あいこさんの今日の記事「
ふしから芽が出る」にこんなことが書かれていました.
今日も、家族に天理教を非難されました。
うちは、何も信仰していません。
でも、頑張って、どうして天理教を信仰しようと思ったのか
両親に話してみました。
結果は「宗教なんて・・・」と、やはり反対されましたが
今は辛抱です。
「ふしから芽が出る」
辛い・・・という道も、喜んで通りたいと思います。
確かにお道は御利益信仰ではないので,なかなか理解されにくいかもしれません.各自の心の成人,信仰を通して所謂世間から見てなるほどと言われる心を培うためのもので,至極分かりやすくいうなれば「なんであの人はああいうふうに何でも喜んで生きていられるんだろうね?」という疑問を通常の他者に抱かせる生き方を養うものであると思います.それは信仰によって培われるものではあるけれども世俗の道徳観にも合致するのでなるほどと言わしめるのだと思います.宗教と思うと偏見があったり,敬遠がちになるかもしれませんが,親が子に教えるように教会でごく当たり前だが忘れがちである人生観を学ぶ場所とでも思ってもらえるといいのだと思います.
時間はかかるかもしれませんが,あいこさんがそうやって自分の信じる道を伝えようとしていることは神様が受け取ってくれるでしょうし,ご両親もいつかその変化に気が付くことと思います.まさに「ふし」なんでしょうね.いつか芽は出ることと思います.まいた種は生えますからね.そして,できればお道を信仰することによってこんなところが変わったとご両親が気付いてくださるといいですね.
えーと,コメントしたかったのですが,マイルール「あいこしばり」によりジャンケンであいこにならなかったので,記事にさせてもらいました.
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母と違う宗教を選んだことで
しかし一年たってあの母がおぢばにかえることもできました
少しずつですよね