うちの教会は30年ほど前に今の場所に建ちました.私の地区は創価学会の家庭が多く,近場にお道を信仰する人はいません.それでも,年月をかけて天理さんと呼ばれて親しまれている部分もあり,お隣さんはとてもよくしてくれます.野菜や料理のおすそわけをいただくこともあるのですが,会長はいつも「ありがとうございます.神様にお供えさせていただいて皆でいただきますね」と受け取っているようです.
昨日,また隣のおばさんがお初のたけのこをくださいました.いつもは「皆で食べて」と言ってくださるようなのですが,昨日は「神様にお供えして」と言ってくださったようで,会長が「いつもお供えさせていただきますと言っていただいてたら,初めて神様にって言ったのよ.ありがたいわね」と言っていました.
私はそれを聞いて日々の積み重ねの大切さを感じました.日々の声かけやおこないは小さなものかもしれませんが,積み重なれば人の認識に変化を引き起こすこともあるのだなぁと.神様を信じなかったり,宗教に対して否定的な人が多く存在する現代において,一人の人間から神様という言葉を引き出すことはたやすいことではないと私は思っています.もちろん元来信心深い人はいますが,そうでない人が多いのもまた事実です.しかし,誠真実の思いはいつしか神様がお受け取りくださるものであり,人の心に変化を呼び起こしうるものなのだと思います.
まいたる種はみな生えると教えられているように,小さな種でも喜んで蒔かせていただく.その小さな種を喜んで蒔く姿が後に実る果実をより豊かなものにするのかもしれません.また,農家の人は育てるときに「甘くなれよ」とか「おいしくなれよ」と声をかけるというのを聞いたことがあります.まさに声は肥えですね.声かけや喜びにあふれる姿はやはり実りをより充実させるということがあるように思います.私も小さな種でも声をかけて喜んで蒔かせていただきたいと思いました.
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