ひと月以上前から楽しみにしていたをびやづとめが24日の晩行われた。教養掛の先生は喜んで許可をくれた。ありがたい。
夕づとめ45分前神殿入り。まだガラガラ。sawaさんに教えていただいたポジションに陣取る。やや寒い。
夕づとめ前にあいこらが到着し合流。じきに長男は入眠。私たちの後ろには東本の修養科生がわんさか、見事に囲まれた。6:30の夕づとめ後、私とあいこで待っていた。
後ろの修養科生との話で、あいこがかんろだいのおふきんを洗っている話になると「ありがたいね、いいなぁ」「私もやりたい」などの声が上がり、あいこはもっとありがたがらなきゃいけないのかな?などと呟いていた。手洗いなのに何故か手がすべすべになるというから不思議。おふきんのひのきしんは子連れ限定。託児所に近いからということもあるだろうが、きっと他にも思惑があるのかもしれない。
かんろだい近くでは脚立に乗った人がかんろだいを拭き、砂利を慣らしていた。そのうちに願いをかけるお米がかんろだいの六角の台の上に乗せられた。そして献饌。7:45くらいだったろうか、つとめ人衆がやってきて、真柱様を芯に参拝した後、真柱様は北側の階段に奥様は南側の階段へ、その他のつとめ人は東側(女)と西側(男)に着座。再び真柱様を芯に参拝してかんろだいの方へ降りて行った。かぐら面をつけるのに時間がかかるのかしばしの時を待ち、かんろだい付近を動き回る人の姿も見えた。面の着付けを手伝ってたのだろうか。
準備ができると参拝後かぐらづとめが始まった。をびやづとめは第一節のおうたが通常のおつとめとは異なる。
あしきをはらうて どうぞをびやすっきりはやく たすけたまへ てんりわうのみこと なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと
これを7回つとめる。天理王命の神名は全部で3×7で21回唱えているので通常のおつとめと回数は変わらない。十分たっぷり始まる理。
かぐらづとめを先頭で見たのは初めてであったが、まるくなってお面をつけて踊り、それぞれが時に違った手振りをする姿はなるほど陽気に見える。また、あまり見えないながらも、人間宿仕込みの元の場所を囲んでのおつとめが行われているということに純粋に感動し、かんろだいを囲む十人のつとめ人衆、そのつとめ人衆を大きく囲む何十人何百人かの人々という二重の構図に調和、和楽、一手一つといったイメージが自然と浮かんだ。故河合隼雄がこれを見て曼陀羅と呼んだのもなんとなく頷けた。さらにこの調和の中で生まれる祈り、願いが3000人分の安産の守護につながっていくと思うと目頭が熱くなった。うちの長男もこのつとめの理によって、またたくさんの人の祈りによって無事に生まれさせていただいたのだと考えられるだろう。ありがたいことだ。
第二節以降はおうたは特に変わらないが「よしよし」でつとめ人衆が下がっていくのがわかった。
よろづよ八首まで参拝しようと思ったが長男もいたのでその前に神殿を後にした。
それにしても夕づとめ前から2時間ずっと寝てくれた長男にそのときは感謝したものだが、神殿で冷えて熱が出たのかもしれない。反省…。すまん長男よ。
4/16にははえでのつとめがあるので、こちらも可能であれば参拝させていただきたいものだ。