週末に石巻にひのきしんに行かせていただきました.
持ち物はマスク,カッパ,ゴーグル,長靴,長袖・長ズボン,軍手,ゴム手袋,着替え,ゴミ袋など.次弟と共に8日の夜に教会を出発し,途中のSAで青年会の委員長に拾ってもらって,石巻へと向かいました.市内の石一分教会に泊めていただくことになっていまして,教会に着いたのが朝の3時半でした.神殿を参拝すると,祭文が置いてあり,実は9日が月次祭ということが判明しました.知らなかったとはいえなんと忙しいときに来てしまったのでしょうか.お布団を用意していただいてたのでそっと入ってそっと休みました.朝づとめの時間が分からなかったので,一応5時半過ぎに起きました.晴天の心でと書いて出発しましたが,2時間も寝てないので朝から身体がだるく正直やや曇りで1日が始まりました.
朝づとめを参拝させていただいた後,教会を出発しまして,市内を少し見て回って藤田さんという方に誘導されて,黄金浜会館というところへ行きました.公民館だと思うのですが,そこが1つのボランティアの拠点のようになっていたのでしょうか.
周辺は2m以上水に浸かったらしく,どの家も津波にやられていました.2階が無事で2階に住んでいる人がちらほらいるが,そう多くはないとのことでした.かといって避難所にいる人も今は少ないみたいで親戚・知人の家を頼ったりしているようです.丸々家が流されていて基礎しか残ってない家も多数あり,被害の甚大さを痛感しました.また,ハエも大量に発生していまして,車の窓をあけると10匹くらいはすぐに入ってきてしまいます.においもいくらかありましたが,想像していたほどではありませんでした.
9日の作業場所はそこから少し離れた道路脇の用水路の土砂のかき出しでした.天気予報は雨でしたが,朝から晴天で最初曇っていた私の心もいざ始まると晴れてきました.青年会としては4人しかいなかったのですが,現地の人や国内ボランティアや海外ボランティアの人もいまして総勢40人ほどで作業をしました.用水路には土砂だけでなく,瓦や鉄骨,コンクリート,瓶など色々なものが一に詰まっていてかき出し作業は思ったより大変な作業でした.気温も34度くらいあったので水分補給や休憩を十分にとりながらやりました.夕方4時くらいまでやりまして,一応その日の活動は終了となりましたが,距離的には200m程度でしょうか.それも片側のみ.重機などはなくスコップや手を使っての作業なので人力だけが頼りです.また休みがあったら足を運ばなきゃいけないなと自然と思いました.
終了後は少し車で行ったところの道の駅でお風呂に入り(500円),石一分教会へと戻りました.夜は9時頃には爆睡でした.疲れ切ったのでしょう.10日の朝食を教会でいただいて出発しました.色々お世話していただきましてありがたかったです.
10日はやはり市内の堀巻分教会にご挨拶に行きました.最大15名ほどひのきしんの人が泊まったことがあるらしく,教会の方も復興のために熱心に動かれているようでした.その後,石巻や女川の沿岸を車で見て回りましたが,海沿いは本当にひどかったです.電柱もありませんし,ほとんどの家が陰も形もありません.このへんに人が住むようになるには何年かかかるだろうなと思いました.沿岸を走っているときに地震があったようで,それをメールで知った私たちはラジオをつけて情報を確認すると,津波注意報が出ていて20分後くらいに50cmの津波が来る恐れがあるから沿岸に近づかないようにとのことでした.沿岸から離れたつもりが道に明るくないのでまた海に出る道に行ったりしてちょっと焦りました.この程度でも少し焦るのですから3月11日の震災時の現地の人の心境たるやものすごい恐怖だったと思います.
夕方には無事教会に帰ってきましたが,手と腕が筋肉痛になっていました.なかなか行けませんでしたが,今回足を運ぶことができてよかったです.青年会の活動として石巻を1つの拠点として継続していくつもりとのことですので,微力ながらまた参加したいと思います.1人の力じゃ・・・ということはないです.1人でも多くの力を現地の人たちは求めていると思いました.
とりあえず,しばらくはこっちで仕事です.
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きっと、その場にいって、見て、感じないと
わからないことがたくさんあるんでしょうね。