このように,世代間に連鎖してしまう様々な事情というのは,信仰によりその根を切らせていただくことができると私は思います.そして,信仰するにあたっては,私たちの元なる親である親神様が喜ばれる心遣い,行い,生き方をさせていただくことが重要であります.それは神様からお借りしている身体を人のために使わせていただくことです.どんな小さなことからはじめてもいいと思います.その誠真実の心を神様は受け取ってくださり,事情のご守護ないしは事情の受け取り方のご守護がいただけることと思います.そのとき,親は自分の望まない親の生き方をたどるのではなく,新たな親としての道を開くことができるのだと思います.自分も通った道でありながら,子どもにもまた同じような道を通らせてしまう・・・よい道ならいいのですが,よくない道はできれば避けたいものです.それを避ける道,身上・事情の根を切る道,それがお道の信仰であると私は聞かされています.ですから,信仰により世代間連鎖の根を切ることは可能であると私は思います.
人間は互いに助け合って陽気にくらすために生かされています.人救けとなるよい種を蒔き,よい心遣いをすることによって世代間連鎖は断ち切ることができると私は思うのです.お道が病救けではなく「心救け」の教えであるのは,すべての根本となる「根」と断ち切ることにあるからです.連鎖の根,病の根,難事の根,すべての根は心の持ち方を変えることでよい方向に変わっていきます.どんなことでも感謝して喜び勇んで通れる心,人をたすける心,人のために尽くす喜びの心が身についたなら,物事はよい方向に成っていくと思います.「一粒万倍」,「まいたる種はみなはへる」と教えられているように,小さな種でもそれが実るときが来るのです.
≪講義(第4・5回) | HOME | 親の背中≫
≪講義(第4・5回) | HOME | 親の背中≫
Author:まお & あいこ
まお:お道を信仰するよふぼくであり,教会子弟です.現在は精神科で働いています.
あいこ:お道を信仰するよふぼくであり,まおと出逢って入信しました.現在は精神科で働いています.
一代では、問題解決出来ない場合も有る・・と言う事ですね
私の生きている間では、解決出来ないとするなら、私は辛い毎日が一生続き決して報われない一生を送るかも知れない・・と言う事でしょうか?
私は、教会の子と言えども普通の人だと思っています。
生きている間には、幸せに成れないかも・・と言われたら、悲しい辛い人生を喜んで生きていけるほど心は強くありません。だから壊れたのかもしれません。
頭を叩かれながら「喜べ、喜べ」と言われて喜べる人が居るなら、それは不思議な人だと思います。それとも、私が不思議な人なのでしょうか?