沖縄旅行から10日ほど経ってしまいましたが,
ひめゆり平和祈念資料館へ行ったときの記事です.
29日の午前10時過ぎだったかと思います.
第2展示室の病院壕のジオラマを見ていたら証言者の方がジオラマの奥をのぞいている私を見て話しかけてくださって,しばらくその貴重なお話に耳を傾けて聞かせていただいたのですが,時間の制約上,最後までお聞きすることができず,やむなく会釈だけしてその場を立ち去る形となり,出口にあった感想用紙に記載する時間もなく心残りでした.
時間が許されるのであれば最後までお話をお伺いしたかったです.一生懸命に私たちに話してくださり,止め処なく溢れてくる言葉より,まさにことばでは語り尽くせないほどの壮絶な体験,哀しみを背負ってこられたのだと思いました.そして,本来ならば思い出したくもないような苦しい体験を60年以上経った現在もジオラマの前で語り続ける姿に心の強さと語り続けることにかける思いを感じました.3年間のシベリア抑留にあった私の祖父も85歳になりましたが,戦時中は満州にいましたので,ひめゆりの方のような戦火をくぐってはいません.本当に平和な時代に生まれ育った私などは想像もつかないほどの中を生き抜いてこられた,生かされてきたのだなぁと思いました.弾丸が飛び交う中,生き残ってこられたというのは単なる偶然ではなく,私たちが同じ過ちを繰り返さないために,そして戦争の恐ろしさを後世に伝えていくために,そうしたお役目を果たすべく命を授かってきたのだろうなぁと思わせていただきました.
最近チャコの出直しなどあったゆえから,「命あるものには生かされる意味がある」というのが私個人のテーマとしてありましたので,今回の沖縄では,多くのことを学ばせていただいたように思います.水族館の魚を見ては,この魚は何のために生かされているのだろう?生きていて楽しいのかな?そもそも魚に感情あるのかな?無目的そうに見えるけど何か目的があって泳いでいるのかな?など様々なことを考えましたし,ひめゆりの資料館でも軍国主義の犠牲として尊い命を失っていった人を思っては何のための犠牲だったのか?どんな思いで命を落としていったのだろうか?など色々考えました.
人間,動物含め万物は憎み合うために生かされているのでありません.皆が明るく楽しく生活するために個々の命は存在する,美ら海水族館の魚であれば,自身が水槽の中で自然と生きることで訪れた人々を楽しませ癒しを与えるという存在の意味が,パイナップルであれば自身がすくすくと育ち,おいしく食べてもらうことで食する者に喜びを与えると存在の意味が,それぞれあると思います.人間も同様です.私たち一人一人が争いなく生きていくことで,互いに喜びや楽しみを与えられる社会を作っていけたらいいのにと心から思いました.昨今の情勢から憲法9条の存在が脅かされ平和憲法の維持が危ぶまれているように思いますが,海外,長崎,広島,そして唯一戦場となった沖縄での惨事を忘れずに,今後も絶対に平和保持の道は歩み続けていく必要があると思いました.
まとまりませんが,本当にそのとき証言者の方がお話しくださらなければ,ただ私はそこを通りすがっただけでしたが,こうしてただの通りすがりに終わることがなかったのも,何かそこから私が感じ学ぶ意味・必要があったのだろう,これもご縁があったからと思わせていただき,こうして感想を綴っています.
また,沖縄に行く機会があるかはわかりませんが,もし再度訪れることがあったならば,もっとゆっくり見て回りたいと思います.
皆さんも沖縄に行く機会がありましたら,是非足を運んでください.私たちが忘れてはいけないこと,後世に伝えていかねばならない姿が見られると思います.
- 関連記事
-
スポンサーサイト
よく父とは2人旅をしてきたのですが、今回は久しぶりなので楽しみです!
ひめゆりの塔も是非行ったみたいです!まだ日程を組んでいる最中ですが・・・