とあるように,日々神様からたくさんのご守護をいただいてるからこそ普段当たり前と勘違いしてしまいがちな日常生活が送れているのだということに感謝し,御恩報じにつとめると共に,そのことをまだ知らぬ人たちに伝えるということをさせていただく必要があるというような話もいただき,諭達の中に込められたすべてでなくとも,自分なりに何かを拾って実践させていただくことが大切とのお話でした.三年千日という意味については今まで何でかなと思っていましたが,ちゃんとおさしづに皆成程の理が分かれども、日々の理が分からねば、どうもならん/\/\。
(明治二十二年四月十七日(陰暦三月十八日)午後十時三十五分 刻限御話)
と話があり,神意としても親心があったのだと知りました.私もこの三年の通り方は考えないといかんと思った次第です.僅か五十年。五十年の間の道を、まあ五十年三十年も通れと言えばいこまい。二十年も十年も通れと言うのやない。まあ十年の中の三つや。三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。
(明治二十二年十一月七日 午後十時四十分 刻限御話)
Author:まお & あいこ
まお:お道を信仰するよふぼくであり,教会子弟です.現在は精神科で働いています.
あいこ:お道を信仰するよふぼくであり,まおと出逢って入信しました.現在は精神科で働いています.