを作るという発想がありませんでした.市販のスポンジケーキとホイップクリーム,果物などを用意して,子どもたちをくじで2組に分け,自分たちでクリームを塗って果物を挟んで,飾り付けをして,デコレーションケーキを作ってもらいました.初めて作った子もいまして,皆楽しそうでした.ケーキができたら,皆で写真を撮り,さっそくいただきました.おいしかったです.

ゲームもたくさん考えていたのですが,作って食べ終わるといい時間でそんな暇もなく,ビンゴゲームとなりました.景品にはお菓子と1品を用意してましたので,ビンゴになった人から好きなおもちゃをとっていってもらいました.お菓子にはシャンメリーも入っていますので,各家庭でのクリスマス会で飲んだことでしょう.

ビンゴの後,次弟と末弟が矢島美容室の衣装を来て登場してくれましたが,小さい子らは気持ち悪いだの怖いだの言って逃げ回っていました.子どもたちを喜ばそうと思ってサプライズの演出をしてくれたのにあまり受け入れられず気の毒でした.でも,その後衣装のカツラを子どもたちが被って写真を撮ったりしてなんだかんだ楽しそうにしていました.それから,布団を敷いて着替えて就寝となりました.男の子がいなかったせいか,あるいは夜になっていくらか寒くなったせいか,皆大人しくじきに寝てくれました.朝も起床時間まで皆起きませんでした.夏は5時から皆起きだしてましたからね.

起床後は布団をたたんで着替えて朝づとめです.皆ちゃんと座ってくれました.おつとめ後,外は寒いので教会の神殿や廊下など皆が使ったところを雑巾がけしてきれいにしました.動いた後に,朝食のパンを食べ,適当に遊び9時になったので一度集まってもらって解散となりましたが,誰も帰らず,アンバランスをやったり,風船で遊んだりしました.じきに親御さんが迎えに来て1人帰りました.

風が強かったのですが,誰かが外でドロケイをやろうと言い出して,子ども6人と大人3人とでドロケイやドッチボールをやってお昼頃に皆帰りました.

翌日筋肉痛になったことは言うまでもありませんが,子どもたちが楽しんでくれてよかったです.6年生の子らは来年は中学生になるので,今後来れるかどうかはわかりませんが,是非また遊びに来てほしいと思います.1・2年生はまだまだ小学生ですので,引き続き何年かは来てくれると嬉しいです.


関連記事になります.
お泊まり会(今夏)

祖父祖母五年祭/父十年祭 

19日は初代会長夫婦の五年祭と二代会長の十年祭が執り行われました.

時期的に合致しているのは祖母の五年祭のみで,祖父は3年,父は8年になりますが,何回も集まっていただくのは大変なので繰り上げての3人一緒の年祭の運びとなったのでした.

自教会の神殿にて家族を含めて総勢38名の参列者がありました.

斉主には所属の会長さんにお越しいただき,所属教会の信者さんとうちの教会の信者さんに斉官をやっていただきました.私は鳳笙を吹かせていただきました.

御霊様の御前での年祭の後,徒歩10分ほどの墓地に移動し,墓前祭を執り行い,教会に戻ってからはお清めの食事となりました.長兄と末弟は結婚して家庭を持っているので,お清めの席をもうけてありましたが,私とあいこ,長弟,次弟は席がありませんので,お酒を注いで回ったり,話をしたりして時間を過ごしました.

途中で私が作った3人の懐かし写真集をスライドショーとしてプロジェクターに投影して流しました.ここのところ多忙を極めていたため,作るのをもうやめようとさえ思いましたが,せっかく年末の忙しい中,時間を割いて来てくださるわけですから,少しでも祖父母や父を思い出して帰ってもらいたいと思い,制作日数4日という短期決戦で取り掛かりました.祖父の五十日祭私自身の結婚式のようにこだわることはできませんでしたが,それでも幾人かの方が祖父母や父を懐かしみ,涙を流しておられたようで作った甲斐がありました.

3時半くらいにはだいたいの人がお帰りになり,ようやく昼食をとることができました.準備から当日終わるまで何かと忙しかったですが,1つの節目を無事終えることができてありがたかったです.多くの方に集まっていただき,祖父母や父を偲んでいただきましたことも大変ありがたいことでした.また,滅多に顔を合わせない親族に長男をお披露目できたのもよかったです.

また5年後に祖父母の十年祭ですね.それまでは年祭はお預けです.


関連記事になります.
祖父の一年祭
祖母の一年祭/父の五年祭

年祭準備 

今日は朝から年祭の準備です.すでに数日前より色々準備にかかっていますが,前日は前日で色々やることがあるものです.教会の掃除にお墓の掃除,神殿の掃除,ご神餞の買い物,会場準備と動きっぱなしの1日でした.

また山口より伯母が来まして,夜迎えに行きました.
明日は無事につとめられるといいです.

月次祭 

今日は本年の納めの月次祭,14人で賑やかにつとめさせていただきました.

長男がおつとめが始まるとじきに寝てくれてそのまま12下り目終わるまで起きませんでした.おかげで全員がおつとめ奉仕者としてつとめることができました.胎教からおつとめの旋律は聞き慣れているので,子守唄代わりになるのでしょうか.何にしても孝行息子です.

今年1年,入院,出産など色々ありましたが,大難を小難に,小難を無難にお連れ通りいただいたように思います.本当にありがたい1年でした.

一般病棟へ 

14日にあいこの祖父がICUから一般病棟へ移りました.

特に状況は変わっていません.まだ意識は戻りませんが,術後2週間という血管が細くなって切れるリスクの期間が過ぎたので移ったということです.面会時間が増えたのでお見舞いに行くのは便利になりましたが,ICUのように手厚い看護があるわけではありません.ただナースステーションから一番近い部屋にしてもらってます.これも一時的のようで次にICUから送られてくる人がいたら,さらに隣の部屋に移るそうです.

執刀医から説明を受けましたが,意識が戻る人の多くは,術後2週間経つ頃には意識が戻り,起き上がって食事をとったり若干の意思疎通ができるそうですので,祖父の場合はかなり遅いとのことでした.ひょっとしたらずっとこのままかもしれないし,意識が戻るのかもしれない.それは本人の力と脳へのダメージ次第とのことでした.医師の説明の仕方だと戻らない可能性の方が高いような印象を受けました.

経過を見てですが,今後水頭症を防ぐためにシャント手術をしたり,肺炎を防ぐために胃ろうの手術をする可能性もあるそうです.あいこの父が「色々決めなきゃいけないことが出てくるな」と意味深なことを言っていました.

ICUを出るまでは毎日おさづけに通わせていただこうと思って行かせていただきました.今後もどうなるか分からない状況ですので,また通いたいと思いますが,月次祭,年祭,お泊まり会とこれから1週間行事が続きますので行けないかもしれません.私かあいこかどちらかでも時間を作って数日に1篇でも行ければいいなぁと思います.お願いづとめは教会で毎日させていただいてますので,行けない分はそちらでしっかりお願いさせていただこうと思います.

久々の休日 

昨日は久々の行事が何もない休日でした.

これがなかなかありません.ここのところ,休日は何かしら予定が入っていてゆっくりする時間がありませんでした.どれだけゆっくりできるのだろうかと期待してましたが,とんでもない!結局かなり多忙で充実した1日となりました.

7時の朝づとめに始まり,朝食後の長男の離乳食,その後洗面を済ませると,風呂の灯油タンクに灯油を入れました.ちょうど灯油缶が空になったので,この時点で夕方の予定に灯油の購入が追加されました.それから,12/22のお泊まり会に向けての布団干し,とりあえず洗濯物を寄せてスペースを作り,8枚の掛け布団を敷きました.その後,あいこと会長が所用で出かけましたので,私は長男を連れてお便り配り.長男がじきに寝てくれたので,1時間半かけて地区に大方配ることができました.今回は小学生のご家庭にはお泊まり会のチラシも一緒に配りました.こちらは可能な限り手渡しです.

終わると12時を回っていたので昼食です.昼食後は布団を入れ替えて,また別の布団を8枚干しました.そして,あいこと長男と3人で祖父のお見舞いへ.交代で面会しそれぞれおさづけを取り次がせていただきました.帰宅すると布団を入れました.あいこが撤饌している間,私は長男の世話をしまして,2回目の離乳食をあげました.その後灯油を買いに行きました.片道15~20分ほどかかりますが安いガソリンスタンドで灯油130Lを給油し帰宅.帰ると夕づとめの時間でしたので,おつとめをして夕食.夕食後は長男と一緒に入浴.9時頃長男が寝ると,お願いづとめをしまして,9時15分,ほんとに珍しいことですが「もう無理」と思い,早々と布団に入って眠りにつきました...

いや,普段仕事してきても11時すぎまでは起きているんですけどね.なぜだか眠くなってしまいました.よほど充実していたのでしょうか.ありがたいことです.

未だ意識戻らず 

11月30日にくも膜下出血を起こしたあいこの祖父ですが,未だに意識が戻りません.ICUに入ったままです.

毎日あいこや私がおさづけに通わせていただいてますが,こういう状態であるということは親神様にご守護いただいた状態が今の状態なのだろうと思っています.顔色はいいですし,しっかり自力呼吸もしています.目からは時折涙も流れますし,腕を曲げることもあります.体内には血液が循環し健康なときと少しも変わらない体温を保っています.痰が詰まって肺炎を起こしたり,再度脳梗塞を起こすなどの二次障害もなくお連れ通りいただいてます.何よりこの命をつないでいただいていることに感謝です.

数日前,このような祖父の姿にも意味があるんだと思うとあいこが言ってました.最近疎遠になっていたあいこの叔父が祖父の身上をきっかけに病院にも足を運ぶようになり,父や祖母とも話すようになりました.仕事を早く切り上げてお見舞いに来てその状況を実家に報告したり目の見えない祖母が心配しないように心を配ってくれています.「おじいちゃんはお役目があってこういう姿を親神様が与えてくださったのだと思うよ」というあいこの言葉になるほどと私は感心しました.出直してしまっては関係をつなぐことも恩を返していくことも難しいですものね.祖父は命をかけて家族をつないでくれているのだと思います.

状態が悪化しないというご守護いただいていることも事実,これから快方に向かい意識が戻るよう,しっかりと神様の御用としておさづけに通わせていただきたいと思います.

鯉太郎教会へ 

従妹の結婚式の日,夜は「鯉太郎の 心 ころころ」の鯉太郎さんの教会にお世話になりました.

9月の月次祭に突然鯉太郎さんにご参拝いただき,私もそのうちお礼参りにうかがいたいと思っていましたが,意外とその機会は早くにやって来ました.式場まで迎えにきていただき,途中でお風呂に入って,その後教会で12時近くまで色々お話させていただきました.奥様がちょうどおぢば帰りをしていていらっしゃらなかったのが残念でしたが,普段は10時にはお休みになる鯉太郎さんに12時近くまでお付き合いいただきありがたかったです.

長女さんは天理大学在学中なのでいませんでしたが,3人のお子さんがわざわざ居間まで降りてきてきちんと挨拶してくれました.息子二人は一緒にそばも食べました.末っ子がかわいいのなんのって.うちの長男も話すようになったらもっと楽しいんだろうなと思いました.

ぐっすりと休ませていただき,翌朝おいしい朝食をいただき,鯉太郎家自家製味噌と信州のりんごをお土産にちょうだいして,また従妹の結婚式場近くまで送っていただいて,本当にお世話になったひとときでした.またいつかあいこと長男,そしてできれば会長も連れてまた鯉太郎さんの教会にお参りに行きたいと思います.楽しかったです.

従妹の結婚式 in 軽井沢 

4日に従妹の結婚式がありました.私より9歳年下の従妹ですが,小さい頃から知っているし,私自身2年間叔父の教会に居候していて一緒に生活していたこともあり,会長ではなく私が出席することになりました.父が生きていればもちろん父と母で出席したと思いますが・・・.

前日仕事を終えてから従妹の家に行きました.従妹はもう式場のある軽井沢入していたので,叔父や従弟らと祝いの酒を交わしました.翌朝,バスで軽井沢へと向かいました.2時半より親族紹介だったのですが,12時半頃式場までに着いてしまって時間を持て余しました.

式は人前式でした.ANELLIの式場はガラス張りで森林の中に建物があるものですから,森の中での式のようでした.ヴァージンロードを歩く叔父の背中が少し寂しく見えましたが,新郎は愛想がよく人から信頼される人物のようでよかったです.

披露宴も賑やかでしたが,最初の祝辞が長かったです.料理もおいしく,飲み物もカクテルなどもあり,なかなか贅沢な披露宴でした.新郎は父が2年ほど前に出直しているとのことで,ヒストリービデオで親子の写真が映ったときには私もグッとくるものがありました.余興は新郎側は「ぶんぶんボウル」という吉本所属の芸人が新郎の実弟で漫才を披露してくれました.なかなか面白かったです.新婦側は従妹のクラブ友達が一輪車の演技を披露してくれました.従妹は小学生からずっと一輪車をやっており,国際大会に出たほどです.最後の叔父の挨拶も10月のうちの末弟の結婚式同様,結構飲んでいたにもかかわらず無難にこなしていました.さすがです.

翌日またバスで叔父の教会まで帰ってきました.楽しい2日間でした.6歳離れた夫婦なのでそれほど喧嘩をすることはないと思いますが,これから夫婦仲良くくらしていってほしいと思います.

お見舞い 

昨日一昨日と仕事帰りに病院に行っておさづけの取り次ぎをさせていただきました.依然意識は戻りませんが,顔色はだいぶよくなり,いつもの祖父の顔になっていました.手足を動かすようにもなり,意識はないけれども刺激には反応する状態です.ただ,医師の説明ではこれ以上よくなるかはわからないということでした.

とにかく続けて神様にお願いさせていただくほかありません.今日は祖母の誕生日なのですが,落ち込んでしまっているとのことで,今日はあいこが長男を連れて泊まりに行くことになったそうです.少しでも元気になってくれるといいです.

長男の発育状況 

ずっと書く暇がなくて放置していましたが,長男のその後です.

16日のMRIの結果,とりあえず異常は指摘されずほっとしたのですが,頭の大きさのわりに脳内の水(?)が多いとのことで,発育にしたがって脳が大きくなって解消されることもあるそうですが,一応定期的に診察を受けた方がいいとのことでした.MRIもたしか半年後くらいにまたとるようです.とにかく大事には至らなかったのでありがたかったです.

リハビリは毎週1回くらい通っていて,お座りはいい感じらしいのですが,まだ寝返りができないので寝返りの練習をするようにとのことでした.身体を横にして足を交差させておくと自分でひっくり返ろうとするので,それを家でも積極的にやるということです.また,まだいくらか後ろに反ってしまうので腹筋のトレーニングも続けなければいけません.おさづけも引き続いて毎日会長に取り次いでもらっています.この調子ですくすくと育ててもらいたいです.

明日は6ヶ月健診です.順調な発育の報告が聞けるといいです.
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