今日は父の命日です.
毎年のことですが,会長(母)は実家の教会の大祭に参拝に行きました.次弟も休みだったので一緒に参拝に行きました.私はあいこと仕事へ行きましたが,夜は暗くて危ないということで,朝づとめ後,お花を持ってお墓参りをしてから出勤となりました.
早いもので父が出直して丸7年が過ぎました.当時23歳で学生だった私にとては予想だにしないことで,衝撃的な体験でしたし,家族一同が悲しみにくれました.それでも刻が経つにつれ,父は親神様よりお与えいただいた寿命を精一杯生きた,また親神様に生かされたと思うよりになり,悲しみという感情は過去のものとなりました.今は懐かしさが多くを占めるのでしょうか.あるいは,父がいたら今何をしていただろう,こんなときどう言うだろう,など実現しない状況を想像するある種の陽気な感情もあるかもしれません.うまく言葉になりませんが,楽しさとは違いますが,それに近いようなそんな感覚でしょうか.特に家族の中で話題になることがあります.祖父母も同様ですが.
身体はお返ししても,その生き様や思いは家族という文脈の中に確かに存在し続けるということを実感します.それほど親という存在は子どもにとって大きなものであるということも同時に思うわけです.私自身も親という役割をこれから背負うにあたり,父の生きた様は自分自身が親となったとき,どうあるべきか,何を思うのかということを教えてくれるでしょう.
母より「人間は子どもが授かって生まれて自然と親になるのではなく,子どもを育てることを通して親に成らせていただく」と聞かされたことがあります.5人の子どもを育てた母だからこそ言えること,その言葉の重みを自分自身感じるときが遠からずやってくるのだろうと思います.そして,そのときに私は未だ気づき得ない父の思いを知ることになるのかもしれません.
まだ子どもの顔を見ぬ私でさえ,曾孫の顔まで見たいと思うのですから,5人の息子がそれなりに成長した姿を見ていた父です,孫の顔を見るのは楽しみだったに違いありません.子どもが産まれた際には,真っ先に神様へのお礼と父や祖父母への報告をしたいなぁと思いました.
明後日15日は父の57回目の誕生日であります.私たち家族は父に何を思うのでしょうか...
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