後継者講習会で感じたことを綴ります。
まず練り合いの時間がわりと多いので、どのような体験をするかは班員の構成に依存するところが大きいと思いました。本部の方でどのように班分けをしているのかはわかりませんが、私の班は7人で教会子弟が私を含めて2人でした。結婚をきっかけにお道を知った信仰初代の方も1人いまして、彼女からは多くのことを学んだような気がします。未信者の人に成程と思われるような行動をやはり心がけていく必要があると改めて思いました。そして、お道の信仰が信念としてあれば、自然と子どもに感謝や喜びを教えていけるものと確信しました。
ビデオでは、過去記事で述べたように、大竹忠治郎先生の話に心を打たれました。激動の昭和初期(?)にブラジル伝道を志し、おやさまの教えを教えることだけを考えて布教に奔走し、投獄されてもなおおやさまの道すがらを追い続ける神一条の姿に感動し目頭が熱くなるのを感じました。海外布教師の信念の強さを少し知った気がしました。同時に仕事を理由にほとんど何もしていない自分自身を恥ずかしく思ったことも記述しておきます。
講話では「成人への道」と題した深谷善太郎先生のお話が興味深かったです。以下は聞き取って私の心に残っている理解なので先生の言葉そのままではありませんが、「お道の教理が分かってくると教理に沿わないのがどういうものかがなんとなく分かってくるので、他人の至らない点が見えてきたり、天理教の組織が間違ってるとも思ったりして、裁きたくなるが、教理は自分自身を成人させるためのものであり、教理を知ったからといって人間が人間を裁く必要はない。じゃぁ誰が知らしてくれるんやと思うかもしれないが、ちゃんと天の帳面にはつけてある、人が言わずとも、神様がその人にお仕込みくださる。教理で他人を裁くのは人間が神様になろうとしているようなもの」というような話がありました。
なるほどと納得できたところもありましたが、若干の疑問も抱えました。しかし、自分自身がお道のよふぼくとしておたすけに歩んだ足跡がいくらもない以上、頭でっかちに自分以外の何かの誤りを指摘することはたとえ誤りが真であったにしろ時期早々かと思い、とりあえずは黙っておや(親神様)の思いに応えるよう通らせていただき、何か自分自身で体現できることがあったらそのときに改めてどうするかを考えようと思いました。
というわけで、目の前のことに取り組み自分自身の言動が神意にほんのわずかでも近づけるよう通らせていただこうと思います。まさに講話の思惑通りなのかもしれませんが、成人への道を歩ませていただきたいと思いました。しかし、決して考えることを放棄するわけではありません。自分と神様との対話は続きます。
他にもいろいろ感じたことはあったと思いますが、今はこの程度で。また思い出したら書きます。振り返ると参加してよかったと思える講習会でした。まだの方は是非。
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しかしまとめ方がすごく良いですね。
ここまでまとめれる人はなかなかいないと思いますよ。まおさんやっぱりすごいや。
この講習会を通して、これからあなたはどう道を歩みますか?(←ビデオに出てました。)なんてね。
やっぱりおぢばは素晴らしいところです。おやさとです。