未読の方はまず以下を閲覧ください.
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次弟の身上より思う⇒
神様のご守護次弟のC型肝炎が治癒した出来事から,私は神様のお働きというものを感じたわけですが,信仰のない人にとっては到底理解できないことかもしれません.その場合,「運がよかっただけ」,あるいは「偶然」という言葉で処理されるかもしれません.
確かに,神の存在や働きを信じるということは非科学的なことではありますが,実はそのことはあまり問題ではないのです.このブログでもすでに何度か触れていることかもしれませんが,信仰をもたない人のために信仰をもつことの有効性を述べておこうと思います.
大抵の人の感覚において「不幸」と思われるような出来事について述べるのであれば,その出来事の生起という外的事実により,当事者を含めた家族がそれぞれの個人的体験において悲哀などの感情体験以外に何らかの神の思いを感じ,心の成長の道標となるものを確立したのだとしたら,そこに人生における創造的な価値を見出すことができたと言えると思います.そして,当事者のために祈り,練磨する経験があったのだとすれば,それは人格の成長につながるはずです.さらに,その出来事の解決という外的事実により,当事者を含めた家族がそれぞれの個人的体験において神の思いと感謝を感じ,そのご恩報じのための道―つまりは人をたすけようという志,あるいは人に喜んでもらおうという志を堅持して行動に反映させていくのであれば,それは道徳的観点から見ても,その個人の行動は評価されるべきものとなり得ます.
しかし,信仰がなかった場合,発覚の事実は単なる悲観のみに終わったかもしれませんし,治癒の事実でさえも安堵と喜びに終わってしまったかもしれません.個人的体験において幸福感が生じたということにおいては,信仰者と変わりありませんが,そこに外的事実に対する積極的価値や人格の成長,そこから導き出される行動に社会あるいは他者への貢献を生み出すことは通常なかなか達成されないのではないかと思います.
人生には様々な現象が起こり得ますが,その出来事が本当に神によってもたらされたものであるのかどうかは問題ではなく(私はもちろん神の働きによるものと理解していますが),その出来事が神によってもたらされたものであると信じ,その出来事に込められた神の思いや働きを感じることによって,人間としての成長の機会を得ているということがとても価値あることであり,信仰の有無にかかわらず皆に知っていただきたいことです.
ですから,何もお道に限らず信仰心が人間の心を正しい方向に導く限りは,信仰によって得られる恩恵というのは大きいと思います.中には信仰を持たなくとも,このように人生の様々な局面に積極的な意味づけをして自己成長の機会にすることができる人もいるでしょう.そのような人について心理学者のAllportはそれに変わる人生哲学をもっていると述べていた記憶があります.世界中の人間が信仰を必要とする中で日本人は特異です.特異ですが,宗教心はもっていると思います.信仰のない方は是非その眠れる心に触れてみることを私はオススメします.特に私がオススメするのはお道ですけどね.未読の方は是非カテゴリー「
お道」および「
お道×心理学」をお読みください.
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東京在住のおたんこナース&主婦をしておりますレオと申します。
只今、別席運びをさせて頂いております。
皆さん宜しくお願い致します。
まおさんの弟さんのHCVが陰性と拝見しホッとしております。
私も親神様おやさまに生き方、お道を教えて頂いておりますが、私の母方の祖母(秋田県が祖母の田舎)が代々天理教信徒で私の母も叔父も修養科でお道を学び、私も幼い頃から祖母や母から天理教のお話を聞いておりました。
数年前の私の主人の身上(うつ病)、私の両親の相次ぐ入院と手術(開胸手術)。自分の身上と事情。叔父・叔母、大好きだった祖母の出直しなど苦しい数年でした。
仕事では患者さんやご家族をケアする立場ですが、自分自身は35才になっても心が未熟で神経質でマイナス思考でまた事情により心療内科にお世話になっております。
祖母が出直す数ヶ月前に祖母が入居しているホームへ祖母に会いにいきました。認知症でコミュニケーションをとるのも難しい祖母でした。元気だった頃の祖母とすっかり変わっていましたが祖母との楽しい想い出し、また会話も成立出来ない状態の祖母でしたが先祖代々天理教を愛し信仰してきたの祖母の気持ちを感じ取り、私もひながたお道を教えて頂きたいと強く思いました。
そして、大好きだった祖母との最後のお別れの時に、仕事を頑張り家庭・家族を大切にしていき、メンタル的にも焦らずに治し心を定め治めていく気持ちを持ち、無事におさづけの理を頂けることを約束しました。
出直した祖母に心配を掛けないように頑張っていきます。