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友人の結婚式先日の結婚式の披露宴でケーキ入刀後,新郎新婦それぞれがケーキをスプーンだかフォークだかで(遠くて見えない)とって相手に食べさせるという場面がありました.
最初,新婦が新郎にケーキを食べさせました.新婦は白い生クリームがついた部分をたっぷりとり,新郎は大口を開けて食べました.次に,新郎が新婦に生クリームに苺がのった部分をとって食べさせました.もちろんそれはそれはとても幸せな光景だったわけですが,そこから心理学的に興味深い示唆を得ることができます.ちなみに完全な私論です.
このシーンはお互いの結婚観を象徴しているかもしれません.選んだケーキはそれぞれの結婚に対するイメージや願望を表しており,食べさせるという行為はお互いのそのイメージを呑み込む―理解するという意味があるように私には思えました.
つまり,新婦は結婚に対し,白い生クリームのような甘いイメージをもち,甘い生活を期待してその甘さを新郎にも共有してほしいと思っていて無意識的に甘い部分を選び食べさせました.それに対して新郎は結婚に対し,甘い部分ももちろんあるけれども甘酸っぱい部分もあるんだよということを知っていて,無意識的に甘い部分だけでなくやや酸味のある苺を含んだ部分を選んで食べさせてあげたのではないでしょうか.お互いに口に運んでくれたケーキを至福を感じながらおいしく食べたということは,象徴的に考えても互いの心根を十分に味わって理解したということだと思うので,お互いの価値観を尊重しながら生活していけるだろうと思いました.
お道では成ってきたことに親神様の思いを考えてどんな意味があるのかを考えるかと思いますが,心理療法でも起こっていることに対して本人や周囲の人にとってどんな意味があるのかを考えることがよくあります.詳細は述べることはできませんが,意味について考えることで確認できることがあったり,新たに気がつけることがあったりして,その積み重ねが治療になっていきますので,今回のケーキについて考えることもあながち無駄ではないのです.まぁそれらはあくまで仮説ですので,正しいかどうかは別問題ですし,あの場でそこまで考える必要はないというのが一般的だと思いますが・・・.単に微笑ましい光景としておさめるだけで十分ですよね.
人生には甘さと酸っぱさがありますが,私も友人のように(って友人がそう言ったわけではありませんが),甘い部分も酸っぱい部分も含めて喜んで食べてくれるような女性をいつか伴侶として迎えたいなぁなんて思いました.
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私は結婚前に、よく教会の奥様から、
「幸せにしてもらおうと思って結婚しちゃダメよ。
相手を幸せにしてあげるんだと思って、結婚するのよ。」
と言われました。
その時は、なんだか損だなあという気がしましたが、
今になって、なるほどそうだなと思っています。
やってもらいたい気持ちにキリはなくて、
それを求めるほど寂しくなってしまうけど、
やってあげたい気持ちを出すほど、
自分があったかい気持ちになれるからです。
また、ある友人が教えてくれたことに、
「この人となら幸せになれる」
という人と結婚するのではなくて、
「この人となら一緒に苦労できる」
と思う人と一緒になれ、と。
これも結婚してみてなるほどと思っています。