関連記事になりますので未読の方はまず以下を閲覧下さい.
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虐待について(その1)虐待の分類⇒
虐待について(その2)虐待にかかわるとき⇒
虐待について(その3)虐待への対応これまで何回かに分けて話をしてきた虐待は世代間連鎖する現象のひとつです.世代間連鎖とは親から子へと世代間に不思議と引き継がれていく様々な事情のことです.虐待,離婚,アルコール問題などは世代間連鎖することで有名です.不思議なもので親が通った道を子どもも通るのです.虐待で言えば,虐待されて育った人,あるいはそれに準ずる親の愛情を目一杯受けないで育った人などが,自分が親となったときに,自分の子どもにやはり同じような思いをさせてしまうという傾向があるようです.子どもを授かりたくても授からない人もいる中で,せっかく親神様から授かった子を,命を,大切に精一杯の愛情を込めて育てられない人がいることは哀しいことです.しかし,その人自身も親からそう育てられなかったのでしょうから,虐待者となる親も被虐待者となる子ども同様その哀しさを通ってきているのでしょう.
自分も通った道でありながら,子どもにもまた同じような道を通らせてしまう・・・よい道ならいいのですが,よくない道はできれば避けたいものです.それを避ける道,身上・事情の根を切る道,それがお道の信仰であると私は聞かされています.ですから,信仰により世代間連鎖の根を切ることは可能であると私は思います.
人間は互いに助け合って陽気にくらすために生かされています.人救けとなるよい種を蒔き,よい心遣いをすることによって世代間連鎖は断ち切ることができると私は思うのです.お道が病救けではなく「心救け」の教えであるのは,すべての根本となる「根」と断ち切ることにあるからです.連鎖の根,病の根,難事の根,すべての根は心の持ち方を変えることでよい方向に変わっていきます.どんなことでも感謝して喜び勇んで通れる心,人をたすける心,人のために尽くす喜びの心が身についたなら,物事はよい方向に成っていくと思います.「一粒万倍」,「まいたる種はみなはへる」と教えられているように,小さな種でもそれが実るときが来るのです.
また,神をほうきとして心のほこりを払うようにも教えられています.以前にも書いたかもしれませんが,人間ですから悪いことをしてしまうこともあって当然だと思います.問題はその後の行動です.悪いことしちゃったなぁと落ち込んで終わりなのか,一度やったら何度やっても同じだと悪いことを続けるのか,後の行動をよい行いに変えていくのか.これらの選択をすることは私たちにできるのです.起こってしまったことを変えることはできませんが,その後でその事実をどう受け止め,次にどうしていくかを考えることは可能なのです.そのとき,親神様にこの身体をお借りして生かされていることが心におさまっているのであれば,自ずと自らの生き方は見えてくるでしょう.その通り方を親神様は受け取ってくださることと思います.
これではエビデンスに欠けるでしょうか?確かに科学的根拠はありません.科学的根拠があれば信仰とは言わないでしょう.しかし,信じ続けることで変わってくることもあるのです.人間はそのことを本能的あるいは経験的に知っています.
お道,それは「人をたすけてわが身たすかる」道です.そしてその中に,根が切れる道があるのです.
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