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お道と臨床と~心づくりのたね~

お道(天理教)と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.日記風なこともわりとあります.

信仰の本質~宗教というラベリングの影響 

今の時代,「宗教」ときくと敬遠する人が多いというのが現状かと思います.

2年ほど前,最初の職場でコンビを組んでいた先生の母の具合が悪いと聞いて,仕事でご自宅にうかがった際に,よければおさづけを取り次がせていただきたいと思い,「私は天理教を信仰しているんですが,よかったら神様にお願いささてください」と言ってみました.すると「私はそういうのはやらないことにしているのよ」と断られました.「そうですか.じゃぁお家でお願いさせてもらいます」と返答して終わりました.

私はあんまり(というかほとんど)にをいがけに出ていないのですが,敬遠された経験のある方はたくさんいることと思います.スピリチュアル的な関心が高まる一方で,「~教」と名の付くものに対し,否定的なレッテルが貼られ,疎まれる傾向にあることは否めません.

ある教えを信仰することは,その人がその宗教団体を盲目的に追い続け,隷属するということを意味しません(そういう方もいるのかもしれませんが).宗教とは本質的には人間のこころの成長と救済を目指す「ある教理によって規定される人生観を提供するもの」であり,信仰によって自らの行動を動機付け,それによって自分および周囲が日々を明るく通れる可能性を導くものであると思います.

例えば,自らの人生観を以下のように述べる人がいるとしましょう.

「私は皆が楽しく暮らせるように,自己中心的な心遣いや行いをするのではなく,人を喜ばせ,勇ませる心遣いや行いをするよう心がけています.人に喜んでもらうには自分が喜んで物事に取り組むことが大事だと思いますので,どんなことの中にも感謝や喜びを見つけて前向きに生きるように努力しています.」

どのように感じられますか?この人の人生観を害のあるもの,嫌なものと思う人はおそらくあまりいないのではないかと思います.これは今の私が考える「お道の教理によって規定される人生観」を宗教性を排除して簡潔に綴ったものです.(もっといい表現があればどなたか教えてください.)

つまり,言葉として生き方を綴る分には,悪い印象を与えるどころかむしろ良い印象を与えることができるのに,そこに「宗教」というラベリングがなされるだけで,その言葉の価値が落とされたかのような現象が起こりうるということです.それは昨今の宗教が社会に与えるイメージがあまりよくないということの影響かもしれませんし,堅苦しく人の生活を束縛するものというイメージがあるのかもしれません.しかしながら,それはあくまで先入観であるということを忘れてはいけないと思うのです.

何が言いたいかといいますと,信仰によってどのような生き方ができるのかが大事なのであって,単に宗教というラベリングで否定的なレッテルを貼るべきではないということです.そのレッテル貼りによって,せっかくの自分自身の「心づくりのたね」を逃してしまうかもしれないのです.それはとてももったいないことだと私は思います.信仰によってよい生き方ができるのだとしたら,それはとてもプラスなことです.信仰せずとも,その価値観・人生観がこれからの生活において役に立つということも大いにあるので,是非,声に耳を傾けてほしいと思います.それでも勘弁という方はとりあえずは感謝と慎みと奉仕を謳う哲学・道徳でもかまいません.よき教えは,よく受け取ればよき心をつくります.その最たるものがお道(天理教)であると私は思っています.

「お道」はその名の通り,人間が生きる道を説いたものであり,人が忘れがちなごく当たり前のことをおやさまのお口を通して,あるいは自らの50年のひながたを通してわかりやすくお教えくださったものであります.「天理教」というのは近代社会で国家に認可してもらうために後に名付けられた宗教法人名であり,おやさまが私たちに教えてくださったのは,人間として心に修めておくと皆が陽気に人生を送ることのできる価値観であります.そのお話を通して人間は感謝の心と人をたすける心を知り,陽気にくらしていくことができるでしょう.それは,周囲によろこびのたねをまくことと思います.

※お道に関しては当ブログの「お道」および「お道×心理学」のカテゴリーを是非お読みください.

追記;ただやはり今の時代本当に人を騙したり,善意につけこんだりする害のある団体やセミナーもありますので,それを見極める目もまた必要と思います.


続きは以下を閲覧ください.
人をして宗教を知るということ(1)
人をして宗教を知るということ(2)
人をして宗教を知るということ(3)
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でも、外国では「無宗教です」という方が、
変な目で見られるらしいですね。
「神様」というものが心にない人は、
畏れを知らないから、何をするかわからない、
と見られると、聞いたことがあります。
日本人も生まれながらにどこかの檀家に
属している人がほとんどだと思うし
全くの無宗教というのでもないんでしょうけどね。
でも、葬式、結婚式などのイベントのみの形式的な宗教への関わりしかない、
という人が多い気はしますね。
あとは変な宗教のニュースとかで
先入観を持っている人が多いかなと。
天理教に限らず、まともな宗教といえる宗教は、
人の道を教えるものであると思うんですけどね。
とにかく怖いというイメージがあるのかもしれないですね。
少し触れてみて、いやだったらやめても良いのに、
一回関係したらやばいみたいな
思いこみがあるのかも・・。
(実際、来た人にすぐに何か売ったり、
印鑑を押させたりするような団体も
あるみたいですからね・・)
そんなんじゃないということを
一人でも多くの人に知ってもらうために、
信者さんになってくれようがくれまいが、
一人でも多くの人に教会の中を見てもらう、
つまり初参拝をしていただくということが
大事なのかなあと思います。

あ、それと、久し振りに日誌を
更新しました。
また時間があるときにでも
遊びにいらしてくださいね!
[ 2007/02/27 21:25 ] [ 編集 ]
さなさんこんばんは.
世界中の人々がたいてい何らかの宗教を信仰している中で日本人は特異なんですよね.
日本にも八百万の神というのが昔は信仰されたと思うのですが,今は文化伝承として残っているくらいのもので形式的な関わりしかないですね.
まったくさなさんのおっしゃる通りです.お道に限らず宗教とは人の道を教えるものであるはずです.
私もブログで書くだけでなくやっぱり実働しないといけませんよね・・・さなさんやyoshiさんはすごいです.お会いしたこともないのに本当尊敬しています.
日誌もまた読ませていただきます.ブログにしたらいかがですか?RSSリーダーで読めるから楽なのに.
[ 2007/02/27 21:56 ] [ 編集 ]
やはり、こういったことは日本だから起こることだと私も思います。
私が思うに、おさづけだとか御供であるとか非科学的なことを持ち出すことに問題があるのではないでしょうか?
考え方、それ自体はよくても、こういったことをもちだされると正直私はひきます。そして、大半の人もひくでしょう。神々しいことが実際にあるのか私には分かりません。また、科学ではわかりえない境地なのかもしれません・・・
そういった次元があるのやもしれぬぐらいに私は思ってます。何事も完全否定するのは危険ですからね^^;
でも、やっぱり、急におさづけと言われるとひいてちゃいますw
おさづけとかを持ち出さずに考え方一本で布教していけばいいのにと私なんかは思っちゃうなぁ^^;

駄文を最後までお読みいただきありがとうございます(o_ _)o)) ペコリ
[ 2007/02/28 18:20 ] [ 編集 ]
いや~、でもおさづけって
効くときは効くんですよね。

ある先生からこんな話を聞いたことがあります。
だいぶ昔の話ですが、教勢がものすごかった時代のこと、
教理に感銘して入信した人が1割、
あとのほとんどの人はおさづけに感動して入信した、とのこと。
今の時代、医学が進歩しているから
同じようにはいかないでしょうが、
やっぱり病院でも難しい病気もあります。
今、うちにつながっている別席を
運んでくださっている方が2人いますが、
二人ともおさづけをきっかけに信仰らしい道に入ってきました。
また別の先生の話では、
「頭だけの信仰は根無し草」とも聞いたことがあります。
確かに、身体で感じ取ったものって
頭だけで理解したのではない、
凄い重みがありますよね。

あとは、相手を見て、タイミングを見て、
おさづけの話を切り出すことも
大事かなって思いますけどね。

な~んて、経験が浅いのにすみません!
[ 2007/02/28 20:40 ] [ 編集 ]
>某管理人さん
すいません,どちらの管理人さんでしょうか?タイトルから察するに私が最近訪れたブログでしょうか?
私も某管理人さんの「考え方一本で布教していけばいい」というのには概ね賛成です.陽気ぐらしは心に陽気に受け取る心を修めることにあるのですから,つまりは考え方の転換であります.ブログの過去記事を参照していただければわかると思いますが,私も受け取り方・考え方の視点をもっとも強調しています.
ただ神を感じようとする非科学的な世界ですから,非科学的なものを持ち出すことを問題としてしまうと元も子もなくなってしまいます.病んでいる人におさづけを取り次がせていただくのは大切なのかなと私は思いますので,声をかけること自体はいいのかなと思います.受けてくださる人もいるので.ただ拒否された際はいさぎよく引き下がることが大切なのかなと.お供えに関しては私もいろいろ書きたいことがあります.いつか記事にしたいと思っています.

>さなさん
どの点に感銘したにしろ,お道につながってくれるのは嬉しいことですね.
頭のみならず心や五感を通して神様を感じるのが大切なのですね.頭で理解していれば,身体で感じられるような気もしますが・・・そうでもないのでしょうかね?
[ 2007/03/01 22:10 ] [ 編集 ]
>さなさん
新興宗教を流布していく上で、そうした、病人を救う、奇跡をおこす事が有効であることは否めません。
そうして仏教、キリスト教、イスラム教が広まっていったように、おさづけもその一環なのでしょうね^^
私も是非体験してみたいものです。
ですが、体験したからといって、すぐに妄信することは危険だと感じます。詳しくは下記へ。

>まおさん

>>すいません,どちらの管理人さんでしょうか?

ごめんなさい、私が誰でどこの管理人であるかを言う必要もないと思ったので某管理人と名乗りました。又、私のブログに来ていただいたことで、こうして天理教をしり、そして、こうしてお話できる機会をいただいた事に感謝しているという意味で「お越しいただきありがとうございました」とつけた次第です。

キルケゴールがそうしたように、神を盲目的に信じる事もまた一つの手段なのでしょうね。実際、無宗教の人よりも何かしらの宗教に入っている人の方が長生きし、人生に生きがいを見出しているという統計もあるぐらいですから。


>あらゆる方に
私は、すべてに対してニュートラルな立場でありたいと思っています。なにもひとつの宗教に入る事が正しいことではないのではないでしょうか?いろんな宗教のイイところ、宗教に限らず、自分が正しいと思う要素を取り入れて、それこそ自分なりの宗教、すなわち、生き方を模索していくことこそ、正しい道だと感じてやみません。もちろん、自身で考え抜くチカラが必要ですから、批判精神然り知識を蓄えておく事が必要です。ですから、一度、入信されることも一つの手段なのでしょう。が、私は、その手段が自己目的化している人があまりに多いのではないのかと危惧しているのです。是非、この機会にちょっと考えてほしいです。

もしよければ、みなさんのご意見をお聞きしたいです。自分で一考しているばかりでは、自分の壁を越えられませんから。ソクラテスが重視したように、私も対話を重んじてゆきたいのです。

拙い文章をお読みいただきありがとうございました。

※このコメントは決して、他者に不快感等を与えるつもりで書いたわけではありません。もしそういったことがあれば、謝りますm(__)m
[ 2007/03/02 13:29 ] [ 編集 ]
管理人さんへ。

実は私もかなり疑り深い方なんですよ~(笑)。
だから、一度や二度、奇跡(?)のようなものを体感したからって信じませんでした。
何度も何度も見て、自分自身でも行動してみて、本当なんだなあと思うことが
つもり重なって、だんだんと
信じるようになって行ったわけです。

特に信仰をお持ちでない方は、
よく「入信する」という言い方をされますが、
天理教の場合は(私の場合は?)、
どこから入信とかってラインはないんですよね。
だから、声を掛けられて、その人を信じて教会に行った時点で、
ある意味では信じ始めているわけですし、
今でも100%信じられるかって言ったらどうかなあと。
限りなく黒から白へのグレーゾーンの連続が
信仰なのかなと思っています。

あと、「自分が正しいと思うことを取り入れて」というのは、
私もそう思ったことがあるんですが、
いろいろなお話を聞くうちに、
そうとも言えないかなあと思うようになりました。
自分というのはとても小さなものですから、
その自分の頭では理解できないことっていっぱいあると思うんですね。
理解できないけどやってみる、
そしてそれからわかってくる、
というのも、一つ信仰の姿かなと思います。
そうして、(まともな宗教なら)
どこでもいいので、
ひとつの道を登っていくことで、
最終的には大体同じような境地に
たどり着くのではと思います。
もしかしたらそれは、仕事とか
趣味とか、そういうものでも極めれば、
同じような境地に行くのかもしれませんが・・。

他の宗教のことは詳しくはありませんが、
洗脳、マインドコントロール的な宗教以外は、
教えを元にしつつ、
自分自身で神様や信仰、生き方を模索し続けて
行くものではないかと思っています。
同じ信仰でも、それぞれの人の中にいる神様の形は違うのではと
思うのです。
また、それを統一して、みんな同じように
強制的にすり込む宗教はどうなのかなと思います。

拙い文章で、いいたいことがつたわったかどうか分かりませんが、
読んでくださってありがとうございました。
[ 2007/03/02 20:51 ] [ 編集 ]
ゆっくり返信する時間なくて遅れました.すいません.FC2の訪問履歴から来られたのですかね?コメントありがとうございます.
信仰を不要と思う方は某管理人さんが言われるように,正しいと思う要素を取り入れることでもいいと思います.その先に陽気ぐらしをしていける信念をもてるのであれば.手段と目的については,お道において目的は陽気ぐらしであり,その手段が信仰だと私は思います.しかし,いわゆる目的達成のための手段という割り切り的なものではなく,つながっているものなのかなと思います.
[ 2007/03/05 08:27 ] [ 編集 ]
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