長いこと時間がとれず,3月半ばに差し掛かりますが今月初記事です.
2月27日の祖父の兄(大伯父)が出直しました.享年92歳でした.2月11日に祖父の実家のいとこ会で会ったときはすごく元気でまだ数年は大丈夫じゃないかと思っていたのでとても残念です.親族大半に顔を見せて挨拶もしてからの出直しであり,神様のお計らいを感じずにはいられませんでした.
祖父も父もいないので私と会長とでお通夜と葬儀に出させてもらうことにしました.あいにくの天気で関東全域は朝から雪,交通情報を見聞きしていましたが,中央道はチェーン規制に渋滞,とても間に合いそうにありませんし,事故の危険もありますので,やむを得ず電車で行きました.
お通夜は開始前には間に合わなかったので親族席に座り損ねて,待合で終わるのを待っていました.その後本家(祖父の実家)の従叔父に哀悼の意を述べて,一度皆で本家へ行って大伯父の顔を見て,宿をとってくれていたのでそちらに行きました.先のいとここ会で会っていたから今回も何人か話せる人がいました.それはお互いにそうだったと思います.神様はうまいこと先回りのお働きをしてくださるなと思いました.
翌日の告別式では出棺の際に不思議なことがありました.家から棺を運び出すとき,ちょうど前日に降って屋根に積もっていたと思われる雪が溶けて棺の上にちょうど落ちたのです.長兄として長く家を守ってきた大伯父ですから代々家を守ってきた親々からのご苦労さんという労いのようなそんな意味性を感じました.火葬,告別式,初七日と終わり,夕方前には急行に乗りました.
祖父の兄弟も残り4人となりました.時の流れを感じると共に,縁のある者がいなくなっていく寂しさをまた感じました.だんだん本家とのつながりも薄くなっていくものだとは思いますが,祖父が大事にしていた本家へのお墓参りは毎年は無理でも数年に1度は足を運びたいと思います.
ところで,塩山は私の地域と通夜や告別式のやり方が違いました.通夜のお清めはなく,参列者はそのまま帰ります.翌日の出棺後先に火葬場へ行き,お骨を拾って骨壷に納めてから告別式となります.初七日の法要は親族だけでなく,組合や縁のある者など大勢呼ぶようで席も決まっていなくて150席以上が設けられていました.地域によってかなりやり方が違うというのを改めて知りました.勉強になりました.
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