未読の方は以下を閲覧ください.
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引き受ける心⇒
共に苦労を⇒
飾らない心で⇒
老いては目となり杖となり4日にわたり,結婚観について述べてきました.条件を満たしてもなお,あるいはどんなに互いが望んでも伴侶として連れ添えない場合もあると思います.そこで,悲しい経験をされた方もいると思います.
なぜこうしたことが起こるのでしょうか?それは神の思惑なので私たち人間が簡単に知ることはできませんが,お互いの成長を期待されてのことかもしれませんし,お互いの役目を終えてのことかもしれません.前者の場合は再度引き合わせいただくこともあるでしょう.
つまり,最後は神様が引き合わせくださるものです.人と人の縁は自分で切り開いていける部分もありますが,最後は親神様です.親神様はそれぞれの徳分にふさわしい相手を授けてくださいます.ですから,引き合うのも縁,離れていくのもまた縁,再びつながっていくのも縁です.その時々にそれぞれの生き方に合った相手に出会えることと思います.ですから,仮に今離れたからといってそれは永遠ではありません.(関連記事;
人と人の縁)
また,互いに合った相手であっても縁が紡がれるまでには容易ではない道を歩まねばならない場合もあるでしょう.しかし,それも互いの成人,互いの家族の成人のための道を神様が用意してくださったのかもしれません.どんな道であってもそこには何らかの神様の思いがあるはずですので,その時々の出会いを喜んで日々を歩んでいくことは大切なことです.
人と人の縁は親神様が引き合わせし縁,各々の通り方によっていかようにも変わっていくものです.いずれ訪れる契りの縁のために,今を精一杯つとめさせていただき,己の徳の器を広げていくことが肝要かと思います.
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親神様がいいようにしてくださるのでしょうね。
まおさんの言う通り、今は己の徳の器を広げていくことが肝要だと思います.
まさに「心ひとつが我がの理」ですね♪
最近しっかり学んでますよ~まおさんのブログを通して学ぶことが多いです。
これからもコメントしますね!