子どもは元々依存的で無力な存在です.生まれたての赤ちゃんは意識的な行動はありませんので,母親やそれに代わる養育者の存在があって初めて命をつないでいくことができます.そして彼ら養育者に育てられ成長・発達していく中で,自立心や様々な状況を乗り越えていく対処能力を培っていくのです.それでも一人立ちするまでには多くの時間を必要とします.よい養育者に恵まれた子どもはいいですが,残念ながらそうでない子どもも多くいると思います.
子どもはよくも悪くももっとも近しい養育者との間で自分や世の中に対する見方を学んでいきます.発達過程での子どもが頼るべき相手(たとえば両親,教師)があてにならなかったり,悪意をもっていたりする場合,子どもの選択肢は次の2つしかありません.
①現実と向き合い,慢性的な恐怖の中で生きる
②現実を否認し,不幸の元は自分自身の中にあるのだと信じ,自分が向上しさえすれば(自分がいい子でいさえすれば)状況はきっと変えられるという感覚を失わないようにする
たいていの人はどんな苦しみであれ無力よりはましと考えるもので,無力さを認めて恐怖の中で生きるより,たとえ不合理であっても罪を認める方がましだと考える傾向をもつことも実証されています.したがって,よい養育者にめぐまれなかった多くの子どもは②を選択することになるのではないかと思います.
つまり,「お父さんお母さんが悪いからこんな目に遭うんだ!」と思うのではなく,「僕が悪い子だからいけないんだ!僕がもっといい子にしていれば,お父さんお母さんは優しくしてくれるんだ!」と(本当はお父さんお母さんが悪い)悲しい現実を否認し,悲壮なまでの努力をするのです.しかし,その努力は残念ながら実を結ぶことはあまりありませんので,そうした過程を歩んだ子ども達が,思春期・青年期・成人期と各発達段階の中で,他人を極端に高く評価し,それに比べて自分はだめだと萎縮し,劣等感を抱き,必要以上の罪責感を負い,悲観的な人生観をもつに至ってしまうことは無理のないことかと思います.
こうして培われた感覚は後の人生の様々な局面で本人の行動や意思決定に影響を及ぼします.多くはマイナスになることが多いと思います.それを払うことは不可能ではありません.ただ長い期間,多くの体験に晒されて築かれてきた自己感覚ですから,一朝一夕に改善するものでは決してありません.相応の時間が必要であると私は思います.
しかし,目からうろこという諺があるように,ある種の人たちは素晴らしい価値観に触れて刹那に自分のこれまでの価値観がふさわしいものでなかったことに気がついて道が開けることもあるでしょう.こうした刹那での達成は,カウンセリングや心理療法では難しく,宗教や哲学といった自己啓発的な啓蒙の方が実現可能なのではないかと私は思います.そう考えると,当ブログで重ね重ね述べていることですが,お道はやはりその大きな助けとなるものではないかと思うのです.
もっとも,子どもを授かったときより,あるいは自分が親となる前より,子どもがよき養育者に恵まれるよう,悲壮の努力でなく,楽しく陽気に自分を伸ばしていけるよう,自分が親としてどうあるべきかを常に内省する姿勢を持たれるのが理想なのだろうと私は思います.親となった親戚や友人,あるいはこれから親となる人たちを目にすることが多くなってきた故から思ったことを綴ってみました.
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