天理時報(4246号)に「神一条の談じ合いを」という見出しで真柱様のお言葉が掲載されています.その中で印象に残った箇所を引用します.
親神様が望まれる談じ合いは「自分の考えや意見は,果たして教祖のお心に適っているのだろうかと,常に自分自身の心に尋ねつつ,神一条の思案に立って,お互いがしっかりと話し合い,励まし合うこと」と強調.
コミュニティの最小単位である夫婦,家族が談じ合い,神意を求めていくことが大切な事は言うまでもありませんが,組織レベルにおいても当然大切なことであります.しかしながら,特に教会活動や教区活動を見ていると,私自身がその中にいない上から見えないだけかもしれませんが,まだまだ談じ合いとは程遠く,トップダウン方式の報告が多いと感じます.物事の考え方は幾通りもあるのでありますし,重々承知しているつもりでも自分では気づかずに世情の理に流され,親神様の思いから程遠い決断や取り決めをしてしまうということも多々あるのではないかと思います.私自身教内の動きを見ていてがっかりするようなことがありますし,ということは自分自身もきっとあるのだと思います.だからこそ,同じ立場,同じような考え方の人のみならず,色々な人を交えての談じ合いが必要なのでしょう.
おさしづに以下のようにあります。
高い低いの理はあれど,何事するも話し合い、伝え合いが神の望や。十人なら十人,下は下の理がある。上は上の理を一つの心に結んで了う。おら気が合わんという事は言うたらよい。結構と思えば,俺はどうやと言えようまい。あんな事というは見て居られん。見苦しいてならん。綺麗なものなら,いつ\/までも楽しんで居らるやろう。めん\/心得てくれ。もうこれいつも変わらん。 (M31.5.9)
うちの教会は信者さんも少ないですし,遠方から来られる方も多いので,なかなか談じ合いはできていないのが現状ですが,真柱様の声を受けてもっと大切にしなければいけないと思いました.もっともこのことは数年前より「
天理と刻限」の植田先生のおさしづの研究を読んで十分に分かっていることではありますが,改めてそう思いました.
あと,以前にも記事にしていますし,先日会長を通して修理人の先生にもお伝えしたことですが,全教会が教団レベルの談じ合いに参加するのは現実的に難しいでしょうから,せめて国々所々の教会,布教所などの声を聞き届ける部署の設立を是非教会本部には検討していただきたいです.ボトムアップシステムが何もないのが現状です.誰しもこの道を信仰していれば,親神様の思いに近づかせていただきたいと思っています.しかし,組織のあり方が枷となっている点があるのも事実ではないかと思います.もちろんその恩恵を受けてたすけられている面もたくさんあるのですが,見直すべき点も多々あるように思います.以前に真柱様は天理時報(第4103号)の真柱様神殿講話(要旨)の中で以下のように話されています.
教団としての組織,体制を整えることは,公認を受けた教団としての社会的責任でもあり,また,それによって統一が取れ,安定した活動ができるようになる.
しかし,その組織や制度に安住し,内実を欠くようなことになったのでは,血のにじむような苦心を重ねて今日に至る基礎,骨格を築いてくださった先人たちの努力を台無しにしかねない.
教団の組織や規約のあり方は,教祖から直接お教えいただいたのではない.社会的に要請されたものもあれば,それぞれの時代に応じて,教団としての活動がしやすいようにと取り決められたものもある.もし,そこに本来の活動を妨げたり,時代にそぐわないものがあるようなら,見直し,修正することも考えなければならないだろう.
組織の規模が大きいだけに何かが変わるのは容易ではないかもしれませんが,本部が打ち出せばすぐに変わる面もあるはずです.変わるべきところは変わっていってほしいと思います.
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互い互い談じ合い⇒
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