昨日は青年会総会でした.今年も従兄が委員長をつとめています.
おつとめでは,ちゃんぽんとおてふりをやらせていただきました.
感話には昨年の青年会躍進の集いのビデオに出てきた杉村さんをお招きし「仕事をしながらのお道の通り方」と題して,いち信仰者としてのお話を聞かせていただきました.印象に残った点がいくつかあるので綴ります.
まずは,「一般の人からしたら『天理教=教会長夫婦の通り方』である」ということを言ってました.お道の教えはおやさまが教えてくださったもので間違いのない真理を説いてくださってますが,それを実践し伝えていくのは伝道者である信仰者,大抵は教会を預からせていただく会長さん夫妻です.ということは,彼らの言動,通り方を見て,周囲の人はお道のイメージを作っていくということであります.信仰者であるということは単なるラベリングに過ぎません.教えをどれほど正しく理解し実践するかということはその人次第です.誰しも人間思案がありますし,自分で気付かず心得違いをすることもあるでしょうから,教会を預かる立場の人の心の窓はいつでも開かれた状態にあり,低い心で周囲から声をかけやすい態度であることが肝要であると私は思います.
このあたりのことは,以前に「人をして宗教を知るということ」シリーズにおいて記事にしていますので,記事の最後にリンクを張っておきます.詳しくはそちらを読んでいただきたいのですが,私たち信仰者がいかに日々を通るかということがお道を知っていただく上で大変重要であるということを示しています.
もう1つ,杉村さんは毎朝路傍講演をしてから仕事に行くらしいのですが,それを始めてからというもの仕事の成績がよいということでした.若い子の方がスキルや知識はあるらしいのですが,何故か自分の成績がよくなっていく,そのことを所属の会長さんに話すと「どこかで帳尻は合うもんだよ」と言われたとのことでした.
このことは「天理教教祖伝逸話篇174 そっちで力をゆるめたら」に『そっちで力をゆるめたら,神もゆるめる.そっちで力を入れたら,神も力を入れるのやで』というおやさまのお言葉がありますが,そのあたりの理合いでしょうか.お道の教えを多くの人に知ってもらいたいという気持ちで通らせてもらえば,その分神様は働いてくださるのでしょう.それはにおいがけ,おたすけにとどまらず,人のために尽くすこと全般に言えることだと私は思います.
他にも何点か思うところがあったのですが,このくらいにしておきます.
いい話を聞かせていただきました.従兄のチョイスは的確でした.
以下は関連記事になります.
⇒
信仰の本質~宗教というラベリングの影響⇒
人をして宗教を知るということ(1)⇒
人をして宗教を知るということ(2)⇒
人をして宗教を知るということ(3)
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