かつての指導教官がキリスト教信者でして,その先生が「精神療法の背後には人智を超えた神の力が働いている」と言っていたことがありました.
それを聞いてなるほどと関心したのを覚えています.対象は違えど私も同様のことを感じていたからです.精神療法と言えども,人が為すものなれば,神の働きなしには成しえない.これは私からすればごく自然に理解できることです.キリストでいうところの神とお道でいうところの神は働きが違うと思いますが,神様によって生かされていて口が動いて言葉を発し,耳で相手の言葉を聴き取ることができるからこそ,会話による意志の疎通が可能であり,目をはじめとした他の器官によって雰囲気をつかみ,自分は受容されているという感覚を抱くのだと思います.そしてそこから徐々に変化が起こり治療が進んでいく・・・これは外枠的なもので内で起こっていることにももちろん神様の力は働いていると私は思います.
一般に精神療法はクライエントとセラピストの協同作業であり,共通の治療目標をもってセラピストはクライエントの自己治癒力を妨げないように援助する姿勢が求められると思います.ですから治療の成功はセラピストを活かして自己治癒していったクライエントに功があるのです.もちろんそれを妨げなかったセラピストも重要な働きをしています.
しかし,ここで教官の言葉が真であると考えるのであれば,その協同作業の背後に働く大きな力があるのです.クライエント(被面接者)のためによかれと思って,最大限の関心を払い,労い,共感し,自らの人格を以て相手の人生なり症状や生活の一部がよりよくなるように接していく誠真実の心がセラピストにあるのであれば,そこに神様が働いてくださってクライエントが薄紙を剥ぐようにご守護いただくということは理に適っているかもしれません.神様の話をするわけでもありませんし,おさづけを取り次ぐわけでもありませんが,人に救かってもらいたいという心においてはおそらく親神様の思惑と一致するものでしょう.また,クライエントの方も自分の悩みや問題を解決すべく,自らの性格や行いに関心を払い,改善しようと試みるのですから,よい心遣いに成っていけば,その心通りのご守護も現われ出るのかもしれません.
おたすけをしている方はもちろんだとは思いますが,それ以外の方法―たとえば看護や介護など様々ですが―で人だすけの種をまいておられる方,その道中で当事者や関係者以外の何か大きな力を感じることありませんか?それこそ私が知ってほしいと思う神様の働きです.
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